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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
第1章 波乱のレギュラーシーズン
47/50

第7球「鼠の小技」

 アブデルは煌の速球に対処するべく、バットを短く持った。


 打つのではなく当てるようにスイングをすると、煌の170キロオーバーのストレートを捉えた。リンツが捕ろうとするが、ボールは一二塁間を抜けてしまった。


 リンツがアブデルが悠々と一塁ベースを踏むと、気取った顔でリンツに話しかけた。


「お前、確かライトじゃなかったか?」

「監督の気まぐれにつき合わされてるだけだ」

「ビノーにポジションを取られるなんて、情けねえよなー」

「うるせえ。舐めてると痛い目を見るぞ」

「おーこわ。貴族様に逆らうなってか。はははははっ!」


 歯を見せながら一塁ベースを離れると、帰塁の素振りすら見せないまま、4番のジョージジュニアが打席に入り、バットを横に構えた。


「ランナーが出ちまったか。でも2アウトだし、初回は抑えられそうだな」

「そうとも限りませんよ。ラッツはスタメン全員が盗塁王を狙える選手ばかりです。それを裏付けるように、2アウトからの得点率はリーグ3位。ピッチャーは足を警戒するあまり速球で抑えようとしますが、速球はジョージジュニアにとっては絶好球です。リンツの守備も気になりますし、やはり外野に置いた方がいいのでは?」

「いや、あのままでいい。リンツが成長を見せるまではファーストをやらせるつもりだ」


 ――リンツはパワーと強肩を持つが、打撃不振の上に不慣れなファーストを守っている。煌を相手にフライボールを上げるのはきついが、俊足のアブデルが一塁にいるのは幸いだ。逆方向に打つよう指示を出したのは正解だった。ペンギンズは投手力こそ低いが、守備陣はかなりのものだ。特に二遊間コンビのアリアと葵からセンター前へのヒットを打つのは困難だ。三遊間にも葵の守備範囲の広さが活きる。ならば狙うは1つ。


 カウントがワンワンとなり、煌は外角へと外れるスライダーを投げた。


 しかし、これもジョージジュニアの計算通りだった。もらったと言わんばかりに、一二塁間を破るヒット性の打球を放った。打球音がしっかりと聞こえたアブデルは快足を飛ばし、二塁ベース足を踏み込んだ勢いに乗り、三塁までをも陥れようとする。


 ジョージジュニアが一塁ベースに辿り着くと、信じられない光景を目にする。


 アイリーンが既にスローイングの体勢に入っており、ジョージジュニアは三塁方向に向いているその指先を確認した途端に肝を冷やした。


『アイリーンがボールを取った。アブデルが三塁へと向かう。ライトから投げられたボールが勢い良く三塁に投げられタッチアウトー! 何と何と! 三塁に着く直前の俊足アブデルをアイリーンが刺してしまったぁー! これはウィッチ・ロウがデビューした頃に見せたレーザービームを彷彿とさせるー! 氷の上を高速で滑るペンギンのようなノーバン送球だ! ビューティフォー! ペンギンキャノン!』


 アイリーンの柔らかいスローイングから繰り出されたストライク送球が彗星の如く一直線に三塁へと向かい、サードを守るマカロンのグラブに収まり、アブデルをタッチアウトにしたのだ。


 呆然としたままアイリーンを凝視するアブデル。


 だから言わんこっちゃないと心底で呟き、リンツはアブデルの後姿を笑ったまま見届けた。


 これには両軍ベンチも呆気に取られ、全員が口を大きく開けながらアイリーンのフォロースルーを直視する。


 ライトスタンドからアイリーンに向かって絶え間なくぶつけられていたブーイングは、いつの間にかどよめきへと姿を変え、しばらくは観客の誰からも言葉1つ出てこなかった。


「……あいつ肩つえー」

「葵を刺した時も驚いたけど、あんなに速くて正確な送球が投げれるなんて」

「ブルーソックス戦まではヒットエンドランも犠牲フライもなかったからな。だからみんなあいつの潜在能力に気づけなかった。それにあいつら、アイリーンのことを完全に舐めきってた。ざまあみろだ」


 ベンチに野手陣が集まり、打撃の準備が始まった。


 ブレッドとジャムとハイタッチを交わすアイリーン。


 アイリーンは9番ということもあり、ベンチの椅子に音もなく座った。ジャムはマカロンにホームランではなく出塁を狙うように指示を出し、打順の巡りを円滑にする作戦に打って出た。


「外野も慣れてるのか?」

「アルビノリーグにいた時は、毎年チーム構成が変わっていたし、誰もメルリーグでプレイすることなんて考えてなかったから、それで色んなポジションをこなせる人が多いの。私はその中の1人にすぎないわ」

