第30球「開幕目前」
序章はここまでとなります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブレッドが監督に就任してからスプリングトレーニングを終えるまでを描きました。
第1章ではシーズン開幕戦から前半戦終了までを描きますのでお楽しみに。
――シーズン開幕前日、アンタークティック・スタジアム――
ブレッドは朝早くからペンギンズの選手たちを招集した。
クラブハウスにペンギンズの関係者が集結し、エステルやドボシュも顔を連ねている。選手たちはブレッドから受けた知らせが気になるのか、全員ブレッドを見ながら固唾を飲んで見守っている。
コマンドフォンのホログラムから出現したペンギンズのアクティブ・ロースター枠が発表された。
【オリュンポリティア・ペンギンズ・アクティブ・ロースター】
【投手】
スヴェトラーナ・ボルトキエヴィチ
バウムクーヘン・シュピッツェン
ルドルフ・ヒューラー
クロエ・クロフォード
椎名煌
エクレール・ルリジューズ・ショコラ
モンテ・ビアンコ
イバン・イバニェス
パネットーネ・パンドーロ
エイブル・スキーバー
エリオ・エリオット
ザッハトルテ・ケルントナートーア
マドレーヌ・フィナンシェ
【野手】
プレクムルスカ・ギバニツァ・コシッチ
ワッフル・オベリオス
リンツァートルテ・クレス・フォーゲル
アリア・レチタティーヴォ
マカロン・クラックレ・ダミアン
椎名葵
クラップフェン・オリークック
オルガ・オルソン
江戸川丸雄
アイリーン・ルーズベルト
ジョージ・マッケンジー
松田修造
ブレッドは選手たちのレギュラーポジションはもちろんのこと、それぞれの役割を細かく記述することによって、選手たちに自身の役割を再認識させた。
選手たちは様々な反応を見せた。結果に安堵する者、そんなものかと納得する者。
「なあ、ファンクたちがいないんだけど」
リンツがブレッドに歩み寄りながら問いただした。アクティブ・ロースター枠の候補者は昨日まで30人いたが、アクティブ・ロースター枠には25人しか入れない。
「ファンクたち5人はボトム落ちが決まった。考えに考えた結果だ。ファンクがお前の派閥なのは分かってるけど、悪く思わないでくれ。ボトム落ちになった5人はメルリーグでの経験がないし、スプリングトレーニングでも特に成績が悪かった。だから昇格するには早いと判断した」
落ち込む者は誰もいなかった。アクティブ・ロースター枠から落ちた者は、事前にペンギンズ傘下のレインディアーズの開幕戦が行われる球場に集合することを告げられており、既にこの場にはいなかった。その結果、ファンクたち5人が押し出される形でボトム落ちとなった。
この発表に最も度肝を抜かれたのはリンツだった。
アクティブ・ロースター枠に名前がない選手は公式戦に出場できない。ファンクたちは今朝、首脳陣からのメールによってボトム落ちを命じられ、この残酷とも言える現実を受け入れられないのか、いずれの選手もその場に肩を落としていた。
「まっ、そういうわけだ。今ここに残っているのは、アクティブ・ロースター枠に残った選手だけだ。よくここまで生き残った。お前ら全員合格だ」
歓喜の声がクラブハウスを包み込んだ。
選手同士で抱き合う者、拳を軽くぶつけ合う者、ハイタッチをする者がいた。
メルリーガーにとって、アクティブ・ロースター枠で出場できることは実力を認められた証であり、最高の喜び以外の何ものでもない。
「まっ、残れるのは分かってたけどね」
ウインクをしながらマカロンが言った。
大型契約を結んでいる選手、既に実績を残している選手は発表前から確信している。落ちるかどうかの瀬戸際にいた選手は喜びよりも安堵の方が大きいことは言うまでもない。
アクティブ・ロースター枠の発表が終わったところで、クラブハウスから選手たちが開幕に備えた練習のために去っていき、ブレッド、アイリーン、エステル、ドボシュの4人だけが残った。
「明日は遂に開幕戦だな」
「あんたが急にトレードなんてしなきゃ、アクティブ・ロースター枠なんてとっくの昔に決まってたんだけどな。ここまで時間がかかったチームなんて他にないぞ」
「まあそう言うな。アイリーンも無事にレギュラーが決まったことだし、ここまで耐えてくれただけでも勲章ものだ」
「オーナー、開幕戦はブルーソックスです。南東部ほどじゃないですけど、あそこもアルビノに対してかなりの嫌悪感を持っています。このままアイリーンを出場させてもいいんですか?」
