意志の弱い自分とキャッシュレス~現金主義を捨てられない理由
これは批評ではなく自分の話である。
いい年をした社会人で、キャッシュレス化が進んだ今でもしつこく現金主義を貫いている(カードも持っているが年に数回ネット通販で使う程度)。
自分の日頃の行動を振り返ると、nanacoなど、どう考えてもポイントが溜まりそうだし作ったほうがお得では……というカードも(面倒だからというのもあるが)あるが作っていない。
そういう自分も今から十年以上昔、二十歳なりたてくらいの時期には、けっこうカードを使っていたのである。
当時は今ほど還元などはなかった気がするが、感覚として――
自分は使いすぎる傾向があった。
必要なものはいい。使わないものを買うのは別として、問題は「欲しいと思ったし、使える。あるいは飲みたいと思ったから食べたいと思ったから買った(が、どうしてもというほどだったか?と言われると若干微妙で、我慢できる範囲の嗜好品)」である。
もちろん、堅実で、キチッと家計管理ができるタイプのかたであれば、そんなものを「つい買ってしまう」ことなどないのだろう。
だが自分は無理である。誘惑に負けてしまう。
つい、買う。
現金のいいところは、財布のなかに入ってなければ買えないことである。そうでなくても、カバーをつけたスマホ程度の薄さの長財布を使い
「きれいなピン札はできるだけ使わないように」
「硬貨をできるだけ減らすように」
使っていると、
「缶コーヒーのために1000円札崩すのもなぁ」
という気分になったりするのである。
小さなことだが、こういう誘惑が多いタイプにとってはこの小さな積み重ねは「還元されるポイントによる利益」を軽く上回る節約効果はあるのである。
財布の中身をできるだけ減らすことで、買い物の際、踏みとどまる習慣が嫌でもできる。
「ほんとうにあれでいいのか?」
ATMに向かいながら振り返ることができる。
そうすると、いや待てよ?と冷静になることもあるのだ。
不便な手間が、意志の弱い自分にたがをかけてくれる。
買い物依存というほどではないものの、少額の衝動買いをしてしまいやすいタイプには
「カードをもたない」
「財布に金を入れない」
がおすすめである。
レジで金が出せなければ買い物なんかしない。
もちろん、プリペイド方式にして、一定額以上は入れないようにすればカードでも同じかもしれない。が、たとえば千円とか二千円、という小単位は現金では簡単だがカードだとやりにくい気がする。
もはやなんのためにカードにしているのか利便性が無さすぎるではないか。かといってオートチャージなんかしたら、ムダな買い物の抑制には繋がらず意味がない。
もちろん、意志の力だけでムダな買い物を控えられる人間にはそんなものは必要がない。
だが、考えてみれば
カード決済で消費による経済の循環を促すっていうのは、
現金よりカードにしたほうが「よりカネを使う人間が増えるから」成り立つ論理であって、
堀田同様に
あまり意思が強くはなくて、つい買いすぎる、つい……現金のときよりも余計なものを買うようになってしまう人間が(総数としては)増えるから言えることではないだろうか。
ゴタクになってしまうが
そう思うと、やはり、現金支払い主義を続けたいというか
少なくとも自分はカードにすると絶対使いすぎる気がするから
やはり現金のままにしたくなるのである。
コンビニひとつ、自分と同世代かそれより若いかたがレジだと
(なんでこの人カードにしないんだろうって思われてるかなぁ)
などと、ちょっと目線が気になったりしながら
微妙に気まずくなり
カードでのお支払ができません、というクリニックの受付で、(ほら、やはり現金もいいではないか!)などと
アホみたいなことでホッとしていたりする。
このままどんどん時代遅れになっていくのはいやだなあと思いつつ
キャッシュレスの風潮に 反抗心はないが逆行した生活を送っている。