第6球「両投げの新人」
翌朝を迎え、昼の12時からは試合開始となる。
デーゲームは午前12時、ナイトゲームは午後6時から開始することが決まっている。
試合前には魔法によって雨が降らないように、上空の雲が取り払う処置が行われ、球場を取り囲むように設置された4つの魔法結界装置を作動させる。
ペンタメローネ・ラッツとの4連戦幕開けを前に、ブレッドたちには緊張感が走っていた。
小さな鼠が描かれた白いユニフォームを着用する選手たちがアイリーンに憎悪の眼を向け、ラッツファンたちも同調するように視線を送っていることで、より一層緊迫感が増している。
ブレッドがクイッと指を動かし、アイリーンを呼び寄せた。
「クラップ、今日はお前が1番だ」
「えっ、俺が1番?」
「ああ。クラップは打てそうにない時、ちゃんとフォアボールを選んでる。良い選球眼だ」
「俺の実力じゃ、エース級のピッチャーからはなかなか打たせてもらえねえからな。だから塁に出て、後ろに打ってもらう方がずっと良いと思っただけだよ」
「結構リードオフマンに向いてるかもな。走力は並だけど、それ以上に大事なのは出塁率だ。後ろに葵がいれば勝負されると思うけど、いざという時は必ず打ってくれるし、バントもできるならなおよしだ」
「任せとけって。バントなら問題なくできるぜ。スタメンを勝ち取るために結構練習させられたからな」
愛想笑いを浮かべるクラップだが、気さくな割に地味という印象を持たれがちだ。
スタメンとサブの狭間にいる選手たちはスタメンになりたいがために、様々なポジションを習得し、出場機会を増やすためにバントや盗塁の練習までする。
器用貧乏と言ってしまえばそれまでだが、クラップにはそんなことを考える余裕などなかった。致命的な弱点もないが、特筆すべき長所を持たないことがそのままクラップの足枷となっていた。
コロッセウム・コロシアムの外野フェンスは、メルリーグ球場の中でも屈指の高さを誇る反り立つ壁が建ち、見る者全てを圧倒する。
他の球場であればホームランとなる当たりが、ここではフェンス直撃の打球となることも少なくない。ラッツ監督のグリークはそれを見越してか、いずれのポジションにも強肩俊足の野手を置いた。
【オリュンポリティア・ペンギンズ・スターティングラインナップ】
打順 ポジション 選手名
昨シーズン成績 ※はボトムリーグ及び外国リーグでの成績
1番センター クラップフェン・オリークック
.290 9 35 8 .841
2番ショート 椎名葵
.363 42 85 46 1.178
3番セカンド アリア・レチタティーヴォ
.309 12 69 15 .786
4番サード マカロン・クラックレ・ダミアン
.281 26 74 22 .948
5番ピッチャー 椎名煌
※.279 18 53 11 .854
20 6勝4敗 3.22 212 1.42
6番DH 江戸川丸雄
.272 19 82 0 .893
7番ファースト リンツァートルテ・クレス・フォーゲル
.231 6 38 5 .623
8番レフト プレクムルスカ・ギバニツァ・コシッチ
.221 3 23 28 .709
9番ライト アイリーン・ルーズベルト
※.350 0 29 78 .769
先発捕手 ワッフル・オベリオス
.216 5 35 3 .534
【ペンタメローネ・ラッツ・スターティングラインナップ】
打順 ポジション 選手名
昨シーズン成績 ※はボトムリーグ及び外国リーグでの成績
1番ショート ケン・ブリッジ・ジュニア
.269 8 44 45 .732
2番センター ニック・ニクソン
.265 5 51 37 .719
3番セカンド アブデル・アブドゥルマリク
.278 13 68 39 .799
4番キャッチャー ジョージ・マッケンジー・ジュニア
.291 18 96 30 .963
5番DH ブラッド・ブライアント・ブラゼル
※.239 15 69 14 .802
6番サード セクター・セクソン
※.223 9 35 15 .732
7番ファースト ティラミス・カンペオル
.253 3 39 27 .613
8番ライト レア・ベイクド・スフレ
.182 6 28 29 .597
9番レフト マスカル・ロンバルディア・ポーネ
.196 2 23 38 .528
先発投手 ヨハン・ヨハンソン
35 12勝6敗 3.13 156 1.28
「私が3番っ!?」
「僕が……下位打線?」
