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鍵と穴 その1

 食堂の中に戻るなり、レヴィンは人波を掻き分けて、ヨエル達の元に戻った。

 途中、レヴィンに気付いた酔っ払いが、気安く話しかけようとして来たものの、それには目も暮れない。


 それどころか、押しやって退かし、テーブルへ駆け込んだ。

 何も知らず、暢気に飲んでいたヨエルは、切迫した雰囲気で戻って来たレヴィン達へ、怪訝な顔を向けた。


「何だ、どうした二人して……。外で何かあったのか?」


「あった。ここじゃ何だ。それに急ぐ必要もある。すぐに出るぞ」


「――あ、おい!」


 ヨエルの返事も聞かず、アイナの手を取って立ち上がらせる。

 強制的に連れ出して、急ぎ宿まで戻って行った。

 夜ともなれば、明かりは家々から漏れる光しかない。

 暗がりはどこにでもあり、誰かが潜んでいても分からない。


 忙しなく辺りを見回し、注意を向けるべき人物が居ないと分かると、アイナを先に宿へと押し込みながら、レヴィンも中へと入って行く。


 何が起きている分からないアイナは、されるがままだ。

 困惑の度が強くとも、意味もなくレヴィンがそんなことをすると思わないから、素直に背を押されていた。


 しかし、全員がレヴィン達の一室に集合すると、流石に不安を押し殺したままでいられなかったらしい。

 不安そうな顔を強張らせ、アイナはレヴィンへ問うた。


「一体、突然どうしちゃったんですか? 外で何があったんでしょう?」


「拙いことになったかもしれない……」


「そうだろうな、それは分かる」


 ヨエルからも突き上げる様な口振りで合いの手が入り、早く理由を言えと催促が入った。


「本日の主役が、突然何の断りも入れずに飛び出したんだからな。奴らは奴らで盛り上がってたけど、気付いた時お前が居ないと分かればガッカリするぜ?」


「だとしても、言ってる場合じゃなくなった。――ルミとリンだ」


「あぁ、真の主役な。それを差し置いてってのは、確かに気分の良いもんじゃない。けど、だからって……」


「そうじゃない、そういう話じゃないんだ。――あれは、敵かもしれない」


「……何だって?」


 ヨエルの顔から、酔いは抜け切れていない。

 聞こえていないのではなく、理解が追い付いていないとは、その表情からも分かった。

 レヴィンにしては珍しく、苛立ちの混じる声音で根気よく説明を続ける。


「リンは淵魔を逃がしたと言った。追ったものの、追い付けなかったと。……でも、虚言かもしれない」


「どうして……?」


「そもそも逃げ出した、それ自体が変な話だ。最初から、違和感のあった部分だろう」


「それは……そうだな」


 何しろ、全ての前提が崩れる話だ。

 それなのに、その前提を基にすると矛盾が生じる。

 恩人、味方の言うことだからと、レヴィンは信じた。

 しかし、その矛盾について、もっとよく考えるべきだった。


「話を聞いてしまったんだ。奴らは、もしかすると淵魔を使役すらしているかもしれない」


「使役……? あり得るのか? 不可能だろう、そんなこと」


「……そうだな、あり得ないと思う。だが、アイナを狙っているのは確からしい。俺達とアイナを分断させ、その間に攫うつもりだった……そういう話を確かに聞いた」


 レヴィンがロヴィーサへ目配せすると、間違いない、と断言して頷いた。


「しかと、この耳で聞きました。淵魔の方は推論が混じりますが、奴らの狙いに、アイナさんが含まれているのは確かです」


「だが、何だって……。そういや、先生も言ってたか。異世界人は狙われるって……」


「もっと即物的な理由だと思ってた。何しろ親類縁者など居ないだろうから、足も付かず売り捌けるとか、そういう……」


 レヴィンが悔やむような顔をして、アイナは顔を青くさせて身体を震わせる。

 しかし、その目は標的にされている事実より、もっと別の何かへ向けられているようだ。

 まるで、その狙いに彼女自身が気付いているかに見え、レヴィンが不安げな視線を向けた。


