陰キャと陽キャ
◆
14歳、夏。
周囲はみんな、青春を謳歌してる。僕はそこには混ざれない。
休み時間はオタク仲間と共に、ゲームやアニメの話をする。
この友人達とは深い友情ではなく、「ただ共通の話題があるだけ」の関係を持っていた。
女子なんか怖くて仕方ない。ただ、内心はエッチなことに興味津々。
放課後に誰かと遊ぶことなんて滅多にないし、人気のアイドルなんかよりもVTuberと歌い手の新曲の方が何億倍も良い。と考えてしまう。
「山田、帰らないの?今日、イモメイの最新刊読みまくるって言ってなかったっけ?先帰るよ?」
放課後の教室で委員会の業務をこなす僕に、一人のオタク友達が声をかけてきた。
もちろんこの委員会は、「誰もやらないのかよ。オタク暇なんだからやれよ」ムーブの賜物だ。
「委員会の仕事、急に頼まれてさ。タイミング悪く先生に見つかっちゃって」
「そっか、大変だな?教室に独りっきりで。もう一人の委員は?」
「えっと・・・」
委員会には、僕だけではなく、もう一人クラスの女子が就いている。
なぜ彼女がこの委員会を選んだのかはわからないが、恐らく他の女子から「えー!何にも委員会やってないじゃん!このままだと決まんないし、やりなよー」の攻撃を受けたのだろう。
正直に言うと、僕はもう一人の委員である『佐藤』が苦手だ。
だからさっきの友人からの問いかけにも、言葉をつまらせてしまった。
容姿は可愛い方だ。認める。
クラスの人気者で男女問わず仲のいい人は多い。
ただなぜか、嫌い。そんな感じだった。
「あ!山田いた!ごめーーん!!」
そんなことを考えていた矢先、教室に陽気な声が響き渡った。
佐藤だ。
「なんかユミが話聞いてくれって離してくれなくてさぁ」
「あ、うん」
僕は佐藤に視線を向けることなく、精一杯の返事をする。
「で、終わった?だるいしさっさと帰りたいんだけど」
可愛い3次元と話してる。首筋が謎の張りを起こす。
咄嗟に友人に助けを求め視線を送ったが、彼の姿は既にない。
「ま、まだ終わってない。ごめん」
「あ、そっか。謝んないでよ」
「ごめん」
「・・・ま、いいや。わたしやることある?」
「えっと・・・あ、じゃあこのプリント印鑑押してるか確認して」
「はーい」
手伝ってくれるんだ、と内心驚きながら、僕はプリントの束を佐藤に渡した。
思えば、佐藤とこんなに話すのは初めてだ。
佐藤は普段は、何かと理由をつけて委員会の集まりを避けていたし、もちろんクラスにいても話すわけもない。
これ、ラノベだと、恋が始まる流れだろ。
佐藤も僕も、黙々と作業を進める。
ゴム、どこで買おう。先走りすぎかな。
そんな時、佐藤が口を開いた。
「山田ってさ、オタクじゃん?」
「は?○ね」と、オタクが『他人からオタクと決めつけられるとバカにされているように感じる』病で、つい暴言を吐きそうになったが、グッと抑える。
「・・・まあ、そうなのかな。オタクって言っても色々あるし、人よりアニメとか好きなだけで、別にオタクってわけでは。それに」
「歌い手って知ってる?」
佐藤が割って入る。
「・・・まあ、人並みには知ってるけど?」
「そっか」
次は、『自分の得意分野且つ好きジャンルジャンルだとめっちゃ喋っちゃう』病を発症しそうだったが、これも堪え、返答をした。
「あのさ、変なこと言っても良い?」
告白か?
「な、何・・・?」
「わたしさ、歌い手になりたいんだよね」
まさかの告白だった。
クラスの人気者から出た意外な言葉。
普段から陽キャコンテンツを摂取して生きている人間が、我々界隈の文化に踏み入れたいと言っているのだ。ましてや傍観者ではなく、配給者として。
最近はオタクコンテンツも、陽の目を浴びることは少なくはない。
簡単にSNSで発信ができるし、何も不思議な点は無いように感じる気もする。
ただ、身近にそんな人間がいる経験をしたことがない。
僕はその日初めて、佐藤に目を向けた。
彼女は俯いたまま、作業を続けている。
それでも分かった。
佐藤の目や表情、雰囲気は、おふざけから来るものではない。
さっきまでの滲み出る明るさはなく、ただ感じるものは「茶化すな。真面目だ」という感情と、少しの恥ずかしさのようなものだ。
「・・・えっと、いいんじゃない?」
「やっぱり変かなw歌い手になりたいって、正直ミーハーっていうか?wきもいよねw」
さっきの真剣な雰囲気とは一変、普段通りの陽気な佐藤に戻る。
しかし佐藤はこっちを向くことはなく、プリントの端を指先で弄るだけ。
他人に何かを打ち明けるとは、所詮はこういうものなのかもしれない。
バカにされたくない、変なやつと思われたくない。
だから、「ウケを狙ったクダリ」として昇華する。
しかし、佐藤は自分の言ったことを否定はしなかった。
僕にはない、強い気持ちがある証拠なのだろうか。単純に言わなかっただけか。さっきの発言に、否定の意味も含まれているのかもしれない。
仮に、歌い手になりたい気持ちが本心だとして、何か理由があって僕に打ち明けてきていたとしたら、僕のさっきの発言は0点だ。
少し沈黙が続く気まずい空気の中、僕は重い口を開いた。
「なれるよ」
「え?」
「なれるよ、佐藤なら。手伝えることがあるなら手伝う。応援もする。別にキモくはないだろ」
佐藤が僕の方を向く。
目が合ってしまった僕は、すぐに目を逸らす。
目が合った時間はほんの一瞬だった。ただ、その一瞬でも、佐藤の恥ずかしさの残った喜びの表情は、強く僕の中に残ってしまった。
「ホント?!よかったぁ!めっちゃ引かれて、明日からクラス中の笑い者になるのかと思ってたよ!!」
打って変わって、つま先をピョコピョコ動かしながら、佐藤が言った。
「いや、そんな極悪非道じゃないって」
「たしかにww山田そんなに友達もいないしね!」
それは関係ない。
「で、何で僕に言ったの?歌い手になりたいって」
「いや、山田オタクだし、歌い手界隈に詳しいかなって!始め方とかおすすめの歌い手さんとかおしえてほしいなって!!」
「始め方はわかんないけど、おすすめはいるかな」
「誰?!」
「この人なんだけど・・・」
僕はスマホで好きな歌い手の1人を見せた。
「え!知ってる!!この人の選曲マジ神!この人声かっこいいし、陽気な歌似合うんだよね!」
「そう!元気になれるっていうかさ、なんだろ。最高なんだよ!毎朝聞いちゃうんだよ!」
「めっちゃわかる!!わたしはこの人!超好き!おすすめ!!この人も元気な曲が多くて、最高なの!!」
「もちろん追ってるよ!この人も良いよねぇ」
「そうなのよ!わたしもこういう、みんなを元気にできる陽気な歌歌ってみたいなぁ」
「陽気ってwなんか堅苦しいよw」
「たしかにwあ、この人知ってる?」
