アウグスト・マンキースの選手一覧
【アウグスト・マンキース】
メルへニカリーグベースボール、ハートリーグ北東地区所属。ハートリーグでは最も古い球団である。現存する球団の中ではアウグスト・ジャイアンツに次いで2番目に古い名門球団の1つである。建国歴9978年、ベースボールを代理戦争の手段として用いていたオーガスタス・アウグスト・ウィトゲンシュタインの働きにより誕生した。カエサリウスが真っ先に創設したアウグスト・ジャイアンツへの対抗馬であったが、ジャイアンツが同じアウグストの球団であったため、ジャイアンツとマンキースのライバル関係は熾烈だった。
ジャイアンツとは対照的なプレイスタイルである。当時のジャイアンツ監督がヒットエンドランや盗塁を多用し、走塁と守備位置を駆使した緻密な作戦や、足を重視したスモールボールがジャイアンツの特徴だった。対してマンキースはサーモン・トラウトがホームランを連発し、ビッグボールが1つのセールスポイントとなった。10023年のマンキー・スタジアムの年間観客動員数を見ると、ジャイアンツをマンキースが倍近く上回っており、ファンはメルリーグ創成期からビッグボールに興味を示していたことがうかがえる。
数多くの生え抜き強豪選手が豊富に揃っている他、FA移籍した選手の数もダントツの球団であることで知られている。常にワールドシリーズ優勝候補とされ、FA選手が真っ先に移籍候補に挙げるほどの人気ぶりである。他のチームであればクリーンナップやエースとして活躍できる選手でも、マンキースでは控え選手になるほど選手層が厚く、レギュラーを勝ち取るだけでも困難である。往年のスター選手は過酷な競争を勝ち抜いた末、やっとの思いで出場資格を得てきたため、名門に憧れるプレイヤーにとっては登竜門である。
創成期から優勝を重ね続け、ワールドシリーズにおける優勝回数は断トツである。最も成功した投手とされるサイ・クロンを輩出し、ワールドシリーズでは主にジャイアンツのキング・サルダール・ハルトマンと数々の死闘を繰り広げた。ワールドシリーズ初優勝を果たした球団でもあり、これでオーガスタスが政権争いに勝利し、カエサリウスとオーガスタスの死後、この事実が公表された。オーガスタスの代理戦争の手段として誕生したことで批判の対象となり、以降はお金で勝利を買う悪の帝国と呼ばれ続けた。
数々の記録を持ち、主に投球記録で他球団を圧倒している。ハートリーグ創設前から存在する数少ない古巣球団の1つ。メルリーグ創成期の時点から存在するスペードリーグのチームを全てワールドシリーズで倒している唯一の球団でもある。建国歴10920年にスラッガーとエースを両方こなすブービ・ルースが登場してからはマンキース人気に更なる拍車がかかった。二刀流選手が正式に定義され、模倣を試みる選手が多く現れるなど、後世の選手たちに多大な影響を与えた。
【アウグスト・マンキースの経営陣及び首脳陣】
ジョー・ジョーカー
通算成績
.297 452 2185 43 .917
愛称はジョー。身長188センチ。
右投右打。62歳。背番号15。監督。
貫禄のある顔が特徴のメルへニカ人。名門のマンキースを長年率いてきた名将。元々はキャッツの選手であり、ワールドシリーズでマンキースとあたった時には闘争心を剥き出しにし、アンチマンキースと呼ばれるほどマンキースを嫌っていたが、現役引退後のキャッツ監督の契約が満了してからはマンキースのGMに声をかけられ、マンキースの監督に就任した。就任後は持ち前の観察眼を活用し、マンキースを何度もワールドシリーズ優勝に導いてきた。エステルとは友人であり、頻繁に連絡を取り合っている。
【アウグスト・マンキースの選手】
ルーシー・ゲーリッグ
11946年度の成績
.312 35 124 18 1.083
愛称はルー。身長175センチ。
左投左打。16歳。背番号14。内野手。
