座高婆
座高婆と書いて「ざこうばばあ」と読んでください。
これは番組にあるホラー映画のタイアップがついて
試写会イベントが開催されたときディレクターから
映画館のマナーやルールをテーマにお話を書くよう
指示され、二本書いたうちの一本です。もう一本は
残念ながら原稿が復旧HDから出てきませんでした。
映画館での座席の座り方があれで後頭部で後部座席
のお客さんの鑑賞を妨げる不届きな輩を懲らしめる、
恐ろしい妖怪のお話です。名前を思いついたら話も
ついてきました。ではどうぞー♪
エコルさん座高婆コスです。婆に見えないし怖くないとか
言うたら問答無用で首を斬り落とされます、気をつけろ!
大学生のB君は、大変な映画好きでした。ある日、
B君はまだ一度も行ったことのない地方の名画座に
足を運びました。前からずっと見たいと思っていた
昔のホラー作品のリバイバル上映があったからです。
タウン誌を手にようやく辿り着いた劇場は、古びて
小ぢんまりとしており、ノスタルジックでなかなか
いい雰囲気でした。B君はチケットを購入して狭い
ロビーを横切り、併映作品を上映中の、暗い場内に
入りました。まだネットでの座席予約などなかった
時代ですから、先に入場して少しでも見やすい空席
を探すつもりだったのです。中に入って暗さに目が
慣れると、すぐにB君は奇妙なことに気づきました。
背凭れの上に覗く観客の頭がどれも異様に低い位置
にあるのです。座席に深く腰を沈め…… というより
ほぼ仰向けに寝そべるような姿勢で、スクリーンに
対峙していました。鑑賞マナーとして、後ろの客の
視野を遮らないよう座席に深く腰掛け頭を低くする
のは何も間違っていません。間違ってはいませんが……
(しかし、これはちょっと極端では?)
上映が終わり場内が明るくなりました。席を立って
帰る客もいれば、次の上映に備え荷物を席に置いた
まま、トイレやロビーの売店に向かう客もいます。
B君は空席を見つけ座りました。カルト人気を誇る
作品なので席は七割近く埋まっていましたが、場内
は比較的綺麗で、さほど変な客もいませんでした。
しかし、B君はまた違和感を覚えました。休憩時間
の明るい場内では、誰もがいわゆる、普通の座り方
なのです。では上映中のあの姿勢は何だったのか?
隣席の客に訳を聞こうかとも思いましたが、B君は
映画ファンにありがちな人見知りな性格のため、目
も合わせられず逡巡するうちに、上映開始を告げる
ブザーが鳴り響きました。場内が暗くなって予告編
が流れ出すと、それが合図であったかのように観客
が一斉にあの姿勢に戻りました。自分もそうした方
いいのかB君が迷っていると、背後から肩を叩かれ
ました。年配の客が後ろから首を伸ばして、B君の
耳元に小声で話しかけてきました。
「君、ここは初めてか?」
「はい」
「すぐにわしらと同じ姿勢をとりなさい。予告中なら
まだ間に合う! さあ!」
「でも…… なぜ?」
「なぜでもだ…… 命が惜しかったらそうしなさい!」
左右の席の客もB君に頷きかけ、目配せしてきます。
見回すと場内の誰もが、スクリーンに流れる予告編
ではなく、B君のことを注視しています。仕方なく
B君も、その姿勢をとりました。
「よしよし、最初はきついだろうがすぐ慣れるからな。
上映中は何があっても絶対に、頭をそれより上には
あげるな。あと、席も動くなよ。絶対にだ。いいな?」
姿勢は滑稽でしたが、年配客の声は大真面目でした。
B君が頷くとお待ちかねの映画本編が始まりました。
B君は前の席の背凭れの上辺ギリギリ、かろうじて
スクリーンの下辺が見切れない位置まで頭を下げて
いました。慣れない姿勢に、背中と首と腰は強張り
ますが、幸い、前が空席だったので思っていたより
は快適に鑑賞できることが分かり、ほっとしました。
音を立てて扉が開いたのはそのときです。
「おお、空いてる空いてる!」
男がB君の前の席までズカズカとやってきました。
暗がりの中でも、派手な身なりで恰幅のいいことが
分かるその男は2メートル近い長身で、しかも毛量
たっぷりのアフロヘアーでした。男はどさりと腰を
下ろすと、椅子に浅く座って背凭れに体を押し付け、
思い切り背中を伸ばしました。B君だけでなくB君
の後ろの年配の客も、その後ろの客も、もはや視界
