第2球「運命の開幕戦」
選手たちがグラウンドの一塁線と三塁線にびっしりと整列している。
一塁線にはペンギンズの紺色のユニフォームが、三塁線には対戦相手であるブルーソックスの選手たちが勢揃いしている。
観客席は蟻の這い出る隙間もないほどの超満員となり、その多くがアイリーンと煌の2人を一目見ようと訪れたベースボールファンだった。ポップコーン、ホットドッグ、コーラ、ビールといった飲食物を片手に、選手たちの名前を叫び、惜しみなく声援を送っている。
「ついにこの時がきたか」
「歴史を飾る1ページですね」
ホームの真後ろの観客席にはエステルとドボシュが腰かけており、ブレッドや選手たちの活躍を固唾を飲んで見守っている。
ラーナが投球練習を行い、肩を鳴らしている。
試合開始の時間が迫ると、スターティングラインナップのアナウンスが流れ、選手の1人1人が紹介されていく。ビジターチームのスタメンが淡々と紹介された後、ホームチームを派手に紹介するのが通例となっている。
【オリュンポリティア・ペンギンズ・スターティングラインナップ】
打順 ポジション 選手名
昨シーズン成績 ※はボトムリーグ及び外国リーグでの成績
1番セカンド アリア・レチタティーヴォ
.309 12 69 15 .786
2番ショート 椎名葵
.363 42 85 46 1.178
3番センター クラップフェン・オリークック
.290 9 35 8 .841
4番サード マカロン・クラックレ・ダミアン
.281 26 74 22 .948
5番ファースト リンツァートルテ・クレス・フォーゲル
.231 6 38 5 .623
6番DH 江戸川丸雄
.272 19 82 0 .893
7番レフト 椎名煌
※.279 18 53 11 .854
8番キャッチャー プレクムルスカ・ギバニツァ・コシッチ
.221 3 23 28 .709
9番ライト アイリーン・ルーズベルト
※.350 0 29 78 .769
先発投手 スヴェトラーナ・ボルトキエヴィチ
32 8勝6敗 2.53 352 0.85
【メルティアナ・ブルーソックス・スターティングラインナップ】
打順 ポジション 選手名
昨シーズン成績 ※はボトムリーグ及び外国リーグでの成績
1番センター ピーター・ピーターソン
.288 15 46 13 .882
2番セカンド ガレット・クレープ
.272 11 48 6 .872
3番DH デービッド・デービッドソン
.279 54 136 0 1.065
4番レフト ラミー・ラミレス
.312 35 108 0 .993
5番ファースト モン・ブラン
.245 31 86 4 .906
6番ライト ビスキュイ・ジュノワーズ
.239 23 64 2 .832
7番サード パイ・パンプキン
※.257 19 34 7 .813
8番キャッチャー アッシュ・ロドン
.262 6 50 0 .768
9番ショート パート・フィロ
※.233 2 36 16 .698
先発投手 ロジャー・ロジャース
35 19勝3敗 2.68 259 1.06
各選手が打順とポジションと共にアナウンスされると、観客席は選手の人気に応じた盛り上がりを見せ、葵の時には声援が最高潮に達した。
「やっぱ葵は人気あるんだな」
「ペンギンズの顔ですからね」
「人気は重圧と言い換えることもできる。重圧を物ともせず、長年にわたって活躍し続けるのは至難の業だ。あれだけの声援を浴びても全く動じてない。大したもんだ」
最後の方でアイリーンの名前がアナウンスされると、さっきまでとは打って変わり、両手の中指を天に突きつけながら尻の穴と連呼する者が続出し、球場は異様な空気に包まれた。その直後に開幕投手であるラーナの名前が発表されると、またしても声援に変わった。
しかし、アイリーンがライトの守備に就くと、再びライトスタンドからアイリーンに対する帰れの大合唱が始まってしまったが、アイリーンは罵詈雑言を物ともせず、守備に専念する構えだ。
「おいビノー、さっさと強制収容所に帰れー!」
「ビノー、お前なんかいらない。球場から消え失せろ!」
アイリーンのそばにいたクラップは怖気づいて隣を見ることもできない。
『アイリーンが観客たちから絶え間ないブーイングを受けています。しかしそんなことは想定済み。何も起きていないかのように平然としています』
ペンギンズ側の実況、マッキー・マッキャンがアイリーンの状況を説明し始めた。
実況歴33年。丁寧な口調で実況から解説まで務める生粋のペンギンズファン。時に激しい口調でテレビの視聴者たちを沸かせる名物実況で知られている。
「この俺が……下位打線だとぉ!」
スコアボードに表示されている打順に納得がいかない様子の丸雄がブレッドに詰め寄った。
以前の丸雄は3番を務めていた。スプリングトレーニングでも常にクリーンナップを打っていたこともあってか、6番という中途半端な打順に違和感を抱いている。