「今更怯えてどうする。そんなんじゃ勝てる試合も勝てんぞ。アイリーンはどうだ?」
「特に問題ありません」
「明日には大勢の記者に囲まれる。冷静に対処できるか?」
「もちろんよ。それより、私は開幕戦から出てもいいの?」
アイリーンが首を傾げた。レギュラーこそ確保したものの、毎試合出場しなければならないわけではなく、疲労が溜まった時は控えと入れ替わることもあるため、レギュラーシーズン全試合に出場する者はほとんどいない。
しかも大陸を横断するレギュラーシーズンは、移動時間こそワープで最小限に抑えられるが、時差と気温の変化に体力を奪われるため、非常にタフな戦いになることが予測される。
メルリーグで長いシーズンを戦ったことのないアイリーンにとっては初めての領域だ。試合を毎日こなすだけでも十分すぎるほど苦難だが、アイリーンに至っては罵詈雑言や嫌がらせに耐えながら仕事をこなさなければならないことをブレッドたちが懸念するのも無理はない。
「いいに決まってるだろ。本当はセンターを任せたいところだけど、レフトには煌が入るし、クラップはセンターの守備に慣れたところだ。しばらくはライトで起用する」
「アイリーンは元々ショートだったはずだが、ライト以外では起用しないつもりか?」
「必要に応じてポジションを変える時もあるだろうけど、アイリーンなら問題ない。リンツか丸雄が欠場する時はファーストに入ってもらう。丸雄が抜ける場合はリンツにレフトを任せて、煌にDHに入ってもらう。守備だけで言えば、想定している活躍はそれくらいかな」
ブレッドは今後長いシーズンをアクティブ・ロースター枠に入った選手25人の中で、どうにかやりくりする必要に迫られている。
怪我人が出れば負傷者リストに登録し、代わりの選手をエクスパンデッド・ロースターとして登録している15人の中から昇格させることも可能だが、多くの有望選手が抜けきった今、昇格させるべき戦力は存在しないとブレッドは感じている。
強打者の少ないペンギンズ打線では心許ないと思ったブレッドが考えていたのはスモールボールであった。控えやリリーフに小技のうまい選手を残したのはそのためだ。
「ブレッドの方針を聞こうか。今のペンギンズの戦い方を教えてくれ」
「ペンギンズは投手力と打力に不足を感じるけど、守備力と走力に長けた選手が多く在籍している。だからスモールボールの方針だけど、同時にベースメトリクスと僕のやり方を導入する。上位打線にバントはさせない。バントは打力に期待が持てない下位打線の仕事だ。序盤からじゃなく、1点を争う終盤か延長戦で用いる。それ以外の場面ではとにかく出塁を狙って打順を早く回す。それと奪三振を狙いに行く方針を打たせて取る方針に変更する。守備力が高いなら無理に三振を取りにいく必要はない。1人で抑えるんじゃなく、全員で抑えることで投手力のなさを補っていく。開幕前に守備練習を徹底していたのはそのためだ」
「大きく出たな。ベースメトリクスのやり方を取り入れつつ、バントや打たせて取る戦略も失わせないときたか。何だか昔を思い出すな」
エステルが後ろを向き、過去を懐かしむように言った。
最近のメルリーグはあまり頭を使わなくなっていると嘆いてはいたが、それを払拭するようなブレッドの方針を気に入った。
ブレッドにとって、データはあくまでも参考にしかならない。チームに合うかどうかも分からないまま有効な戦略だからと鵜呑みにし、地区最下位に転落した球団もいる中、ブレッドがチームに最も合った方針を考え出したことに、エステルは驚きを隠せないでいる。
「昔のメルリーグの方針に似てるか?」
「似ているも何も、昔のメルリーグは戦力に頼らず、もっと頭を使っていた。今でもスペードリーグの方針はあまり変わっていないが、ハートリーグはピッチャーが打席に立たないのをいいことに、どの球団もピッチャーはバントの練習すらしなくなり、打線も強打者ばかりを揃えるようになった」
「確かにハートリーグとの試合は、どこも大味の試合が目立ちますね」
ハートリーグとスペードリーグは、DH制の有無だけで違うゲームのようになっていたことをエステルが話した。DH制に対する違和感を持っていたブレッドにエステルは確かな共感を持ち、打順を決めた時点で監督としての仕事がほとんど終わってしまうことに物足りなさを感じていた。
ピッチャーの打順で代打を送るかどうかを決めるのは監督の采配の見せ所だ。だが投手の負担を減らしながら強打者を増やせるという選手側の都合を覆すかのように、投手と打者の両方をこなす煌の存在はブレッドにとっても、選手たちにとっても大きな刺激となっている。