「ユーティリティーの宝庫か」


 2回表、4番マカロンから攻撃が始まるが、ジョージジュニアのリード戦術を前に凡退させられた。5番の煌が打席に入ると、鋭い当たりのファウルボールが続き、ホームランを警戒したジョージはボール球を要求し、打たせる気がないことを見切った煌はフォアボールを選択する。


 6番丸雄が打席に入ると、煌が一塁ベースから離れ、バッテリーの注意を引きつけた。


 初球から煌が走ると、ジョージジュニアはすぐに送球を行ったが、煌は盗塁を想定していなかったアブデルのタッチが遅れたこともあり、間一髪セーフとなった。


 得点圏にランナーが入ったことで、丸雄の目の色が変わった。


 ――しまった。丸雄は得点圏打率だけはメルリーグでもトップクラスだ。こいつをこのまま打たせるわけにはいかない。ここは敬遠して、リンツとプレクと勝負だ。


 ヨハンがジョージジュニアからのサインに従うも、心底では妙に納得がいかないくらいの違和感が漂い、目の前で敬遠されたことにリンツが腹を立て、怒りを抑えながらバッターボックスに入った。敬遠されるとプライドに触り、本来の打撃ができなくなることをジョージジュニアは見抜いていた。


 プレクは打者の手元で微妙な変化を見せるツーシームに苦しんだ。内角へのツーシームを打たされ、足の遅い丸雄と共にゲッツーとなった。


「くそっ!」


 バットを地面に叩きつけ、悔しさを露わにするリンツ。


 再びマウンドに上がる煌だったが、ワッフルのリードに従い、次々と打者を三振に打ち取った。170キロを超えるストレートはメルリーガーの中でも特に速い球速ということもあり、手も足も出ない。下位打線に入ってからは当てるのが精一杯な打者が続き、煌は本来の球速よりも10キロほどスピードを落とした。


「さっきよりも球が遅いな。もしかしてもうばてたのか?」

「いや、あれはうちの下位打線に打力がないと見切って手を抜いている。流石は二刀流なだけあって、ホットポイントを見抜いているな。50%の力で抑えられる相手に対して、わざわざ100%の力を出す必要はないということだ。なるべく長く投げ続けることが先発としての役割だということを理解している」


 ラッツ監督のグリークが早くも煌の真意を冷静に見抜いた。


 一方で燃え上がるような嫌悪の眼差しをアイリーンに向け、グリークの視線に気づいているアイリーンはあえて相手のベンチを見ないよう心掛けていた。


 3回裏、8番プレクが凡退すると、1アウトランナーなしの場面でアイリーンが打席に入った。


 待ってましたと言わんばかりに観客からはブーイングの嵐が飛んでくる。


「ザークセルに帰れビノー!」

「お前なんかいらない! さっさと帰れー!」


 ブーイングがアナウンスを掻き消してしまうほど大きく、ほとんどの観客には全く聞こえなかった。


 外野スタンドからはゴミが投げ込まれ、辺りはポップコーンの袋やコーラの紙コップが散らばり、試合を一時中断しなければならないほどの騒ぎとなった。


 ロボット警備員が数人の観客を退場処分にし、普段はボールボーイに代わってボールを取りにいくことが日課の清掃ロボットが、散らばったゴミを地道に回収する。


 10分が経過してから試合が再開された。


 いつもとは異なるジョージジュニアからの指の動きにヨハンが頷くと、腕を大きく振りかぶった。


 アイリーンの頭部付近にストレートが飛んでくる。だがヨハンの目の動きからデッドボールを予測していたアイリーンが倒れながらボールをかわした。ジョージジュニアはデッドボールを浴びせる必要を特に感じていなかったが、グリークがアイリーンのためだけに用意した専用のサイン通りに投げさせた。


 スリーノーとなり、ストライクゾーンに投げるメリットはどこにもなくなっていた。


 ――良しっ、ここから勝負しても、どうせヒットを打たれるかフォアボールになる。ここはビノーに出塁させてやろう。デッドボールでな。ふはははは!


