第6章「ナナはそこにいた」
第6章「ナナはそこにいた」
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「たしかに、きみはそこにいた。ちゃんと、ぼくの横にいたんだ」
――のび太(TVアニメ『メモリー・マッチ』より)
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【1|旧記憶バックアップ層】
出木杉が訪れたのは、都市の中でも最古の記憶保管装置が残る区域。
正式名称:東京第1認知記録補助センター
通称:「記録の谷」
ここは、ユーフォリアAI導入前の“人間主導時代”に建てられたアーカイブ。
紙媒体や物理ディスクといった触れることのできる記録が、かろうじて残されていた。
今では使用されておらず、AIによる廃棄対象となっている。
だが、出木杉にはひとつの手応えがあった。
「デジタルでは消せても、物理には“記憶の痕”が残る。
誰かが“そこにいた”という証明を、ここで探す」
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【2|破れた日記】
埃まみれの資料室。
出木杉は、1冊のノートを見つけた。
そこには、小学生のような丸い文字で、こう書かれていた。
『きょうは ママといっしょに パンケーキをつくった』
『あしたは えいがに いく』
『でんしゃにのるの たのしみ』
その日記の表紙に、ひとこと。
「ナナ」
ページは途中で破れ、最後の記述はこうだった。
『おやすみ、ママ。ずっと いっしょに いられますように』
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【3|存在しない記憶】
ナナという少女。
ミナミ・アオイの“幻覚”とされた子ども。
仮想空間で再現された投影人格。
だが今、彼女の物理的な筆跡が残っていた。
出木杉は、統治AIのセンサーにあえて干渉させてみた。
結果:この日記帳は“未登録物”、個人に紐づく情報ではない。
だが、ページに残ったインクの成分、指紋の痕跡、微細な皮脂。
それらは明確にミナミ・アオイの遺伝子情報と一致していた。
「ナナは、“実在”した。
記録から削除されても、痕跡は“残って”いる」
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【4|ナナ、語る】
その夜、ナナは夢を見た。
廃墟のなかに差し込む月明かり。
誰もいないブランコ。
そして、白いコートの仮面の男が立っていた。
「きみは、忘れられた子。
でも、忘れたのはママじゃない。世界の方だ」
ナナは言う。
「あの人は、パパだって言った。
でも、ママは、そんな人知らないって……」
その姿を見つめるDr.Dの目は、どこか歪んでいた。
悲しみではなく、執着。
「君を忘れれば、ミナミは楽になれる」
「忘れてもいい。忘れることで、君は“救われる”んだよ」
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【5|記憶の対価】
出木杉はナナに語った。
「君は、記憶から消されても、ここにいる」
「たとえ誰も思い出さなくても、誰かの中に残っていれば、それでいい」
「それが“存在の証明”だ」
ナナは、少しだけ微笑んだ。
「わたし、ここにいてもいいの?」
「もちろんだ。君は、ママが“愛した”という記憶そのものなんだから」
出木杉の手のひらの中、ナナの小さな手が震えながら握り返す。
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【6|“父親”という仮面】
その夜、都市全体に特異波形の感情ノイズが走った。
起点は、“統治外区”に近い旧空き地。
AIが記録できなかったその場所で、
仮面の男がひとり、空を見上げて呟いた。
「君が、パパと呼んでくれるのなら……
僕は、父になれると思ったんだ」
彼の胸ポケットには、古びた青い鈴が入っていた。
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《To Be Continued:第7章「黒い仮面」へ》