18:ママと献血
僕は今、車の天井を見つめている。何故かと言えば――怒った紅羽さんに押し倒されたからである。
冒頭からとんでもないよね?僕もそう思う。
紅羽さんは鬼の形相で僕のワイシャツのボタンをはだけさせている。……いや、鬼って言っても比喩だけど。節分の鬼として家に来たら、招き入れて平伏したいくらい可愛い顔だ。
――すごい状況なのに冷静だろ? うん。僕はこの出来事を脳内メモリーに焼き付けるため全ての細胞を動かしてるんだ。
「ちょ……ちょちょ! 紅羽さん! ダメだって!!」
たまに抵抗はする。運動神経ミジンコの彼女なら、本気で抵抗すれば止められる。でも、止めたくない。こんな美少女に押し倒される機会なんて、そうそうない。
座右の銘は今この一瞬で変更した。『Carpe diem』――今を生きろ、だ。
彼女が僕のインナーをガッと捲る。きゃあ!? 紅羽さんのえっちー!!
「……パパが鎖骨あたりから吸ったの?」
キスマークを見つけた紅羽さんに、いつもより低い声で問いかけられる。
「あー鎖骨のは……玲央……かな」
玲央の名前を呟いた途端に、胸がトクンと脈を打つ。くそう、まだ心に残ってやがる。
「玲央……??」
紅羽さんの体が小刻みに震える。次の瞬間――
「もぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」
彼女が吠えた。怒号が車内を震わせる。
「玲央まで、順の血を吸ったなんてッ!! 許せない! 許さないんだから!!」
「お、落ち着いて――」
「無理。許せない。今度会ったら頸動脈に切れ目入れて逆さに吊るしてやるんだから!」
いや、野生動物の血抜きになっちゃう……。
「それに鎖骨なんて……ずるいよ」
「えっ……?」
紅羽さんがそっと僕の胸のあたりに唇を寄せる。
にゅーんと犬歯が伸び――その牙が胸に、触れた。
ちなみにだが、紅羽さんに血を吸われていると、体がふわふわと宙に浮いたような感覚になる。
暖かさと心地よさがじんわり広がって、世界が少しだけ優しくぼやける。
そんな夢心地の中――車は紅羽さんの父、美園アレッサンドロの個人邸宅へと到着した。
……家なのか部屋なのか、会社の迎賓室?なのか。庶民の僕にはそのあたりの感覚がイマイチ分からない。
送迎車のドアが静かに開く音に、はっと僕は我に返った。
――あ、ちょっと待って、今開けないで!!!!!!
「――あら」
視界に入ったのは、とても品のある奥様だった。
「いつも主人と娘がお世話になっております。美園陽子、アレッサンドロの妻です」
お、お母さまぁぁぁぁぁぁあああああああああ?!?!!?
僕は上半身をはだけさせ、紅羽さんに血を吸われている状態でお母様とご対面してしまった。
* * *
僕と紅羽さん、陽子さんの三人は、とある部屋にいた。
例えるなら、病院の診察室みたいな感じ。……え、なにこの部屋。
いくら大邸宅とはいえ、屋敷の中にこんな本格的な医療設備が整った一室があるのは違和感しかないんだけど!? お金持ちって、専用のクリニックまで併設するのが普通なんですか??
なんなら、僕が普段行ってる病院より医療機器が充実してる気がする。
いつもと同じように、今回も紅羽さんの父・アレッサンドロさんに腕から血を吸われるのだろうと思っていたのだが、事情は違った。
「主人は今日、仕事でどうしても来られなかったの。ごめんなさいね」
「いえ、全く構いません」
なるほど。つまり今日はイレギュラー対応というわけか。
というか、オッサンに血を吸われて喜んでいるとでも思われているのか? あくまで契約としての吸血行為である。おじさまったら、ダンディで素敵……なんて思っているのは、吸われた日の晩くらいまでだ!まったくもう!!
「主人は残念がっていたけど、ここで採取した血をあとで渡しておくわね」
陽子さんは注射器を使って、テキパキと僕の腕から採血する。動作は淡々としていて、目の前の光景はまるで血液検査そのものだ。僕は抜かれていく血と、陽子さんの笑顔を交互に見つめる。
「そんなに見つめられると……照れるじゃない」
「あ、すみません」
笑顔を見ると、やはり紅羽さんの母親なのだと改めて実感する。美人だ。ちょっと吸われたくなっているのは内緒である。後ろには紅羽さんがいるから我慢しているだけだ。
「手慣れてますね……」
「ああ。看護師やってるの、私。」
「なるほど。吸血鬼って医療系の方、多いんですか?」
「あー、たしかに多いわねぇ。ほとんど100%じゃないかしら? 私と主人が出会ったのも病院だったし」
陽子さんはニコニコと笑う。俺は冗談めかして言ってみる。
「いやぁ、今日はお母様に吸われてしまうのかと思っていました」
「ふふふ。やあねぇ、私は吸血鬼じゃないわよ」
「ははははは、ですよねぇ。……え?」
どゆこと? 吸血鬼の親って、てっきり吸血鬼だと思っていたが……。もしかして複雑な家庭事情が? 僕はなんと――不躾な質問をしてしまったのだ!!
「吸血鬼同士で結婚なんて、流石に中々ないわよ?」
――いや大丈夫っぽい? とりあえず話の続きが気になる。
「……吸血鬼と人間が結婚したら、最初の子だけが吸血鬼の体質を受け継ぐの」
後ろで静かに見守っていた紅羽さんが、ぽつりと言った。
吸血行為の関係で、吸血鬼は同族よりも人間に惹かれることが多いらしい。だから吸血鬼×人間の組み合わせが一般的で、第一子だけが吸血鬼として産まれる――そう説明された。
なるほど。だから紅羽パパは「娘が誰かを日常的に吸うというのは、その相手を将来の伴侶として受け入れるに等しい」と言っていたのか。
つまり、吸血鬼にとって“血を吸い続ける相手”とは、単なる食事相手じゃなくて――未来の結婚相手を意味する。
僕はようやく、その言葉の重さをぼんやり理解した。
「じゃあ僕が紅羽さんと結婚したら、1人目の子は吸血鬼かぁ……」
「……へっ?!」「……あら」
なんとなく呟いたその言葉に、場の空気が一瞬止まる。
紅羽さんは身体を震わせ、真っ赤になった。陽子さんはニヤニヤと笑っている。注射器の針が抜けると同時に、僕は自分の発言の意味を悟った。
「す、すみません違うんです! うっかり言ってしまっただけで、深い意味は全くありません!!」
慌てて椅子から降りて手をつき、土下座の体勢をとるが、どちらに頭を下げても誰かに尻を向けてしまう。訳が分からず、その場でグルグルと回り続ける僕を、陽子さんは片付けを終えたあとニッコリと見やる。
「今は子ども作っちゃダメだからね?」
「お母様、もちろんでございます! 大事な娘さんには指一本触れません!! そもそも現状、僕は紅羽さんの“食材”ですし! 家庭に入るとしても食用の家畜ですから!!」
陽子さんの目は、まったく笑っていなかった。
背筋がぞわりとする。思わずその視線から逃げるように振り返ると、紅羽さんが真っ赤な顔で呟いた。
「……ばか」
ごめんなさい! それより、可愛い――――――!!




