第5球「不穏な前夜」
ネーバルはペンギンズの選手たちの中に嘆願書を提出した者がいることを知っている。
多くの選手は嘆願書を撤回したが、それでもなお、投手陣にも野手陣にも、アイリーンの入団に真っ向から反発する態度を示す選手が多くいる。特にブルペン陣からは敬遠され、いつ出ていってくれるのかと辛抱しながら待ち続ける選手が過半数を超えていることはブレッドも承知している。
魔法科学への信仰に厚く、その恩恵に与る南東部の者たちはアルビノに対する嫌悪感が特に強く、ネーバルは暴動を警戒してか、ブレッドに事を収めることを提案している。
「それ本気で言ってんのか?」
「本気でなきゃ言わん。わしはのう、アルビノに対しては恨みつらみはない。じゃがこのままアルビノの選手を試合に出すとなると、最悪の場合、無観客試合をせねばならん。南東部の者は何をするか分からんし、無観客試合になればうちの収益にも関わる。うちのオーナーとグリーク・ピッチ監督がな、ペンギンズがアルビノの選手をアクティブ・ロースター枠から外さない場合は試合をしないと言っているんじゃ」
「だったらオーナーとグリーク監督に伝えとけ。うちとの試合に応じないなら没収試合だ。その場合、全試合のスコアが9対0になる。こっちは無条件スイープができるわけだ」
「……」
ニヤリと笑みを浮かべるブレッド。
思い詰めているアイリーンがブレッドに近づき、ネーバルに哀れみの瞳を見せた。
アイリーンはネーバルの心境をすぐに読み取り、良心と慣習の間で板挟みになっていることを痛感し、自分が外れればいいとさえ考えたが、ブレッドにとっては到底受け入れ難い条件だ。
「ブレッド、私はどっちでもいいけど、暴動が起きたらどうするの?」
「その時はその時だ。アイリーンは試合に出すし、スタメンから外す理由もない」
「……どうなっても知らんぞ」
「それは脅しか?」
「いや、警告じゃ。わしとてこんなことは言いたくないのじゃがな。グリークは南東部の出身じゃ。それにラッツのチームメイトも南東部の出身が多くいるし、お前さんのことをよく思ってはおらん。ホテルにも君は泊まれないが、それでもいいのじゃな?」
「ええ、構わないわ」
怯むことなく言い返すアイリーン。ネーバルと距離を詰め、覚悟があることを示した。
リンツたちがホテルへと向かう中、ブレッド、ジャム、葵、煌、アイリーン、アリア、マカロン、クラップの8人だけが残された。
「勇気があるのは結構じゃが、法律はどうするんじゃ?」
「法律?」
首を傾げるアイリーン。これにはマカロンが一瞬の戸惑いを見せ、口を閉じたまま思い詰めてしまった。
「南東部では、アルビノが労働行為を行うこと自体が州法で禁止されているんじゃ。本来なら見つけ次第、すぐに南東部から追放せねばならんところじゃが、メルリーグ機構からのお達しで、帯同の許しまでが出ているだけじゃ。試合に出れば警官が駆けつけてきて、退場させられる危険性もある」
「おいおい、僕がそんな嘘に乗ると思うか?」
「本当よ……」
マカロンの一言に、周囲にいたブレッドたちの視線が集中する。
深呼吸を済ませ、ブレッドたちの前に腕を組みながら立つマカロン。
「ネーバルさん、ここはあたしが説明するわ。あんたはもう行っていいわよ」
「……ペンギンズに移籍したこと、後悔しとらんのか?」
他の誰にも聞こえないように、ネーバルがマカロンの隣を横切る際に止まり、ボソッと呟いた。
「――もちろんよ」
渋々とした顔のまま、ネーバルは杖を突きながら去っていった。
マカロンの表情は一層険しさを増し、音がするくらいに冷えきったシリアスな雰囲気が、ブレッドたちにも突き刺さるように伝わっている。
「なあマカロン、どうしちまったんだ?」
「あたしは南東部の生まれなの。だから、彼らがどれくらいアルビノを嫌っているかを肌で知っているわ。もしアイリーンが試合に出れば、翌日にはペンギンズ首脳陣に脅迫状が届くって言われているくらいなのよ。ブレッド、これはアイリーンだけの問題じゃないわ。アイリーンを試合に出せば、他の選手たちにも危害が及ぶ可能性は十分ある。それでも試合に出すつもりなの?」
「当たり前だろ。もしそんなことがあれば、身の安全が保障されるまで、ペンギンズは今シーズンにおける全ての試合をボイコットする」
「「「「「!」」」」」
思っていた以上に強気のブレッドに対し、マカロンは開いた口が塞がらない。
ブレッドには勝算があった。歴史を築いてきたメルリーグ機構としては、全試合ボイコットなど断じて許されないことは、誰にとっても明白であった。
