12:パパとチュウ
「しかし…………ククク。娘が初めて吸血衝動を抑えられなかったというものだから、どんな相手かと思えば……」
アレッサンドロの視線がゆっくり僕の首筋へと落ちる。
背筋を冷たい指でなぞられたようで、心臓がドクンと跳ねた。
あ、これ完全に“いただかれる”やつだ。
父さん、母さんごめん。僕はイタリア製の高級家具に囲まれた部屋で主食扱いされて散るんだ……!!
アレッサンドロは目を細め、深く息を吸い込む。
「……ふむ、やはり本当にいい匂いがする。濃厚で、若々しくて――」
やめろォ!ワインのテイスティングみたいに表現すんな!!
全身の血が逆流しそうなほどゾワッとする。
そして彼は、獲物を定めた獣のように口角を吊り上げた。
「――君の血を、一度……吸わせてくれないか?」
「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇええええエエエエエ!!!!」
僕は首筋を両腕で隠しながら、ソファから飛びのいた。
カンフー映画の雑魚キャラよろしく、壁に背を預けてジリジリ後ずさる。
「安心したまえ。痛くはない」
「そういう問題じゃねぇぇぇッ!!」
「いや……ほんの一滴だけ」
「駄目だってばぁぁぁあああああああ!!!」
……なんで僕、令嬢のお父上と応接間で追いかけっこしてんの!?!?
この屋敷、荘厳な雰囲気なのに中身はドタバタコント会場なんですけど!!
するとアレッサンドロはふっと追撃をやめ、顎に手を当てた。
「なるほど……やはり一筋縄ではいかぬか」
そして唐突に真面目な顔になり、静かに言葉を紡ぐ。
「――ならば提案しよう。吸血契約だ」
「はいぃ!?」
「内容は簡単だ。月に数回、決められた場所と時間で、決められた量の血を提供する。その対価として、君には毎月一定の金銭を支払う」
「いやいやいやいや!?」
「最低保証額は――」
「額の問題じゃねぇぇぇええええ!!!」
淡々と進む説明に、僕は頭を抱える。
何これ、労働契約!?いや違う、響き的には愛人契約だろこれ!?!?
港区系男子高校生♪とか言いながらSNSでインフルエンサーやれっていうのか!?
「ふむ」
アレッサンドロは再びソファに腰掛けると、ゆっくりと胸元に手を入れた。
……拳銃!?脅される!?と身構えた僕の目の前で、机に置かれたのは――。
牛のマーク。
馬のマーク。
Rのマーク。
なんか天使の羽みたいなマーク。
……え、なんだこれ。車のキー??
「えっと、これは……」
「もし君が私と契約してくれるなら」
「えっ」
「君が免許を取り最初に乗る車は、この中のどれかだ」
「ええっ!?!?」
待て待て待て!!! 吸血鬼のオヤジ、口説き方間違ってるだろ!!
「想像してみたまえ。誰もがうらやむスーパーカーに乗る君を。そして隣には――誰が座るのかな?」
「いや、それは――」
海岸沿いを走り抜ける真っ赤なオープンカー。快音を響かせながら風に吹かれる僕と――紅羽さん。そして彼女が言う。
「ねぇ、ちょっとだけ、良い?」
紅羽さんの唇が運転席の僕の首筋を――。
あああぁぁぁぁぁあああああ!! もう!! ちょっと良い感じじゃないか!?!?
悶える。僕は悶える。オッサン吸血鬼を前に僕は悶える。
「あ、でも扶養家族から外れてしまうか」
アレッサンドロが突然言う。
「え?」
「簡潔に言うと、高校生の君が稼ぎすぎると君のご両親が少し困るんだ。気になるなら後で調べると良い」
「はぁ……」
僕は気の抜けた返事をする。
バイトとかもした事が無いから、よく分からない。後で親に聞いてみるか。
「という訳で――月8万5千円、残りの金額については別の形で君に還元するとしよう。たとえば……一流の家庭教師をつける、とかね」
アレッサンドロはそう言って、意味ありげに微笑んだ。
アレッサンドロの提案内容はこうだ。
表向きは、同級生の父親が経営する会社でのアルバイトという体裁。
高校生にしては破格の時給二千円。週に二、三回、放課後に数時間働けば月八万五千円に届く計算だ。
「紅羽さんのツテで優遇されているバイト」ということにすれば、外聞としても不自然ではない。
だが、その実態はまるで違う。
アレッサンドロに血を吸われるのはほんの数分。
残りの「勤務時間」とされる部分は、すべて専属家庭教師による特訓に充てられる。
数学や英語、小論文に至るまで徹底的に叩き込まれ、時には筋トレやスポーツまで……。
――表向きは楽そうな高時給バイト。
裏では、血と勉強に搾り尽くされる地獄の放課後を提案されたのだ。
「それ、僕にメリットあります!?!?」
ナチュラル地獄提案に、僕は即座に拒否の声を上げる。
「落ち着きたまえ」
アレッサンドロは悠然と語り出す。
「勉強は出来た方がいい。これは誰も否定できんだろう?」
「いや、それは……そうですけど!」
「専属家庭教師だが……英語はオックスフォード大卒、数学は東大主席、体育は元オリンピック選手だ」
「なんで家庭教師に五輪選手が出てくるんですか!!」
「普通なら何百万、何千万もするプログラムを、数分……いや数秒の吸血で受けられる。合理的だと思わないか?」
「合理的って言葉の意味、調べ直してきてください!!」
それに――どうしても譲れないことがある。
「紅羽さん以外には、絶対に血なんて吸わせたくないんだ!!!」
声が勝手に大きくなった。
その場に紅羽さんはいない。だが胸の内を隠す気にはなれなかった。
一瞬、沈黙。
アレッサンドロはゆっくりと目を細め、そして静かに口を開いた。
「……いい心意気だ。だが――」
彼はピシャリと告げる。
「娘の結婚相手には、医者以外認める気は――ない」
「ならいい! この契約なんかなくても――医者になってやらぁ!」
僕だって男だ。簡単に負けてられるかッ!!
* * *
その日の帰り道。
アレッサンドロに用意してもらった美園家専用の送迎車に乗せられ、家路につく学生やサラリーマンを車窓から流し見ていた。
やがて車は自宅の前に停まる。
「それではまた明日、学校までお迎えに上がります」
「すみません、ありがとうございます」
運転手さんにお礼を言い、家のドアを開ける。
「母さん、僕バイト始めたから」
「えー?どうしたのいきなり??」
「部活もやってないし……少しでも社会を知ろうと思って」
「ふーん。まあいいけど。扶養外れないようにしてよ?年間103万円以上は稼いじゃダメなんだから」
「うん、分かってる」
今日わずか五分で、扶養ギリギリの今月分の給料を稼いだなんて……母さんには言えない。
左腕に残るキスマークを見つめながら、僕は思った。
――俺のラブコメ、どうしてこうなった!?
パパ活って!! パパ活って!!!!!!???