灰色の長い髪、モデルのように引き締まった細身の体が特徴のメルへニカ人。昔からプロスペクトとして注目され、名門でプレイできることを夢見ていた中でマンキースに入団し、15歳でメルリーグデビューを果たした神童。前半から好調なバッティングを見せ、新人としては異例の3番を務めた。彼女への対策が進んだことで、シーズン後半から打率を下げるが、持ち前の分析力と打撃センスで見事新人王を勝ち取った。あからさまにペンギンズを下に見ているが、葵には一目置いている。
小さい頃からベースボールのセンスに長け、将来は確実にメルリーガーになれると言われた矢先、筋肉が徐々に固まっていく難病に罹ってしまう。魔法科学による手術の末完治したが、病気を完治させるためにずっと動けなかったブランクにより、しばらくはベースボールどころか、簡単な運動も満足にこなせない始末であったことにショックを受ける。だが自分のために家族が借金までして治してくれたことを知って奮起し、血の滲むような猛特訓の末、夢にまで見たメルリーガーとなった。
可愛らしい細身の見た目に反してパワーが桁違いに高く、スプリングトレーニングで結果を残したことで当時のファーストからレギュラーの座を勝ち取り、アリスと共にクリーンナップを務めた。打力優先のポジションではあるが、足が速いために守備範囲が広く、彼女のお陰で他の内野手が定位置よりも左寄りに守れるようになった。肩が弱く送球も苦手であるため、総合的な守備力は平均程度である。普段は自分にも他人にも厳しいストイックさを持っているが、一度認めた相手にはとことん激甘である。
アリス・ロドリゲス
11946年度の成績
.305 60 158 32 1.214
愛称はアーロッド。身長190センチ。
右投右打。20歳。背番号13。内野手。
肩に届くくらいの長く暗い金髪、長身でスラリとした体形、ギャルのような軽い口調が特徴のブリティア系メルへニカ人。豪快なダウンスイングが持ち味であり、右手をバットから離すタイミングが非常に速い。圧倒的な長打力を誇るが、外に逃げる変化球に弱い。好不調の波が激しいものの、チャンスには滅法強い。足も速い方であり、毎年二桁盗塁を記録している。肩が非常に強い上にエラーも少なく、守備力は平均以上である。プロ4年目だが、デビューから4年連続でシルバースラッガー賞を受賞している。
全国ドラフト1位のプロスペクトだが、ドラゴンズ傘下のボトムリーグのチームからペンギンズにトレードされた落ちこぼれである。行きすぎたビッグボールを貫くドラゴンズの方針の中でも特に顕著だった全選手盗塁禁止に反発し、意図的に盗塁を決めて監督を怒らせると、打撃成績が大して良くなかったこともあり放出された。アリアとは旧知の中であり、ボトムリーグで最初に出会った友人である。アリアがメルリーグに昇格すると、後から自分も昇格することを約束し、その翌年には無事約束を果たした。
ボトムリーガーだった頃は肩の強さを買われ、ショートを務めていたが、メルリーグ昇格後は打撃に専念するべく、空きが出たファーストかサードへのコンバートを監督から打診された。最初こそファーストを希望したが、強肩を活かせることや、ライナー性の打球に強いこともあり、最終的にサードに落ち着いた。彼女の驚異的なパワーの秘訣は恵まれた筋肉質な体格にある。トレーニングの成果により腹筋も割れているため、女性として見られないのが悩みである。シーズンオフにマンキースと大型契約を結んだ。
マンデル・シュトレン・ジュニア
11946年度の成績
.325 44 116 0 1.023
愛称はディクタートル。身長204センチ。
右投両打。29歳。背番号27。指名打者。
