謀の代償 その3
「だからさぁ、穏便に済ませてしまいたいの。そのコをさ……、こっちに渡してくれない?」
「馬鹿を言う。はいどうぞ、なんて答えると思うのか?」
レヴィンがカタナを構えながら問うと、ルミは視線をアイナへと移しながら頷く。
「じゃあ、訊く相手を変えましょうか。考えてもご覧なさいな。……いま、レヴィン達の命を握ってるのはアンタなのよ。他には手出しするつもりないんだから。自分を差し出す覚悟があれば、レヴィン達の命は保障されるわよ」
「アイナ、聞き耳を持つな。そんな約束、守る保障の方がない」
ハッとなったアイナに、すかさずレヴィンが釘を差した。
しかし、既にアイナの中には選択肢が生まれてしまっている。
これまで幾度もその命を救われてきたからこそ、必要な時にはまた自分も、危険を顧みない覚悟を持っている。
捧げられて来た献身に対し、同じように献身を返すのは簡単だ。
それだけの恩も、感謝も、アイナの中で蓄積されている。
「あたしが……付いて行くと言えば、その時は他の人に……手を出さないんですね?」
「勿論よ。言ったでしょ、ユーカードには思い入れがあるからさぁ……。敵になんかしたくないのよ」
「敵にしたくないかはともかく、思い入れというのは……? 本当に、そんなものがあるという証拠は?」
「あら、それって口で言うだけで信用してくれるの? 疑うのは結構だけれど、アタシの答えが本当だって、どうやって知るつもりなのよ?」
アイナは怪訝に眉をひそめる。
話を聞いていたレヴィン達の反応もまた、似たようなものだ。
顔を顰めたり、眉根を寄せたりと、それぞれ見せる形は違うものの、誰もが不可解だと訴えている。
ルミは腕組みをしたまま、面白がる表情を崩さない。
ただ視線でのみ、どうするかを問うていた。
「それは……」
「全く重要じゃないでしょ、アタシの思い入れなんて。アンタがどうするのか、って話をしてるんじゃない」
「だが、安心できる要素なんて一つもないだろ。アイナが本当に身を捧げたとして、結局俺達に害を為すつもりなら意味がない。保障もされずに、約束する馬鹿がどこにいる?」
「アンタには訊いてないんだけどねぇ……」
レヴィンをつまらなそうに見て、ルミは小さく息を吐く。
そうして、腕を組む余裕を崩さないまま、それでも答えらしきものを口にした。
「けどまぁ、尤もな話ね。何一つ保障される物もなく、口先だけの約束なんか信用できない。それはそうよ……けど、何か勘違いしてない? これはお願いじゃないの」
その一言と共に、ルミの目が細められる。
未だに気配は何も発せず、やはり霞の様にしか感じられないのに、その敵意が線の様な指向性を以て放たれた。
「この場で全員、昏倒させられた上で連れ去られるか。それとも、全員無事でアンタだけ付いて来るか。――それを選べって言ってんの」
虚勢ではない。
ルミの口から出た言葉は、実現可能で実行可能な未来だった。
その気になれば、周囲の魔獣を誘発させた混乱で、アイナだけを攫ってしまえる。
また、ルミとリンの二人が、その動きに合わせて襲撃すれば、全員の昏倒は可能だろう。
それは戦闘に長けたレヴィン達だからこそ、明確に想像できてしまう未来だった。
アイナはそれでも、答えを即座に返せない。
ルミは面倒臭そうに爪先で地面の叩き、早く口にしろと、言外に告げている。
「あの、あたし……」
「言わなくていい、アイナ。結局、俺達の命なんて最初から考慮の外ってだけだ。連れ去られて、そのあと何をされるか考えてみろ!」
「でも、でも……。あたしのせいで、皆さんはいらない危険を被るんですよ……!?」
「そうだとしても! アイナは『鍵』なんだ。誰にも渡せない。淵魔にも、お前らにも……!」
その台詞に、ルミは不思議そうに首を傾げる。
形の良い柳眉を歪めて、何かを考え込む仕草を見せた。
ややしばらくして、唐突に動きを止めると、大袈裟に溜め息をつく。
そうして腕組の姿勢から、人差し指だけ、レヴィンへ向けた。