「アリアはよく打ってくれるけど、早打ちだから球数を投げさせる役割は向かない。どっちかって言えば、ランナーがいる時に繋ぎのバッティングをする方が向いている。リンツは絶不調みたいだし、トンネルから抜け出すまでは7番を打ってもらう。ていうかいつから不調なんだ?」
「デビューしてからずっとだ。悪いか?」
「悪いに決まってんだろ。このまま不調が続くようなら、控えの選手と日替わりで起用することも検討しないといけないんだぞ」
「……」
リンツはブレッドから目を背けながら俯いた。
皮肉なことに、ペンギンズでリンツよりも打力に優れた野手は限られている。
本来であれば、DFAになっていても何らおかしくないリンツだったが、葵たちから見れば敵陣営の一員でしかないリンツを何故ブレッドが起用し続けるのかが分からず、理解に苦しんでいる。
ジョージに歩み寄り、隣に座るブレッド。
「なあ、ジョージ・マッケンジー・ジュニアって――」
「俺の息子だ。キャッチャーでありながら、リードオフマンとしての資質を持つ。17歳でメルリーグデビューを果たした後、キャッチャーとしてはメルリーグ史上6人目となる新人王と盗塁王の同時受賞だ。俺の若い頃と比べると、パワーでは劣るが、スピードは俺よりも上だ。俺が言うのも何だが、かなりの腕前だ」
「攻撃でも守備でもリードができるキャッチャーか。ジャム、守備力の方はどうなんだ?」
「守備もかなり堅実です。ジョージジュニアが正捕手になってからは、どのピッチャーも防御率が下がってますから注意が必要です。極めつけは弾丸のような送球ができる強肩。葵の盗塁を阻止したこともあって、それでついたあだ名がジョージキャノン。奇しくも昔のジョージのあだ名を継承する形になっていますね」
「主力で頭も使えるのか。厄介な相手だ」
1回表、ペンギンズの攻撃から始まると、クラップが打席に入った。
「よお、久しぶりだな」
「お前、アルビノがいるチームに行くなんて、ホント変わってるな」
「……生憎だけどよ、俺は実力さえあれば、それ以外のことはどうでもいいと思ってる。アイリーンには気をつけた方がいいぜ。舐めてると今に分からされるかもな」
ロボット球審からプレイボールの合図が出ると、明るい紫色のボブヘアーを靡かせているヨハンが第1球を投じた。内角低めのコーナーに151キロのストレートが決まった。
――クラップは初球様子見をする癖がある。しかも内角低めの初球を見逃す確率に至っては79%だ。致命的な弱点こそないが、それはあくまでも能力面の話だ。特筆すべき長所がなく、追い込まれると急に弱腰になるところが、こいつの最大の弱点だ。つまり、クラップの攻略法は、早い段階で追い込み、空振りを誘うことだ。
ジョージジュニアはクラップの打撃傾向を正確に分析し、父親譲りのデータ分析を巡らせた。
2球目と3球目はストライクゾーンギリギリに投げ、4球目に投げた内角高めのカーブはライト線へと切れるファウルボールとなり、カウントはツーツーとなった。
――そして追い込まれたクラップが焦りから外角の球を振りにくる確率……94%。
外角中央から入ってきたボールが減速しながらストンと落ち、バットに空を切らせた。
『ストライクアウト』
球審ロボットが左腕の握り拳を前方へと伸ばし、観客からは歓声が沸いた。
「ちっ、フォークボールかよ」
バットを持ちながらベンチへと戻っていくクラップ。
「やはり読んでいたか」
「データ分析のやり方はあいつが幼少期の頃から俺が教えていた。ポストシーズンではあまり通用しないが、レギュラーシーズンでは体力温存のために最も馴染んだ動き、つまり、データ通りの動きをする選手が多い」
「なるほどな――!」
ブレッドたちが目撃したのは、キャッチャーボックスから立ち上がり、左打席に入った葵とは真反対の方向へと離れたジョージの姿であった。
「いきなり敬遠かよ」
「でもラッキーですよ。葵が塁に出れば、盗塁でバッテリーに揺さ振りをかけられます」
「だがそれは、息子も計算済みのはずだ」
――親父、そこで見ていろよ。俺は必ず、親父を超えるっ!
ジョージが指でヨハンにサインを送り、初球からストレートで攻めた。ストライクゾーンからややズレたボールをアリアは打とうともしない。
カウントがバッター有利のスリーノーになったところで、ジョージがニヤリとマスク越しに笑みを浮かべた。
ジョージはど真ん中へと要求し、ヨハンが軽く頷いた。投げたボールは要求通り勢いをつけ、ど真ん中へと一直線に飛んでいく。
――! 駄目っ!