「一部のピッチャーたちにバッティング練習をさせていたのは?」
「ハートリーグは代打をあんまり使わないけど、ピッチャーの中には打撃のセンスに優れた人もいたから、登板しない日は打撃にも参加してもらう。代打起用になるけど、ピッチャーの中には相手ピッチャーの心理が分かる人もいるから、いざって時の保険だ」
ブレッドたちが話している間にも、アンタークティック・スタジアムのグラウンドでは、バウム、エクレール、クロエ、エイブル、エリオ、ザッハの6人は打撃練習の真っ最中である。
打撃に一切の興味を示さない者たちは投球に特化した練習を行い、開幕戦の先発に選ばれていたラーナは、他の投手の練習を不思議そうに眺めている。
共に練習をしていた煌にラーナが歩み寄った。
「前々から思っていたデスガ、何故あいつらは投手なのに打撃練習をしているデスカ?」
「ブレッドさんの方針で、登板しない日は代打としても出場させるみたいです。私をヒントに考えついたみたいです。せっかく打撃のセンスがあるのに、活かさないのは勿体ないんだそうです」
「ワタシには理解できないデス」
「私は理解できますよ。どっちもやるのが夢でした。お兄ちゃんは途中で折れちゃいましたけど」
「ベースボールは投手と打者のどちらかに絞るのが常識デス。もし先発と打者、そして守備までずっと続けるようなことがあれば……潰れる危険性があるデス」
ラーナは投手と打者という全く異質の仕事を同時にこなすことがいかに難しいかに気づいていた。ただこなせるだけでは駄目だ。どちらも一流でなければ価値がない。
しかし、どちらも一流で居続けることは、体力的に言えばかなりの消耗を要する行為だ。多くの選手はそれを自覚し、投手か打者のどちらか一本に絞っていく。
「そんなこと――」
「ないとは言い切れないデス。ただでさえ投手が投球と打撃をこなすだけでかなり疲れるのデス。守備負担が少ないとはいえ、守備までやったらどうなるか分からないデス。ブービ・ルースは守備負担を考慮して、先発で投げない日はDHに入っていたデス。それはお前もよく分かっているはずデス」
「たとえそうなっても――私は……ペンギンズのために尽くすだけです」
もうこれ以上聞きたくないと、煌のスラリとした足がいつもより早く歩き始めた。現実を突きつけるエースからの言葉は、これ以上煌の耳には入らなかった。
やっとの思いで掴んだ夢の舞台。そこに立つ喜びだけを噛みしめている煌にとって、これ以上ないと言っていいほど都合の悪い忠告だ。
煌が再びクラブハウスに戻ると、話を終えたブレッドがマッサージマシンに座っていた。
マッサージマシンが疲れている個所を特定し、丁寧に揉み解していく。
「おっ、煌か。これめっちゃ気持ちいいぞ。煌もやるか?」
「いえ、私は大丈夫です。あの、先発はどれくらいの頻度で投げるんですか?」
「基本的には中4日で投げてもらう。移動日を跨いだ場合は第5先発を飛ばして、またラーナから順番に投げてもらう。あのストレートとスプリットなら、どんなバッターでも抑えれること間違いなしだ。うちは投手力も打力も足りないから、煌にはとても期待してる……煌?」
考え事をしていた煌をハッと目覚めさせるようにブレッドが名前を呼んだ。
さっきから煌の脳裏にはラーナの言葉だけが何度も繰り返されている。
「あっ、いえ、何でもありません。期待に応えられるよう頑張りますっ!」
悩みを誤魔化すように、煌は両腕でガッツポーズを見せた。
ここで弱みを晒せば、せっかくの出場機会を失いかねないという恐怖心から肝心なことを全く相談できなかったばかりか、突撃するかように虚勢を見せてしまった。
チーム戦力のなさから多くの点を補ってくれるという期待はブレッドから洞察力を奪い、煌の中にある大きなリスクに気づくことができなかった。
期待と不安が渦巻く中、スプリングトレーニング期間がその幕を閉じるのだった。
メルリーグは2人の執政官の諍いから生まれたものである。だが法律によって内乱は禁止されていた。そこで2人が軍の代理として目をつけたのが、全国的に人気を博していたベースボールだった。2人は2つのプロリーグを作り、代理戦争としてオールスターゲームとワールドシリーズが生まれたのだ。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




