第9球「コンバート」
アイリーンは盾を構えるようにブレッドの後ろに佇んでいる。
警察官が入ってきたことによる禍々しい緊張感が球場内に漂い、ここにいる誰もがただならぬ光景を固唾を飲んで見守っている。
その一方で、リンツたちはさっさとベンチ裏の階段を降り、ホテルへと帰ってしまった。
「断ると言ったら?」
「そのビノーを連行する。次の試合以降に出てきた場合も同様だ」
「それは困るなー。こいつはうちの主力なんでね。簡単に離れてもらっちゃ困るんだよ。どうしても出場させたくないってんなら、ペンギンズは残りの試合全てを放棄する。南東部の警察官に対する抗議って言えば、メルリーグ機構も次の手を打たざるを得なくなる。最悪あんたの職がなくなるかもな」
「俺を脅すつもりか? ならお前も脅迫罪で連行だ」
「上等だ。ジャム、僕が連行されたらメルリーグ機構に今後の試合を全てボイコットすると伝えてくれ」
「分かりました」
「「「「「!」」」」」
ブレッドの発言に周囲の顔が凍りつく。
メルリーグ機構にとって、シーズンを通しての試合ボイコットは、ファン離れの理由になりかねない。メルリーグ創世期以前のアマチュアリーグでは、選手会によるボイコットが発生し、メルリーグ創設後、キング・サルダール・ハルトマンとサイ・クロンが現れるまでの間は、一時ファン離れが発生したことをメルリーグ機構は肝に銘じている。
いつでもメルリーグ機構の急所を突けるブレッドに怖いものはなかった。
「ちょっといいかな?」
黒ずくめの主審の男がブレッドと警察官に歩み寄ってくる。
「何だ審判か。丁度良い、今すぐビノーを退場させろ。二度とグラウンドに戻ってこないようにな」
主審が右手人差し指を立てながら思いっきり振るった。
「良し、それでいい」
「一体何を勘違いしているんですか? 退場するのはあなたです」
「何だと! こちとらお前を公務執行妨害で逮捕することもできるんだぞ!」
「逮捕するのは勝手ですが、ペンギンズの全試合が中止となれば、1番困るのはあなた方では?」
「それはどういう意味だ?」
「警察がメルリーグ球団の全試合をボイコットに追いやったとなれば、全国のファンから苦情が殺到しますよ。そうなれば懲戒免職は免れないかと。メルリーグがこれだけ人気があることを考えれば、最悪の場合、二度と外を歩けなくなりますよ」
「……けっ! ただで済むと思うなよ!」
捨て台詞を吐きながら警察官が球場を去っていく。
既に試合は終了しているが、メルリーグの主審は必要があれば片づけなどの作業を妨害する人を退場させる権限を持っている。
監督と同様にメルリーグ機構に意見する権利を持ち、ロボット審判たちのまとめ役でもある。
冷徹な顔を崩さないまま、黒ずくめで金髪の主審がブレッドと目線を合わせる。
「ありがとう。助かったよ」
「勘違いするな。片づけの邪魔が入ったから退場させたまでだ。グラウンドにまで政治を持ち込むのはナンセンスだ。ルール上は出場を認められている。たとえ警察であっても妨害する権利はない。それにもし全試合をボイコットされたら、我々の立場に関わる問題に発展する危険性がある。あまり無茶はしないでもらいたいものだ」
言葉を残してから主審の男も去っていく。
「アイリーン、大丈夫か?」
「私は大丈夫よ。退場くらいどうってことないわ」
「もし正当な理由もなく退場なんてされたら試合放棄してやる」
アイリーンを安心させようと、ブレッドが満面の笑みで答えた。
それからのペンギンズはラッツを相手に快進撃を続けた。
今度はペンギンズ側から仕掛けた。ブレッドが葵を1番に置くと、敬遠策によって出塁率が一気に上がり、ジョージジュニアは盗塁を気にする投手を宥めることができず、後続を打つ主力が次々とランナーを返し、大量リードしたところで投手陣が幾分か楽になった。鼠打線の盗塁は強肩で守備に隙がないワッフルがほとんど阻止してしまったこともあり完全に沈黙。ラッツとの同一カード4連勝となった。
ペンギンズにとっては、実に3年ぶりのスイープであった。
『ストライクアウト。ゲームセット』
4連戦の最終戦も最後はルドルフが締め括り、ペンギンズは初の完封勝利を収めた。
「よっしゃー! これで4連勝だ。なっ、僕が言った通りだろ。ジョージジュニアは強打者を敬遠する癖があるから、最初から強打者を並べて置いておけば打順が回しやすくなるってわけだ」