そこからは委員会の作業を片手間に、歌い手談議で盛り上がった。
話している間の佐藤は常につま先を動かし、満面の笑みで話す。
憎たらしいまでの「クラスの人気者」に戻っていた。
委員会の作業が終わり帰る頃には、歌い手仲間として打ち解けていた。
職員室に寄り、仕事完了の報告を済ませ、校門を出る。
その間も、歌い手や「どうやったら歌い手になれるのか」「どんな曲の歌ってみたを投稿したいか」の話を続けた。
「じゃあ、山田。これからもわたしの数少ない歌い手友達としてよろしくね」
「あ、うん」
「そういえばさ、おすすめとか他にも聞きたいから、連絡先交換しない?山田、めちゃくちゃ詳しいし」
こうして僕は、初めての女子の連絡先ゲットに浮き足を立てながら、佐藤と別れた。
もちろん女子と趣味の話で盛り上がったことなど、ない。
そんな状況で興奮しないわけがないが、それよりも誰かが僕を頼ってきてくれたことが嬉しかった。
しかも、それが想像以上にコアな歌い手まで知っている女子なのだから、口角が上がらないわけがない。
『ピコン』
そんな中、スマホの通知音がなった。相手は佐藤だった。
『今日はありがとね!』
『歌い手になるの、手伝ってくれるって言ったの忘れてないから!
有名になったら、「ファン1号」名乗っても良いよw
これからもよろしく!ファン1号!
また学校でね~』
ふと思い出した。
途中から、佐藤の目を見ながら話せていたかもしれない。
◆
17歳、冬。
高校2年生になった僕は、相変わらず人付き合いが苦手なままだ。
中学時代のオタク仲間達とは当に関係など切れ、高校でも数人だけ話の合う友人はできた。
どこかよそよそしさを感じる間柄だ。
周囲はより一層、青春の色鮮やかな雰囲気で満ち溢れている。
アルバイトや部活、恋人にセックス。
容姿も大人っ気を増し、何も変わっていない自分への焦燥感を感じる日々が流れている。
「はい、じゃあ進路調査票配るぞー」
担任の一声で教室が騒がしくなる。
教室の至るところがざわつく。
大学に行く人、就職する人。寝ているアイツは大丈夫なのか?
かく言う僕も、この時は自身の進路を悩んでる。
配信者の作業用配信のお陰で勉強はそこそこの成績だったため、大学に行こうと思えば行ける。ただ、特に大学でやりたいこともないし、就職してお金を稼ぐのも、特段苦ではない。
少し唇に力が入る。
「はいじゃあ、日直。挨拶」
「きりーつ」
そんなことを考えている間にHRが終わっていた。
「山田!」
帰ろうと荷物をまとめている僕に、一人の女子声をかけてきた。佐藤だ。
佐藤は僕の机に腰を掛ける。
「今日大丈夫そ?」
「え?何だっけ」
「は?!マジで?!一緒に次の曲決めよって話してたじゃん!」
「あ、そうだ。ごめん忘れてた。全然大丈夫。会議しよ」
「ならいいけど」
佐藤は少し不機嫌そうに口をとがらせながらそう言った。
佐藤とはあの時から今でも関係が続いている。驚きだ。
佐藤はあの後、歌い手として『歌ってみた』をSNSにアップしている。まだ有名というわけではないが、毎月少しずつ登録者や再生回数を伸ばしていた。
ファンからのコメントも
「元気になれます!」
「かわいい!!」
「毎朝聞いてるわ」
と、批判よりも好評コメントが多く、固定ファンを確保しつつ着々と成長している。
あの日以降、僕たちは定期的集まり、歌の話やサムネイルの相談など、活動についての会議をしていた。
佐藤は相変わらずの陽キャで、高校に入ってもそれは健在。
男女問わず人気で、クラスの中心人物だ。
もちろん佐藤のことを狙っている男子も多く、時々「佐藤とどういう関係なの?」と問い詰められるのは正直迷惑だ。
ただ、歌い手活動のことは誰にも打ち明けていないらしく、人気者の彼女の秘密を知っている優越感には変えられなかった。
高校は別々になる。そうすればこの関係も自然と終わるだろう。と思っていた。
ただ、中学3年の夏、
「山田がその学校に行くなら、わたしもそこにする。その方が楽だし」
と佐藤が言い出したときには、危うく好きになりかけた。
僕は正直に止めた。そんな理由で高校は選ぶものではない。
しかし、佐藤は聞かなかった。
挙げ句の果てには、
「もう私のこと嫌いになったの?」
と言う始末。
まず、好きになっていない。
当時、この言葉を飲み込むのに苦労した。
佐藤と共に学校を出る。
2人で会議会場(駅前のファミレス)に向かうことも、この頃にはもう珍しくはなくなっていた。
中学時代はお金もなく、色々と行動が制限されていたため、主な会議会場は放課後の教室。今ではドリンクバーと少しのデザートかポテトで3時間粘る、高校生の鑑だ。
普段通り、近すぎず遠くもない距離感で歩くなか、なぜか少し不機嫌だった佐藤が口を開いた。
「・・・今日の昼休みさ、隣のクラスの田中ちゃんと話してなかった?」
「え?」
「田中ちゃんかわいいもんね。何話してたの」
「いや、僕の隣の席の相沢くんに用事があったみたいで。伝言頼まれて」
「ふーん。で?」
「で?って。それ以上、何もないでしょ」
「・・・あ、そ」
高校に入ってから、佐藤の「コレ」は頻度を増した。
最初は、「まさか」と考えから外していたが、高校2年からはすごい。
何と言うか、すごいのだ。
僕が佐藤以外の女子と話していたら、毎度この感じ。好きなアニメキャラを熱弁しても、この感じ。
これは、そう。
「佐藤ってさ、割と嫉妬深い?」
そう、嫉妬深いのだ。それも重度だと思う。
だって、付き合ってもいない男子が他の女子と話しているだけで不機嫌になるのだ。気持ちはわかるけど、こういうのって「嫉妬してるってバレたら引かれる」って一回考えるものだろ。
しかも相手が付き合ってない相手(僕)なら尚更だ。
「は??!!なんでよ!意味わかんない!!」
「いや、だって。なんて言うか・・・それ嫉妬でしょ?」
「違うし!何で山田に嫉妬すんのよ!付き合ってもないのに!」
「いや、本当にそうなんだけど!毎回不機嫌になってるから」
「意味わかんない!うざ!!キモ!!ドリンクバー奢りね!」
そう言うと佐藤は歩くペースをあげた。
ここまで長い付き合いの友人は、僕にはいなかった。だからこそわかることも多い。
佐藤は少し重い。
正直ここまでめんどくさいものだとは。
世の中のメンヘラと付き合っている方に尊敬を。
「そう言えば、山田は進路どうすんの?」
何事もなかったかの様な顔で、佐藤が僕に訊ねる。
「山田頭いいし、やっぱり良い大学に行くの?」
「まあ、大学くらいは行こうかな。両親も『大学行け』って言ってるし」
「そうだよねー」
何も考えていないようで、佐藤も考えているんだな。えらいじゃん。
「じゃあわたしも大学行こ」
前言撤回。
「またそうやって。自分の進路なんだから自分で決めなよ」
