第26球「懐に飛び込んで」
――同刻、クリテイシャスパーク――
ブレッドはリンツたちについていこうと園内を走った。
園内の恐竜たちとは魔力ガラスによって厳重に隔てられ、小さな草食恐竜に餌やりをしたり、乗って遊んだりする光景が広がっている。
リンツ、丸雄、プレクの3人は園内を回りながら束の間の休息を過ごしている。本来であれば予約してから何年も待たなければならないが、それでもチーム単位で特別に訪問できることがメルリーガーの地位の高さを物語っていた。
丸雄が魔力ガラスに両手の平をくっつけながら顔を近づけた。
中にはいつもと変わらぬ恐竜たちの姿があり、その種類や生態によって区分けされている。
「うわぁ~。すげ~。これ全部本物か?」
「そんなわけないだろ。魔法科学の力で化石から復活させた恐竜だ。所々品種改良されてる。じゃなきゃこの時代の環境で生きられるわけがない」
「よく知ってるなー」
「――父さんが言ってた」
「確かリンツの父親って、遺伝子の研究をしている研究所の所長で、ウィトゲンシュタイン家の側近でもあるんだよな?」
「ああ。だからビノーなんかにメルリーグデビューなんてされたら、僕らの立場がないんだよ」
リンツが自慢げに語るが、話そのものに対する積極性はなかった。
ガイアースに存在する人間は、その全てが1万年以上前の魔法科学による遺伝子改良によって生まれてきた者たちの子孫である。この遺伝子強化によって、段々と欠けていく染色体に修復作用をもたらしたばかりか、遺伝子疾患などの問題がほぼ全て解決し、基礎的な頭脳や筋力なども強化された。
誰でも健常者として生まれることができ、一定以上の能力を必ず持てるようになったことは、人類史でも語られる顕著な功績である。
この実績はメルリーグの成績にも表れており、1万年以上前の人間であれば、まず達成不可能な不滅の記録を次々と打ち立てている。
「遺伝子の研究って何やってんの?」
「今のところは一定確率で生まれてくるビノーのメカニズムの研究だ。ビノーが生まれてこないようにするためのな。うちには遺伝子検査装置がある。それを使えば、誰がどんな遺伝子を持っているのかも、誰が祖先にいるのかも、ビノーが生まれやすい遺伝子も分かる。それを持っている者を見つけた場合は、子供がビノーだと分かった際に中絶を勧めるようにしている。僕らの祖先は魔法科学を用いた遺伝子操作によって男女の筋力差をなくし、虚弱体質や障害者が生まれないようになった。残る遺伝子疾患はビノーを残すのみだ。何故ビノーだけが残ったのかは知らんが、早々に消し去らないとまずいことになるのは間違いない。寄りによってペンギンズに来るとは思わなかったけどな」
「なるほど、要はアイリーンに負けて、健常者の恥になりたくないわけだ」
「そうだ。だからとっととあいつを――って何故お前がいるっ!?」
リンツが後ろを振り返ると、そこには口元をにやつかせたブレッドが佇んでいる。
思わずのけ反りながら声を上げるリンツ。最も聞かれたくない相手に聞かれてしまったことに、リンツは危機感すら持っている。
「何故って、連れ戻しに来たんだよ。さっきの話を聞いてなかったのか?」
「何であいつのためにこの貴重な機会を損失しなきゃいけねえんだよ?」
「リンツはともかく、丸雄とプレクは特に練習時間が短い。だからたまにはつき合ってやろうと思ったんだよ。午後からお前らの練習につき合わせてもらうぞ」
「余計なお世話だ」
「何で練習しないわけ?」
「みんなの練習量が多いだけだよ。それに僕、レギュラーから外されたんだし、練習する意味がなくなっちまったよ。レフトが急にスラッガーのポジションになったせいでね」
「俺はもう年だからな。贔屓にしてくれる監督もいなくなったし、DHも取られちまった」
プレクは控え外野手兼代走となり、すっかりモチベーションが下がっていた。丸雄はレフトに就いたものの、肩の弱さと足の遅さに加え、ブランクを感じさせるほどの致命的な守備力の低さが響き、練習試合ではレフトに打ち込まれることも少なくなかった。
対戦相手からは丸雄が守備で貢献できないことを知られており、守備の穴である丸雄が狙われ、度重なるエラーが響いて負ける試合を繰り返していた。このままでは代打としての出場を余儀なくされている丸雄もまた、モチベーションが下がっており、打撃練習にも身が入らずにいた。
リンツの後に続いているのはスタメンから外された者たちばかりであり、去年までとは全く異なる構想についていけず、身に染みるほど堪えているのがプレクであった。
「丸雄、さっき練習中に煌と話したんだけど、レフトの守備は煌がやることになった」
「えっ……じゃあ俺は?」
「不本意だけど、DHでいいぞ」
「良しっ!」
さっきまで目を丸くして身構えていた丸雄が天に向かって拳を勢い良く突き上げた。
丸雄のレギュラーの座は首の皮1枚で繋がった。1人の選手の守備負担増加と引き換えに。
