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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
序章 前代未聞の入団
30/50

第28球「メルリーグ契約」

 主力を頻繁に打席に立たせることができる変則的な試合に観客は心が躍った。


 レギュラーチームと余ったチームで試合を組み、途切れることのない打線には投手陣の心にも火がついた。7番から9番の相手をすることがないため、投手は一切気が抜けないのだ。


 この機転の利いたアイデアを思いついたのはブレッドだった。


 対戦相手がいないことを逆用したばかりか、選手たちの練習にもなった。しかも合同練習によって疲れた状態からの試合開始であったため、いつも以上に緊迫した練習試合となった。


 しかし、観客からのアイリーンに対する罵詈雑言が絶えることはなかった。打席に立つ度にブーイングの嵐の中で打席に立ち、ライトの守備に就いた時にはライトスタンドからゴミを投げつけられることもあった。その度に立ち上がろうとするブレッドをジャムが抑える光景も風物詩となった。


「ビノー帰れー!」

「他の選手に枠を譲れー!」

「遺伝子疾患はザークセルに帰れー!」

「オリュンポリティアから出てけー!」


 オリュンポリティア在住のペンギンズファンは新人選手に厳しいことで知られていたが、今回ばかりはいつもと事情が違う。


 しかし、ブレッドがリンツたちと交わした約束が心に焼きついたアイリーンは、その力を練習試合でもいかんなく発揮した。


 オリュンポリティアはメルへニカ島東海岸に面しており、この適度な寒さがアイリーンには丁度良く、気候にはすぐに馴染んだ。


 試合終了後、ブレッド、ジャム、アイリーン、煌の4人がオーナー室に呼ばれた――。


 腰かけているエステルの隣にはドボシュが両手を後ろに繋ぎながら佇んでいる。


「ブレッド、ジャム、ここまでよくやってくれた。レギュラーシーズンもこの調子で頼むぞ」

「アクティブ・ロースター枠の半数以上がFA選手と新人選手だ。これで大丈夫なのか?」

「まあそこは血の巡りが良くなったと考えれば問題ない。それより、アイリーンと煌に良い知らせだ。2人のメルリーグ昇格が正式に決定した」

「本当ですかっ!?」

「ああ、本当だとも。スプリングトレーニングでの成績を考慮した結果だ。煌は3年1200万メルヘンの契約でどうかな?」

「はい、私はそれで構いません」

「アイリーンは3年60万メルヘンの契約でどうかな?」

「――はい、全然構いません」


 思わず笑顔がこぼれるアイリーン。


 アイリーンに提示された年俸はメルリーガーの中ではかなり安い方だ。だが隔離政策によってやりくりを強いられていたアイリーンにとってはかなりの大金であった。


 不満そうな顔のブレッドが一歩前に出た。


「ちょっと待て。何でアイリーンはそんなに少ないんだよ?」

「決して安い金額じゃないぞ。リードオフマン時代なら10倍の価値にはなっていた。打者の場合はOPSが考慮される。アイリーンは出塁してからの盗塁に優れているが、守備での貢献度が高いことを考慮すると、守備固めの選手と同等の額にするのがちょうどいい塩梅だ。もちろん、成績次第で契約を延長することも、より高い金額になることも十分ありえる。煌は新人としては規格外の投手力と長打力が売りだ。投手と打者の両方で貢献するなら、これでも安いくらいだと思っている」


 メルリーグ契約を勝ち取ったアイリーンと煌だが、まだ結果を出していない。新人がそのことを盾に安い年俸に抑えられる光景は決して珍しくはない。


 メルリーグでは新人選手とメルリーグ契約を結ぶ場合、必ず3年以上の契約を結ばなければならないことが決まっている。これは選手にチャンスを与える機会を増やすためであり、同時に新人育成を促すためでもあるが、使い捨てにされることも少なくない。


 基本的には3年生き延びればレギュラーに定着するものとされ、5年生き延びれば降格拒否権を取得することができるため、新人にとっては最初の5年をどう過ごすかによって、長くメルリーグに残れるかどうかが決まると言っても過言ではなかった。


「本当はもっと額を上げたかったんだが、これ以上年俸を上げてしまえば部下の反発を買うことになる。生活の面倒はブレッドが見るわけだから、実際はかなりの特典付きと思ってもらっていい」

「いくらだろうと光栄なことよ。むしろお金を払ってでも、この舞台に立って活躍する権利を得ることの方が……ずっと重要なことだから」

「……その気持ちはよく分かるわ」


 煌が何かを思い詰めるように下を向き、アイリーンの顔を見た。


 桃色の短髪をなびかせ、煌がアイリーンを横から抱き寄せた。


「私たちメルリーガーは常に存在価値を問われているわ。それがプロの仕事よ。だから今は耐えて、一緒に結果を出しましょ」

「……うん」


 煌も葵と同様、アイリーンに対しては同じ想いを持っている。


 3年間のボトムリーグ生活は煌を鍛え上げると共に、不安を募る過去でもあった。いつまで経っても昇格の通達がないまま過ごしてきた煌にとって、1年でメルリーグ昇格を決めたアイリーンが羨ましくて仕方なかった。レインディアーズ時代は同僚であった煌は、アイリーンの扱いにも慣れている。