「何か盛大な、勘違いしてくれてるみたいだけどさぁ……。それは良いわ、どう思われようと関係ないから。……でも、そうね。じゃあ看過できないことに関して、恩赦をやるって言ったら?」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味よ。神殿の襲撃について、許してやるって言ってんの」
これにはレヴィン達の息が、一瞬詰まった。
しかし、それは恩赦に食い付いたからではない。
何故、それをルミが口に出来るか、理解の外だったからだ。
神殿勢力の人間である可能性は、当然想定されていた。
しかし、恩赦を与えてやる、の一言は単なる追手の口からは出せないものだ。
その上、やはりそれを真実と保障する材料がない。
だが、ルミはそれを当然の理と思っている口振りだった。
溜め息交じりに息を吐き、それから詰る様な視線を向ける。
「何やらかしてくれてんのよ、ユーカード家ともあろう者が。……神に弓引くなんて、呆れてものも言えないって心境よ」
レヴィン達は硬直したまま動けない。
何と反応すべきか、分からなかった事もある。
全てが胡散臭く、全てがブラフである可能性も、当然あった。
だから、レヴィンは誰も反応するな、と視線を送る。
ヨエルとロヴィーサはそれを忠実に守ったが、感情に素直なアイナは上手く無反応を貫けなかった。
ルミはその反応を見て、満足そうに頷く。
そうして、揶揄するように口を開いた。
「分かる? ――大罪人よ。でも、場合によっては恩赦が出る」
「それがつまり、アイナの引き渡しか? それで全ては赦されるって? 彼女一人を犠牲にして、それで俺達が満足すると思うのか。枕を高くして眠れると? ――この俺を見くびるなよ……ッ!」
レヴィンの瞳に力が籠もる。
仲間一人と自分の命、どちらを犠牲にすべきかは難しい問題だ。
これがあるいは、戦闘中であれば、ある種割り切りが必要な場合もある。
辺境領での戦いとなれば、一兵卒の命とレヴィンの命、どちらを優先すべきかは決まったようなものだ。
しかし、この場合は単なる裏切りにしかならなかった。
アイナ一人を犠牲にして恩赦へ縋るつもりも、これまでの襲撃の責から逃れるつもりも、レヴィンにはない。
――その日がくれば、神の炎に焼かれるだろう。
その覚悟を持って、レヴィンは襲撃していた。
「アイナ一人を差し出して、自分達だけが助かろうとは思わない!」
「でも……でも、レヴィンさん!」
「いいんだ、このまま無事に切り抜けよう。それで済む話だ」
言い縋ろうとするアイナを、レヴィンは目も合わせずに制する。
しかし、ルミはそれを乾いた表情で見据えていた。
「そういう覚悟を持てるからこそ、ユーカードって感じよね。……アタシだってねぇ、ユーカードにこんなコト言いたかなかったわよ。力付くでやってもいいけど、そんな後味悪い……あぁ? つまりそういうコト?」
「まさに、そういうこと、だろう。我らが迂闊に手を出せないと知っていた。出したとしても、手加減するか、手を抜くと確信してのことだろう。殺しも出来ないと踏まえていたな」
背後のリンが、忌々しく思わせる声音で、レヴィン達を睨み付けていた。
その瞳には怒りが見える。
明らかな敵意が剥き出され、周囲の魔獣が、にわかに色めきだった。
しかし不思議なことに、怒りそのものはレヴィン達へ向いていない。
見ているものとは別に――どこか別の何かへと、怒りが向けられていた。
「用意周到、捨て駒も多数用意されてた。……そこに加え、ユーカードにも手を出した。つまり、これが本命と見るべきだ」
「何だ、何を言ってる……?」
「お前自らの発案じゃないな? 誰に唆された? 誰に命じられた? お前達は自分が駒にされていたと、何一つ気付いていなかったのか?」
レヴィンには、リンの言っていることが理解できない。
何一つ理解できなかった。
唆されてもいないし、誰かに命じられてもいない。
全て自分たちで決めたことだった。
全てを託し、命を捨てた者の為に、その遺志を継ぐと決めたのだ。
「言ってる意味が分からない。そして、お前達は何一つ、信用ならない!」
レヴィンが言い切るのと同時、溜め込んでいた敵意を爆発させ、それを周囲へ放った。