「でも油断はするなよ。血の入れ替えで選手の平均年齢も下がった。丸雄は最年長なんだから、チームを引っ張る存在になってもらわないとな」
「おう、任せとけって」
「ブレッド……僕は?」
子供のようにぐすんと泣きっ面を見せるプレク。
「プレクは控え外野手兼代走だ。後はユーティリティーとして10人目の野手になるか、キャッチャーに復帰するか、この3つくらいだな」
「キャッチャーだと、足を活かせなくない?」
「いや、そうでもないぞ。今のうちにはバランスの良いキャッチャーがいない。チーム方針として盗塁ができるキャッチャーが欲しい。打順もポジションも関係なく、塁に出たら走れるチームにする。今はそれくらいしか勝ち抜く方法がない。レギュラーを取れる可能性があるとすれば、キャッチャーが1番可能性が高い。今からでもやるか?」
「やるっ!」
迷わず即答するプレク。まるでブレッドの仕掛けた落とし穴に自ら身を投じるように。
リンツはそんな2人を見て呆れ返り、頭で考えるよりも先に片手を額に置いた。
そんな時だった――。
「あっ、逃げた」
「おいおい、ちょっと待て」
「リンツ、何で逃げるんだよ?」
既に仲間を2人を懐柔されたリンツが園内を走っていく。ブレッド、丸雄、プレクがリンツの後をベースランニングのように追いかけていく。
行き止まりかと思えば、そこには関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉があり、何の戸惑いもなく入っていくリンツ。
同様にリンツの後から同じ扉に入ろうとするブレッド。丸雄は既にヘトヘトになり、息を荒くしながら歩くように追うのが精一杯だ。
「プレクはここにいろ」
「あ、ああ」
「はぁはぁ、やっと追いついたぁ~」
「――ちょっとは走塁練習したら?」
「えっ……」
リンツがのらりくらりと飼育室の中を走り、ブレッドもその後を追った。
『あっ、その先は肉食恐竜エリアですよ』
飼育用ロボットが注意するも、ブレッドもリンツも聞く耳を持たないまま肉食恐竜エリアの中を猛獣のように走り回った。
「何で追いかけてくるんだよっ!」
「お前がチームに必要だからだっ!」
「どうせお前も僕を馬鹿にしてるんだろっ! 僕がいたポジションをビノーから奪っただけじゃ飽き足らず、今度はスラッガーをファーストに置いて僕を締め出す気だろっ!?」
「締め出す? 何のことだよ?」
「とぼけんなっ! ずっとビノーたちと一緒にいただろっ! そうやって自分の派閥の選手にレギュラーを与えて、僕らを全員チームから追い出す気なのは分かってんだよっ!」
「そんなわけねえだろっ!」
「!」
突然、リンツが後ろを振り返らないままその足を止めると、ブレッドもまた、リンツに手を伸ばしても届かないくらいの距離でその足を止めた。
周囲には濃い緑が生い茂っており、恐竜たちが棲むのに最適な環境が整えられている。周囲に生えている植物も古代から復活させたものだ。
獲物を狙う目が段々と迫る中、ブレッドもリンツも気づかないまま話を続けた。
「そりゃ最初は怖かった。あからさまに仲良くする気がなかったみたいだし」
「当たり前だろ。こんなことが父さんに知れたらどうなるか」
「お前の親父はずっとリンツの活躍を見てるんじゃなかったのか?」
「監督には黙ってたけど、親父とは喧嘩中なんだよ。僕はペンギンズのGMであるドボシュの兄、キュルテーシュカラーチの親戚にあたる。親父はウィトゲンシュタイン本家の側近だ。とっくにばれてるのは間違いないはずだけど、それでも何の通達もなかった理由が分かっただろ?」
「何で喧嘩したの?」
「……メルリーガーになることを反対されたんだ。良い学校に行って、良い会社に行って、行く行くはウィトゲンシュタイン本家の側近を継いでほしいみたいでね。でも僕は人に指示されるのが好きじゃないんだよ。だから学校を退学して疎遠になった後、ドボシュを通して伸び伸びプレイできるペンギンズに入団した。それでやっとの思いで外野手のポジションを確保したってのに、寄りによって父さんの研究対象であるビノーにあっさりポジションを奪われたんだ。ムカつくのは当然だろ!」
リンツは今までの事情を後ろ向きのまま語った。
頭は俯き、目は半開きになり、自らの決断を憂うように再び前方を見た。
ふと、自ら家を飛び出した過去が脳裏によぎった。帰る場所のないまま啖呵を切り、メルリーグしか居場所のないリンツにとって、アイリーンに味方をする首脳陣が一転して脅威に感じている。
「お前がアイリーンを嫌っている理由は親父か」
「親父は生物の遺伝子に詳しくてね。ビノーを地上から消すために日々研究してる」
「なるほどな、事情はよく分かった。実はお前にも良い報告がある」
「報告?」
リンツが後ろを振り返ったが、それは地響きがするほどの足音が理由だった。
「――! 危ないっ!」
