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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
第1章 波乱のレギュラーシーズン
48/50

第8球「投手の意地」

 グラブを右にはめた煌は妙な違和感を持った。


 いつもなら右打者相手に投げるはずの腕ではなく、真逆の腕で投げようとしているからだ。


 ワッフルには煌の右腕温存以外に別の狙いがある。左投げになることで牽制がしやすくなり、簡単には盗塁されないことを見越しているのだ。しかし、煌にとってはランナーが目にチラつくことがかえって仇となり、ランナーを気にして度々牽制球を投げた。


 そして4球目の牽制球を投げると、ボールは一塁ベースに釘づけとなっているリンツのファーストミットから少し離れた位置に飛び、慌ててリンツが駆け足で捕りにいく間にアブデルが颯爽と二塁へ向かう。リンツはボールを投げようとするが、寸前で諦めるように手を止めた。


 ――何やってるのよ煌。初登板とはいえ、あまりにもランナーを気にしすぎよ。


 あからさまに動揺している煌を気にかけるワッフル。


 ワッフルが外角高めに構えるが、煌は焦ったまま投げてしまい、ストレートがど真ん中に入った。


 ――甘いっ!


 ジョージジュニアが左中間にライナーを飛ばし、打球をスライディングキャッチしたプレクが葵に返球する頃には、アブデルが歯を見せながら先制のホームを踏んでいた。


 二塁をややオーバーランしているジョージジュニアがまた二塁ベースを踏んだ。4番の正捕手ながら盗塁の構えを見せ、5番ブラッドを迎えた。


 煌は左投げに徹するが、ランナーが気になり、再び制球が乱れた。煌は3球目をセンター前に運ばれ、ジョージジュニアがホームへと生還し、ラッツベンチにいるチームメイトたちとハイタッチを交わした。


「よしっ、これで2点目だ。煌をノックアウトしたら、今度は弱小リリーフをとっちめるぞ」


 ワッフルがタイムを取り、再びマウンドまで上がった。


「どうしたんですか?」

「煌、あんたこのままじゃ下ろされるわよ」

「でもランナーを牽制しないと、盗塁されてしまいます」

「さっきみたいに牽制球が逸れたら元も子もないわ。ランナーはあたいがどうにかする。だから煌、あたいを信じて。あんたはバッターに集中すればいいの。そうすれば誰も打てないわ」

「ワッフル……」


 これ以上は何も言わず、キャッチャーボックスへと戻っていくワッフル。


 煌の瞳には、ワッフルの背中はあまりにも大きく見えた。


 プレイが再開されると、ランナーには目もくれず、ギアを上げた煌の前に、6番セクターは空振りとファウルで2ストライクに追い込んだ。次の投球でブラッドが走り出すと、ワッフルは外角の外に外れたストレートを空振りさせ、ボールをキャッチすると同時に素早く持ち替え、二塁に一直線に送球を飛ばした。


 ショートの葵がボールを受け取り、ブラッドにグラブタッチを決めた。


「すげえ! 三振ゲッツーだ!」

「流石は去年まで正捕手を務めただけあって、ピッチャーのメンタルをうまくコントロールしていますね」


 続く7番ティラミスが右方向へとライナーを飛ばした。ヒット性の当たりだったが、アイリーンがライト線に向かってスライディングキャッチを決めた。


「ちっ、ビノーのくせに生意気なプレイしやがって!」


 愚痴を吐きながらベンチへと戻るティラミス。


『スリーアウト。チェンジ』


 再びジョージがマスクをかぶると、7回からマウンドに上がっていたラッツのリリーフエース、ダイ・ダイソンが歩み寄ってくる。


「おい、俺は葵を敬遠する策に応じたんだ。次の煌とは勝負させろよな」

「駄目だ。煌の長打力は底が知れない。ボトムリーグではピッチングを兼ねていたこともあって調子が上がらなかったようだが、もし煌がバッターに徹していれば、シーズン60本は堅いだろう。お前がまともに勝負して抑えられる相手じゃない。煌はボール球で攻めて、丸雄にゴロを打たせてゲッツーにするのが無難だ」

「……」


 不満そうにグラウンドに出ていくジョージの後姿を睨みつけるダイ。


 ジョージはまるで昔の自分を見ているかのように、この光景を見守っている。


 ジョージジュニアもまた、ジョージと同様にキャッチャー主体のリード戦術を好み、そのために多くの投手から不評を買っていた。


 ジョージジュニアが正捕手になってからはチーム防御率こそ下がったが、名立たる強打者を前に屈するように敬遠したり、フォアボール前提の投球を要求する姿に、投手陣たちの間では不満が溜まっていた。長く感じた7イニング目を終えた煌が歩きながら深呼吸をしていると、ワッフルが隣に歩み寄ってくる。


