2-44
いつも通りの日だった。
冬至祭の片付けも終わり、年の瀬がいよいよの所まで迫ってきた頃。
前日から降り続いた雪が積もって、白を基調とした街が更に白く染まっている。坂の多い街の道路は融雪剤が撒かれ、案外歩きやすかった。
それでも、いつもより慎重に。コーヒーを溢さないようにゆっくりと歩いた、そんないつも通りの朝だった。
ガタン、
大きな音を立てて椅子が跳ねる。突然立ち上がった結慧に、ちょうど揃っていた全員が目を向けた。
「どうした?」
「――――、ッ」
身体が震える。息ができない。
何か、分からない。だけど、何かが、大きな何かが、
「――――――来る、」
ドォン
空気が震えた。いや、窓が、建物が揺れている。
窓の外から悲鳴が聞こえる。
「何だ!?」
「確認行きます!」
ハンスが部屋から駆け出す。皆窓の方へと目を向ける。ここからでは何も見えない。廊下からも誰かがバタバタと走る音。それがだんだん大きくなって、ダン、と扉が叩きつけられるように開いた。
「魔獣っス!大量発生、中央広場!!」
「避難誘導!市民を頑丈な建物内へ!!」
ハンスの端的な情報に、ウィルフリードが即座に号令。全員が上着も着ずに飛び出していく。
「ユエちゃんはここに、」
「いいえ、私も行きます!」
近くの人を役所に誘導するくらいならできるはず。ウィルフリードもそれ以上何も言わずに走り出す。これ以上は時間が惜しい。結慧もその後ろについていく。
すでに役所に駆け込んでくる人たちを避けて外へ。
冷えきった真冬の空気。そこに混じる悲鳴と怒号と、嫌な気配。
暗く澱んだ、死の気配。
「役所の中へ、急いで!」
前方で誰かが叫ぶ。
結慧もまた建物の窓から顔を覗かせる人に向かって声を張り上げる。
「魔獣です!窓を閉めて建物から出ないで下さい!」
動員された衛兵の魔術師が拡声の魔法で緊急事態を広める声。叫ぶその声に、街中が反応する。外にいた人が逃げていく。
ただ、このあたりは企業が立ち並ぶ商業街。昼間に外に出ている人はそう多くない。被害が大きいとすれば、中央広場にも近い商店街か。
雪に足をとられそうになりながらも走る、走る。
大きな音のする方へ、角から飛び出してそこで、
「――大きい、」
いつか見た魔獣。それよりもさらに大きく、建物の屋根へ届くほどの真っ黒な獣が見えた。
「あ、」
その魔獣の口から飛び出した誰かの足。
それが、呆気なく飲み込まれていく。
衛兵たちが魔獣へと攻撃する。けれど魔獣はびくともしない。大きすぎる。身体に当たる攻撃魔法をそのままに、彼らへと向かって口を開ける。そのまま、
「うそ」
人が消えていく。その真っ黒な口の中へ。
あまりにも大きな魔獣に、小さな人間などひと飲みにされていく。悲鳴すらあげる暇もなく。
ぐん、と手を引かれる。立ちすくんでしまっていた結慧を動かしたのはウィルフリードだった。
「一旦引くよ!魔術機動隊に要請を、」
「っ前!!」
前方。もう一体。逃げる親子のその後ろに迫る巨体。ここからではいくら走っても叫んでも手を伸ばしてもどうしたって届かない。
親子の背中に牙が届く、その一瞬前。鋭い光が真横から走った。衝撃音。水平に落ちた雷に魔獣の身体がぐらつく。
アイクだった。魔獣に向けて構えた手から光が迸る。巨体が怯んだその一瞬の隙をついて、アイクの横からネーターが駆け出して親子の背中を押す。助かった。そう思った。でも、
体勢を立て直した獣が大きな口を開けた。そのまま首をぐんと伸ばしてそして、
「ネーター!!」
「ネーターさん!!」
ネーターの身体が黒に包まれて消えた。結慧の、ウィルフリードの叫びが響く。再びアイクの掌から光が走る。先程よりも強く、鋭い光が魔獣にぶつかるけれどバチンと音がして弾かれる。
もう一度、もう一度
「アイクやめろ!魔力切れで倒れる!!」
「でも!」
諦められない諦めたくない。どの道このままここに居れば食われるだけ。それなら。
汗だくのアイクが全力で放った光に後ろから風が乗った。ぶわりと膨らんで、渦になって魔獣にぶつかる。
魔獣の身体が横に弾かれて建物にぶつかる。衝撃で屋根が吹き飛んだ。
「ウェーバーさん!」
風を起こしたのはウェーバーだった。走り寄ってくる彼もまた汗だくで、泣きじゃくるハンスの手を引いて。
「アーベルさんが、俺を庇って……ッ、!」
食われた。アーベルも。
ぎりりと誰かの歯が鳴る。
「とにかく一度戻るよ。これ以上」
ウィルフリードが言葉を切った。真上から陰がさしたから。
さっき吹き飛ばした魔獣。いつの間にか起き上がってすぐそこ、ウィルフリードの真上で口をがぱりと開けている。
真っ黒な空洞が降ってくる。
「駄目!!!」
駄目。それだけは駄目。
力の限りウィルフリードを突き飛ばした。ほとんど体当たりの格好でぶつかって、代わりに魔獣の真下に入り込んだ結慧に。
暗闇が落ちてくる。
「ユエちゃん!!!」
ウィルフリードの叫び声を最後に聞いた。