ブレッドがリンツの手を引っ張り、横から襲ってくる肉食恐竜から間一髪逃れた。
「逃げるぞっ!」
リンツを襲った恐竜はクリテイシャスパークの目玉、ティラーレックスだった。ブレッドたちを凌ぐほどの大きなオレンジ色の体、鋭い刃が並ぶ大顎、小さな腕に対して大きな足がブレッドたちを圧倒する。
幸いにもそこまで足が速くなかったためか、段々と距離が離れていく――。
「うわっ!」
ブレッドが足を滑らせ、顔から地面に倒れた。
「監督っ!」
「早く逃げろ!」
「ちっ!」
リンツが逃げようとした時、ティラーレックスがブレッドにかぶりつこうとする。
もはやこれまでかと思い、ブレッドは目を瞑った。だがしばらく経っても食べられる様子はなく、大きな振動が鳴った後、恐る恐る後ろを振り返った。
ティラーレックスの顔には思いっきり炎の塊がぶつけられた跡があり、たまらずその場に倒れ込んでしまっていた。ブレッドは誰かが魔法を使い、ティラーレックスを気絶させたとすぐに分かった。
「監督、大丈夫ですか?」
ブレッドが前を向くと、そこには心配そうにしながら目の前に手を伸ばしている煌がいた。
「あ、ああ……煌が倒したのか?」
「はい。炎の魔法を使ってファイヤーボールを投げたんです。本当はこんな使い方なんて、したくなかったんですけど」
「ありがとう。早く出た方が良さそうだ」
「そうですね。行きましょう」
ブレッドと煌はすぐにクリテイシャスパークの見学ルームに脱出する。
そこで待っていたのはリンツたちの他、数人のスタッフだった。
ペンギンズは関係者以外立ち入り禁止区域に侵入し、目玉商品に傷を負わせた責任を問われ、クリテイシャスパークから厳重注意を受けることとなった。ブレッドたちは1年間の出入り禁止となり、制裁金まで課せられることに時間はかからなかった。
慌てて訪問したドボシュに関係者たちがまとめてチームバスの前に呼び出された。
「お前たちは一体何を考えてるんだっ!?」
「「「申し訳ありませんでしたっ!」」」
ドボシュの前にひれ伏すように、リンツ、丸雄、プレクの3人が横一列に並んでいる。
その後ろには、ブレッド、ジャム、キルシュ、葵、煌の5人が立っており、全ての事情を聞いたドボシュが選手たちへの罰を考えているところであった。
煌は葵のサインボールを密かに隠し持っている。
「クリテイシャスパークは目玉商品をしばらく展示できなくなった上に、その分の賠償をペンギンズに命じてきた。これは非常にまずい。制限リスト入りを覚悟するんだな」
「ちょっと待った」
助け舟を出すようにサッと手を挙げたのはブレッドだった。
「事の発端は僕がリンツを追いかけたことにある。煌は僕を助けるために正当防衛を働いただけで、裁きを受けるようなことはしていない。丸雄とプレクに至っては外側にいたし、あれは不慮の事故みたいなもんだ。今は1人でも戦力を確保したいし、今回は軽い処分で済ませてやってくれ」
「何故そこまでリンツを庇う?」
「ずっと練習を見ていたからだ」
「……ずっと見ていた?」
「ああ。リンツは去年こそスランプのままシーズンを終えたけど、長打力は申し分ない。弱点さえ克服すれば、うちの生え抜きスラッガーになれる」
「「「「「!」」」」」
ブレッドは葵たちから教わるまでもなく、全員の練習を満遍なく観察していた。
それはブレッドに大きなヒントをもたらし、リンツたちにとっては機会となっていた。
「ここは僕に任せてくれ」
「本当に信用していいのか?」
「もちろん。シーズンを戦い抜くにはこいつらが必要だ」
「――分かった。今回は制裁金だけで済ませよう。でも次は庇いきれないぞ。頼むから問題だけは起こさないでくれ」
ため息を吐き、ドボシュがチームバスから離れていく。
エステルに状況報告を行い、必要な手続きを終わらせてから再びオリュンポリティアで仕事という過酷なスケジュールがドボシュを待っている。
事情を聞き出すことができただけでなく、ブレッドはリンツたちの懐に飛び込んだことで、リンツの背景までをも理解した。それはただの憎しみではない。先祖から代々受け継がれてきた慣習にすぎないものであった。ブレッドがそれを確信した今、何も怖いものはなくなった。
リンツたち自身の意思でアイリーンを憎んでいるのではないと思ったブレッドは、ある練習方法を画策した。ブレッドの脳裏にはアリアの言葉が残っていた。
仲良くなるのではなくうまくやる。それを実現する術を見出した。
メルリーグ最初のオールスターゲームは、メルリーグ初年度における2人の執政官の諍いから始まった。カエサリウスもオーガスタスも酒の勢いからお互いの実力を誇示し合い、シーズン中盤に差しかかると、2つのリーグから有望な選手をファン投票によって掻き集め、対立を煽りながらの開催となった。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