「だって、別にやりたい仕事もないし。てか、歌い手で人気者になりたいし。てか、絶対なるし」
どこか懐かしい気になりながら、僕は前を歩く佐藤を見る。
1度言ったことは誰に何を言われても曲げない。
愚直なのか、頑固なのか。
ただ、僕はそんな佐藤の真っ直ぐなところが気に入っている。
女性としてではなく、人として尊敬できる。
ただ、眩しすぎる。
そんな話をしているうちに、いつもの会議会場に着き、ドリンクバーの近くの席に座る。
そこからは普段通りの会議。
「次の曲はこれが良い」「こっちの方がバズるかも」「この曲歌ってみたいかも」などの意見を交換する。
「・・・よし、じゃあ次はこの曲で決まりね!」
「うん」
「そういえば、この前アップした曲あんまり伸びなかったねぇ。何回も撮りなおして、自信作だったのに」
「そうだね」
「・・・なに?なんで元気ないわけ?」
佐藤が鋭い眼光で僕に言う。
僕は少し身を引きながら、息を呑んだ。
正直、無力感を感じている。
佐藤は、あの時からお年玉やお小遣いのほとんどを録音機器に費やしている。
それだけではなく、あれから毎日歌の録音をし、改善を重ね、本当に上手くなっている。
しかも、MIXやサムネイルを依頼できる人をSNS経由で自分で探し、その人たちとの付き合いも上手くやっている。
つまり、僕は何もしていないのだ。
それが後ろめたくて仕方がなかった。
「そういうの感じ悪いよ。思ってることあるなら言いなよ」
「いや・・・」
僕はまた、佐藤からの目線を逸らす。
バレたくない理由は、ただ一つ。
この関係性を続けていきたい、と思っているからだ。
自分には何もない。
一人でも十分に活躍出来て、行動ができる佐藤は、もはや雲の上の存在だ。
だからこそ憧れる。
そして、佐藤はいつでも僕のことを切れる。
僕ではない、秘密を共有できる完璧なパートナーを見つけられる。
足が落ち着かない。
「・・・佐藤は、なんで今だに、僕とこうやって会議してるの?」
「え?何、それ・・・どういう意味?」
佐藤はさっきまでとは違う、少し低い声で応える。
「・・・何?やっぱり、わたしとこうやって話すの嫌なの?最近、山田なんか不機嫌だし」
「いや、不機嫌とかじゃ」
「不機嫌じゃん!わたしと話してても、なんか上の空?って感じだし!なんかつまんなそうだし!」
「そんなことは・・・」
「嫌なら嫌って言いなよ」
目を向けられない僕でも、佐藤の声が涙を含んでいることはわかる。
僕は泣きそうになる佐藤ではなく、自分の手に目線を向ける。
「いや・・・なんか、僕なんかがいつも一緒にいて良いのかな、って思ってるだけだよ」
「・・・なにそれ」
「えっと・・・」
佐藤の気迫に負けた僕は、続ける。
「・・・佐藤はいろいろと頑張ってて、歌い手関係の知り合いも増えてさ。歌もどんどん上手くなってるし、登録者も増えてるのに。僕は何も役に立ってないというか。それなのに、学校でも仲良くしてもらって、正直申し訳ないというか」
「・・・そんなこと思ってたの?いつから?」
「割と最初から・・・」
僕は一回も目を見ずに、心の内をできる範囲で伝えた。
手を強く握る。
安いプライドのせいだ。行動もしていないくせに、一丁前に悩み、自信を無くしている。
挙句の果てには、気を遣ってもらっている。
自分が一番わかっている。
「・・・ははははww」
「え?」
そんな僕の惨めさとは裏腹に、佐藤は大きな声で笑い始めた。
「何変なこと気にしてんの?wなんでわたしが、山田のこと切るんだよw」
「え?だって・・・」
「そもそも、協力者として一緒にいるわけじゃないじゃんかwだったら最初から、上手いMIXできる人とかと組むわww」
「いやでも・・・」
「学校で仲良くしてんのも、気にしすぎだっての!w普通に歌い手の話とか、今までのことも全部知ってるわけだから、山田にしか話せないこともいっぱいあるじゃんかww」
「まぁ、そうか」
「おっかしぃ!ww気にして損したわ」
「ごめん」
「山田はわたしのファン一号なんだから、そんな簡単に切れるわけないじゃんw」
嬉しかった。
ただの友人として、一人の人間として、「簡単に切れない」と言ってもらったことが、ひたすらに嬉しかった。
「ありがとう」
「なにそれwそっちこそ、わたしのこと簡単に見放すんじゃないぞ」
「かわいくて、歌上手い女性歌い手が出てきたら、怪しいかも・・・」
「は?うざwww」
「ははは」
心の荷は少し落ちた気がした。
このまま、佐藤の近くで、佐藤の活躍を見れる。
協力者としてではなくても、ファンとして、近くにいることができる。
それだけで、「何もない僕」は満たされていた。
『ピコン』
『ピコン』
『ピコンピコン』
『ピコンピコンピコン』
急に佐藤のスマホの通知音が続いた。
しかも、止まない。
『ピコンピコンピコン』
『ピコンピコンピコンピコンピコン』
「え?なになにw」
「通知切れば?何のアプリ?」
ファミレスの客の何人かが、何事か、とこちらを向く。
佐藤が通知を止めるために、スマホを開いた。
「・・・え、やばい」
「・・・何?」
「先週アップした曲、バズってる・・・」
なぜか、一瞬だけ、僕はまた、手に力が入った。
◆
18歳、夏。
高校3年、僕は受験勉強に明け暮れている。
クラス替えで、受験をする生徒がまとめられたこともあり、クラスに数人の友達もできた。
とは言っても、受験生ということもあり、遊びに行くことは少ないが、一緒にカフェで勉強をするなど、晴れやかな高校生活を送れていると思う。中には女子もいるし。
今日も、その女友達と2人でカフェで勉強会の予定がある。
華やかだ。
佐藤のSNSは、あの冬のバズりから半年近くが経ったこの時期でも、大盛り上がりを連発している。
出す曲全てが称賛の嵐。再生回数も、面白いくらい伸び続ける。
最初にバズった曲に関しては、
「本家を超えてる」
というコメントが殺到。半年が経った今でも、音源として使われることは珍しくない。
初めてバズった後は、ファミレスをすぐに出て、二人で少し高いケーキを食べに行った。
そこで早速次の曲を決めた。
僕も自分事のように嬉しかった。
しかし、3年生に上がってすぐのことだった。
「山田!!!」
一緒に会議会場に向かっていた佐藤が、急に僕の名前を大声で呼んだ。
「やばい、『YNくん』からDM来た!!!」
YNくんとは、僕たちが一番好きな歌い手で、レジェンド級に有名な方だった。
僕たちは、嬉しい気持ちを抑えきれず、そのまま猛ダッシュで街中を走り回った。
ようやくお気持ちが落ち着き、息が切れたまま二人でDM画面を見る。
『初めまして、YNくんって名前で歌い手活動している者です。
曲最高に良いです!歌うますぎ!!
