私の隣の席は
神奈川にある、とあるサッカーチームを応援している。
とはいえ、90分間ジャンプし続けて応援するような“激アツゾーン”にいるわけじゃない。自分がいるのは、シーズンチケットで観戦する、比較的ゆったりした座席エリア。ゆるめの応援スタイルの人が多い、平和な場所だ。
シーズンチケットというのは、ホームスタジアムの同じ席で1年間観戦できるチケットのこと。
その都度チケットを取る必要がないのは便利だが、同じ席に固定されるというのは、それなりにリスクもある。たとえば、そこが雨に弱い席だったり、応援スタイルの合わない人が隣に座っていたりしても、簡単に変えることができない。
それでも、自分の今の席はまさに“大当たり”だった。
真横からゴールを見られる好位置。風向き次第ではあるが、横なぐりの雨でもない限りほぼ濡れずにすむ。そして何より、まわりの観戦仲間たちがとても良い人たち。自分の列とその前の列の人たちとは、シーズンを通してすっかり仲良くなり、遠征や旅行のたびにお土産を渡し合うほどの関係に育った。
ゴールが決まったときには、自然とみんなで立ち上がってハイタッチ。最高に楽しい応援空間が、そこにある。
……ただ、ひとつだけ、気になることがあった。
それは、自分のすぐ隣の席が、ずっと空いたままになっていること。
そこもシーズンチケット席のはずなのに、昨シーズンは丸々一年誰も座らず、今年もシーズンの半分が過ぎたというのに、まだ一度も人が来ていない。
引っ越しか、長期入院か、理由はいろいろ考えられる。
けれど、決して安くはないその席を放置したままというのは不思議だった。来られないにしても、リセールに出せばすぐ買い手がつきそうな立地なのに、それもしていない。
ということは、チケットの更新手続きはされた上で、あえて空けてある?
……謎である。
まあ、空席のおかげでその先の人と仲良くなれたし、とりあえず誰にも迷惑はかかっていない。だからこそ、静かに「なんでだろうねえ」と気にしていた程度だった。
ところが。ついにその日が来た。
先日の試合。開始から10分ほどが経ち、スタジアムの熱気がピークに近づいてきた頃。
ふと気づくと、ずっと空いていた隣の席に、ひとりの男性がやってきて、すっと腰を下ろした。
……来た? とうとう来た?
その瞬間、周囲が一気にざわつく。試合に集中したいのに、みんなチラチラと気になって仕方がない。
隣の席が埋まるという、たったそれだけのことで、あの一角だけ微妙に緊張感が走っていた。
そのまま試合は、どちらのチームも攻めきれず、スコアが動かないままハーフタイムへ。
前半終了のホイッスルが鳴ったあと、その男性は無言で立ち上がり、どこかへと歩いていってしまった。
「来たね……とうとう」
「これって、持ち主本人なのかな?」
「ハイタッチどうする? 飛ばしてしても不自然だよね」
「だよね。まずあの人にハイタッチ行ってからソチラに、って感じで」
そんな感じで、まるでクラスに転校生が来た日の昼休みのような、妙にそわそわした空気が流れていた。
後半開始の少し前。男性が席に戻ってきたタイミングで、意を決してこちらから声をかけることにした。
「こんにちは! なかなかお会いできなかったので、ちょっと心配してたんですよ。今日お会いできて嬉しいです」
言ってから、唐突すぎたかなと少し焦る。けれど男性は、少し戸惑いながらも穏やかに挨拶を返してくれた。
話を聞くと、彼はこの席の持ち主ではなく、普段は別のシーズンチケット席で観戦しているとのこと。
今回はその席を家族に譲ったため、リセールでこの席を購入して観戦しに来たらしい。
……なんと。長らくの謎はまだ解けなかった。
けれど、まさかリセールという形でその席が動くとは思ってもいなかったので、それだけでもちょっとした事件だった。
そして何より、その男性がすごく良い人で、ゴールが決まった時には一緒に立ち上がってハイタッチ。いつも以上に盛り上がって、試合そのものも見事な勝利で幕を閉じた。
帰り際、彼はこう言った。
「またこの席、リセールに出てたら狙ってみますね」
もちろんこちらも大歓迎だ。「また会いましょう」と笑顔で送り出した。
長らく動きのなかった席に、ようやく人の気配が戻ってきた。
リセールで一時的だったとはいえ、小さな変化が起きたことが嬉しかった。
そして今、その席は次節のリセールには出ていない。
……ということは、次こそ“本当の持ち主”が来るのかもしれない? それともまた空席に?
来てくれたとしたら、どんな人なのか。
この席の風景は、次の試合でもまた変わるのか。
試合そのものより、少しだけ隣の席の方が気になっている自分がいる。
明日が楽しみだ。
もし何だかの展開があったら、更新します。