「1番葵、2番アリア、3番丸雄、4番マカロンにしておけば、葵が確実に塁に出るお陰で丸雄に回ってきやすいですね。アリアは右打ちもバントも得意ですから、ゲッツーになりにくいですし、強打者が続けば敬遠もし辛いですから、葵と勝負する場面もありました。打順を変えただけなのに、嘘のように勝てるようになりましたね」
「それにみんな配球にも慣れてきたし、やっぱベースボールは頭を使ってやらないとな」
「まあ、社会人チームの監督にしては上出来デス」
「ラーナ、ブレッドはもう立派なメルリーグの監督よ」
「レギュラーシーズンは長いのデス。ポストシーズン進出にはまだまだ程遠いデス」
内心では認めつつも、ブレッドに発破をかけるラーナだが、ブレッドもそれは十分に理解しているかのようにクスッと笑った。そんな時でさえ、アイリーンはブレッドたちの輪に入ることができない。
ペンギンズのベンチから選手たちがぞろぞろとクラブハウスへと戻っていく中、ラッツのベンチにはジョージ親子が対面するように立っている。
「ジュニア、何故負けたか分かるか?」
「俺のリードは完璧だった。後はピッチャーさえ変にプライドを見せなければ全部勝っていた試合だ」
「お前は女房役として大事なことを忘れているぞ。俺たちキャッチャーはデータに従うだけでは駄目だ。ピッチャーの実力を最大限に引き出せ。そうすれば自ずと結果はついてくる。データ通りにやろうとしても、必ずどこかに落とし穴が待っている。葵を敬遠し続けたのは、データでは測りきれないプレイをするからだろ?」
「葵さえ封じれば、ペンギンズ打線は簡単に封じ込められる。俺の心配よりも、自分のレギュラーの心配でもするんだな。ペンギンズで駄目なら、もう居場所はないってこと、分かってるだろ?」
「俺はそろそろ潮時だと思ってる。引退間近のメルリーガーの戯言と思って、聞き流してくれてもいい。時としてピッチャーが持っている情熱はデータを上回ることがある。長年培ってきたデータを調べていく中で導き出された解答の1つだ。じゃあな」
ラッツのベンチから去っていくジョージ。
ジョージジュニアは去年の勝ちきれなかったポストシーズンを思い出す。
――そういえば、あの時もピッチャーの投げたい球を抑えられず、ピッチャーの投げたい球を投げさせてやれなかったとあいつらは言っていた。俺があいつらの可能性を……押さえつけていたというのか。
選手たちがグラウンドを去っていく中、ジョージジュニアだけは下を向き、途方に暮れるのだった。
――1ヵ月後――
4月終了時点でペンギンズは16勝10敗と、例年に比べれば好調なスタートを切っていた。
データに囚われることもなく、ブレッドは相手に応じて柔軟に打順を組み替え、スモールボールがチームに馴染みつつあったが、同時に様々な問題が浮き彫りとなる。
肝心のリードオフマンが定まらず、慣れない外野の守備に苦しむクラップと煌の守備範囲は期待されているものより狭く、外野の守備に大きな課題を抱えていた。
クラブハウスのロッカールームでは、煌が右肩を左手で抱え、腕の中を走るような痛みに耐えていた。
「煌、腕大丈夫?」
煌に寄り添うように歩み寄る葵。
ここまでで6回の先発登板を果たし、序盤こそ好調を維持していたが、徐々に調子を崩し、リリーフが逆転を許したこともあり、1勝2敗と精彩を欠いていた。
「うん、大丈夫」
「ブレッドに話した方が良くない?」
「駄目よ。こんなことを話したら、もう二刀流起用がなくなるかもしれないのよ」
「負傷者リストに入る方がよっぽどまずいと思うよ。5日から10日は試合に出られなくなる。先発ローテーションも崩れるし、DHで起用してもらった方がいいと思うよ」
「DHには丸雄がいるわ。レフトの守備は大変だけど、これくらい何とかなるわ」
「今日もバックホームしてただろ。守備負担が少ないとはいえ、連日体を動かしてからの登板はきついものがあるし、無理だけはするな」
「全く、2人きりでここにいるかと思えば、そういうことだったデスカ」
「「!」」
葵と煌は背中を急冷されるような感覚に陥った。
「ラーナ、どうしてここに?」
「煌、ワタシはピッチャーの1人として見過ごせないデス。いくら魔法科学で怪我がすぐに治るとは言っても、勤続疲労は抑えられないデス。先発は少なくとも中4日、調整時間を充てる方がベストデス」
「……分かりました。一度ブレッドと話してみます」
デビューしたての煌には焦りがある。