「あんたねー、選手たちの成績はどうするつもりよ? そんなことがまかり通ったら、メルリーグ史上初めての超弩級不祥事よ。アイリーンを大事にしたい気持ちは尊重するけど、1人の人間のためにそこまでするなんて考えられないわ」
「マカロン、君は僕の最終手段をそんなことって言ったけど、アイリーンたちにとっては、そんなこと以上の不祥事が今もまかり通ってるんだぞ。1年くらいなんだ。アルビノたちが受けてきた苦難は、少なくとも1万年以上に及ぶんだぞ」
「ブレッド、あんたの意見には賛成だけど、最終手段には反対よ。さっきも言ったけど、アイリーンだけじゃなくて、選手全員の人生がかかってるのよ。もうちょっと冷静になったらどう?」
呆れた顔でマカロンが長くサラサラとした赤紫と青紫の髪をなびかせ、いつもより早い動きでクラブハウスを去っていく。葵たちもやるせない気持ちを顔に表し、マカロンについていく形で次々と去った。
アイリーンは泊まる場所がなく、球団用車庫に眠るチームバスへと足を向けた。
「どこに行くの?」
葵が真逆の方向へ行こうとするアイリーンに真後ろから声をかけた。
アイリーンの細い足がピタリと止まり、振り返ることもしないまま口を開いた。
「チームバスよ」
「だったら僕も一緒に行くよ」
共鳴するようにアイリーンの手を引こうとする葵。
「駄目だ。お前らは全員ホテルに行け。チームの主力がバスで寝泊まりして調子でも崩されたらかなわん。うちはただでさえ負け越してるんだ。これ以上負け越したら、後半で盛り返さないといけなくなるだろ」
「アイリーンは主力じゃないの?」
「ああ、立派な主力だ。でも今は状況が違う。だから……僕が一緒にチームバスで泊まる」
「「「「「!」」」」」
ブレッドの発言に目を大きく見開く葵たち。
葵にとって、アイリーンと一緒にチームバスで泊まることは、理不尽な社会への抗議を意味する。ブレッドにとってもそれは同じであった。
ペンギンズは上位打線の駒が足りず、肝心なところでレギュラー争いを続けている荒削りの下位打線に回ってしまって得点ができないことや、ブルペン陣がシーズン序盤から機能していないことがブレッドの頭を悩ませていた。相手の試合拒否で無条件勝利を得ることさえできれば、それでよしと考えるのも無理はなかった。
「どうして?」
「スプリングトレーニングの時、アイリーンだけチームバスで泊まっていただろ。それなのに僕はホテルの立派な一室だ。そのことばっかり気になって全然眠れねえんだよ。だから僕も――アイリーン?」
アイリーンの顔が真っ赤に染まり、恥ずかしそうにしながらもじもじと指を絡ませている。
アリアは乙女心を何にも分かってないなと両手の平を上に開き、嘲笑の目をブレッドに向けた。
「……駄目」
「えっ?」
「寝顔は誰にも見られたくないの……だから……駄目」
「……ホントにいいのか?」
「ええ」
ブレッドはアイリーンの希望に応えるように距離を取り、アイリーンが車庫へと向かっていく。
「僕って信頼されてないのかな?」
「何言ってんのよ。男と女が同じ屋根の下、いや、同じルーフの下で寝るのよ。それに監督と選手がそこまで密接になったら、それこそ不祥事よ。つき合ってるなら話は別だけど」
「また眠れない夜になりそうだ」
やれやれとお手上げのまま、ブレッドとアリアがクラブハウスを後にする。
アイリーンは1人になったところでクラブハウスのシャワールームに入り、再びチームバスへと戻った。チームバスの鍵でもあるコマンドフォンを使って扉を開き、他にすることがないまま、バスの階段を上がっていく。
――テルマエ属州コロッセウムホテル10階――
メルリーグ機構からの多額の投資により、メルリーガーはシーズン中であれば、球団公認ホテルに無料で宿泊することができ、食事も全て食べ放題という待遇だ。
しかし、アイリーンだけは制約が付与されたままであった。
宿泊施設を始めとする大半の公共施設への出入りを禁じられ、チームバスの特等席となっている横に長い最後部座席に横たわるように就寝することが日課となっている。そのことを不憫に思ったブレッドからは毛布が贈られている。最初こそ寝つきが悪かったが、徐々にチームバスで寝ることに慣れていった。
その頃、翌日の試合に向け、リンツたちは練習を済ませてからテルマエ属州の温泉に浸かり、のうのうとホテルの長いテーブルに並べられた豪華料理を前に皿を持ち、南東部の名物であるステーキをバイキング形式で堪能する。今シーズンがどうなるかも分からないまま、途方に暮れる者もいた。
「リンツ、明日ホントに試合あんのか?」