 グリークの思惑通り、ボールはアイリーンの足に音を立てながらぶつかり、その場に倒れ込んだ。


「アイリーン!」


 ブレッドが叫びながらベンチを飛び出した。


『両軍警告』


 ロボット球審がペンギンズとラッツのベンチを両腕の指で差した。故意のデッドボールが発生したことで、以降は意図に関係なく、デッドボールが決まれば監督が退場処分になることを意味していた。


 アイリーンはボールが当たった箇所を手で押さえ、ゆっくりと立ち上がり、一塁ベースに向かった。


「おせーんだよビノー!」

「遅延するんだったら出てけー!」


 アイリーンは足の痛みで思うように走れない。


 タイムもできないまま、1番クラップを迎えた。


 あの足の痛みでは到底走れまいと、高を括っているジョージジュニアがチェンジアップを要求する。だがヨハンが投球モーションに入った途端、アイリーンが痛みをこらえながらも走り出した。


「何っ!」


 動揺したジョージジュニアはチェンジアップを捕球できず、バウンドしたボールが後ろに逸れた。


 その間にアイリーンは二塁を陥れた。クラップがアイリーンに向かって頷くと、アイリーンも同様の動作を返した。続くストレートに対してクラップはわざと大振りし、ジョージジュニアの送球を僅かに遅らせた。


『セーフ』

「良しっ、流石はアイリーンだぜ!」

「お前、命が惜しくないのか?」

「ハッ、何言ってんだよ。お前こそ、自分の意に反するプレイしてて、何とも思わねえのかよ」


 ジョージジュニアの言葉を意に介さず、思いのまま言い返すクラップ。


 ムッと眉間にしわを寄せながらも、再び冷静さを取り戻したジョージは気を取り直し、クラップに外野フライを打たせた。足に自信のあるアイリーンはフライキャッチと同時に三塁を蹴った。


 しかし、センターを浅めに守っていたニックの矢のようなバックホームを前に、間一髪のところで送球を取ったジョージジュニアにグラブタッチされ、ダブルプレーとなった。


「あのセンター、肩強いな」

「ニックはゴールドグラブ賞中堅手部門に毎年ノミネートされています。足の速さを活かした守備範囲の広さが売りであるラッツの中でも群を抜いて外野守備が上手いんです」


 5回表までは両軍無得点のまま、煌とヨハンによる投手戦が続いた。


 ラッツはスイッチピッチャーである煌を前に、得意のプラトーンシステムが全く通用せず、投げる腕を休ませることができるため、スタミナを保ちながら左右でタイプの変わる投球で、鼠打線と称されるラッツを手の上で転がすように翻弄する。


 右投げでは速球で、左投げでは変化球を駆使し、ジョージジュニアによるシングルヒット以降は全てノーヒットに終わっている。


「煌もすげえけど、タイプがスイッチしてもリードができるワッフルもすげえな」

「ワッフルは一度覚えたボールを忘れません。しかもバッターの様子から、どんな球を待っているのかを見抜くことができるんです。守備に関して言えば、全く隙がありません」

「打撃以外は非の打ち所がないんだけどな」

「ワッフルを守備に専念させたのは正解でしたね」

「ああ……問題は煌の方だな」


 ブレッドの懸念した通り、煌の快進撃は長く続かなかった。


 7回裏、両腕合わせて106球を投げていた煌は肩で呼吸し、頬には透明な汗が伝っている。


 ワッフルがタイムを取り、マウンドに上がった。煌とワッフルは近くで向き合い、それぞれのグラブとキャッチャーミットで口を隠す。


「煌、ここは奪三振じゃなく、打たせて取るピッチングに変更するわよ。右腕で79球も投げてるし、ここはまだそこまで投げていない左投げでいくわよ」

「3番はスイッチヒッターのアブデルですよ。4番は右打ちのジョージジュニアもいますし」

「心配しないで。ここはあたいを信じて。あんたの初登板なんだから、簡単には負けさせないわ」

「……はい」


 疲労が溜まっている右腕を温存し、2番ニックを打ち取った後、アブデルが右打席に入った。


 煌は疲労からコントロールが定まらず、スリーノーになった。煌は内角に向かってストレートを投げるが、150キロオーバーで右腕よりも遅いストレートにラッツの選手たちの目がようやく慣れてきたのだ。


 ――よっしゃー、貰ったぁー!


 スイングした球は葵とアリアの間を抜け、センター前ヒットになった。


 ブレッドたちにとって、恐れていた事態が起きてしまった。


「遂にランナーを出してしまったか」

「どうします? 交代させますか?」

「いや、ここは様子を見る。ワッフルは肩も強いし、簡単には盗塁できないはず。全員がリードオフマンのチームって聞いていたけど、いざランナーが出ると、バッテリーにとってはプレッシャーかもな」


 ジョージジュニアはバッターボックス後方の線を足で塗り潰し、バットを構えた。

 メルリーグでは建国歴11993年から故意四球のルールが変わった。申告敬遠導入と同時に、同一の投手が同一の打者に対し、故意死球、もしくは一度もストライクが記録されない四球が2回記録された場合、投手は降板しなければならないルールが導入された。これは故意死球及び逃げ腰の投球を抑止するためである。建国歴11992年ワールドシリーズにおいて、マッツ・ボンズに対する5打席全打席敬遠による勝利が社会現象となった影響が大きいと見られている。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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