「ナイスピッチ」

「ワッフルもですよ。ナイスリードでした」

「お疲れ。次の回から交代だ。よく投げてくれた」

「ありがとうございます」

「初登板が7回を投げて2失点か。いきなりハイクオリティスタートなんて……やるじゃん」

「デビュー戦で猛打賞を打ったお兄ちゃんには敵わないわ。このままじゃ負ける。油断禁物よ」

「次は煌からの打順だろ。最後に自援護してこい」


 葵が煌の背中を軽く押した。葵と煌にとっては個人成績など副次的なものでしかなく、チームが勝利することを何よりの喜びとしている。


 健気にも気に入ったチームでプレイしたい気持ちもあるが、それ以上に勝ちたい気持ちもあり、長年にわたってペンギンズを支え続けてきた葵にとって、煌には同じ境遇でいてほしくはなかった。


 8回表、葵の気も知らないまま、煌が打席に立った。


 ジョージジュニアはボール球を要求するが、ダイは首を横に振った。ダイにとって強打者をボール球で攻めることを前提としたリード戦術は無難でも何でもなく、ジョージジュニアによる自信のなさの表れでしかなかった。仕方なくストライクゾーンへの球を要求し、ダイがようやく頷いた。


 煌は勝負する気があることをすぐに察知し、ライト線に大きな飛球を放った。


『ファウルボール』


 思わずホッとするダイ。そこにジョージジュニアが迫ってくる。


「ダイ、何故煌と勝負しようとするんだ?」

「俺は葵とも煌とも勝負して打ち取りたいんだ。だってそうだろ。ピッチャーなら、誰だって強打者を打ち取りたいって思うもんだ。キャッチャーのお前には分からないだろうが、俺たちピッチャーには意地ってもんがあるんだ。頼むから勝負させてくれ」

「駄目だ。さっきのストレートだが、あと3センチ右に逸れていたら、間違いなく右中間に消えていたぞ。監督も俺の方針に賛成している。俺たちの目的は強打者とスリル満点の勝負を楽しむことじゃない。無失点に抑えてゲームに勝利することだ。違うか?」

「……」


 黙ったままジョージジュニアがキャッチャーボックスへと戻った。


 煌は今日最後の打席であることを自覚し、長いタイムを待つ中でも集中を保っている。ジョージジュニアはそんな煌の状態から好調の兆しと判断し、再び内角低めにツーシームのボール球を要求する。


 しかし、ダイは頷きながらもストライクゾーンの内側いっぱいに渾身のツーシームを投げた。


『ストライク』


 煌がボールを見送ると、ロボット球審がキャッチャーから見て右方向を指差した。


「息子のデータ管理は完璧だな」


 ふと、ジョージがブレッドの隣の席から呟いた。


「だがピッチャーのプライドを考慮した配球にかけてはまだまだ未熟だ。キャッチャーが女房役と言われる所以は、何よりピッチャーの感情をコントロールする役割にある。あいつのリード戦術に従ってさえいれば、失点のリスクは最小限で済む。だがそれは強打者と勝負する機会がなくなり、ピッチャーとしての醍醐味が失われることを意味する。このことに不満を覚えるピッチャーがいることをあいつは知らない。本来ピッチャーとは、バッターが強ければ強いほど、勝負したがる性分だからな」

「ピッチャーは気分屋が多いから、時には思い通りに投げさせた方が本領発揮することも多いのよね。あたいはピッチャーもやっていたからよく分かるわ」

「息子は昔の俺に似ている。去年のラッツがポストシーズンで勝ちきれなかった原因はそこにある」


 ――煌はインコースに弱点がある。ここにボール球になるかどうかの配球をすれば、最悪フォアボールにはなるが、ホームランの危険性は最小限で済む。


 再びジョージジュニアが内角低めにキャッチャーミットを構えた。


 ダイが渾身の投球を見せた。しかし、ツーシームは内角から真ん中へと入っていく。


 煌の目が一瞬大きく開き、左中間に大きく飛んだ。


「良しっ! ホームランだ!」


 ブレッドがベンチフェンスに前のめりになるが、打球はあと少しの距離で、反り立つ壁に鈍い音を立てながらぶつかり、煌は慌てて二塁まで進んだ。


「あちゃー、他の球場だったらホームランだったなー」

「コロッセウム・コロシアムのフェンスは反り立つ壁と呼ばれていて、とても高いためにホームランが出にくいんです。あれもラッツがスモールボールになった理由です。全試合の半数をここで行いますから、本塁打率は格段に下がります。ですから長打力が発揮されにくい分、フェンス直撃弾が多いことを考えれば、足を活かして1つでも多くの塁を狙う方が得策です」