今度是非コラボしませんか?』
また走り回った。
そこからはトントン拍子だった。
佐藤は『YNくん』さんとのコラボ収録を終え、もちろんそのコラボ動画も大バズりを記録。
佐藤の登録者数の増加に、さらに拍車がかかった。
その頃から、佐藤はあまり学校に来なくなった。
時々来たと思っても、話すことはなく、すぐに帰ってしまう。
勇気を出して自分から話しかけに行こうとしても、眠っているか、忙しそうにどこかへ行ってしまう状態だった。
連絡をしてみても、無視をされるか、はぐらかしてくる。
次第に僕から連絡することもなくなっていた。
「僕が何かしてしまったのだろうか」
「体調が悪いのか?でも動画はアップされてるし」
そんな心配をしていたが、自身の受験への焦りと、謎のモヤモヤが、佐藤への意識を薄めていっていた。
「山田君」
下校の準備をしていた僕に一人の女生徒が声をかけてきた。高橋さんだった。
「今日、勉強会大丈夫そう?」
「うん、もう行けるからちょっと待って」
「わかった。じゃあ先に校門に居るね」
高橋さんは、大人しく、頭の良い、聡明な女性だ。
彼女とは今年からクラスが一緒になり、移動教室で仲良くなった。
その後、僕たちは駅前のカフェへ向かう。
「今日の数学、ちょっと難しくなかった?」
「この前の模試、結果ちょっと良くてさ」
そんな会話をしながら歩く時間が、どこか懐かしく感じていた。
そんな時、目の前を1人の女性が通る。
すぐにわかった。
佐藤だ。
僕は、謎の気まずさから、すぐに目をそらし、高橋さんに動揺を悟られないように振る舞う。
「あれ?今のって、佐藤さんじゃない?」
高橋さんが呟いた。
全身が少し強張る。
「今のきっとそうだよね。なんか、久々に見たかも。最近学校来てないみたいだし」
「そうだね・・・」
「山田君、佐藤さんと仲良かったよね?何か聞いてる?」
「・・・いや、何も」
「そっか・・・」
焦る僕に、何かを察したのか、高橋さんはすぐに会話を変えた。
僕も必死に平常を装う。
もちろん佐藤の方を目で追うことはない。
しかし、そう上手くはいかない。
「あれ?山田?」
佐藤が、わざわざ来た道を少し戻り、僕に声をかけてきた。
「山田じゃん!!久しぶり」
「・・・うん、久しぶり」
「うわwまた、人の目見れなくなってるしw」
「・・・ごめん」
「・・・あれ、そっちの・・・」
佐藤が、高橋さんに目を向けた。
「同じ高校の高橋です。佐藤さんはわかんないよね、一回も同じクラスになったことないし」
「あ、そうなんだ!ごめんねw人の名前覚えるの苦手でさw」
「ううん、全然。勝手にこっちが佐藤さんのこと知ってるだけだし。佐藤さん、学年の人気者だからさ」
「なにそれぇwイジってる?w」
「違う違う!」
僕は下を向き続ける。
「そういえば、最近学校来てないみたいだけど、平気?」
「あ、うん!なんかプライベートちょっと忙しい?みたいな?w」
「そうなんだ!病気とかじゃないならよかったよ」
佐藤は何事もなかったかのように、高橋さんと話していた。
「・・・そっちは、まさかデート?」
佐藤の声が僕に向く。
下を向いたまま、うまく声が出せない僕の代わりに高橋さんが返答する。
「今から駅前のカフェで一緒に受験勉強するところなんだよ。二人でやると効率もいいし、お互い選択科目も同じだからさ」
「山田、無駄に頭いいもんねw」
「私が山田君に、勝手に甘えちゃってる感じだよ!だからデートとかじゃないって。ね?山田君?」
「・・・う、うん」
まだ下しか向けない。
「なるほどねぇ・・・ま、いいや!じゃあ楽しんでね!」
「うん!今度は学校でね!」
佐藤はそのまま何処かへ小走りで向かった。
僕はそのまま高橋さんとカフェに入り、2時間ほど勉強をした。
そこからの記憶はあまりない。
高橋さんと別れ、幅の割にやけに街灯の少ない道を歩き、家に向かう。
普段よりも、視界は下を映している。
佐藤は普段と変わらなかった。
僕のことを避け、無視をして、前から消えた佐藤。
彼女は変わらず、『元気で陽気で、クラスの人気者』という風格を漂わせていた。
目の前が急に明るくなる。
視線を少し上げると、そこには既に懐かしい建物があった。
会議会場だ。
そして、彼女がいる。
看板に背中をもたれ、鼻歌を歌う佐藤がいる。
「あ、山田!どう?ビビった?w」
僕に気付いた佐藤は、意地悪そうな笑みで言う。
僕は慌てて、目線を下に戻した。
なぜか直視することができない。
「・・・なんでいるの?」
「なに?いちゃ悪いの?w山田を待ち伏せしてたのw」
「・・・なんで?」
「だって最近話せてなかったし。さっき久々に会ったのに、全然目見てこなかったから、仕返しww」
「・・・なんだよそれ」
「今だって全然目見てくんないし」
佐藤はあの時と変わらず、普段通りに僕に話しかけてくる。
やはり変わっていない。
「・・・なんで最近、学校来ないの?」
辛うじて佐藤の足が視界に入る状態で、僕は佐藤に質問をした。
「毎日いろんな人に会ってて、学校行けなくなっちゃったんだよねwやばいよねw」
「・・・『いろんな人』って?」
「山田も聞いたらびっくりするよ?w」
佐藤はそういうと、スマホの待ち受けを僕に見せてきた。
そこには、佐藤と、それを取り囲むように数名の男が映っていた。
場所は居酒屋だろうか、ジョッキやグラスなどで散乱したテーブルが、少し背景に映っている。
「この、わたしの隣にいるの、『YNくん』!やばくない?!んでこっちが『御影』さんで、こっちが『メロン』さん!」
顔を見なくても、佐藤の楽しさは伝わってくる。
そこから佐藤の話は止まらなかった。
「なんか、前のコラボあったじゃん?あの後から、結構集まりに呼んでもらってて!!それが毎回超楽しいの!!すごくない?w」