には男のアフロヘアーと肩しか見えません。
「……あのぉ……」
「あん?」
「……そういう座り方はよくないですよ」
「はあ? うるせーな、おれの勝手だろ!」
「でも、マナーとして……」
「いちいち指図される筋合いはねえ! 見えないなら
おまえが他の席に行け! 上映中に話しかけるのは
マナー違反だ! 気が散る! 黙れ!」
何と身勝手な…… しかし大変な剣幕。まくしたてる
男の口から、酒臭い唾液がB君の顔に、シャワーの
ように浴びせられました。非常に不愉快でしたが、
男は腕っぷしも強そうだし、怯えた周囲の客は誰も、
あの年配の客さえも、助け舟を出してくれません。
B君は仕方なく引き下がりました。男は舌打ちする
と、あてつけがましくさらに背筋と首を伸ばして、
アフロをぶるぶると左右に振り、傲然とスクリーン
に向き直りました。B君の視野を制圧して、完全に
スクリーンを遮った巨大なアフロヘアー…… 台詞は
聞こえますが映像は全く見えません。男に言われた
通り、席の移動も考えましたが、さっき言われた、
絶対に席を動くなという言葉が耳に残っていたので、
どうしても踏ん切りがつかず、あきらめました。
(やれやれ、これも場末の名画座の醍醐味かな……)
仕方ない、この回は居眠りでもするか…… とB君が
投げやりに考えた、その刹那…… B君の頭上を鋭い
金属音が通過しました。驚いて首を竦めたB君が、
おそるおそる顔をあげると、目の前のアフロヘアー
が一瞬揺らいで、そのまま不自然なくらい前のめり
に傾きました。B君の視界がいきなり開けて、目の
前のスクリーンでは身の毛もよだつ恐ろしい展開……
しかしもっと恐ろしい光景が、B君の目と鼻の先で
展開されていました。首を切り落とされた巨体の、
頭がなくなった頸部の断面から、ピーと笛のような
音を立てて大量の血が噴き出し、半径3メートルの
客席にドバドバと降り注ぎます。B君にも、両隣の
客にも、もちろん後ろの年配客にも、熱くてどこか
金属的な匂いがする夥しい量の鮮血のシャワーが、
痙攣し続ける首なしの体から間欠泉のように、これ
でもかとばかりに、いつまでもいつまでも|迸って……
あまりの恐怖に絶叫して気を失う直前、B君は視野
の片隅に確かに見ました。座席の背凭れよりも背の
低い、粗末な着物を着たざんばら髪の痩せた老婆が、
右手には血まみれの鎖鎌を、左手にはアフロヘアの
生首を鷲掴みにして、狂ったように哄笑しながら、
劇場の通路を歩き去っていくのを……
× × ×
気がついたらB君は、事務室のソファに横たわって
いました。後ろの席にいたあの年配客が、ウエット
ティッシュでB君の顔から返り血を拭き取りながら、
事情を説明してくれました。
「あれは通称『座高婆』という妖怪でな……終戦後に、
進駐軍のアメリカ兵に一人娘を嬲り殺しに
され、発狂して自殺した、この劇場の女支配人では
ないかと言われている。悲しみと怒りがあまりにも
激しかったせいか、死後に妖怪となって、上映中の
場内に立ち現れ、客の座高が高いと見ると、鎖鎌で
首を切り落とし、その生首を娘の墓前に運んでいる
のだとか…… どうも座高が高い客は全員アメリカ兵
だと思い込んでいるらしい。そのせいか、高度経済
成長期以降は、日本人でも体格がよくて身長が高い
若者が被害に遭うようになった。いろいろ試行錯誤
はあったが、上映中は、頭の高さを背凭れより下に
しておくのが、唯一有効な予防対策と分かってな……」
年配客は居心地悪げに身じろぎして話を続けました。
「こんなおっかない映画館が、なぜ今も経営を続けて
いるか理由を知りたいかい? 最初にアメリカ人の
留学生がいきなり首を斬られたときには、さすがに
大騒ぎになったが、警察がどんなに捜査しても全く
埒が明かず、特異な変質者の仕業であろういうこと
で有耶無耶のままに迷宮入りした。もちろん劇場も
休館に追い込まれ閉鎖寸前だったが、その後ここを
買い取った経営者はなかなかの商売人で、しばらく
休館してほとぼりがさめたら、むしろ首切り騒ぎを
逆手にとって “恐怖の映画館”と称し華々しく上映を
再開したんだ。再開初日の怪談映画オールナイトは
物好きが殺到して満員札止めとなったが、何とその
夜の最初の作品上映中に三つも首が斬り落とされた!