 6番丸雄は敬遠となり、7番のリンツはスイングに力が入り、丸雄と一緒にゲッツーに取られた。


 2アウトランナー三塁、8番のプレクは今日の試合でまだ当たりがない。ブレッドはプレクにスイングをしないようサインを送った。


 ダイはランナーがいることへの焦りからか、体の小さいプレクに対してストライクが入らない。スリーノーとなり、ジョージはボール球を要求するが、それを拒否するように外角低めにストレートを投げた。


 小柄なプレクにとって低めの球はかなり打ちやすい位置だ。コンパクトにスイングを決めると、綺麗にボールを捉え、ライト前にタイムリーヒットを放った。見事な右打ちが決まり、煌が悠々とホームを踏んだ。ブレッドたちとハイタッチを交わし、最後に葵とハイタッチを決めた。


「良しっ、まずは1点。見事に自援護したな」

「ランナーとしてだけどね。後は頼むわよ」

「いや、僕が決めるまでもないよ」

「えっ?」


 アイリーンが打席に入ると、再びブーイングが始まった。


 ジョージジュニアはマウンドに上がり、ダイに詰め寄った。


「分かっているとは思うが、あのアルビノにはデッドボールを投げろ」

「お前正気か? 次のクラップを打ち取ったとしても、9回は葵からの好打順になるぞ」

「監督命令だ。プレクはキャッチャーながら盗塁技術を併せ持つ。足は全キャッチャーの中でも速い部類だ。ブレッドは8番と9番にリードオフマンを置くことで、上位に繋いだ時の破壊力を高めている」

「ビノーに長打力はない。楽に打ち取れば何の問題もないだろ。いいから戻れ。デッドボールだけは絶対要求するな。このまま出塁を許したら、ビノーから逃げているみてえだ」

「どうなっても知らんぞ」


 ジョージがキャッチャーボックスに戻ると、試合が再開され、アイリーンは慎重にボール球を見た。


 デッドボールがないことを確認すると、アイリーンは踏み込むように腕に力を込めた。


 ――ここで私が決めないと、再び流れを相手に渡してしまう。あの目、次はインコースね。コントロールが優れているみたいだけど、それは同時に……コースを予想されたら打ちやすい投手でもある。


「「「「「!」」」」」


 思いっきりバットを振り抜くと、アイリーンは腕に確かな手応えを感じた。


 ライト線をなぞるような飛球が空高く舞い上がり、ライトを守るレアが少しずつ下がっていく。


 ただのライトフライになると確信しながら後退りをするレアだが、ボールが落ちてきたところで、反り立つ壁に背中をついた。


「えっ――」


 レアがボールを見失ったと同時に、歓声が一気に沸いた。


 見上げた先にある反り立つ壁の先端によってボールが見えなくなることは、外野手にとっては最悪の事態を意味していた。


「嘘……だろ……ビノーがこの俺から……逆転2ランだと」


 呆然とするラッツの選手たちを尻目に、アイリーンは颯爽とダイヤモンドを1周する。


 アイリーンはマウンド上で肩を落とすダイをチラッと見ながらホームインするが、プレクはアイリーンとのハイタッチを当たり前のように拒否する。


 代わりにベンチから近い位置にいたブレッドどジャムとハイタッチを交わし、アイリーンは一瞬だけではあったものの、今まで緊張から強張っていた頬を緩ませた。


「すげえよ。お前ホームランも打てたんだな」

「エステルさんからはホームランを狙わないように言われていたの。打率が下がっちゃうからって」

「でもそのお陰で、相手の油断を誘うことができた。これで3対2だ」


 アイリーンのシーズン初本塁打にもかかわらず、観客たちはブーイングを続けていた。


 だが試合の流れは完全にペンギンズ側に傾いており、事の重大さを知ったダイは再びジョージジュニアのリードに従うが、時既に遅し。ラッツ打線はリリーフエースのエリオ、クローザーとなったルドルフを前に沈黙してしまい、3対2でゲームセット。鼠打線を攻略したペンギンズの勝利となった。


 しかし、そこに1人のしわくちゃで青と黒を基調とする制服を着た警察官がガムを噛みながら球場に乱入してくる。分厚い帽子には、メルへニカ警察の紋章である桔梗が描かれている。


 ライトから戻ってきたアイリーンの前に立ち塞がる警察官。


「球場から出ろ。ここはお前のようなビノーがいるべき場所じゃない」

「おい、ちょっと待て。こいつが何をした?」

「ここは南東部だ。ビノーは他の者と一緒にプレイしちゃいかん。まさか本当に出場させるとは思わなかったけどな。さあ、早くビノーに球場から出るように言え」


 眉間にしわを寄せるブレッドが警察官に詰め寄った。

 メルリーグで使用されているボールは、創成期よりスポーティングウィトゲンシュタインにより提供され続けている硬球である。当家自慢のウェルデウス牛皮が使われ、丈夫で滑りにくい。魔法科学による質量加工により、全てのボールは150グラム、円周25センチで寸分の狂いもなく統一されている。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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