「『YNくん』には、この前の選曲とか手伝ってもらったの!これで何回目?って感じなんだけどw毎回選曲超良くてさ!!マジで勉強になるわ!」
「『メロン』さん、MIXも超うまくて!!この前わたしが上げた曲も、『メロン』さんにMIXしてもらったの!!」
「『御影』さんは、すっごいイケメン!!まぁ、『YNくん』には負けるけどねw今度パンケーキがおいしいお店に連れてってくれるんだ」
「あ、お酒?大目に見てよwまだちょっとしか飲んでないしさwわたし結構お酒強いかも?みたいなw」
「最近家にも朝とかに帰っちゃって、ママぶち切れwwこういう時、母子家庭でよかった、って思うわw父親もいたら倍でしょ?無理無理ww」
僕の視界には、大きく跳ねる佐藤のつま先しか見えていない。
それでも、佐藤の顔は想像がつく。
僕と歌い手の話で盛り上がっていた時の、あの顔なのだろう。
なぜか目頭が熱くなる。
「・・・聞いてる?こっち話してるんだけど」
佐藤が僕の顔を覗き込む。
目が合った。
合ってしまった。
僕と合った佐藤の目は、楽しい目ではない。
数秒前まで楽しそうに話していたのに、僕を見る目にはその「楽しさ」は一切ないのだ。
「うるさいな!」
僕の中で何かが切れた。
「そんな楽しそうなのは良いけどさ、連絡ぐらい返せたんじゃないの?!」
「え、何急に大きな声出してww」
「急に来なくなって、連絡もロクにできなくて!普通にこっちの気にもなれよ!」
「なに山田w」
「酒とかさ、正直ダサいわ。大学行くとか言ってたくせに、勉強もロクにしないで、男とばっかり遊んで『私凄いでしょ』自慢かよ!」
少しの沈黙が流れた。ほんの少しだった。
「・・・はぁ」
佐藤の溜息で、沈黙が破られる。それに続いて、佐藤が口を開いた。
「『YNくん』の言ったとおりだわ」
落ち着いた口調で佐藤は続ける。
「ほんと、ガキばっかり」
「・・・」
「てか、なに急に怒鳴ってキレてんの?私が何をしようと勝手じゃん。有名な人とかと交流して、楽しんで何が悪いの?」
「・・・」
「人気の歌い手になりたい、って夢、山田も知ってるじゃん。なのになんで邪魔すんの?」
佐藤の言うとおりだ。
ただ、そこじゃない。
僕はごちゃごちゃの感情を整理することで精一杯で、ただ下を見ている。
目線の先には、大人しくなったつま先が映る。
「てか、そもそも山田に関係なくない?ただの友達でしょ?作業とか手伝ってくれてたわけじゃないし。文句言われる筋合い、無いんだけど」
「・・・」
「・・・はぁ、うざ。じゃあわたし帰るわ」
その言葉と共に、視界からつま先が消える。
ただの友達。
今までの僕なら、有頂天になるほど嬉しい言葉。
今の僕には、この言葉が、どうしようもなく苦いものだった。
佐藤の言う通り、手伝っていたわけではない。役に立てていない。
ただ、一緒に話して曲を決めていたあの日々は、売り出し方を一緒に考えていたあの日々は、こんなにもあっさり消えるものなのだろうか。
佐藤はその程度にしか感じていなかったのか。
友達ではなく、『ファン一号』と呼んでもらいたかった自分は、求めすぎているのか。
こんなにも簡単に『ファン一号』を切れるほど、佐藤は薄情だったのか。
うまく言葉にすることができず、感情が乱れている。
もし僕が何か声をかければ、また佐藤と話すことができるかもしれない。
声をかけることは出来なくても、目を合わせられれば変わるかもしれない。
また、あの時みたいに、こんな苛立ちや焦りとは無縁の、楽しい会話ができるかもしれない。
僕は顔を上げる。
そこに佐藤の姿は、もうなかった。
◆
19歳、夏。
大学に入り、初めての夏休み。
冷房を効かせた暗い部屋の中で、僕はベッドに横たわり、スマホを見ている。
時刻は午前3時を過ぎていた。
感情なんて持たず、ただショート動画をスクロールする。
不意に、『YNくん』の動画が再生される。
僕はすぐにスクロールした。
あの日から一年近く経った。
僕は受験に失敗し、滑り止めの実家から少し離れた大学に入学した。
それに伴い、親に無理を言って、大学の近くのアパートで独り暮らしをしている。
実家からも通える距離ではあるが、僕があの町に居たくなかった。
そんなことを親に話せるわけもなかったが、父親が独り暮らし賛成派ということと、比較的裕福な家庭であったことが功を奏し、ギリギリ生活できるほどの仕送りももらっている。
佐藤と再会したあの日から、僕は変わってしまったのかもしれない。
高橋さんは、そんな僕に気を遣い、何度も勉強会やご飯に誘ってくれた。
ただ、気分が乗らず断り続け、高校三年の冬頃には、声をかけられなくなった。
高橋さんだけではない。他の友人との関係も薄くなり、気が付けば一人になっていた。
大学に入ってからも、友人を作ることもせず、ずっと一人で行動している。
あの日以降、佐藤とは会っていない。
高校時代に何回か見かけることはあったが、話すことはなかった。
もちろん、連絡を取ることもない。
佐藤はあの日以降も動画を投稿し続けていた。
投稿頻度にバラツキはあるものの、昔と変わらぬ再生回数を記録し続けている。
最近は、元気の出る明るい曲ではなく、少しダークな曲を多く上げており、ファンの層は拡大していた。
「・・・人気者だな」
思わず口に出た言葉で、感情がフラッシュバックする。
苛立ちとも、寂しさとも言えない感情が僕を呑む。
今日も寝れそうにない。
翌朝、僕は雨の音で目が覚めた。
スマホの画面では、見た記憶のないショート動画が延々とリピートしている。
いつもこうだ。
僕はスマホの画面を閉じ、再度目を閉じる。
『ピコン』
それと同時に、通知音が鳴った。
上手く開かない目でスマホの画面を覗く。
心臓が痛いほど脈を打つ。
僕は慌てて身支度を済ませ、傘も差さずに家を飛び出した。
