7話 そこはダメだと言ってくださいよ!
「じゃ、じゃあさ、クラリス嬢」
「はい?」
「この後、もうちょっと一緒にいてもらってもいいかな? その、兄ちゃんに紹介したいっていうか」
なるべく軽いノリを装って言う。
クラリスは、ぱぁっと顔を明るくして微笑んだ。
「もちろんですわ! クロク様のご希望とあらば、どこまでもお供いたしますわ」
(……やたらノリがいいなこの子)
内心で少し戸惑いつつも、俺は「よしよし、計画通り!」と自分を鼓舞した。
「じゃ、行こうぜ」
そう言って、軽く手を差し出すと、クラリスはお行儀よく俺の腕にそっと手を添えた。
距離が近い。
ふわっと漂う上品な香り。
(……近い近い!)
動揺を必死に隠しながら、俺はクラリス嬢を連れて会場へと引き返した。
―――――
兄ちゃんは会場の一番奥、ひときわ目立つ席に座っていた。
クラリス嬢と一緒に、会場の端っこを通り抜け、兄ちゃんのもとへ向かう。
道中もクラリス嬢は、俺の腕にちょこんと手を添えたままだった。
(……なんでそんな事するの?)
疑問を抱きつつ、俺は兄ちゃんの前に立った。
「兄ちゃん、決めたよ。……この子にする。クラリス嬢だ」
俺が紹介すると、クラリス嬢は優雅に一礼して自己紹介を始めた。
「初めまして。クラリス・ヴェルディアと申します。クロク様とは、先ほどご縁がありまして……」
その完璧すぎる礼儀作法に、周囲の貴族たちがざわざわと感心した声を上げる。
兄ちゃんは、クラリス嬢をじっと見つめたあと、ふうっと一つ息を吐いた。
(よし、ここで呆れ顔だろ。『クロク、お前は人を見る目がないな。そんな奴はカイドウ家から追放だ!』って言うだろ?)
期待に満ちた俺の目の前で――
「……クロク」
兄ちゃんは、にっこりと微笑んだ。
「よくぞ、このような素晴らしい淑女を選んだな。俺も嬉しいぞ」
(……は????)
頭が真っ白になった。
いやいやいや、待て。
そんなはずないだろ。俺は、兄ちゃんに見限られるためにここに来たんだ!
なのに兄ちゃんは、満足げに頷きながら続ける。
「ヴェルディア家は由緒正しい家柄だ。礼節も備わっており、クロクの支えになるだろう」
「そ、そうなのか……?」
「それに、何より――」
兄ちゃんはクラリスをちらりと見やり、穏やかに微笑んだ。
「こんなにクロクを真っ直ぐ見つめている。……良い伴侶になるな。お前はこの短時間でどうやってこんなに惚れさせたんだ?」
それを聞いたクラリス嬢は、恥ずかしそうにうつむき、小さな声で呟いた。
「クロク様のお力になれるよう……精一杯、努めます……」
(あああああああ!!! 完全に逃げ道塞がれてる!!!)
俺は心の中で叫びながら、顔を引きつらせた。
「よし、これで兄弟全員、妻を持つことになったな。今後もクラリス嬢の為にもしっかり働けよ」
兄ちゃんは俺の肩をポンと叩き、満足そうにその場を後にした。
取り残された俺に、クラリス嬢がにっこりと微笑む
「これからも末長くよろしくお願いしますね。クロク様!」
(俺の計画、大!大!大失敗じゃねーか!!)
―――――
晩餐会の帰り道、馬車の中で。
クラリスは、揺れる馬車に身を預けながら、遠ざかるユビヤの夜景を静かに眺めていた。
「ようやく……お見つけ致しましたわ」
ぽつりと、誰にともなく呟く。
『クラリス様。遂にお会いすることができましたね』
前列に座っていた執事が声をかけてきた。
「えぇ……。恐らくクロク様は、私のことなど覚えていないのでしょうけれど……」
それでも良い、とクラリスは微笑んだ。
彼女の瞼には、幼い頃に出会ったあの日の光景が浮かんでいる。
まだ小さかったクロク少年が、無邪気に手を伸ばしてくれた、あの温かな記憶。
「今度は私が……クロク様をお支えいたしますわ」
そっと胸に誓いを立てる。
もしも――もしも、彼に害なす者が現れるのならば
「その時は……粛清ですわ♪」
満面の笑顔のまま、さらりと物騒なことを口にするクラリス。
ただ、ただ、クロクを守りたい。それだけだった。
馬車は夜の街を静かに進んでいく。
その胸には、幼い日の約束と、これからの未来への小さな決意を抱いてーーー