犠牲者は全員、背の高い外国人男性。鎖鎌を持った
老婆が、場内通路を駆け回っていたという目撃者も
複数いて、そうなると誰もが、過去の支配人母娘の
悲劇を思い出し、これは正真正銘、あの女支配人の
祟りではないかという話になった。当然すぐに休館
だ。守銭奴の経営者もさすがに再開には踏み切れず、
ほどなく閉鎖が決定して、取り壊しの準備に入った。
多分にモヤモヤしたものは残ったが、とりあえずは
一件落着…… とはならなかった」
「ならなかった?」
B君は驚いて体を起こしました。
「ああ、ならなかった。今度は市内の他の映画館で、
首斬り殺人が続発したんだ。身長175センチ以上
の者は軒並み首を斬られた。175センチなくとも
髪型や髪の色によっては容赦なく襲われた…… 今日
みたいなアフロはもちろん、ドレッド、モヒカン、
リーゼント、ロングヘアー、それにスキンヘッド……
茶髪や金髪、それ以外の色でも、髪を染めていたら
一発でアウトだ。しかも、性別も人種も国籍も一切
問わない。もう滅茶苦茶、説明もつかないし理不尽
には違いないが、如何せん相手はお化けだからな、
理屈なんか通じない。まあそれほど恨みは深かった、
ということだろうよ。これはきっと、自分の劇場を
閉鎖されて行き場を失った座高婆が自棄になり、他
の劇場に出張して暴れ回っているに違いないという
ことで、市議会も警察も、宗教関係者も対策に躍起
になった。盛大な祈祷や慰霊祭が行われたが、何の
効果もなかった。海外から著名な悪魔祓い師も招聘
されたが、一晩の死闘の翌朝、首をぐるりと後ろ前
に捩じられ、俯せなのに天井を見上げて死んでいた。
万策尽きて、最後の手段として苦し紛れにこの劇場
を復活させてみたら、あにはからんや、他の劇場で
首切り殺人はぴたりと収まった…… 我が家に戻った
ことで、座高婆もやや穏やかになったか、姿勢さえ
低くしておけば、まず襲われない。今は常連ばかり
なんで、今日みたいなことはあってもまあ年に一回
か二回程度だ。首なし死体は事情をわきまえた警察
が駆けつけて早急に秘密裏に処理してくれるから、
外部に事件は漏れないしな。何よりこうして劇場を
続けること自体が、あの老婆や娘への懇ろな供養に
なっているらしい…… 君も他言は無用だぞ。無駄に
騒ぎを大きくして、ここを再び閉鎖に追い込まない
ように気をつけてくれよ。この市内の他の映画館は
座高婆の噂と不景気から、どんどん潰れていって、
今はこの劇場しか残っていない。ここが潰れたら、
再び行き場を失った座高婆が出張して、今度は君の
いきつけの映画館に現れるかも知れないぞ。だから、
この話は絶対に…… 絶対に他人に聞かせちゃ駄目だ。
この話を聞いた人のところには、遅かれ早かれ必ず
座高婆がやってくる! 首を斬られるかどうかは、
身長と髪型、髪の色次第と言われているが…… 劇場
を離れた座高婆は不機嫌で気まぐれだからな。何が
気に入らないかはそのときの気分次第、無駄に英語
をひけらかす帰国子女などは特に格好の餌食らしい。
とにかく、わかったかい? どこの誰にも、座高婆
のことは、ゆめゆめ言ってはいけないよ……」
【註:多分にネタバレを含むので本編を読んでから閲覧推奨】
いかがでしたか? 怖かったですか、怖かったですねー。
当たり判定はいい加減なのに、やることはガチで厳しい
座高婆…… 仕方ないですね。だって妖怪ですから。遭遇
したらもう諦めるしかありません。映画館では座り方に
注意しましょうね。なお、このタイアップ企画に限って
放送時に話の後に教訓めいた?ルールが付いていました。
座高婆の場合は次のようなものです。
[ルール]
・映画館では椅子に深く腰掛け、座高を低くして見るべし。
・座高婆の話を、絶対に他人に聞かせてはいけない。
「知ってたら死なずに済んだのに…… 」という決め台詞も
締めに効果的に使われてて怖かったなあ。だって語り手
の声優さんが、声が怖いことで有名なあの(以下略)
ちなみにこの話を読んだ人のところにも絶対に座高婆は
やってきますが(絶対にだよっ)この短編を高評価して
くれたら首までは切らないとの仰せですのでよろしくね♪