 試合中こそ近づくこともできないが、心底では応援していることが見て取れる。


 無事にメルリーグ昇格を果たし、アクティブ・ロースター枠に入った25人全てがメルリーグ契約を交わした選手となった。


 しかし、アイリーンのメルリーグ昇格は球界に激震を与えた。


 アクティブ・ロースター枠にいたペンギンズの選手たちがエステルに抗議をした。すると、それから僅か数日後、一部の選手たちのトレードが決まった。


 クラブハウスのロッカールームに集まったペンギンズの選手たちは不平不満を口にし、トレードで移籍する選手たちを見送っている。


「ふざけてる。本心を言ったら、トレードだとさ。これがメルリーグかよ。まさかビノーが本当にメルリーグに昇格するとは思わなかった」

「全くだ。リンツ、お前もトレードしてもらったらどうだ?」

「気持ちは分からんでもないが、こちとらビノーにポジションを取られたままじゃ、どうにも気が済まないんでね。あいつから全てのポジションを奪って、メルリーグから締め出してやるつもりだ。行き先はどこだ?」

「スターズ。金銭とリリーフと引き換えだ。寄りによってこれまた万年地区最下位のスターズかよ。なんてこった。せっかくワールドシリーズ優勝候補のチームに行けると思ったのによぉ。これが自由の国かよ」

「俺の行き先はドルフィンズだ。こっちもあんまり強くねえ。ドルフィンズは野手が不足してるみたいだから、リンツたちがその気になったらいつでも紹介するぜ。年俸は保証できねえけどな」


 吐き捨てるように言いながら、選手たちがクラブハウスを後にする。


 扉が閉まると同時に殺風景極まりない静寂がリンツたちを襲う。葵たちはロッカーに囲まれた部屋の中央に置かれている背もたれのないクッションのような柔らかい椅子に座るリンツを、チラチラと確認しながら機嫌を窺っている。


 トレードとなったのは、いずれもリンツたちとつるんでいた有望な投手たちだった。


 皮肉にもこのトレードによってリンツは発言力を失い、チーム内でアイリーンのメルリーグ昇格に反対する者は少数派となっていた。幾分か葵たちが発言しやすくなり、チームは分断が続く中でも小さくまとまっていた。ロッカーが新品なままいくつか空いており、ロッカーの地面には空いた分と同じ数だけボールが置かれている。


 選手がボールをロッカーに残すということは、チームに対して不満を持っている証だ。このことからも選手たちが抵抗の意を示してから立ち去ったことが見て取れる。


 葵やリンツが立ち去る頃、アリア、マカロン、ワッフル、プレクが着替えを終えた時だった――。


「ねえプレク、そろそろブレッドに話したらどう?」


 アリアが何かを提案するようにプレクに言った。


 この言葉でワッフルの全身に一瞬の震えが走った。


「そうだね。ワッフルには悪いけど、僕もレギュラー取りたいからね」

「えっ、もしかしてあんた、またキャッチャーを狙ってるわけ?」

「だって1番レギュラーを取れそうだし、今だったら大丈夫かなって」

「勘弁してよぉ~。ただでさえ正捕手の座を取られて萎えてんのにぃ~」

「ねえ、一体どういうことなの?」


 今度はマカロンが肩を落としているワッフルを尻目に、隣に立っているアリアに尋ねた。


「実はプレクね、元々キャッチャーだったの。私がボトムリーグにいた時、プレクはキャッチャーでありながらリードオフマンだったのよ」

「それまた型破りだねぇ~」

「でも足が速いからって理由でセカンドにコンバートされて、メルリーグに昇格したらアリアにセカンドを取られちゃうし、レフトになったかと思えば、今度は煌にポジションを取られて、もう行く場所がないんだよ。そんな僕がレギュラーを取るには、もうキャッチャーしかないからね。ワッフル、もう昔とは違うんだよ。去年までのように、確実にポジションを確保できる保証はない。だから僕は本気で奪いにいくよ」

「……勝手にすれば」


 ワッフルが逃げるようにクラブハウスを出た。


 惰性でプレイしていたリンツたちの心に変化が表れた。


 去年とは打って変わり、本気でポジションの確保を考えるようになったのだ。プレクはピッチャーたちと積極的にコミュニケーションを図り、それぞれの球種を把握した上で投球の相手を引き受けている。プレクのキャッチャーとしての実力は確かであり、打力はそこまでないが、俊足や盗塁スキルを持っているため、足の遅いワッフルにとっては不利であった。


