第1球「動き出す運命」
――建国歴12000年、ハロウハーツ属州アウグスト――
メルへニカ王国の中でも名門中の名門とされるウィトゲンシュタイン家は、この千年紀を祝うべく数多くの人々を王都の中央に位置する自らの城、ウィトゲンシュタイン城へと招き入れた。
城内のホールには、宝石が散りばめられたシャンデリアが一定の距離毎に天井にぶら下がり、パーティ用に設けられた花柄のテーブルクロスが乗せられた丸いテーブルが規則正しく並んでいる。壁には数々の壁画や武器などが展示されており、灰色を基調とした大理石の床の上を人々が歩いている。
その中に身分不相応と思われる1人の老人と子供たちの姿があった。若々しさと貫禄を持ち合わせた老人ブレッド・ベイカーは孫たちを連れてこの高貴な城へと赴き、入り口付近でパーティの招待状を受付に見せたところであった。
「ブレッド・ベイカー様本人であることを確認できました。お通りください」
受付が違和感を感じながらも招待状を確認し、渋々と彼らを中へと通した。
しかし、意外なことに、普段は貴族しか入れないはずの城に入った彼らを人々が歓迎する。まるでスーパースターのような扱いだ。そこにウィトゲンシュタイン家当主、プリンツレゲンテントルテ・アウグスト・ウィトゲンシュタインがツカツカと歩み寄ってくる。
20代くらいの外見に高級な服を着た凛々しく礼儀正しい金髪ショートヘアーの若者の姿をブレッドがチラッと見つめると、城内の展示物に興味津々な孫たちの注意を惹きつけた。
「いいか、ここは遊び場じゃないから、粗相のないようにな」
「「「「「はーい!」」」」」
ブレッドの言葉を聞いた孫たちは檻から抜け出した動物のように散っていった。
ブレッドの言葉など3歩も歩けばすぐに頭から消え、溢れる好奇心の赴くまま、ウィトゲンシュタイン家の分家にあたる子供たちや、他の貴族の子供たちにちょっかいをかけにいった。
「ようこそ、ウィトゲンシュタイン家の千年紀記念パーティへ」
ブレッドとプリンツがお互いを歓迎するように握手を交わした。
このことからも、2人の間には並々ならぬ縁があることがうかがえる。
パーティは既に始まっていた。それぞれの名家を代表してやってきた者たちがワイングラスを片手に交流を楽しみ、高級食材で作られたクッキーを嗜む者もいた。
「プリンツ、招待してくれて感謝するよ。貴族でもない僕を呼んでくれるとは思ってもみなかった」
「とんでもない。かつて私がいたバロン家の者たちがあなたの世話になったようですから、せめてものお礼がしたかっただけです。今の私は本家の養子という立場でここにいますが、バロン家にいた時のことは今でも覚えています。実の父が曾祖父を通してあなたのことを自慢げに話していましたよ」
「エステルのことだな。彼は崇高で素晴らしい人間だった」
メルへニカを代表する名家、ウィトゲンシュタイン家には本家と5つの分家が存在する。何らかの事情によって本家に後継者がいない場合、デューク家、マーキス家、アール家、ヴァイカウント家、バロン家の内、総合的な実績に最も卓越した者を本家の後継者として養子入りさせる習慣があり、ウィトゲンシュタイン家はこの習慣によってその高貴な血を脈々と受け継いできた。
ウィトゲンシュタイン家の本家にはアウグストの称号があり、本家の者や養子入りした者は称号が正式名称に付属する。
大半の者はアウグストの名を聞いただけで恐悦至極の気分に至る。
「ええ、毎日のようにあなたのことを話していましたよ。ですから一度お会いしたいと思いまして」
「はははははっ! 彼の中で僕が一時も目を離せない存在になっていたとはな。光栄に思うよ」
2人の立ち話が続く中、プリンツはどうしてもブレッドに尋ねたいことがあった。
だがそれは人目を憚る場所で話すべき内容であった。そう感じたプリンツはブレッドを広いホールの隅へと誘導する。
ブレッドの孫たちはさも当たり前のように貴族たちの中へと溶け込んでいった。
それをしっかりと見ていたプリンツと視線を共有するように、ブレッドもまた、少し遠くにいる孫たちを見つめている。
「あなたのお孫さんたちは人と話すのがお得意のようだ」
「思ったままを口にしているだけだ。子供たちにも孫たちにも、自分に正直に生きることを教えてきたつもりだ。かつてエステルが、僕にそう教えてくれたように」
「曾祖父はベースボールが本当にお好きだった。このボールは曾祖父の形見です」
プリンツがスーツのポケットから何かを取り出したかと思えば、それは小さな正四角形のショーケースに閉じ込められたボールであった。そのボールは所々糸がほつれ、茶色く薄汚い土汚れを全面的に残したままであった。