ガタイの良い長身とボサボサな白髪、とぼけた性格が特徴のメルへニカ人。マンキースと大型契約を結んでタイガースから移籍したFA選手であり、コンタクト能力と長打力を兼ね備えたスラッガー。昔はタイガースの外野手であったが、スイングスピードこそ速いが体全体の動きが遅いため、守備力も走力も低く、タイガース時代は先発を外れることも珍しくなかった。愛称のディクタートルは独裁官のように粗暴狼藉な性格と、亀のように動きが鈍いことからファンにつけられた造語である。
普段は呑気で大人しいが、一度火がつくと手がつけられないほどの暴れ馬となる。タイガース時代は短気なトラブルメーカーとして有名であり、罵詈雑言を飛ばしてきた観客を殴り飛ばして出場停止処分を受けたり、チームメイトと対立しては制限リストに入った経歴を持つ。ボトムリーガー時代から打撃に定評がある一方で守備力の低さを指摘され、それがもとで乱闘になることも少なくなかった。絶対的な打撃力を欲していたマンキースに移籍してからは指名打者に定着し、キャリアハイを記録した。
肩の強さを買われ、当初は投手としてデビューしたが、コントロールが定まらず、打撃成績が良かったことから外野手にコンバートしたが、今度はバックホームで暴投をするようになり、無鉄砲肩と揶揄されることも少なくなかった。そのためレフトであるにもかかわらず、守備防御点はいつも最下位争いをする程であった。ルーシーやアリスには一目置いており、ペンギンズのアリアがタイプだが、恥ずかしがり屋な側面があり、なかなか声をかけられずにいる。DH制のない試合では代打に回る。
テレック・サンダーソン
11946年度の成績
.283 24 69 39 .868
愛称は。身長193センチ。
右投右打。28歳。背番号22。内野手。
短い銀髪と爽やかな顔が特徴のメルへニカ人。類まれな運動神経を誇り、一見無理な打球をアクロバティックなプレイで捕ったり、ジャンピングスローを見せるなど、ずば抜けた守備力を誇るマンキースのチームキャプテン。何度かゴールドグラブ賞を取っているため、守備に目がいきがちだが、打撃でも勝負強さを持ち、走塁もうまいファイブツールプレイヤー。スプリングトレーニングではリードオフマンを務めたが、本職は状況に応じたバッティングを得意とする技巧派の2番打者である。デビューからマンキース一筋のフランチャイズプレイヤー。
ワット・ワトソン
11946年度の成績
.297 22 63 10 .856
愛称は。身長187センチ。
右投左打。32歳。背番号23。外野手。
華奢な体つきに黒と白の縞模様の短髪が特徴のメルへニカ人。FAで移籍してきた選手の1人であり、走攻守がバランスよく整ったプレイヤー。俊足を誇るセンターだが盗塁は控えめである。練習試合では2番を打っていたが、それは2番打者としての適性を確かめるためであり、本来は彼がマンキースのリードオフマンである。以前は盗塁王に輝くほどであったが、マークが厳しくなってからは盗塁数を大幅に減少させ、出塁率を伸ばすことに尽力している。勝負強さはないが、長打力も兼ね備えている。
ブライアン・ブラウン
11946年度の成績
.282 35 106 0 .941
愛称はブラッディ。身長188センチ。
右投両打。30歳。背番号20。捕手。
角刈りの黒髪と黒い肌、冷静な分析力が特徴のメルへニカ人。マンキースが誇る強打の捕手であり、長打力と守備力を持ち合わせているスイッチヒッター。足が致命的に遅く、併殺打の数が多かった。最大の武器は銃弾と称される強肩であり、多くのランナーをアウトにしてきた。ルーシーやアリスが加入してからはクリーンナップを追い出され、下位打線の打者としては珍しく、シーズン100打点を記録したことからも、チーム全体の出塁率の高さがうかがえる。マンキース一筋のフランチャイズプレイヤー。
リチャード・リチャードソン
11946年度の成績
.293 20 68 4 .873
愛称はリッチ。身長182センチ。
右投左打。27歳。背番号33。万能野手。
