16:ヒロインと名前の呼び方
授業中。教室は静寂と、ときおり漏れる嗚咽交じりの鳴き声に包まれていた。
――葬式みたいな空気とは、まさにこのことだろう。
ちなみに「僕と紅羽さんが付き合っているのでは?」という疑惑は、ちゃんと否定しておいた。
……否定したんだけど。
隣で紅羽さんが「付き合って“は”いないです」なんて妙な言い回しをしたせいで、余計に話がややこしくなった。
噂というものは、伝わる過程で勝手に変化していく。
下手したら――「紅羽さんが僕にぞっこんだったけど、フラれた」「弄ばれた」なんて話にすり替わる未来だってある。
……そうなったら僕は天に召される。いや、正確には地獄に叩き込まれる。
とにかく慎重に立ち回らなきゃマズいのだ。
そんなことを考えながらノートに「紅羽」と書き続けていたら、お昼のチャイムが鳴った。
朝に吸われたし、ランチ営業はお休みかな……と思っていたんだけど。
「野中くん、お昼一緒にいいかな?」
紅羽さんが、いつもの調子でルンルンと誘ってきた。
「い、いいよ」
「やった。今日は屋上じゃなくてもいいかな?」
「ああ、暑いもんね」
「それもあるけど……ちょっと二人きりになりたくて」
――いや言い方ァ!! もうちょっと周囲の男子に気を使って!! あと僕の理性にも!! 米粒大の理性にも!!
そう思った時には、すでに遅かった。
教室の男子たちは、一斉に被弾した。
ある者はソーセージパンを鼻に突っ込もうとし、
ある者は牛乳を耳から飲んでやる!と発狂している。
最前列の秀才君は静かに灰となって風にさらわれていった。
……合掌。
今日もまた、紅羽さんの天然兵器でクラスの男子は命を落とした。
* * *
そんなわけで、僕と紅羽さんは放送室でご飯を食べている。
紅羽さんが放送部? うん、それ自体は分かる。
声も通るし、朝から元気だし、全校放送とか似合いすぎる。
――でも。僕は放送部という部活の存在自体を知らなかった。話を聞くと、こうだ。
部員は紅羽さんひとりだけ。
放送部の存在、そして紅羽さんが所属している事実は一切公表してはならない。
表立った活動も禁止。やむを得ない場合は姿がバレないように行う事。
……いや、どゆこと!?
活動禁止って部活の存在意義どこいった!?
これもう部活っていうより、国家機密の隠蔽部門かなんかじゃん!!
「訳わからないよね……」と紅羽さんは苦笑いした。
……まぁたぶん、紅羽さんが所属してるって知れたら、ほかの部活は全部廃部だよね。
僕だって、知ってたら秒で入ってたもん。
「いっつも1人でお昼の放送してたから、なんか新鮮」
紅羽さんは慣れた手つきでCDを交換しながらそう言った。
「週1……くらいだよね?お昼に音楽流れてるの」
あまり気にしたことがなかったけれど、多分それくらいの頻度だ。
「うん。本当は毎日流したり、リクエスト受け付けたりしたいんだけど……中々ね」
「あー。紅羽さん人気者だからお昼休み忙しいもんね」
紅羽さんはフルフルっと首を横に振る。
「違うよ。放送部の存在がバレちゃうからだよ」
彼女は人差し指を立てて“シー”のポーズをした。秘密、ね。悪そうな顔もとても可愛い。
君がボスなら、悪の組織なんて簡単に作れそうだ――世界中の血液を私が吸ってやるんだから!って。
……あ、だめだこれ。正義の組織が全ての人から叩かれる。
「野中くん」
「あ、はい」
いかんいかん。セクシーなレザーコスチュームに身を包んだ紅羽さんを妄想してた。この妄想、写真に焼けませんか?無理ですか。
「野中くん」
「はい」
「野中……」
「いや、どうしたの?」
紅羽さんが僕の名前を連呼する。自分の頬をムニムニしながら、んーって唸っている。
可愛い。満点。過去最高記録を更新した。今後インフレするのが怖い。
「今日、野中くんが私の名前を呼び捨てにしたでしょ?」
したっけ?……したような気がする。
「すみませんでした。今後は紅羽様と敬意を込めて呼ばせていただきます」
「うむ。よきにはからえ」
紅羽さんがちょっと偉そうに踏ん反り返るポーズを取る。
え? 何その新しい可愛さの放出? 今日って何かのキャンペーン期間なの?
「まぁ、そもそも僕は下の名前を呼ぶことすら結構恐れ多いんだけどね」
改めて説明すると、彼女の名前は美園|紅羽《くれは》。
下の名前で呼んでほしいという彼女の希望で、僕みたいな底辺ザコモブクラスメイトでも名前で呼ぶことになったのだ。
「うーん……名字はちょっとな~……」
紅羽さんが脚を前に、腕を上にピーンと伸ばして伸びをする。
夏服のセーラーの裾からお臍がチラリ。ありがとうございます。僕、今日から臍フェチになります。
「中学時代のあだ名が嫌だったの」
「……あだ名?どんな?」
そう聞くと、口をツーンと尖らせてジト目。帰ったらジト目の女の子の画像を集めよう。
「みそっぺ」
「みそっぺ……」
赤い髪、白い肌をした超絶美少女、みそっぺ。
「なにそれ、妖精みたい。可愛い」
「もー!だから嫌なのー!!」
ガチャガチャになったら、空になるまで回したい。
コンビニくじになったら、ラストワン賞まで買い占めたい。
「とりあえずさ。今日から紅羽って呼んで欲しいの」
突然、紅羽さんが真剣な目で僕を見つめる。いきなり真剣なのやめて。僕、食材なのに勘違いしちゃう。
「ごめん、流石に恐れ多いよ。せめて『さん』は付けたいかな」
「もーそれじゃ駄目なのー!」
紅羽さんがぷんすこしてる。
「野中くん」
「はい」
「呼びにくい!!」
「はい?」
「たまに、『のにゃかくん』になっちゃうの。犬歯が長い時とか……特に」
「あー」
吸血後とか、よく……なってるね。可愛くていつも悶えてる。
「下の名前は順くんでしょ?……なんか、それも呼びにくくて……」
僕の名前を知っていたのか。推しに名前を覚えられたら周りから一目置かれるんだっけ? 明日からちょっと偉そうにするよ!
「だから……順って、呼んでいい?」
僕のハートは撃ち抜かれた。
「その代わり、紅羽って呼んで? そうしてくれたら私も呼び捨てにしやすいじゃない?」
撃ち抜いた弾丸は急旋回して、さらに僕の頭を打ち抜いた。これが本当のズキュンバキュン!
「はーやーくっ!」
紅羽さんは急かしてくるけれど。
名前を呼ぶのは、僕にとっては告白よりも恥ずかしい。
数瞬、ためらいを挟んで。
僕をじっと見つめる君へ勇気を出して、一言。
「……紅羽」
その声は放送室の壁に静かに消えた。
吸音に包まれた空間では、言葉の余韻や飾りはやすやすと削ぎ落とされ、刃のように研がれた言葉だけが真っ直ぐに二人の間に落ちてゆく。
飾りのないその一語は、何百の言葉が重なるよりも、ずっと告白に近かった。