ボールに釘づけになり、昔を懐かしみながら笑みを浮かべるブレッド。
そのボールにはブレッドの過去が大きく関わっていた。
「――100年前のボールだな」
「よくご存じで。若い頃の曾祖父は球界屈指のメルリーガーでした。これは11898年のオールスターゲームで曾祖父がサイクルヒットを達成した時のボールです」
「ああ、知っているとも。4打席目でセンター前に打ったこのボールがオークションにかけられようとしたが、結局彼が引き取った。その時はまだ僕が生まれる前だったが、最高の選手にして最高のオーナーであったことは今でも覚えているよ」
「……最高のオーナー? 何の話です?」
「知らないのか? 彼はペンギンズのオーナーでもあった」
「それは存じてますが、曾祖父はオーナーとしての腕はそこまでなかったと聞いていますよ。何度も有望選手をトレードしたり、無茶な試みを繰り返しては周囲を困惑させていたと専らの噂ですよ」
あっさりと吐き捨てるようにプリンツが言った。
名家の次期後継者の言葉にブレッドは落胆の顔色を隠せなかったが、プリンツが全く事情を知らない理由については、おおよそ察しがついていた。
「彼が球団経営で無茶な試みを繰り返していたのは本当だが、決して悪いことをしていたわけじゃない。むしろ、末代まで誇るべきことだ」
「一体何が言いたいんです?」
「どうやら君には、事情を話しておいた方が良さそうだ」
「曾祖父のことで、何かご存じなのですか?」
「まあそんなところだ」
プリンツはブレッドの言葉に耳を貸し、自らの曾祖父がいた時代を知ろうと好奇心が働いた。ブレッドはプリンツの部屋へと案内された。
部屋の中央にあるソファーに2人が腰かけると、プリンツは曾祖父エステルの記念のボールをお互いの間にある机の上に置いた。
ボールを不思議そうな目で見つめるブレッド。
「……これ、もしよろしければあなたに差し上げます」
「おいおい、曾祖父の形見を簡単に手放すのか?」
「これはあなたが持つべきです。何故だかそう思えてなりません。ブレッドさんをここに呼んだのも、これを渡したかったからです。話は後でじっくり聞かせてもらいますよ。今はパーティで色んな方々の相手をしなければならないので。今日はゆっくり宿泊していってください。パーティに戻ってもらっても構いませんし、部屋に戻って休んでもらっても構いません。では、私はこれで」
そう言いながらプリンツが部屋を出ると、机の上に置いてあった記念のボールをその手に取った。
記念のボールはすぐにブレッドの手に馴染んだ。ブレッドはそのボールを間近で見つめ、自らの若かりし頃の記憶を鮮明に思い出した――。
――55年前、オリュンポリティア属州キールストル――
建国歴11945年、メルへニカ王国では、世界最高峰のベースボールリーグである『メルへニカリーグベースボール』、通称メルリーグが相も変わらず世界的な人気を博している。
メルリーグ各球団の拠点となるホームグラウンドにはオーナー室がある。メルリーグ球団の1つ、『オリュンポリティア・ペンギンズ』の拠点、アンタークティック・スタジアムのオーナー室には、老人男性と中年男性の2人が机を挟んで座っていた。
黒く細長いベルトが巻かれた茶色いウエスタンハットをかぶり、黄土色のチョッキを着用しているエステルハージートルタ・バロン・ウィトゲンシュタインがショーケースに入った記念のボールを見つめたまま、部屋の奥にある席に座り、その真向かいにはエステルの養子でオールバックの銀髪が特徴の小柄な男性、ドボシュトルタ・バロン・ウィトゲンシュタインが真面目そうな顔で座っている。
そばには数人の職員たちが立っており、オーナーが放つ次の言葉を待っているところであったが、エステルはマイペースな性格なのか、ずっと職員たちを待たせたままベースボール雑誌を読み漁っている。
痺れを切らした職員の1人が口を開いた。
「オーナー、私たちをここに呼んだ理由は何です?」
「諸君、我々はこれから重大なプロジェクトに挑むことになる」
「一体どんなプロジェクトなんです?」
ドボシュが疑問を呈するが、エステルは奥歯に物が挟まったような顔だ。
これから口にする言葉を頭の中で確認し、ようやく覚悟ができると口を開いた。
「……諸君は反対するだろうが、私は必ずやり遂げてみせる……『アルビノ』のベースボールプレイヤーをうちに入れるんだよ。オリュンポリティア・ペンギンズに」
「「「「「……」」」」」
エステルの思った通り、その場にいた全員が絶句し、隣の職員同士が冗談だろと言わんばかりの冷たい表情のまま、お互いの顔を見た。
