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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
特別単発エピソード
37/50

型破りな両打ち『前編』

 ペンギンズを代表する遊撃手、椎名葵がメルリーガーになる前の物語前編です。

 一風変わったスイッチヒッターがペンギンズ最強打者と呼ばれるまでの苦難を描きました。

 ――建国歴11932年、サワイキ属州アルケータレス――


 アウストビーチの砂浜に澄んだ水色の大きなさざ波の音が一定の頻度で響く。白い砂に足を取られ、ロープで繋いだ大きなタイヤを1人の少年が両手で力強く引っ張っている。


 水色の長い髪型をなびかせ、全身に汗をかきながらも、少年と同じかそれ以上に重いタイヤをズルズルと引きずっている。次第に息を切らしながら走り続け、少女のように見えるその姿からは想像がつかないほどの覇気を放っている。


 砂浜から少し離れた階段には、まだ小さな少女が心配そうに少年を見守っている。


 走り続けている椎名葵はまだ12歳のリトルリーガーである。


 地元サワイキ属州にあるリトルリーグのチーム、リトル・ドルフィンズの一員だ。10歳から参加可能となるこのチームで、葵はかなり奇抜な存在であると認識されている。


「葵ー、もう練習終わったらー!? そろそろ日が沈むよー!」


 両手を口に当てながら叫ぶ成田菫(なりたすみれ)はまだ10歳の少女である。


 ベースボールファンの菫にとって、誰よりも秘密の特訓に精を出す葵は、最も身近な憧れの的だ。菫は葵の練習につきっきりのまま、いつもマネージャーのように葵を心配しながらお節介を焼いている。


 葵が近づいてくるにつれ、タイヤを引きずる音が段々と大きくなる。


「もうちょっとだけー! すぐに終わるから!」

「はぁ~、葵ってばホント頑張りすぎなんだから。いくら頑張ったって、監督やチームメイトから認められないと意味がないのに」

「なんか言ったか?」

「何でもないよ。葵のすぐ終わるはすぐじゃ済まないんだから」

「えへへ、ごめんねー」


 後頭部を片手で触りながら微笑む葵。


「えへへじゃないわよ。そんな無茶な練習ばっかりして、後で怪我しても知らないからね」

「大丈夫だって。そのために君がいるんだろ。ヒーラーはいいよなー。就職先に困らなくて」

「別に好きでヒーラーになったんじゃないんだけど」


 ヒーラーとしての魔法適性を持つ菫を羨ましがる葵。


 回復魔法が使えるヒーラーは医師免許なしで治療ができるため、かなりの高給取りになることが期待できるのだが、当の本人はそんなことなど考えておらず、葵のために使いたいと願っているが、今まで葵が菫の気持ちを察することはなかった。


 葵には興味深い特徴があった。利き腕がないことだ。それぞれの用途に合った方の腕を使い、様々なプレイをこなしてきた。そんな葵ならではの悩みがある。


 それは監督やチームメイトから型にはめられることだ。


 翌日、いつものようにリトルリーグ同士で試合がホームで行われた。相手はリトル・マンキース。葵の個人成績はチームの中でも群を抜いている。足が速く守備が上手いため、ポジション争いに困ることはなく、常にセンターラインのレギュラーを確保していた。


 打順はいつも1番、出塁率はリードオフマンとして申し分ない。


 だがそれは葵が()()()の場合のみであった――。


「おい、相手はサウスポーだぞ。右打席に入れ」


 リトルリーグの老将、バート・クリフォート監督がベンチの椅子から立ち上がった。


 緑色のベンチには大人の脇の下くらいまでの高さを持つフェンスがある。


 バートはフェンスの取っ手を両手で掴み、葵に右打席に入るよう指示するが、空色のヘルメットをかぶり、黒い木製バットを横に寝かせている葵は打席を変えようとしない。やれやれと言わんばかりの呆れ顔を浮かべるバートがようやく諦めると、力が抜けるように腰かけてしまった。