緑色の逆立っている短髪が特徴のブリティア人。FAで移籍してきた選手の1人であり、移籍前はクリーンナップを打つほどの打力の持ち主。打率は高めだが選球眼がなく、球界屈指のバットボールヒッターである。ボール球を安打にしてしまう意外性から7番を打ち、恐怖の下位打線の1人として恐れられた。ユーティリティー枠としてマンキースに入団し、穴が開いたセカンドを守っていたが、守備負担の大きさから不振に陥り、やむを得ず外野にコンバートしたが、他の選手との兼ね合いで出場機会が少なかった。
ハリー・ハリス
11946年度の成績
.238 12 57 6 .733
愛称はハリー。身長169センチ。
右投右打。23歳。背番号42。内野手。
小柄な体型と丸い眼鏡、おかっぱの茶髪が特徴のブリティア人。マンキースのレギュラー選手の中では最も実力に劣る選手であり、打力も守備力も低いことからマンキースの穴と称された。流れを途切れさせてしまうことが多く、普段はセカンドに徹しながら9番を打っている。数年ほど前からマンキースのセカンドを守ると不振に陥るというジンクスがあり、彼も例に漏れなかった。彼と同い年で同じポジションを守るアリアとは旧知の仲であり、アリアのマンキース移籍を恐れている。
オスト・カーカ
11946年度の成績
.274 14 49 9 .746
愛称はオストック。身長195センチ。
右投左打。36歳。背番号44。外野手。
黄土色の長髪とやや老けた顔が特徴のスカンディア人。極寒の地であるスカンディア王国で育ったために足腰が非常に強く、他の選手と共に上位打線を争っているベテラン選手。元々は長打力が魅力の内野手であったが、FAでマンキースに移籍して以降、セカンドを守るようになってからは打撃不振に陥り、下位打線降格となった上に、守備力の衰えからハリーにセカンドのポジションを奪われた。左投手を苦手としており、徐々に力をつけてくる控え選手に立場を追われることを懸念している。
ゲイリー・コール
11946年度の成績
32 22勝4敗 2.28 405 0.79
愛称はプレイン。身長193センチ。
右投右打。27歳。背番号45。投手。
長身で太い筋肉が全身に浮かび上がっているメルへニカ人。投手力に優れており、ストレートと複数のスライダーを武器に奪三振王を複数回獲得している。元々はラッツにいたが、経営不振に陥ったラッツが大型契約の年俸を払えなくなってしまうと、ラッツが彼を売り払う形で移籍の話が飛び出し、マンキースとジャイアンツが取り合いになった末、マンキースが年俸の大半を負担することを条件に獲得したが、これはマンキース側がワールドシリーズを制覇するために仕組んだ罠であった。
ドナルド・ドナルドソン
11946年度の成績
59 9勝3敗 3.42 165 1.29
愛称はドナー。身長189センチ。
右投右打。31歳。背番号24。投手。
もじゃもじゃな赤い髭がトレードマークのメルへニカ人。マンキースと大型契約を結んだ実力派投手。元々はデビルスの先発だったが、トレードデッドラインでマンキースに移籍してからは打者有利のホームゲームで調子を崩し、リリーフ降格となった。その後はリリーフエースに定着し、再び先発ローテーションに戻ることを望んでいるが、精鋭揃いのマンキース投手陣から先発の座を奪えず、時折苛立ちを見せる場面もある。レギュラーシーズンではアイリーンにビーンボールをぶつけ、抵抗の意を示した。
常勝軍団がポストシーズン止まりになる原因はただ1つ。個人の力が強すぎて、チームワークがちぐはぐになっているためである。そのことを知っている監督は時折トレードデッドラインで人格と才能を併せ持ったムードメーカーを加入させる場合も少なくない。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




