1:ヒロインとチュウ
今、僕は首筋から血を吸われている。――目の前の美少女に。
僕の上にチョコンと座る彼女の重みを感じながら、僕は思った。
好き好き好き好き好き好きぃぃぃいいいいいいい!!
どうして吸血ってこんなにエッチなのおおお!?
――僕たちが出会ったのは、夏が始まる“ほんの少し前”だった。
美園紅羽は、いつだって太陽みたいに皆の視線を集めていた。
赤みがかったウェーブヘア。イタリアの血を引いたクォーターで、正真正銘のTHE美少女。
誰にでも分け隔てなく接するその姿に、多くの男子が彼女に心を奪われていた。
もちろん、僕みたいなモブも例外ではない。
どこにでもいそうな顔と言われるが、一応名前がある。野中順だ。……頑張って覚えてくれ。
しかしながら。
勘違いして、フラれて。それでも可愛くて、愛おしくて。
そんな“天国みたいな地獄”を味わってる男子は、学校中にあふれていた。
でも僕は、そうはならない。彼女と僕の立場の違いってやつを、しっかりと理解してるからだ。
高校2年、ゴールデンウィークも明けた六月の終わり。
同じクラスになれたことを密かに感謝しながら、体育の授業中――1000m走の記録をつける係として、僕はグラウンドの端っこで紅羽さんを遠目に見ていた。
リアタイ視聴どころか、生ライブだ。……もう幸せじゃないか。
一生懸命走る彼女の姿は、まぶしくて。つい見惚れて――
「あっ。倒れた!?」
結論から言おう。
この出来事をキッカケに、僕と彼女の距離はゼロになった。
* * *
「野中君、ごめんね……迷惑かけちゃった」
僕に肩を借りながら廊下を歩く紅羽さんは、弱々しくそう言った。
「いや、大丈夫……僕、保健係だし……」
運の悪い――いや、とても運の良いことに、女子の保健係は今日、休みだった。
そこで僕が紅羽さんを保健室に連れていくことになったんだけど、周りの男子からはとてつもない殺意の籠った視線を浴びせられた。
やっぱり運が悪いのか?
「ふふっ。野中君って優しいんだね?」
至近距離で吐息がかかる。赤い髪が頬に触れる。
やっぱ運良いや。最高だ。明日死ぬかもしれない。
「や、優しくなんて……ないやいっ」
舞い上がりすぎて、つい江戸っ子みたいな口調になる。てやんでぃ。
僕は「失礼します」と言いつつ保健室の扉を開けた。
先生は不在のようだった。
「とりあえず、ここに座ろうか」
「うん」
僕は紅羽さんをベッド脇に座らせ、向かいのベンチに腰掛けた。
「横になったら?」
「うーん、そこまでじゃない、かなぁ……」
体操服でベッドに腰掛ける美少女。なんだこれは。どこの名画だ。
こんな作品かき上げたら三代先まで遊んで暮らせるくらいの富を築けるんじゃないか?
僕はその瞳をじっと見つめながら、そんな事を考えていた。
――ん?瞳???
紅羽さんの瞳がじっと僕を見ている。
そして僕も紅羽さんの瞳を、じっと見返していた。
……見つめ合ってる?WHY?
「ごめん、無意識に見つめてた……」
僕は慌てて視線をそらした。好かれないとしても、せめて嫌われたくはない。
でも、どうしても気になってもう一度だけ見てしまう。
紅羽さんはまだ、僕を見つめていた。
「ど、どうしたの……?」
緊張で声が震える。紅羽さんは何も言わずに腕を伸ばし、そのまま僕の首へと絡めてきた。
!?!?!?!?
声が出ない。
というか完全密着状態で、腕どころか体の至る所が触れ合っている。
幸せとパニックの盛り合わせに、恐怖少々。人はキャパを超えると恐怖を覚えるのか!?
そんな事を考えていると、耳元で紅羽さんが囁いた。
「ごめんね」
そして――僕の首筋に唇を寄せると……。
そのままチュウチュウ吸い出した。
……色々思うことはあるけど、とりあえず一つ言わせてほしい。
えっちすぎない???
吸われながらも、僕は横目に彼女の顔を盗み見ようとする。
その顔は見えない。見えるのは赤く染まった耳と細くて白い首筋だけ。
――具体的に!具体的に申し上げます!!!
クラスどころか学年、いや学校一、いや下手すりゃ地域一番の美少女が!
保健室の床に膝をついて!
僕の首に腕を回して!
完全密着状態で首筋にキスをしながら吸っています!!!
んああああああ!!!!???
誰か!?誰か教えてください!!!
この体の横でグーしたまま固まった僕の腕、どうすればいいんですか!?
紅羽さんを抱きしめても良いんですか!?
駄目ですか!?逮捕されますか!?
逮捕される覚悟ができたら抱きしめていいですか!?
……意を決して、僕が腕を広げた、その瞬間。
小さな音を立てて、紅羽さんがすっと離れていった。
――緊急停止ー!緊急停止ー!今抱きしめると逮捕の恐れアリ!!
脳内にけたたましい警報が鳴り響く。
落ち着け、僕。落ち着け落ち着け落ち着け!!
心を必死に平静へ戻しながら、僕は彼女に声をかける。
「……紅羽さん?」
紅羽さんはほんのり頬を赤らめ、視線を落としながら小さく呟いた。
「好きかも……」
頭の中で何かが爆発した。
機能停止しましたので、しばらくお待ちください。ピー。
* * *
――んは!?
長いこと息をするのを忘れていた気がする。
かすかに残る紅羽さんの香りが、さっきまでのことが現実だったのだと僕に実感させた。
「夢じゃ、ないんだよな?」
思わずつぶやくと、
「うん。夢じゃないよ?」
真横に紅羽さんがいた。……って、いるんかーい!!
とりあえず、腕を絡めて首筋にキスをされたわけだ。
これからも、ただのクラスメイトというわけにもいくまい。
僕は慎重に話を続ける。
「今のは……一体?」
「そうだよね、びっくりしちゃうよね」
紅羽さんは指先で自分の犬歯に触れながら言った。
いや、歯ですら可愛いって何? 僕、今日から歯フェチを名乗っていい?
「びっくりはしたけど……嫌じゃ、ないよ」
そう言うと、紅羽さんの顔がぱぁっと明るくなる。
というか嫌なわけがない。憧れの美少女に――抱きしめ☆密着☆首筋キス。これを嫌がる人類がいたら連れてきてほしい。
「じゃあ、これからも……?」
「うん」
僕は、持てる愛情をすべて顔面に込めて言った。
「これからも、ずっと。よろしくお願いします」
紅羽さんはこくんと頷いて、
「私も、よろしくお願いします」
そう言って、やわらかく笑った。
首筋が、じんわり熱い。
意味なんて、今はどうだっていい――この笑顔だけで、世界が少し明るく見えた。
……だって、この時の僕はまだ知らなかったんだ。
自分が“彼女の彼氏”じゃなくて、“ただの食材”に過ぎないことを。