 無視しているのではない。聞こえていないのだ。


 葵の目線の先には左投手、ランディ・ジョイナーしかいない。ランディが投げるスライダーは左殺しと呼ばれ、両打ちの場合は右打席に入るのがセオリーであった。


 しかし、ランディがボールを投げると、ボールは外角へと逃げるようにコースを描いた。


 スライダーを見切っていた葵はバッターボックスの近くに足を踏み込み、レフト前までボールを運ぶ。完璧なまでのシングルヒットだった。


「ふぅ、冷や冷やさせるよ」

「監督、葵がまだ走ってます」

「何っ! おいおい、無理だっ! 戻れっ!」


 葵は一塁ベースを踏んだところで更に加速し、二塁を陥れようとしていた。慌てたレフトが送球を逸らしてしまい、葵は悠々と二塁に到達したが、バートの心臓に悪いことは言うまでもない。


 次の打者がバッターボックスに入る。


 バートは送りバントのサインを出した。


 しかし、葵は打者がバントの構えを見せているにもかかわらず、二塁からかなり離れている。


「まさか葵の奴、盗塁するつもりか」

「そんなサインは出してないぞ。一体どういうつもりなんだ」

「あっ、走りましたよ」

「何っ! また走ったぁ!」


 スライダーを取ったキャッチャーが送球を諦めた。葵は既に三塁を踏んでいる。


 ――いっ、いつの間に三塁を……気配がまるでなかった。こいつ忍者か?


 ランディが涼しい表情の葵を蛇の如く睨みつけた。


 焦りがランディの脳裏をよぎり、早くも一筋の汗を流す。


 揺さ振りをかけるように葵が小刻みに足を動かすと、ランディはバッターよりも葵が気になり、なかなか投球しようとはしない。見るに見かねたリトル・マンキースの監督が立ち上がった。


「おい! 何やってる! バッターに集中しろ! さっさと投げないか!」


 発破をかけるように警告すると、ランディの緊張がピークに達した。


 恐怖のあまり、ランディは三塁にボールを投げた。だが動作が大きかったのか、葵は悠々とサードに戻りセーフとなったが、ロボット球審からタイムがかかる。


『ボークです。ランナーはホームに進んでください』


 葵が笑みを浮かべながら指示通りにホームベースを踏んだ。


 しかし、2番を打つ少年は、出番を奪われたことが気に食わないのか、葵とのハイタッチを拒否した。葵は戸惑いを見せつつもベンチに戻るが、歓迎しないのは監督たちも同じだった。


「お前また左打席に立ちやがって! あれほど右に立てと言ったのに!」

「ランナーがいない状況なら出塁を最優先した方がいいと思ったからそうしただけだよ。結果的にはノーアウトで先制点を取れたんだし、リードオフマンとしての役割は果たしたでしょ」

「そういう問題じゃない。お前はセオリーというものを何も分かっちゃいない」

「じゃあ一発を打ってほしかったわけ?」

「違う! チームプレイに協力しろと言っているんだ!」

「確実に安打を打つなら左打席の方が得意でね。あいつだってこの前バントをしようとしてゲッツーになった。ただでさえドルフィンズは投手陣が脆くて打ち込まれやすいんだから、バントなんてしてる場合じゃないだろ。アウトにならなかったらずっと打ち続けられるのに、何でアウトを1つあげちゃうわけ?」

「お前、わしに意見するのか?」


 威嚇しながら葵に歩み寄るバート。


 共鳴するように葵も怯まず歩み寄る。


 葵は前々から事ある毎にバートとぶつかってきた常習犯だ。ジャポニア系移民の多いサワイキ属州の港町ディアポートでは、多くのジャポニア系メルへニカ人やジャポニア帝国からやってきたジャポニア人を受け入れる土壌として機能している。しかし、多くのジャポニア系にとってのリトルリーグはただの習い事でしかなく、本気でメルリーグを目指しているのは葵だけであった。