スマホの画面には、メッセージの通知が来ていた。
『佐藤:いまどこ。会いたい』
電車に少し揺られ、新宿に着く。
駅を出て、連絡が入った場所へ走って向かう。
雨が痛い。
人が多い。
雑居ビルの下で、膝を抱えて座る女性が目に入る。
僕同様、傘も差さず、全身が濡れている。
女性がふと僕に目を向ける。
楽しい目ではなく、不機嫌な目でもない。
ただの、無気力な目だった。
僕が女性に近付くと、彼女は向かいのビルの隙間を指し、口を開いた。
「見て山田。あんなところで猫が濡れてる」
僕は猫の方ではなく、彼女、佐藤を見続ける。
猫を見続ける佐藤に、僕は続く。
「・・・佐藤も濡れてるよ」
「山田もじゃんwウケるw」
笑っているが、昔のような元気はない。
「・・・なんで急に呼んだの」
「別に。久々に顔を見てやろうと思っただけ」
そう言うと佐藤は立ち上がり、僕の手を引いて前を歩きだした。
「どこ行くの」
「山田んち」
「なんで」
「わたしこんなに濡れてんだよ?風邪ひいちゃうじゃんか」
「それでなんで僕の家なの」
「他に選択肢ないし」
淡々とした会話が続く。
「家帰ればいいじゃん。遠くないんだし」
「最近実家全然帰ってなくてさw家出中?みたいな感じでw」
「・・・あそこで何してたの」
「休憩してただけだってwなに?質問多すぎw」
佐藤は前を見続けながら、答える。
笑っているが、笑っていない。後ろ姿だけでも、それは十分に伝わってきた。
「・・・家汚いけど、それでいいなら」
「やったーw」
そこから家に着くまで、会話はなかった。
家に着き、タオルを渡す。
佐藤は、
「一人暮らしなんだ、いいじゃんw」
と言った後、部屋を軽く見渡し、ベッドに座った。
僕は床に座り、佐藤に目を向ける。
佐藤は俯いていた。
最初に遠くから目が合った時以来、今日は目が合っていない。
あの時とは逆だな、と思いながらも、笑うことはできなかった。
部屋には雨音だけが響く。
雨空のせいで、部屋はやけに暗い。
「・・・わたしってめんどくさいんだって」
佐藤が俯いたまま、話し出した。
「若いだけの、都合がいいだけの、つまらない女なんだって」
「・・・誰に言われたの」
「みんな言ってた。『YNくん』の友達。結局遊ばれてただけなのに、って」
佐藤の声が震えている。
「あの時から『YNくん』たちと毎日一緒にいて、彼女になれたと思ってたのに、結局遊ばれてただけだった」
「・・・うん」
「あんなに『かわいい』とか『好き』とか『最強の歌い手だ」とか言ってきたのに。お願いされたことは全部やってきたのに」
「・・・うん」
「『寂しい想いさせない』って言ってくれたのは、ただ都合いい女を横に置いておくためだったみたい」
佐藤の声は、もう声にもなっていない。
雨音で簡単に消えてしまいそうな声で、僕は頷くことしかできない。
「あれからも私わたし、動画上げてるんだよ?」
「うん」
「最近は『YNくん』に構ってもらえなくて、ちょっと病み曲ばっかだったけど。ちゃんと人気者だよね?」
「うん」
「わたし、すごいよね?」
「うん」
「めんどくさくないよね?」
「うん」
佐藤は一度大きく深呼吸をし、自分の隣を軽く二回叩いた。
僕は、その指示のまま、佐藤の隣に腰掛ける。
アルコールとたばこの匂いが鼻に入る。
「・・・山田はわたしのこと嫌いにならないよね?」
その日二回目の佐藤の目は、赤く充血していた。
「・・・うん」
僕は目をそらして、軽く頷く。
◆
19歳、冬。
天気予報は、毎日寒波の話を放送している。
マフラーがなくては外にも出られないほどの寒い日が続いていた。
「佐藤、僕バイト行くから」
僕は玄関から、リビングに居る佐藤に声をかける。
あの日から、佐藤は僕の家に居候していた。
付き合っているわけではない。
どうやら佐藤は動画投稿以外は何もしていなかったらしく、動画投稿を止めた今、ニート生活を送っている。
流石に、親御さんに申し訳がないと思い、
「母親からの連絡は?」
と聞いてみたが、「連絡来てない」の一点張り。真偽はわからないが、この話をすると佐藤の機嫌が悪くなるので、控えるようにしている。
親からもらっている仕送りだけでは生活できなくなった僕は、秋ごろからアルバイトを始めた。
家の近所のコンビニだ。
近頃は随分慣れ、バイト先の先輩にも良くしてもらっている。
「えぇ、バイト行っちゃうの?一人にしないでよぉ」
リビングから顔を出しながら、佐藤が答える。
「3時間だけだから。すぐ帰ってくるって」
「ほんと?他の女に会いに行くんじゃない?」
「行かないよ。じゃあ、いってきます」
僕はいつものルーティンとなった会話を終わらせ、家を出る。
寒さが頬を刺す。
バイトを終えた僕は、寄り道もせず家に向かう。
すっかり暗くなった外は、寒さに拍車をかけていた。
「ただいま」
靴を脱ぎ、リビングに入る。
佐藤はベッドに腰を掛けている。
手元にはカッターがあり、左の腕には赤が滲んでいた。
「山田が遅いからだよ!!」
僕に気付いた佐藤は、急に声を荒げた。目には涙が浮かんでいる。
あぁ、またか。
僕はすぐに佐藤の手からカッターを取り上げ、部屋の隅に投げる。
佐藤は変わらず大声で泣きながら、僕のことを叩き続ける。
正直痛くはない。
僕は佐藤を抱き寄せた。
「ごめんね。寂しかったね。早く帰ってきたつもりだったんだけど」
「早くない!遅い!!私のことなんて、どうだっていいんでしょ!!」
「どうでもよくないよ。ごめんね」
佐藤は必死に僕を引き剥がそうとする。涙と血が僕の服も濡らす。
「どうでもよくない?本当に?」
「うん」
ここまで来て、ようやく落ち着きを取り戻す。
佐藤は、鼻をすすりながら、僕を抱き返す。
「・・・腕痛くない?」
「うん・・・ごめんなさい。山田・・・ごめんなさい」