何かに気づくアイリーン。だがもう遅かった。
真ん中に入ってくるボールに、アリアはチャンスボールと言わんばかりに手を出したが、ボールはバットの芯から大きく外れ、内角へとコースを変えた。
当てただけのボールが弱々しくヨハンの前に転がると、ヨハンは拾い上げたボールをセカンドカバーに入ったケンに素早く送球し、ケンはボールを受け取ると同時にボールを持ち替え、ファーストへと送球する。
「嘘だろ……ゲッツーかよ」
「あのツーシームにまんまとやられましたね」
ツーシームは速球でありながら変化球としての側面を持ち、ストレートと見分けることが難しい。
打者の手元で微妙な変化を見せるこの球は、打たせてゴロアウトを取るための球種だ。
――葵はどこに投げても長打を打ってくる上に、動きが全く読めない。あれは明らかに本能で打っている。敬遠して塁に釘づけにし、後ろのバッターと勝負するのが無難だろう。アリアは大根切りで確実な安打を量産するヒットメーカーだが、カウント有利になると、チャンスボールを狙い打ちするために強振する癖がある。ならバットの芯を外してやればいい。芯から外れた状態で、強振の大根切りを当てれば高確率で内野ゴロになり、葵と対戦せずして、2人同時に攻略できるというわけだ。
ジョージジュニアにとって最大の脅威は、ペンギンズ最強打者の葵である。
まともに戦う術のない相手に対しても目に見えぬ罠を張り、より確実な方法でアウトを稼ぐジョージジュニアのリード戦術は、かつての名捕手たる父をも唸らせた。
「ねえ葵、何で盗塁しなかったわけ?」
ネクストバッターズサークルから退屈な顔のまま戻ってきたマカロンが言った。
「無理だよ。ジョージジュニアは強肩だし、速球ばかりを投げてくるから全く隙がない。しかも3球続けて盗塁を刺しやすい位置にボール球を投げさせていたから動けなかった。フォアボールになることを期待して盗塁を避けたけど、最初から打たせてゲッツーを取るのが目的だった。まんまとやられたよ」
「しかもヨハンは右打者に対して滅法強い右キラーだ。マカロンや丸雄でも一発を狙うのは至難の業と言っていい。頼みの綱である煌はピッチャーをやりながら打つため、いつもより打力が下がることは必至だ。このまま葵が敬遠され続ければ、もう攻略する手段は――」
「あるぞ」
ジャムの後ろで腕を組みながら座っているジョージの解説にブレッドが返事をする。
「「「「「!」」」」」
葵たちがブレッドに視線を向ける。ブレッドはジョージジュニアによるリード戦術の弱点を探していた。
「あのねー、ラッツはどの野手もゴールドグラブ賞にノミネートされている選手ばかりで、鉄壁の防衛ラインを引いているんだよ。動きは全部読まれてるし、1点でも取られたらやばいかも」
白けた声のプレクがブレッドを嘲笑するように言った。
煌がマウンドに登り、ワッフルに何度かボールを投げた。真っ直ぐの凄まじさを前に、今度はラッツのベンチが煌に釘付けだ。煌が投げ終えると、1番打者のケンがヘルメットをかぶり、バッターボックスに入った。
別人のように目つきが変わった煌が内角高めに1球目を投げた。
「!」
172キロのストレートがストライクゾーンのコーナーに決まり、ケンは大きく目を見開いた。
ワッフルが投げ返したボールを目で追いながら、最終的に煌の表情に辿り着くが、目を尖らせ、立っているだけで威圧感を与え、打線そのものを飲み込みかねない迫力に、ケンは思わず息を呑んだ。
「ぐっ!」
煌はストレートやスプリットなどの多彩な変化球を駆使した。
ケンとニックの2人を三振に打ち取ると、今度はスイッチヒッターであるアブデルがバッターボックスの外側で待機し、煌はプレートから両足を外している。
『ピッチャーは投げる腕を決めてください』
「は、はい」
慌てて両投げ用のグラブを右手にはめると、煌の動きを見たアブデルは打席に入ることを了承するかのようにヘルメットをかぶり、右打席に入った。
「何でアブデルが後から打席を選んでんだ?」
「スイッチピッチャーとスイッチヒッターが対戦する場合、先にピッチャーが投げる腕を選ぶルールですよ。スイッチピッチャーだったレフティ・ライトがスプリングトレーニングでスイッチヒッターのエディ・マントルと対戦した時、お互いに腕と打席が決まらないままの状態が続いて、主審がピッチャーから投げる腕を選択するという例外処置を施して、それがそのまま公式ルールに追加されたんですよ。通称はレフティ・ライト・ルールです」
「流石はベースボールオタクをやっていただけあって、その辺の事情には詳しいな」
「実は僕も最近まで知らなかったんです。今はスイッチピッチャーなんて、滅多に出てきませんから」
煌にとっては初めてのスイッチ対決だ。プレクは外角低めにカーブを要求する。
両腕と右足の位置を上げ、煌が要求通りのコースにボールを投げた。
メルリーグ創成期を迎える前のアマチュアリーグ時代、ショートはピッチャーのすぐそばを守り、短い距離で打球を止める様子からショートストップと名づけられた。やがてピッチャーから距離を置くようになってからは守備の要となり、メルリーグ創成期には現在の位置に落ち着いた。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