「アイナ……?」


「いえ、すみません……。淵魔には狙われるって聞かされてましたけど、あたしも、もっと単純な話だと思っていて……」


「そりゃあ、そうだ」


 これには、既に赤ら顔を引っ込めたヨエルも同意した。


「辺境領から離れれば、それだけ危険も遠退くと思ってた。気を付けるのは人攫い程度、後は道中の魔獣や魔物程度だと……。けど、若の話じゃ、もう少し厄介な事態らしい」


「奴らがアイナをどうしたいのか知らない。でも、俺達と事を荒立てたくない様だった」


「それはまた、どうして……?」


「そこまでは知らない。でも、俺を襲うのはユーカード家、引いては辺境領全体を敵に回すのと同じことだ。それは避けたいと考えたのかもしれない」


 その推論は全くの当てずっぽうでしかなかったが、あり得そうな話だと思った。

 ヨエルもまたそれに同意して、幾度か頷きを見せる。


「なるほど、それはあり得る話だな。だが、それならあの二人は、これからも何か仕掛けて来るつもりなのか?」


「かもしれない。だが、どういう手段で来るかも分からないし、街への被害を考えない様な奴らだ。留まる程に、危険度が増すのは間違いないと思う」


 そして、本当の最悪――力に物を言わせた実力行使で来た場合、レヴィン達ではルミとリンを止められない。

 今は余裕の現れか、本人達が穏便と思える手段で、ことを運ぼうとしている。

 だが、それがいつまでも続く保障はないし、またも淵魔をぶつけて来ようものなら、やはり撃退は難しい。


「だから、まず狙われないよう、身を隠さなきゃならない。直ぐに宿を引き払って移動する」


「お、おい……! 今からか!?」


「夜道の移動は危険……あぁ、百も承知だ。だが、夜道より恐ろしい奴が相手だぞ」


「そりゃあ、そうだが……」


 難色を示すのも当然で、魔獣や魔物の活動が活発になり易い夜は、基本的に移動は向いていない。

 しかし、それだけでなく、ヨエルには難色を示すもう一つの理由があった。


「……報奨金はどうする。予定じゃ、明日受け取りのはずだったろ」


「奴らが情報を重んじるなら、当然そのことも知ってる。俺達の移動も、だから明日までない、と思ってるだろう。そうであれば、むしろ今なら意表を突ける」


「そうですね……。お金の移動があるわけですから、あちらにも都合がある。昼前まで受け渡しはない、と考えているでしょう。奴らの目から逃れるには、確かに良い機会です」


 ロヴィーサからの賛同もあって、レヴィンは勢い付く。

 アイナとヨエルへそれぞれ目を向けて、有無を言わさぬ迫力で声を発した。


「今すぐ旅立ちの準備をしろ。夜が明けてからじゃ遅い。まずは、ここを離れることを優先する」



  ※※※



 闇夜に乗じて、ということなので、事は慎重に行われた。

 宿は先払いだったし、朝になって既に居なくなっていても、従業員の迷惑にはならない。

 厩についても同様で、勝手に抜け出したからと、怒られることもなかった。


 足音を忍ばせ、馬をゆっくり立たせると、やはり音を立てないようゆっくりと歩き出す。

 馬の脚なので、完全な無音で移動は無理だが、走り抜けるよりまだマシ、という判断だった。


 焦れる気持ちを抑えつつ、そして周囲を十分に警戒しつつ、城門を目指す。

 しかし、当然ながら城門はどの時間でも空いている訳ではない。

 夜間は基本的に閉じられているものだ。


 それでも衛兵は置いてあるもので、小金を渡せば通れる場合も多かった。

 何より、本日の功労者でもある。

 急ぎの用事があってどうしても、となれば、困った顔をしながらも頷いてくれた。


 それに礼を言ってゆっくりとした足取りで門を出て、十分に距離を離したとこで、一度後ろを振り返る。

 誰も、何も付いて来ていないと確認し、馬の腹を蹴って駆け出した。


 夜闇を恐れるのは、魔物が出現するから、という理由だけではない。

 明かりがなければ、進むに進めないから怖いのだ。

 全くの暗闇、星明りを頼りに移動するのは酷く緊張するし、常に警戒を解けないので酷く疲れる。


