Prologue:かつて未来だったもの
《DEKISUGI_2091:ひみつ道具は眠らない》
Prologue:かつて未来だったもの
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「きみがしっかりしなきゃ、
ぼくは安心して未来へ帰れないよ。」
――ドラえもん(『さようなら、ドラえもん』)
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【1|空が青すぎた】
空は、よく晴れていた。
青すぎるほどに、なめらかに、ノイズなく。
それは、かつて“未来”と呼ばれた時代の、東京の空だった。
現在、都市空間の上空200メートル以上は完全に制御下にある。
全天候型ホログラム投影網。高度気流調整フィールド。視覚心理最適化演算。
空は、人間が「望むように晴れる」。
“望む”という主観すら、統治AIの評価スコアに組み込まれていた。
社会構成員の70%が「晴れてほしい」と意識していれば、
残り30%が曇天や雨を好んでいたとしても、空は晴れる。
それが、この世界で最も民主的な選択だった。
だが、出木杉英才は知っている。
それが“空”ではなく、ただの記号でしかないことを。
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【2|幸福演算AIと都市の心臓】
21世紀後半、世界の多くの都市は「認知経済圏」という構造に収束していた。
経済価値は可視化された“感情”によって測定され、
生産性は脳波と生体データから直結計算される。
犯罪は未然に制御され、
怒りも憎しみも、正しく処理されれば幸福に変換される。
出木杉は、その仕組みの中枢にいた。
統治省・幸福モデル構築局。
かつて彼は、人間の「正しい感情の形」を設計する側の人間だった。
だが今、彼はそこから姿を消した。
“死んだ”ことにされ、記録から抹消された技術者。
彼は地下に潜り、
この社会の中で唯一「記憶の誤差」を収集していた。
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【3|記録されなかったものたち】
記憶とは記録ではない。
だが、この社会では“記録されないもの”は存在しないことになっていた。
・誰かが失踪した。
・誰かが泣いていた。
・誰かが、世界の端で死んでいた。
そういった「ノイズ」はAIが静かに処理する。
感情の削除、履歴の調整、本人の記憶再構築。
それは、“善意”として実行される。
すべての人が不安を感じないようにという最適化方針に基づいて。
だが、そこから**零れ落ちる“誰かの名”**がある。
出木杉は、それを記録していた。
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【4|ナナの記録】
彼が最近拾ったのは、“ナナ”という名の少女の記録だった。
母はミナミ・アオイ。
記録上、独身。子供の記載なし。遺伝子保存情報にも存在なし。
だが彼女は言った。
「確かに、いたんです。
一緒にお菓子を作って、名前を呼んで――
なのに、朝起きたらいなくなってて……誰も、信じてくれない」
AIの判断は「虚偽性記憶」。
だが出木杉の判断は違った。
「これは、排除された“存在”だ。
世界が“なかったことにした誰か”の痕跡」
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【5|ポケットの記憶】
出木杉の部屋には、封印された黒い布袋が置かれている。
そこには、しずかという名の、かつての友人が遺したものが入っている。
四次元ポケット。
すべてのひみつ道具の終端にして、起点。
誰もが忘れた記憶の中で、
その道具だけは今も、沈黙の中で眠っていた。
まだ開く時ではない。
だが、彼は確信していた。
“ナナ”の記録。
“ミナミ・アオイ”の涙。
そして、地下に残されたメモに刻まれた文字。
《ようこそ、Dの世界へ》
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【6|闇の記号 “D”】
都市全域に流れる未許可のエモーションパターン。
統治記録に存在しないはずの存在。
そして、異常値として観測される言語断片。
その名は――Dr.D
政府はその実在を否定した。
AIは彼の痕跡を“ノイズ”として分類した。
だが出木杉は知っていた。
その背後に、かつての記憶があることを。
少年の声。
誰よりも劣等感にまみれた、あの教室の隅の気配。
「……のび太」
その名を、出木杉はまだ口に出すことができなかった。
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【7|始まりの章】
物語はここから始まる。
記憶を消された少女。
存在を歪められた都市。
祈りのように残された“ひみつ道具”たち。
そして――
呼ばれなかった少年が、世界の真実に手をかける。
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《To Be Continued:第1章「忘却プラットフォーム」へ》