 リードオフマン時代が長く続いていたメルリーグの影響や、スモールボール発祥の地であるサワイキ属州の土壌も手伝い、スモールボールが浸透していたが、この時期のリトル・ドルフィンズは珍しく打力があり、投手力の低いチームであることを葵は見抜いていた。


「そうだよ。あんたの方針は個人にもチームにも合ってない。練習時間も短いし、こんなんじゃ誰もメルリーグ昇格なんて無理だよ」

「ふはははは! お前本気でメルリーグを目指すつもりか? そんな小さい体で」

「低身長のメルリーガーなんていくらでもいるだろ。僕は本気でメルリーガーを目指してる」

「だったらわしに逆らうのをやめることだ。無難にシングルヒットにすればいいものを、欲張って二塁打を狙う奴があるか」

「マンキースはレフトの守備が1番下手だ。レフトへの当たりなら、シングルヒットでも二塁を狙える。積極的に進塁を試みるのはランナーの義務だよ」

「……勝手にしろ」


 その後、中盤に葵の打席が回ってくると、ノーアウト一二塁のチャンスだ。


 バートは送りバントを指示したが、それは葵が最も苦手なプレイだった。


 今度は右打席に入り、バットを縦に持って目を尖らせた。相手投手は葵の活躍を警戒しながらも変化球で抑えようとするが、焦って投げたカーブがど真ん中に入った。


 投手がしまったと思いながらも、葵はその隙を見逃すことなく思いっきりバットを振るい、ボールはライトスタンドへと消えていった。


 呆気に取られるバートたちだったが、チーム内にこの身勝手なプレイを快く思う者はいなかった。


「……もういい、下がれ。お前は交代だ」

「えっ!?」


 葵は耳を疑った。出塁率は8割を超えている葵だが、交代を命じられたことに焦りを隠せないでいる。


 いつもならバートが折れて最後までプレイを続行するところだが、今日は何かが違うと葵は思った。


「何で交代なの?」

「お前は自分勝手すぎる。リトルリーグの役割は協調性を養うことなんだぞ」


 結局、試合はリトル・ドルフィンズが勝利した。葵はチームの勝利を心から喜び、その場に舞い上がっているが、他の選手たちは羨望の目で葵をジッと眺めているしかなかった。


 選手たちがぞろぞろと帰っていく中、葵はいつものように残って練習するべく、無料で支給されているスポーツドリンクを飲んでから再びグラウンドへと上がった。


 ベンチ裏の階段を上がった所にはバートたちがいた。


「監督、それ本気で言ってるんですか?」

「ああ、本気だ。葵には今週限りで退団してもらう」

「!」


 衝撃的な言葉が葵の耳を抉るように襲った。


 ――さっき僕を交代させたのは、このためだったのかっ!


「あいつ、協調性がなさすぎるんだよなー。しかも本気でメルリーグを目指すとか言っちゃってさー」

「あんな奇抜なバッティングで昇格するはずがない。リトルリーグでは通用しても、もっと上のレベルに上がったら通用しなくなる。セオリーも分からん奴がメルリーガーになれるはずがない」

「そうそう。代わりなんていくらでもいるし、来週にはスタン・ロッドが来てくれるんでしょ?」

「ああ、そうだ。スタンは優れたピッチャーでバッティングもうまい。礼儀正しくて協調性もある。どこぞの身の程知らずの形なしとは違う。彼は基本もできているからな」

「大体ここは習い事で来ている貴族の選手ばかりだってのに、本気でやらせて怪我でもされたら責任取れないからな。みんなリトルリーガー経験者という肩書きが欲しくてやってるだけだし、あれじゃ先が思いやられるぜ。あいつ来週からどうやって過ごすんだろうな」