丸雄がさりげなくリンツに尋ねた。アイリーンの入団には真っ向から反対だが、どうもアイリーンのことが気になって仕方がない。
「監督のことだ。ビノーを強行出場させるに違いない。だがもしそうなれば、警察が入ってきて、ビノーは退場処分になるだろうな」
「じゃあ、俺たちはあいつ抜きで戦うことになるってのか?」
「そういうことだ」
「ライトが抜けたら誰が入るの?」
「僕がいるだろ。ファーストにはオルガかクラップが入れば問題ないし、元々は僕のポジションだ。さっさと返してもらわねえとな。いつまでもビノーにレギュラーを取られっぱなしじゃ、僕らの立場がない」
静かに、そして確実に、アイリーンを追い出そうとする勢力を事実上黙認し、自らは一切手を下さないリンツの策略は、チームメイトの誰もが知るところだ。
チームバスの最後部座席の端にあるレバーを引っ張ると、背もたれを平らになるまで倒し、いつものように靴を脱いでからパジャマ姿のまま寝転んだ。ブレッドたちがホテルに泊まっている間、アイリーンはクラブハウスの部屋を使い放題だ。ブレッドからもらった白い毛布を体にくるみ、窓越しに夜空の星々を見つめた。
アイリーンが真っ先に思い浮かべたのはブレッドの顔だ。
満面の笑みが星座に描かれているように、アイリーンには見えている。
その頃、ブレッドはホテルの一室にジャムを呼び出し、ペンタメローネ・ラッツの選手たちのデータをホログラムで確認する。
「こいつら……全然ホームラン打たねえんだな。みんなしてリードオフマンかよ」
「ラッツはうちと同様にスモールボールを重視しています。特に力を入れているのが盗塁で、盗塁数はメルリーグでもトップを誇ります。12年連続30盗塁を記録しているケン・ブリッジ・ジュニア、葵と何度も盗塁王を争っていたニック・ニクソン、長打も打てる俊足が売りのアブデル・アブドゥルマリク。要注意なのはこの3人です。1番から3番を打つこの3人だけで、年間100盗塁以上を稼ぎます。1人でも塁に出れば俊足と走塁技術でバッテリーを掻き乱し、フィールドを縦横無尽に駆け巡ることから、鼠打線と呼ばれています」
去年のラッツの動画を通してプレイを観察するブレッドとジャム。
「隙あらば盗塁するんだな」
「しかもこの3人、満塁の時にトリプルスチールを成功させたんです」
「トリプルスチールって、滅多にないプレイじゃねえか」
「この時は焦ったピッチャーから暴投を誘い、結果的に2人生還しています」
「みんなしてちょこまか動くところといい、小柄な選手ばかりなところといい、まるで鼠だな」
「鼠がモチーフのチームですから。ラッツは1番から9番まで盗塁するオールグリーンライトのチームです。代走もかなり優秀で、控えも含めると、15人が二桁盗塁を記録しています」
「何でそこまで盗塁に拘るのかねー」
「ラッツは貧しい球団なので、高年俸のスラッガーと契約しにくいという事情を抱えていますし、同じく三振を取れるエース級の投手もお金がかかるので、ゴロに打ち取らせるために、生え抜きのグラウンドボールピッチャーと鉄壁の守備陣、それに足を活かしたスモールボールに頼らざるを得ないわけです。マンキースがどこからでも一発が出るチームなら、ラッツはどこからでも盗塁ができるチームです。ノーヒットで点を取りにくるプレイスタイルが特徴ですから、打力はそこまでありません」
「となると、盗塁阻止が課題だな。でも運が良かった」
「どうしてです?」
ブレッドには策があった。それはスチールキラーと呼ばれる捕手の存在だ。
「うちにはワッフルがいる。打撃は全然振るわないけど、守備力は抜群だ。特に去年の盗塁阻止率は7割を超えている。こいつがいれば簡単には盗塁できないはずだ」
「考えましたね。あっ、でも打線はどうするんですか? このままだと、1人分の穴が開いて、こっちも打力を下げることになりますよ」
「だったらワッフルにDHを置けばいい」
「! その手がありましたね! 明日は煌が先発予定ですから、その分有利になりますよ」
「ああ。煌には投球しながら打撃にも参加してもらう」
足で揺さ振ってくるのであれば、盗塁を牽制できる捕手を起用すればいいとブレッドは考えた。
オーダーが決まると、ブレッドはアイリーンとは対照的に、ぐっすりと眠りに就いた。
メルリーグ創成期前は二塁にも塁審ロボットがいたが、メルリーグ創成期を迎えると、魔法科学の進歩によって球審ロボットが二塁の塁審も兼任するようになり、塁審ロボットが障害物として立ち塞がることがなくなったのだ。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