しかも去年は2番を打っていた修造に至っては、スタメンに入っていないことに対し、密かに不満を露わにしている。
「おい監督さんよぉ、これは一体どういうことだ?」
「どういうことも何も、丸雄は得点圏打率は高いけど、ランナーがいない時の打率が極端に低いせいで、去年のオーダーは葵が出塁するかどうかで全てが決まっていた。葵が出塁しなかった場合は修造が出塁するべきだけど、いかんせん打力が足りない。だから葵が出塁しないだけで2アウトだし、そのタイミングでお前に打順が回ってきたら3アウトだ。それに1番から3番はなるべく打力があって足の速い選手を置きたい。その時点で4番以降がお前の適性打順だ。4番はチャンスで回ってくることも多いけど、2回に最初のバッターとして打席に立つことも多いから、長打力があってチャンスメイクもできる強打者を置くのが適切だ。5番は4番が歩かされた後に迎えることもあるけど、その場合は得点圏にランナーがいないことも多いから6番だ」
「俺はペンギンズの中でも多めに一発を打ってんだぞ」
「6番はクリーンナップの後、つまりランナーがいる時に回ってきやすいし、凡退しても後ろが期待できない分、全然痛手じゃないのもある」
「あぁ~、なるほど……って納得できるかっ! 俺はずっとクリーンナップを打ってきたんだぞ!」
「その結果、ペンギンズはどうなった?」
「うっ……」
軽くあしらうようなブレッドの問いかけに、丸雄が背中をのけ反らせる。
いくらベテランの丸雄でも、去年までの結果を持ち出されると弱い。チーム戦力が足りなかったとはいえ、去年までは戦略でも負けていたことを、ブレッドはスプリングトレーニングの結果から見抜いている。古典的なスモールボールではまず勝てないことは、12年連続地区最下位という不名誉な記録が証明している。
ブレッドのオーダーはベースメトリクスに適っているだけでなく、それぞれの打順に細かい役割を設けることで、少しでも効率良く打順が多く回る仕組みとなっていた。
1番と2番は打力に勝り、相手投手にプレッシャーを与えられて足も速いアリアと葵。4番には長打力があり、ノーアウトランナーなしでも出塁からの盗塁が見込めるマカロンを置き、ペンギンズ打線はこの3人に多く打席を回すことを目的に組まれている。
3番にクラップを置いたのは2アウトで回ってきやすいためであり、最強打者を置いても活きない可能性を感じてのこと。5番にいるリンツも同様の理由だ。リンツは前の打者が敬遠された時の打率が高く、プライドの高いリンツならではの傾向と言える。
6番にはチャンスに強い丸雄を置くことで、ランナーの掃除をするだけでなく、クリーンナップの敬遠を抑止することをブレッドは期待している。煌は新人であることから、様子見には最適の7番、プレクは打力が期待できない上に守備負担の重い捕手であることを考慮し、最も打撃負担の低い8番となっている。
9番には俊足ではあるが、出塁率に不安を抱えるアイリーンを第二の1番打者として置くことで、2巡目から参加するリードオフマンとしての活躍をブレッドは期待している。アイリーンもまた、後ろにアリアと葵が控えていることで、相手投手が勝負せざるを得なくなっている。
「これは嫌がらせでも何でもない。嘘だと思うなら一度試してみろ」
「……いつかこんな日がくるとは思ってたけど、いざやってくると萎えるわ」
その場に腰かけた丸雄が嘆き、地面に顔を向けたまま動かない。
ペンギンズのクリーンナップに丸雄が居座り続けることは、チームの時計が惰性で止まり続けていることを意味していた。長年の体たらくという錆をブレッドが取り除いたことで、その針が再び動き出したことを丸雄は悟っている。
時代の波に逆らうかのようにクリーンナップに居座っていた丸雄は、およそ12年ぶりにクリーンナップから外れることとなった。代わりが見つかればすぐにでも代打降格の危機となっていた丸雄にとっては身に染みるほどの変化であった。
しかし、これは丸雄が再び奮起する布石にすぎなかった。
1回表、ラーナは好調な立ち上がりを見せた。
ピーターが打席に入り、球審ロボットからプレイボールがコールされる。初球は外角低めにストレートが決まり、その後はファウルで粘られるも、ワンツーに追い込んだところで、ラーナのボールがピーターの胴体に向かって投げられた。
「ひいっ!」
反射的にピーターがボールから背を向けた。ボールはピーターに当たることなく真横に大きく曲がり、内角低めのコーナーを突いた。
『ストライクアウト』
球審ロボットが両腕を握り拳にしながら左腕を伸ばした。
針に糸を通すようなコントロールはブルーソックスのベンチを唸らせた。
「何だ……あのスライダーは」
「いきなりバックドアスライダーか。流石はペンギンズのエースと言ったところか」
「ラーナはキャッツにいた頃から頭角を現していた。うちにも誘ったんだけどな」
ラーナの過去を語るのはブルーソックスの監督、トミー・トーミである。
帽子をかぶりながら腕を組んでベンチの1番前の席に腰かけ、2番を打つガレットに粘りのバッティングをするようサインを出した。