レギュラーが確定していない中で、先発の機会を勝ち取り、先発投手兼野手してのリズムを掴みつつあった煌にとって、怪我を疑われることは何としてでも避けたい事態であった。
煌はブレッドがいるアミューズメントルームまで足を運んだ。そこでは数人の選手がビデオゲームや他の競技を模したゲームに興じ、他の人が見えないほど没頭している。
「ええっ! このままじゃ怪我するぅ!?」
「はい。最近は右肩に痛みを感じることがあるので、DHを打たせてもらっても構いませんか?」
「DHか。うーん……できれば守備力のない丸雄にやってほしいけど、ここは丸雄にレフトの守備を任せるか。あいつの打力は惜しい」
「返球だけならできるでしょうけど、外野の守備範囲は確実に狭まりますよ」
「だよなー。じゃあ極力センターに取ってもらうしかねえか」
残念そうに肩を落とすブレッド。立ちながら観戦していたジャムがブレッドの隣に腰かけた。
「煌が右肩に痛みがあると言っている以上、放っておけませんね。登板前後は休ませるか、DHで出場させるかしたほうがいいと思います。それと、クラップにセンターを任せるのも、そろそろ限界かと」
「そうだな。クラップは本来内野手向けだし、慣れない外野の守備でリズムを狂わされて、打撃成績も落としてるからな。ここはファーストをやらせてみるか。あいつはファーストの守備に定評がある」
「でもそうなると、誰をセンターに置くんですか?」
「センターにはアイリーンを置く。リンツにはライトに戻ってもらう」
「えっ、でもセンターは外野における司令塔ですよ。ライトにリンツを置いて、レフトに丸雄を置くとなると、衝突は避けられませんよ。しかもワッフルがマスクをかぶる時は、プレクがレフトを守ることになるんですよ」
ブレッド以上に怖気が走ったのはジャムであった。
ベンチからの支持を受け取る際、内野であればセカンド、外野はセンターが指示を出すことが習わしである。ましてや嘆願書にサインした選手が両翼を守り、嫌悪の対象とも言えるアイリーンをセンターに置くことは、名実共にアイリーンの方が主力であると認めていることを誰もが知る事態となる。
ロッカールームで1人ポツンと座っているアイリーンにブレッドが歩み寄る。
ブレッドがアイリーンの隣に腰かけた。アイリーンが視線を右隣に向けると、ブレッドの横顔から即座に気負いを感じ取った。
「明日からセンターを守ってもらう」
「……本当にやるの?」
「ああ。アイリーンの守備範囲の広さと肩の強さを考えれば、ショートやセカンドが適任だけど、二遊間にはお前の守備力を上回っている葵とアリアがいる。となると残る選択肢は1つ」
「センターということは、必然的に両翼に指示を出す機会が増えるわね」
「レフトには丸雄、ライトにはリンツを置く。逆らってくるようなら僕に言え。お役御免にしてやる」
「そんな余裕あるの?」
「……ない……けど……でもフォーメーション指示に従えないならしょうがねえだろ。ベースボールはチームが一丸にならないと勝てない。最初は内野フォーメーションをいつも通りアリアに任せて、外野には葵に指示を出させることを考えたけど、葵にもアリアにも外野の経験がない。より最適なフォーメーションを組めるのは、外野手としての経験が豊富な人に限る。アイリーンの指示に従わないなら、あの2人はレギュラーから外す」
思い切った選択にアイリーンは一瞬だけ表情を変えた。
「それと、明日からは1番を任せる」
「私がリードオフマンをやるの?」
「ああ。最近はクラップがコンバートの影響で不調だからさ、他の主力を除けば、出塁率が1番高いのはアイリーンだ。だから当分は1番を任せることになる」
「……分かったわ」
どこか安心したような笑みを浮かべるアイリーン。
アイリーンは9番であったものの、打率は3割1分2厘と好調だ。しかし、コンタクト能力に優れていることが災いし、出塁率は3割2分3厘と低く、リードオフマンが務まるほどの選球眼はなかった。
周囲が会話でざわつく中、ブレッドは席を立ち、アイリーンは再び1人になるのだった。
DH制の有無はそれぞれのリーグに大きな傾向の違いをもたらした。ハートリーグは打つ気のない投手、守備力のない野手の補強を行うのに対し、スペードリーグは打てる投手、代打代走を同時に行える控え野手の補強が目立つ。インターリーグでは面白いくらいに顕著な補強の違いを目の当たりにする。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