「――監督」

「!」


 葵はアウストビーチに戻ると、途方に暮れたような顔で空を見上げた。


 チームに貢献してきた挙句裏切られ、練習場所を奪われた葵の前に1人の老人が現れた。


 不思議そうに眺めてくる老人に気づく葵。


「派手にやったようだな」

「見てたんですか?」

「観客席から見ていたよ。事情はバートたちから聞いた。まさか戦力外通告の腹いせに、チームのバットを全部へし折るとはな」

「これであいつらも来週まで待つ必要がなくなった。一刻も早く僕を追い出したかったみたいだから、手助けしてやったんですよ」

「なあ、試合中に見せたあのバッティングスタイルについて教えてくれないか?」


 老人は葵に対して寛容な姿勢を見せた。葵のバッティングスタイルは極めて特殊であり、観戦していた老人にも奇抜なプレイとして見えていたが、老人は葵のプレイに魅せられている様子だった。


 興味津々な老人に葵は事情を説明する――。


「うむ、それは恐らく交差利きだな」

「交差利き?」

「用途によって利き腕が変わるんだ。君は右打ちの時はとんでもないスラッガーになるが、左打ちの時はアベレージヒッターになる。しかも右打ちの時はボール球でも打てそうなら打ちにいくが、左打ちの時はボール球を見送るという徹底ぶりだ。君は左右で能力もプレイスタイルもガラリと変わるようだ」


 ――この人……凄い。無意識にやっていたのに、一度見ただけでここまで見抜くなんて。


 老人の観察眼に度肝を抜かれると、今度は老人が話を始めたが、葵はすっかりと聞く気になっていた。


「もしよければ、リトル・ペンギンズに来ないか?」

「えっ、ペンギンズに?」


 思いがけない言葉に、葵はその場に立ち上がった。


「そうだ。私が推薦状を出せばすぐに入れる。君のベースボールに対する哲学はよく分かった。自ら考えてプレイする選手が欲しいんだ。うちの監督は放任主義の人間ばかりでな、サインを出すこともしない。特に優秀な選手に対してはフリーダムだ。盗塁もオールグリーンライトで、選手の自主性をとことん重んじているチームだ」

「それは願ってもないことですけど、ペンギンズって、スター選手が1人もいない弱小球団ですよね?」

「ああ、残念ながらその通りだ。得手不得手が極端な選手ばかりで、どの監督も長くは続かず、課題は山積みだが、チーム方針は昔から貫いてきた。今のペンギンズにはスター選手が必要だ。だから君がそのスター選手になってくれ。あれだけのセンスがあればできるはずだ」

「そうは言っても、たとえボトムリーガーになれたとしても、希望なんて全然見えませんよ。強豪傘下のボトムリーガーでさえ、メルリーガーになれる人は少ないですし、ましてや弱小傘下のボトムリーガーが昇格する確率に至ってはほんの僅かですよ」


 葵は志半ばで心が折れかけていた。数々の否定の言葉に辟易していたのだ。


 チームスポーツに順応できない自分に苛立つことも少なくなかった。しかし、老人は葵が心の中で思いっきりベースボールがしたいと叫んでいる兆候を見逃さなかった。


 老人は葵の肩にそっと手を置いた。


「どこを見渡しても希望がないというなら、君自身が希望の光となり、周りを照らす側に回ればいい」

「おじさん、僕は小学校からもリトルリーグからも追い出された社会不適合者ですよ」

「それなら問題ない。メルリーグで最も成功した選手、キング・サーダー・ハルトマンも小学校中退だ。もしその気になったら連絡を寄こしてくれ。私はエステルハージートルタ・バロン・ウィトゲンシュタイン。エステルと呼んでくれ」

「……椎名葵です。葵でいいですよ」

「葵、期待しているぞ。君はペンギンズの希望だ」


 エステルが近くに泊めているウィトゲンシュタイン家専用の全自動タクシーを呼び、車内に入る。車が空の交通路に入ったところで、葵は目で追うことをやめた。


 1人の熱意が葵の折れかけた心を修復した。


 葵にはもう……失うものはなかった。

 スイッチヒッターがスイッチピッチャーと対戦する場合、先に投手が投げる腕を決めなければならない。これはスイッチピッチャーで唯一500勝を達成しているレフティ・ライトがスプリングトレーニングで事の発端となったことから、レフティ・ライト・ルールと呼ばれている。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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