その敵意に触発され、猫科を思わせる魔獣、狼に似た魔獣、猿に良くにた魔獣など、多種多様な種族が堰を切ったように襲撃して来た。
狙いは当然レヴィンだったが、そこだけに集中しない。
敵意を漲らせていたリンへも卒倒し、驚くほど大量の魔獣が襲い掛かって来る。
それはまるで魔獣の洪水だった。
何処にこれだけの数が隠れていたのかと、疑問に思うほどだ。
しかし、数が多いだけではリンを止めるには全くの力不足で、ルミなどは手早く魔術を使い、感電させて行動不能にさせている。
刻印ではない。
それと見紛う程の速さで魔力を扱い、巧みに制御して難なく魔術を行使していた。
「勝てない相手と分かっていたが……!」
あれほど見事な魔力制御は、人の世でお目に掛かれるものでなかった。
彼女の正体、その一端を思い知らされた力だが、それより気にするのは魔獣の群れだ。
「走れ! 魔獣の波を盾にして逃げろ! 早く行け!」
本来なら殿はロヴィーサかヨエルの役目だ。
しかし、今だけはレヴィンもまた殿となって、力を合わせてアイナを魔獣の波から逃がす。
「刻印発動ッ!『年輪の外皮』!」
発動された魔術により、レヴィンは敵の攻撃を受けない。
ただし、幾層にも渡って作られる膜であろうと耐久限界があり、この数では余り長くは保ってくれない、と分かる。
壁役でありつつカタナも振るい、ヨエルとロヴィーサとの連携を活かさねば切り抜けられない状況だった。
そして何より、追って来るのは魔獣の群れだけでない。
波のようにうねり、迫る魔獣の間を縫って、ルミが追って来ていた。
魔獣はルミを無視するかのようだったが、その実ルミが巧みな体捌きで躱しているだけと分かる。
魔獣がどういうタイミングで攻撃してくるかを事前に察知して、その攻撃より前に逃げるから、まるで魔獣の方が避けているように見えるのだ。
それとは逆に、魔獣を波ごと蹴散らして進んでくるのがリンだった。
圧倒的武威に任せ、汎ゆる障害を壁とも思わず直進して来る。
遅い掛かる数はレヴィン達の比でなかったが、障害など有って無きの如しだった。
しかし、魔獣の波の厚さも尋常ではない。
幾ら薙ぎ倒しても途切れる気配はなく、そしてそれは、追われているレヴィン達も同様だった。
三者の連携によって凌いではいるものの、ヨエルとロヴィーサには目に見えて傷が増えて来ている。
「このままじゃ……!」
レヴィンの顔に焦りが浮かび上がり始めた、その時だった。
前方に光が見える。
木々の切れ間から光が漏れ、そこが森の終わりだと告げていた。
「走れ、もう少しだ!」
前方を走るアイナを叱咤し、急がせる。
飛び掛かってくる魔獣の一匹を斬り倒し、レヴィンもその背を懸命に追った。
森の終わり、その光へ飛び込もうとして、ルミがしていた忠告を、今際になって思い出す。
森が終わるその先は――。
今まさに、その光の中へ飛び込んだアイナの背中を、レヴィンは必死に手を伸ばして掴んだ。
「うぐっ、――あぁッ!?」
その衝撃でアイナの息が詰まる。
だが、その数歩先を見て絶句していた。
地面が途切れ、そこからは断崖絶壁となっている。
レヴィンは腕の力を総動員し、自らも横っ飛びに追って来る魔獣を避けた。
ヨエル達も一拍遅れてそれに付いて来て、止まりきれない魔獣は崖下へと落ちていく。
最後尾になっていたロヴィーサもまた、ヨエルの背に続いて横っ飛びに避けたが、魔獣の爪がその腕に引っ掛かった。
「え……」
ヨエルの背中を追っていたはずが、唐突に方向を変え、崖下へと向かっていく。
体勢は崩れ、足を後もう一歩、前へ踏み出せない。
動きを止めた所に、更に後ろから迫った魔獣の波に、ロヴィーサが巻き込まれ――。
「わか、さま――!」
ロヴィーサ自身、信じられないものを見る表情をしていた。
手を伸ばし、助けを求めていたが、その距離は圧倒的なまでに遠かった。
レヴィンもまた手を伸ばしたが、まったく届いていない。
それでも、その手を掴もうとせずにいられず、必死に手を伸ばす。
――だが、それでも。
レヴィンは身体を捻って腕を伸ばす。
しかし、互いの指が接触するより早く、ロヴィーサは魔獣の波に巻き込まれ、共に崖下へと落ちていった。