 その一方でジョージはキャッチャーとしての実力に限界を感じ、DHとして返り咲くためにバッティング練習を始めていた。


「丸雄、どこ行くの?」

「練習だよ」

「去年までは帰ってたのに、どういう風の吹き回しだ?」

「ライバルが出てきたからな。監督の奴、ジョージに指名打者に転向するように言ったらしい。俺もぬるま湯には浸かれなくなったわけだ」

「でも、やっと自覚できたよ。ペンギンズがあんなに弱かったのは、他でもない僕らのせいだ。でも何であんなに勝ちたいのかな?」

「さあな。社会人チームにいた人間でも勝てるってことを証明したいんじゃねえの」

「なるほどな」


 ブレッドの作戦は一定の成功を収めた。レギュラーを取れるかどうかが問われる選手たちの全てのポジションにライバルを置き、より適した者を起用することで、怠けさせることのない本来のメルリーグらしいチームに戻ろうとする瞬間であった。


 シーズン開幕戦はアンタークティック・スタジアムで迎えるため、選手たちは一部の荷物を置いてから帰宅する。遠征時でもすぐに戻ってこれるためか、常時荷物を置く選手もいる。


 様々な推測が飛び交う中、アンタークティック・スタジアムの近隣に位置する監督寮では、ブレッドがアイリーンのために作った寝室に入った。


「ねえ、この前ジャムに聞いたんだけど、この部屋って、ブレッドが用意してくれたの?」

「ああ。元々は物置きだったけど、ソファーとかバスの席とかじゃ、疲れが取れないだろ。本当は法律で禁止されてるけど、ここはあくまでも寝室であって客室じゃない。万が一ここが検査された時のために、荷物はリビングに置いておけば大丈夫だと思ってな」

「……ありがとう」


 アイリーンがうっとりした顔を見せた。


 可愛らしい白いフリルのベッドのそばには、通称『メンスクッキー』と呼ばれる、茶色く平べったいギザギザの形をした『生理停止用菓子』が袋詰めの状態でいくつか置かれている。


 女性選手は契約時にメンスクッキーが支給され、食べることが推奨されている。1週間ほど食べ続けることで生理痛が一切起こらなくなり、妊娠もしなくなる機能を持っている。平均筋肉量は男性と変わらないため、これで男性選手との差が全てなくなるのだ。


 メンスクッキーは2種類あり、ギザギザのない丸い見た目のメンスクッキーを1週間ほど食べ続けることで、元の生理機能を取り戻すことができる。


「本来なら、あのホテルで泊まることができるはずなのにな」


 ブレッドが窓越しに少し離れたペンギンズ御用達のホテルを眺めながら言った。


「それは言わない約束よ。そんな待遇がなくても、十分やっていける自信があるわ」

「アイリーンは強いな」

「強いんじゃないの、強くならざるを得ないだけ。本当の私はもっと弱いの」


 そこに1人の女性が入ってくる。


「アイリーン、久しぶり」


 高くキラキラした少女のような声が聞こえた。


 アイリーンの目の前に佇んでいるのは、アイリーンと同様に腰まで長く白い髪、お嬢様のような気品と透き通るような黄色いつり目が特徴の女性であった。


 黒いリボンがいくつか備わっている古びたメイド服を着用し、物腰柔らかな様子で祈りを込めるようにアイリーンの手を握った。


「マロン、どうしてここに?」

「エステルさんに呼ばれたの。あなたに続く者としてね」

「続く者って、チームはどうしたの?」

「私、今年からレインディアーズに入団したの。成績次第で、私もペンギンズであなたとプレイできるかもしれないって言われて、それで死に物狂いで練習して、試合で結果を出したら、私にもボトムリーグ契約のお話がきたの。ここまでアイリーンを追いかけてきた甲斐があったわ」


 マロンはアイリーンに対して、少なからず特別な想いを抱いている。


 アイリーンがザークセルを離れたことで、その想いは日に日に増していった。だがそのことをアイリーンは知る由もない。


「知り合いか?」

「彼女はマロン・グラッセ。3年ほど前まで、私と二遊間コンビを組んでいたの」

「ブレッド・ベイカーだ。よろしく」

「よろしく。ねえ、私たちが怖くないの?」


 握手のついでにマロンが尋ねた。


 マロンにとって、ザークセルの外は初めての世界だ。道中は死を覚悟しながら全自動タクシーの中で縮こまり、命でも狙われているかのように耐え忍んでいたが、心が潰れるほどの不安を感じさせないほど、その健気さを見せている。


 敵意を示さない者と久々に出会ったと言わんばかりに、奇異の目でブレッドを見つめるマロン。


「そんなわけねえだろ」

「マロン、ブレッドもこっち側よ」

「あぁ~、なるほどねぇ~」

「二遊間コンビってことは、セカンドか?」

「ええ。でも今はピッチャーなの。ペンギンズは先発投手陣に課題を抱えていると聞いて、ピッチャーなら貢献できると思ったの」


 マロンはスラリとした長身に細長い両腕を上げながら、天真爛漫に語る。ザークセルにいた時と同様の仕草のまま、しばらくはブレッドとアイリーンと話した。


 まるで自分の中にある不安をどうにか誤魔化そうとするかのように。

 メルリーグにおける完封勝利はシャットアウトと呼ばれ、ノーヒットノーランに匹敵する評価を受けている。故にシャットアウトが成立した試合は、完全試合やノーヒットノーランと同様の騒ぎとなる。チームにとっては無失点に抑えることが何より重要だからだ。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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