彼らの肝が冷えたのも無理はない。
アルビノに対する人々の偏見が非常に根強く、惑星ガイアースで彼らを歓迎する者は数えるほどしかいなかった。アルビノたちは全ての国で社会的な恩恵を受けられず、ほとんどは生まれる前に中絶されてしまうほどの明確な迫害対象であった。
太古の昔、魔法科学が進歩する過程においてあらゆる病気、疾患、怪我などを容易に治療することができるようになり、手足の欠損やダウン症を始めとしたあらゆる障害者や遺伝子疾患の持ち主が地上から姿を消した。この実績より、魔法科学は完全なる万物であることが証明されつつあった。
しかし、ここである問題が発生した。原因はアルビノと呼ばれる遺伝子疾患であった。
メルへニカ発祥の魔法科学をもってしても、アルビノだけは撲滅させることができなかった。そのために魔法科学唯一の欠陥とされ、この事実が魔法科学に希望を見出していた多くの人々の感情を逆なでした結果、アルビノたちは長い間、人々から迫害を受けざるを得ない立場となった。
アルビノは後進国では虐殺の対象であり、先進国においても隔離政策の対象であった。
脅威とも言える猛反発が容易に予測できたが、エステルの覚悟が揺らぐことはなかった。
「父さん……馬鹿な真似はよしてください! そんなことをすれば……どれだけ多くのファンやメディアから叩かれると思ってるんですか!?」
「落ち着け、息子よ」
「落ち着いていられることじゃありませんよ……正気なんですか?」
「ああ、正気だとも。ザークセル属州にアルビノの選手だけで構成されたアルビノリーグがある。彼らの中から有望な選手をうちに入れる。既にメンバーリストを職員に作成してもらった。君たちも協力してくれ。なあ頼むよ」
「……はぁ~」
ドボシュはこの重大なプロジェクトを前に、顔を下に向けながら大きなため息を吐いた。目の前にある『コマンドフォン』に記録されているメンバーリストのデータを確認すると、渋々自らのコマンドフォンにコピーした。コマンドフォンは魔法科学の象徴とも言える平らな電子機器であり、その利便性から全国民が所有している。
職員たちの半数以上がコマンドフォンを片手にザークセル属州へと向かう中、2人して彼らの個人情報と睨めっこをしながら有望な選手を探した。残った職員も2人と同じデータを共有する。
アルビノのチームは隔離政策の総本山であるザークセル属州を拠点としており、属州の中にはいくつかのチームが存在する。
それらのチームが全国各地を巡業し、予定の空いた社会人チームを相手に試合を行うが、アルビノに対する偏見から試合を拒否されることも少なくなかった。
「父さん、何でこんなことを思いついたんですか?」
「質問を返すようで悪いが、今のペンギンズに足りないものは何だ?」
「ペンギンズに足りないものといえば、やっぱり投手力と長打力ですね。うちは予算不足のせいでスモールボールを武器にせざるを得ない。しかもうちのチームでシーズン30本以上のホームランを打っているのは葵だけです。話になりませんよ。マンキースやジャイアンツのように、毎年優勝争いをしているチームにはスラッガーが豊富に揃っています」
「それもあるが違う。うちに足りないのはチームワークだ。プライベートでの仲は良いが、みんな自分が成績を残すことしか考えていない。これではいくら戦力があっても勝てはしない」
「そりゃそうですよ。優勝が見込めないチームにいる選手にできることと言えば、せいぜい良い成績を残して、優勝を目指せる名門にFAで移籍することくらいですから。アリアもFAになったら出て行くと公言していたくらいなんですよ」
「葵はFAになってもうちに居続けてくれているぞ。理由を聞けば、名門に移籍したら凄腕の投手陣と戦えなくなると言うのだから面白い。彼は純粋にベースボールを楽しんでいる」
自慢のチームキャプテンの話をしながらエステルが上機嫌に笑った。
ドボシュの質問にも答えないまま、エステルのマイペースな小話が続いた。ドボシュは呆れ顔のまま顔を下に向けるしかなかった。
こういったやり取りは今に始まったことではない。先に自分の質問に答えさせることで、相手に自らの意図を理解させようとするのがエステルの手法だ。
だが今回ばかりは事情が違う。ドボシュでもエステルの意図が分からないまま途方に暮れた。
指名打者を投手以外にも起用できるようになったことで、捕手が守備に専念できる選択権を得た。更には守備職人が先発出場できるようになったばかりか、指名打者と打力のある投手が共存できるようになった。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より