 しかし、今日は幸いにも月があった。

 雲で陰ってもおらず、十分な月明りがあれば、道沿いに馬を走らせるぐらいは容易い。


 そうして十分、距離を離し、そしてやはり誰も追って来ないと分かって、それでようやく一息つく。

 レヴィンにしても、日中の疲れは取れていなかった。


 ヨエルが難色を示したのも、一重にその休息が必要で、下手すると倒れかねないからだった。

 だが、街から遠く距離を離し、何者の気配もないと分かれば休息が取れる。

 それで誰しもの間に、弛緩した空気が流れた――その時だった。


「――何か来ますッ!」


 最初に、その気配に気付いたのはロヴィーサだった。

 今ばかりは自分で手綱を取り、アイナを抱き込むようにして馬を走らせていたのだが、後ろを振り返りながら叫ぶ。


 それで他の二人も気が付いて、遠くから聞こえて来る馬蹄音と、薄っすらと見える姿に目を細める。


「馬……? 奴らが追ってきたか?」


「――違う、淵魔だ!」


 レヴィンが叫んで、誰もがそれに戦慄した。

 その色や形は闇に紛れてしまって、非常に分かり辛い。

 だが、馬の下半身に、まるでヴェールを何枚も重ねたような人体は、それが間違いなく街を強襲した淵魔であると示していた。


「間違いありません、奴です!」


「逃がしたってのも、これでどうやら嘘と分かったな」


 タイミング的に、待ち構えていたとしか思えない。

 リンの言い分では、遠くへ追い立て、その先で追えなくなって逃げ切られた、というニュアンスだった。

 しかし、本当にそうなら、こうまでレヴィン達が逃げ出すタイミングで鉢合わせしたりしない。


「――どうする、奴の方が脚は速い!」


「どうするも……!」


 戦って勝てないのは、既に十分、分かっていることだ。

 逃げ切るしかないのは百も承知で、ヨエルも言っていた。

 ユーカード領から連れて来た愛馬は健脚だが、存在として強化された淵魔に勝るものではない。


 それに、淵魔は生物でない以上、体力切れも期待できないのだ。

 たとえその速度が同じであっても、先に馬が疲れて、やはり追いつかれる。

 ――決断が必要だった。


「逃げ切るのは無理だ! 迎え討つ!」


「それこそ無理だ! 刻印だって万全に回復してねぇし! 端から不利な戦いで、一体どうやって――」


「見てください! 前に河が!」


 ロヴィーサが言った通り、前方には太い河があって、桟橋の先に小舟が停められていた。

 すぐ傍には粗末な木造りの家があって、どうやら渡し守が川の往来を助けている場所らしい。


 河があり、人の往来と需要があれば橋を作るものだ。しかし、これには金も、人手も掛かる。

 渡し守を置けば往来は可能として、大規模な工事をしない領も珍しくなかった。


 何より、渡し守にもギルドがあって、その利権の元に仕事をしている。

 そのしがらみと反発が、時に橋を作らせない、という問題を起こしている場合もあった。

 渡し守も橋を作られると生きていけないので、ギルドを盾に頑として譲らない。

 下らない話と普段なら一蹴したろうが、レヴィンは今だけ、それに感謝した。


「いいぞ、そのまま飛び込め!」


「だが――!」


 淵魔は水を越えられない。

 水を被せたところで意味はないが、雨が降る日にも淵魔は出ないものだった。


 河まで行けば逃げ切れる。だが、それにはまだ大きく距離が離れていた。

 速度の差から言って、それより前に追いつかれそうだった。

 しかし、確実に逃げ切れない、と断言できない、悩ましい距離――。


 その時、ヨエルが声を上げて馬首を巡らす。

 馬が嘶きと共に、その動きが横へ大きく逸れた。


「逃げろ! 俺が引き付ける!」


 レヴィンを護る為に用意された護衛だ。

 その為に命を張ることを求められている。

 それが分かっていても、レヴィンは顔に苦渋を滲ませ、離れるヨエルへ謝罪の声を投げた。


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