第1章「忘却プラットフォーム」
第1章「忘却プラットフォーム」
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「なんでも忘れられる道具があったら、便利なのにね。」
――しずか(TV版第2期『忘却光線』より)
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【1|記録の穴】
東京第7ブロック、管理区画S-17。
平日午前2時。
都市の中央監視網に、ひとつの“エラー”が記録された。
内容:存在しない人物が、存在したとする証言。
通報者:ミナミ・アオイ、36歳、AI看護技師。
症状:感情演算異常、幻覚性記憶訴え。
申告内容:「娘がいなくなった」
だが記録には、娘の存在はない。
住民登録、医療記録、遺伝子照合、すべて“該当者なし”。
幸福演算AIユーフォリアは、即座に「虚偽性記憶による錯誤」と断定した。
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【2|補完士、出木杉英才】
報告を受け取ったのは、都市圏外・旧新御苑地下の居住登録無効区域。
そこにひとりで暮らす男――出木杉 英才だった。
かつて、都市統治省の幸福モデル構築官。
現在は登録抹消済、“死亡”とされている人物。
彼の現在の肩書きは、非公式ながら――
記憶補完士(Memory Reintegrationist)
AIが“存在しなかったことにした記憶”を、
あえて拾い集め、形にする者。
「記録されない記憶には、重さがある。
それを、誰かが扱わなきゃならない」
彼は端末を操作し、ミナミ・アオイの記録映像を開いた。
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【3|証言】
映像の中、ミナミは泣いていた。
その目には理知と混乱が混在していた。
「……ナナって、名前です。髪が短くて、パンが好きで……
昨日まで、ずっと私の横にいたのに。今朝、いなくて。
警察も、AIも、病院も、誰も……誰も彼女を“知らない”って」
彼女の生活記録には、
「午前7:12 娘との朝食」
「午前8:00 学校送迎」
という行動ログが複数あった。
だが現在、その記録部分だけが空白になっていた。
システムはそれを「バックアップ障害」と断定したが、出木杉は違うと見た。
「これは“消された”。
存在が……都市そのものに拒絶されている」
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【4|補完処置】
出木杉は、旧式の再構成デバイスを起動した。
かつて、児童向けに使われていた“もしもボックス”型思考シミュレーター。
設定:
•条件A:「ナナという子が実在していた」
•条件B:「記録は改竄されているが、感情痕跡は残っている」
•条件C:「母の主観記憶を用いて、再投影を行う」
再構成開始――
白い仮想空間に、ひとりの少女が現れた。
黒い髪、小さな靴、スカートの端に泥の跡。
彼女は笑っていた。
「あたし、ナナだよ。ママは、どこ?」
出木杉は無言でその姿を見つめた。
表情も仕草も、あまりに自然すぎた。
演算生成ではなく、実在の反映としか思えなかった。
5分後、投影は崩れ、少女は光となって消えた。
だが出木杉の手のひらには、小さな感情データの欠片が残されていた。
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【5|Dの痕跡】
出木杉がミナミの部屋を訪れた時、すでに再教育処置班が作業を終えていた。
彼女は連行され、部屋は“白紙化”された。
家具、記録、空気の匂いまで、統計的平均値へと書き換えられていた。
ただ、テーブルの上にだけ、奇妙なものが残されていた。
•クッキー:Dの形に焼かれた焦げた円形
•メモ:手書きで、こう書かれていた
《ようこそ、Dの世界へ》
出木杉は、それをポケットに入れ、静かに部屋を出た。
その胸の奥で、かつて忘れたはずの名前が小さく呼び起こされていた。
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「……のび太」
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《To Be Continued:第2章「呼ばれなかった少年」へ》