「大丈夫」
再度泣き出す佐藤を、僕は変わらず抱きしめた。
今はこれでいい。
◆
20歳、夏。
2年生に進学できた僕は、二度目の長い夏休みを過ごしている。
「山田さん!品出し終わりました!」
「ありがとう」
バイトにも慣れ、ついに後輩もできた。
同じ大学に通う、一つ年下の明るい男の子だ。名前は森野くん。
「山田さん、今日バイト何時までですか?」
「21時かな」
「え、結構今日ロングですね?珍しくないっすか?いつも長くて5時間なのに」
「ピンチヒッターだよ。毎回僕だけ断ってるのも悪くてさ」
「たしかにwなんか理由あるんですか?」
「えっと・・・勉強が忙しくて」
「真面目っすねw」
バイト先では、佐藤の話をしていない。
変に詮索されるのは困るし、傍から見たらおかしいことも理解しているからだ。
佐藤は相変わらず、我が家で居候をしている。
佐藤の自傷行為は止まっていない。
落ち着いている時も、少しの家事をするだけで、あとはスマホをいじるだけ。外にも滅多に出ることはない。
一人を怖がり、常に不安感に襲われている。
ただ、時々見せる、あの懐かしい笑顔が、僕は気に入っていた。
最近はバイトの量を少しだけ増やしている。
佐藤がいることもあり、光熱費や諸々のお金が恐ろしいほど飛んでいく。
あの状態の佐藤に、「家にお金を入れてくれ」なんて頼めるわけもない。
「そういえば、聞いてくださいよ!」
森野くんが言う。
「この前彼女出来たって言ったじゃないですか」
「あ、同級生の?」
「そうです!そいつがすっごいメンヘラで!毎日大変なんですよぉ」
「・・・そうなんだ」
「この前なんて、ただ男友達と飲みに行っただけなのに!21時には鬼電っすよ!やばくないすか?」
「・・・それくらい森野くんを大切に思ってるんじゃない?」
「でも、電話に出たら彼女なんて言ったと思います?『私、今から元カレに会いに行くから!』って!泣きながら!!意味わかんないですよ!」
「それは確かにね・・・で、どうしたの?」
「飲み会切り上げて、会いに行きましたよ!マジで大変っすよ!」
「それは災難だったね」
「メンヘラはダメっすね。疲れるし、大変だし、自分も悪い方向に変わっていくし!・・・別れようかなぁ」
森野くんの話は、僕には強く響いた。
佐藤はそんなことしないだろう。そう思うことが、なぜか今の僕にはできなかった。
むしろ、謎の苛立ちが強くなる。
「森野くん!ちょっと体調悪いから早退するね!ごめん!」
「え、ちょっと!店長になんて言うんですか!」
「今度お酒奢るから黙ってて!」
「え!山田さん!!」
僕は森野くんの呼びかけを無視し、店を出る。
そのまま走って家に向かう。
付き合っているわけではない。だから、浮気も何もない。
ただ、そこはかとない不安が、僕の息を荒げていた。
勢いよく家のドアを開ける。佐藤の靴がない。
リビングに向かう。佐藤はいない。
トイレにも風呂場にも佐藤はいない。
僕は急いで佐藤に電話をかけた。
繋がらない。
僕はベットに腰を下ろし、佐藤にメッセージを送る。
『どこ?』
一向に既読はつかない。
トーク画面を見る時間は、僕の気持ちを昂らせるには十分すぎた。
頭ではわかっていても、苛立ちが襲う。
自分の妄想だと言い聞かせても、苛立ちが塗り替える。
耳に入る音が、心臓なのか、気持ちに呼応して動く足の音なのか、わからない。
ガチャ
玄関のドアが開いた。
僕は急いで玄関に向かう。
「あれ?今日バイト長いんじゃないの?」
佐藤の声は普段通り。
僕は苛立ちを抱えたまま、佐藤を抱きしめた。
「どこ行ってたんだよ!!」
自分でも驚くほど、大きな声が出る。
「いや、散歩しないと健康に悪いかなってw山田は?何時に帰ってきたの?バイトは?」
「急にいなくなったら心配するだろ!」
「急にって、山田バイトだったじゃん」
「スマホも見ないし、電話にも気付かないし!」
「え、嘘」
佐藤は僕に抱きつかれたまま、スマホを取り出し画面を確認した。
「マナーモードだった。もう通知ONにしたから。ごめんね?」
そういうと、玄関の横にスマホを置いた。
僕は息を整える。
そして、佐藤を抱いたまま続ける。
「バイトは・・・早退して、今さっき帰ってきた」
「そっか。風邪?」
「・・・別に平気」
「そっか。心配してくれたのか。ありがとう」
散歩のおかげか、佐藤は普段よりも少し元気だった。
「どこにも行かないよ。山田もわたしの傍にずっといてくれるでしょ?」
僕は頷く。
自分が情けない。ただの妄想で苛立って、バイトも早退して。
これからも、こういう気持ちになるのだろうか。
あの日々みたいに、楽しく過ごすことはできないのだろうか。
それを求めることは、今のまま二人でいることは、正しいことなのだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。
そんなことはどうでもいい。
ただ、佐藤とずっと一緒に居たい。隣に居たい。恋人じゃなくてもいい。恋人でもいい。結婚が確実ならそうしよう。それ以外でもなんだっていい。
佐藤に回していた腕を退かし、佐藤と向かい合う。
「・・・佐藤、あのさ」
『ピコン』
横に置いてある佐藤のスマホが鳴った。
自然と視線がスマホを向く。
『YNくん:今日はサンキュ。やっぱお前とのセックス最高だわww』
僕は佐藤に手を伸ばす。
抱きしめるわけではない。
佐藤の服を掴み、リビングに引きずるように連れていく。
佐藤は、
「やめて!!痛い!!」
と抵抗するが、僕の耳には入らない。
僕はそのまま佐藤を床に投げ飛ばした。
こんなに頑張ったのに。
ずっと佐藤のことを考えていたのに。
自分にできる最大限、支えてあげようと思っていたのに。
楽しい毎日を送らせてもらったお礼を、ずっと返してきたのに。