しかし、思ったようにはいかなかった。意外にもラーナは三振を狙わず、軽打を仕掛けてくるガレットに対し、バットの芯を外す目的で浅い位置にフォークを投げ、コツンと当たったその球はサードへと転がっていった。転がるボールがマカロンの指を伝うように捕まり、掴んだボールを素早くファーストに投げた。
2アウトとなり、大柄なデービッドが所狭しと打席に立った。
その巨漢はバッテリーのみならず、内野手や外野手にも大きな重圧となっている。
「ブルーソックス屈指の強打者が出てきましたね」
「そんなに凄いのか?」
「デービッドは去年のシルバースラッガー賞をDH部門で受賞しています。ホームランも三振も多い典型的なプルヒッターで、6年ほど前から4番を打つラミーと共にブルーソックスの主砲を務めています。ペンギンズから打ったホームランが1番多くて、特にリリーフが打ち込まれています」
「他の球団にとって、うちはボーナスステージだったわけか。でも今年は違う。今のラーナだったら大丈夫だ」
ラーナは初球からインコースギリギリを突くスライダーを投げた。
しかし、デービッドはその球をいとも簡単に右方向へと引っ張った。ボールは黄色く細長く聳え立つファウルポールの右側を通過し、ファウルとなった。
デービッドはラーナの配球を読み、去年と同じであれば、ストレートを外角高めに投げてくるはずと考えた。ラーナが予想通り、外角に鋭いボールを投げた。デービッドがもらったと心で叫びながらフルスイングをするが、ボールは外角の外側まで逃げていき、バットが空を切った。
『ストライクアウト。チェンジ』
デービッドの空振りと共に歓声が沸き、ラーナがベンチに戻っていく。
「よくやった。流石のコントロールだ」
「プレクもなかなかやるデス」
「でもさっき、何でストレートに首を振ったの?」
「ブレッドとの約束デス」
「約束?」
ラーナがプレクの疑問を無視しながらブレッドの目を見つめた。
そして目線を外すと、踏ん反り返るようにベンチに腰かけた。
1回裏、今度はペンギンズの攻撃が始まった。
リードオフマンを任されたアリアが打席に入ると、長身で厳つい顔をしながらマウンドに登ったのはブルーソックスのエース、ロジャーであった。
1番が葵でない分、幾分か気楽ではあったが、去年とは違い、わざわざアウトをくれる修造がいないことで気が抜けない投球が続いた。ツーツーまで粘られると、アリアは持ち前のコンタクト能力を存分に発揮し、ファウルが何球も続いた。
――ちいっ! 調子に乗るなっ!
痺れを切らしたロジャーが内角にストレートを投げると、アリアが真っ直ぐの球威に押され、ボテボテのピッチャーゴロに倒れた。
ここまでに9球を投げさせられ、2番の葵を迎えた。ランナーがいない状態であるため、葵は左打席に入り、バットを横に構えた。
2番にペンギンズ最強打者、葵を置いているこの打線にロジャーは違和感を持った。2番には巧打者か小技のうまいバッターを置くのが通例だ。そこに長打力のある選手がいることにブルーソックスのバッテリーは動揺を隠せない。もし出塁を許せばランナーがいる状態でクリーンナップを迎えることとなり、失点のリスクを背負うことになるからだ。
この奇策とも言える打順が何のためにあるのかを考えながら、ロジャーはピッチングを続けた。葵はフォアボールを選び、一塁へと歩いていった。
続く3番のクラップから三振を奪い、4番のマカロンを迎えた。
何度かファーストに牽制球を投げるも、素早く頭から一塁に戻る葵をアウトにはできず、ピッチングの構えを見せたところで葵が二塁まで悠々とスライディングし、今シーズン初盗塁を決めた。
だが内角を抉るシュートをマカロンが打ち損じてしまい、レフトフライに終わった。
「ここまでは互角と言ったところでしょうか」
「そうだな。この打順は初めてだけど、スプリングトレーニングでの特別ルールで、打者を少なくした時の1番から6番までは全く同じだ。7番以降は期待の新人次第だな」
「今回は打てなかったけど、次は打ってみせるわ」
マカロンが意気込みを語りながら、ベンチに置かれている自分用のグラブを手に取った。
ウィザーズでは足の速さを買われ、主に1番を打っていたマカロンにとって、4番はほとんど初めての打順であった。パワーとスピードを両立しているマカロンだが、1番と4番はまるで別の仕事のように感じている。特にランナーを置いた場面で迎えることが多い4番はそれなりの重圧だ。
楽観的なマカロンは4番が最適であると、ブレッドは確信を持った。
建国歴10920年以降、ハートリーグ主催の試合において先発投手が降板した場合、先発投手は降板した後も指名打者として打ち続けることが可能となった。だがこのルールを適用された者は長い間ブービ・ルースのみであったため、ファンたちからはブービ・ルース・ルールと呼ばれている。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