こんなにも一番に考えていたのに。
裏切られた。
そこからは散々だった。
僕は佐藤に馬乗りになり、何回も拳を入れた。
佐藤は鼻血を出しながら、必死に顔を腕で隠す。
今までのリストカットの後が目に入る。
今の僕にとっては、それすらも苛立ちの材料でしかなかった。
「ごめんなさい!!痛い!!!やめて!!!やだ!!!!」
佐藤は叫ぶように、泣き声を出す。
抵抗する佐藤の爪が、僕の頬をかすめた。
痛い。
目の前の光景が鮮明になる。
泣きながら血を出す佐藤。
それに馬乗りになる自分。
ひどく散らかったリビング。
鈍く痛み、血の付いた拳。
ひりつく痛みのある頬に手をやると、指先が新たに赤くなった。
僕は慌てて佐藤の上を離れ、立ち上がる。
それと同時に、膝の力が抜け、そのまま床に腰を付けた。
佐藤は倒れたまま、泣き続けている。
やっぱり駄目だ。
そのままの状態で、1時間ほどが経った。
佐藤は家を飛び出すこともなく、倒れたまま顔を腕で隠し、鼻をすすっている。
僕も座り込みながら、床のタイル目を見続けていた。
何が僕をこうさせたんだろう。
この一文を、永遠と頭の中で繰り返す。
答えはもう出ていた。
ただ、今の僕にそれを認識する余裕はない。
口が異様に乾く。
「・・・だって、寂しかったんだもん」
佐藤がかすれた声で、呟きはじめた。
「『YNくん』はわたしの憧れで、かっこよくて、優しくて、ずっと好きなんだもん!『YNくん』がわたしを見つけてくれたから、こんなにも人気になったんだし」
「・・・」
「山田はわたしを一人にするしさ!」
「・・・」
「・・・ママも!山田も!!『YNくん』だってそうだ!エッチだってしてあげたのに!なんでわたしを一番にしてくれないの!!」
「・・・」
「なんでわたしが!こんなことされなきゃいけないの!!!」
佐藤はまた泣き始めた。
とっさに謝ろうとしてしまう口を急いで塞ぐ。
僕では佐藤の期待に応えられなかったのか。
何か声をかけなきゃ、と思った。
ただ、口から出たものは、状況とは見合わない、ひどく辛辣なものだった。
「今すぐ出てけ」
しかしなぜか、喉の棘がとれた気分だった。
◆
23歳、冬。
社会人になってからというもの、毎日がすごく忙しい。
覚えることは多いし、会社の付き合いもある。
家には寝に帰るだけの毎日を過ごしている。
スマホを触る時間も減った。
終電近くの電車で帰宅し、部屋の電気をつける。
スーツをハンガーにかけ、電子レンジで半額の弁当を温める始める。
暇つぶしとしてつけたテレビから、深夜に似つかわしくない声が聞こえる。
『今日は、歌い手特集!!!
若者に大人気の』
急いでテレビを消した。
そのままベッドに横になる。自然と出た溜息が、すごく気持ち悪い。
佐藤を忘れたことはない。
未だにSNSはチェックしてしまうが、全て更新はされていなかった。
あの日、佐藤はすぐに家を出ていった。
僕も追うことはなかったし、追う気にもならなかった。
普通の日常に戻るには少し時間がかかったが、慣れてしまえばすぐだった。
それなのに、ずっと鮮明に覚えていて、SNSをチェックしている自分に、心底嫌気がさす。
弁当を食べ終え、晩酌用のビールを一口飲む。
そして僕は、メッセージアプリを開き、トーク履歴をスクロールする。
そして、佐藤とのトーク画面を開いた。
気の迷いだ。出来心だ。
『今日はありがとね!』
『歌い手になるの、手伝ってくれるって言ったの忘れてないから!
有名になったら、「ファン1号」名乗っても良いよw
これからもよろしく!ファン1号!
また学校でね~』
初めてのメッセージ。
この時の僕は、明るく振る舞うことができない自分に悩みつつ、それを認めない。弱い人間だ。
だからこそ、誰かの”何者”になれたことが嬉しくて堪らなかった。
自分より優位に立っている人間が、自分にだけ秘密を打ち明けてくれたことが、心底快感だった。
深い仲の友人もいない僕にとって、この時の『ファン一号』は、人生を変えるには十分だった。
僕はそこから、記憶を呼び覚ますように、順々にメッセージに目を通す。
おすすめの曲があれば、すぐにURLを送り合う。
録音ができたらそれを一緒に確認し、感想を言い合う。
SNSで新しいつながりが出来たら、喜びを分かち合う。
MIXの依頼をするときの文章を一緒に考える。
次の会議の日程を決め、他愛もない話を少しして眠りにつく。
気が付けば僕は、泣いていた。
もうこの日は戻ってこない。
僕たちは一緒に居てはいけない存在だった。
僕はただ、佐藤に依存していた。
自分には何も無いくせに、”何者”かにしてくれた佐藤に依存していたのだ。
そして、それを佐藤に強要し、同じだけ佐藤に求めていた。
くそったれだ。
涙のせいで視界がぼやける。
そのせいか、僕はトーク内の音声データを再生してしまった。
流れてきたのは、懐かしくも聞きなれた、高校時代の佐藤の歌い声だ。
大好きな元気の出る、陽気な曲。佐藤の声にぴったりだった。
僕はそのまま、泣き続けることしかできなかった。
もし、佐藤に会うことがあったら、また歌ってもらいたい。
僕たちの大好きな、明るくて元気の出る、陽気な歌を歌ってほしい。
僕も嬉しくなって、一緒に口ずさむかもしれない。
僕は、そんなことを考えながら、ベッドに入った。
never young beachさんの「お別れの歌」をリピートしながら読んでくれたら嬉しいです。
MVは見ないでください。この文章との乖離がすごいですし、小松奈々がかわいいだけなので。
一発書きだし初めてなのでヘタクソです。
うんちしながらでも読んでください。
感想いただけたら嬉しいです。勉強させてください。
結論、男も女もメンヘラな奴はいますし、色々なタイプのメンヘラがいます。




