第24球「打線の穴」
ブレッドがオルガの了承を得ると、オルガは煌と共に練習を再開する。
ペンギンズのスタメンが決まり、ホッと胸を撫で下ろしたブレッド。
だがもう1つ解決しなければならない問題があった。ワッフルのことだ。ワッフルが属するオベリオス家はバロン家とは深い繋がりを持ち、ワッフルを正捕手として起用することを資金援助の条件としてからは、ペンギンズの成績悪化に大きな拍車が掛かっていた。
休憩時間になると、チームバスの中でブレッドとアイリーンが1番後ろの繋がった席に隣同士で目を合わせることもなく座り、ここまでの問題を独り言のように話した。
「ブレッドも大変ね」
「そういうアイリーンだって、毎日バスで寝てるんだろ?」
「もう慣れてきたわ。キャンピングカーだと思えばどうってことない」
「後部座席をベッドに改造しようと思ってるんだけど、どうかな?」
「今のままでいいわ。他の選手たちを刺激したくない」
「最近成績が下がってるみたいだけど、慣れないバスで寝てる影響じゃねえのか?」
「問題ないわ。成績が下がっているのは私の責任よ。それにこのごろ対戦する相手、明らかに私の手の内を見抜いているわ。フォームの癖まで読まれてた。みんな初めての相手なのに、おかしいわ」
ここ数週間、ペンギンズは他のメルリーグ球団を招いて練習試合を行ったが、チーム状況を大きく改善したにもかかわらず、ここまで大きく負け越しという体たらくであった。
投手陣と打線の問題はある程度解決したが、負け越しの原因はリードオフマンの完封であった。1番を打つアイリーンの打撃が研究され、ほぼ完全に抑え込まれていたのだ。
ブレッドはルーシーから聞いた事情をアイリーンにも話した。
「つまり、私だけが何者かに研究されているということ?」
「そういうことになるな。普通はボトムリーガーをあそこまで研究なんてしないけどな」
「私をメルリーグから追い出すつもりね」
「アイリーン、実はお前を下位打線に下げることが決定した」
「! ……あの成績ならしょうがないわね」
「そういう問題じゃない。まだシーズンも開幕していないのに研究されてるってことは、敵は本気と見て間違いない。でも敗因はそれだけじゃない。アイリーンの出塁率が打率とほとんど変わらない。これじゃリードオフマンは務まらないぞ。もっとボールを選べるようにならないと」
「……そうね」
アイリーンはリードオフマンでありながら安打で出塁することに拘り、チーム内外で生粋の悪球打ちであることでも知られていた。
このプレイスタイルがウィッチ・ロウと見事に重なっており、対スモールボールの立ち回りの影響もあり、アウトを無駄に献上するだけの存在となっていた。守備では相変わらずの貢献だが、慣れないセンターの守備に就いていたクラップを助けながらの守備であったため、守りの面でも疲労が蓄積しやすくなり、アイリーンの体に負荷を与えていた。
更にはバス内での寝泊まりで質の高い睡眠を得ることができず、疲労を回復できないまま、徐々に成績を落としていることをブレッドは知っている。
「ここ10試合で48打数9安打。かなり疲れが溜まってるようだ。アイリーン、今年のペンギンズ再建の鍵はお前だと思ってる」
「――どうして私なの?」
「今のメルリーグはビッグボールに偏りすぎているというか、大事なものを失っている気がする。初めてアイリーンのプレイを見た時、昔を思い出した。打って守って走って、それが本来のベースボールであることを僕に示してくれた。それにアイリーンの守備力は必須級だ。だから絶対にスタメンから外さない。これは贔屓とかじゃない。ペンギンズに必要だから使う。それだけだ」
「まだ問題は山積みなんでしょ。ここにいてもいいの?」
アイリーンは自分のことよりもブレッドの心配をした。
ブレッドは隣で俯いているアイリーンの手を咄嗟に握りしめた。
「いいんだよ。こういう時じゃないと、思ってることも言えないだろ」
「――どうしてそんなに優しいの?」
「優しいって……何が? ……チームメイトだろ。当然のことだ」
「……」
ずっと薄暗かったアイリーンの心に一筋の光が差し込み、よく見ないと分からないくらいの笑顔をそっと浮かべた。
アイリーンにとっても、ブレッドと2人きりの時間は癒しの一時だ。普段は感情を抑え、大っぴらに喜んだり悲しんだりできない分、気づかれにくいことを歯痒いと感じている。
「それと、この前の不正判定だけど、ヘレンによると、原因はプログラムコードの書き換えだ。アルビノの選手に対して厳しい判定を下すように仕組まれてた」
「そんなことだろうと思ったわ」
「でも残念ながら犯人の特定には至らなかった。分かったことはマンキースとの試合の前日にIDチップが取り出された履歴があるだけ。つまり対戦の前日に誰かがロボットのメンテナンスルームに侵入したってことだ。その時防犯カメラは塞がれた状態だった。犯人はもうこの島にはいないから特定のしようがない。今後もこういうことが起こるなら、ペンギンズは公式戦に出場しないってメルリーグ機構に抗議文書を書いた。ただでさえ戦力で他のチームに負けているってのに、同じ土俵で勝負することさえできないのは論外だからな」
「メルリーグ機構を弱点を知っているのね」
「もしシーズンに参加しないチームなんて出てきたら、メルリーグ機構は大損害だからな。嫌でも徹底した監視をせざるを得ないようにした。だからアイリーンは安心してチームに貢献してくれ」
「……分かったわ」
ブレッドの肩に寄り添いながらアイリーンが言った。
腰にまで伸びているアイリーンの髪の毛から心地良い香りが漂ってくる。
ソーラーガードは全身に使えるシャンプーであり、悪臭を防ぐ仕様になっていることをブレッドは知らない。これがアイリーンの香りであるとブレッドは記憶した。
夜になってからホテルに戻ると、ロビーにワッフルが佇んでいる。
ブレッドがワッフルを正捕手として試合に出さないばかりか、固定化されていたキャッチャーが流動化したことでライバルまで増えてしまい、キャッチャーとして正捕手の座を狙う者が4人にまで膨れ上がっている。結果的に内野も外野も取られてしまった修造やオルガがキャッチャーとして参戦し始めていることにも危機感を抱いている。
レギュラーを確保するために戦力が不足しているポジションを、ユーティリティープレイヤーたちが挙って狙うのはある意味当然である。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」
「正捕手の件だろ。お前は控え捕手だ」
「実はお父さんにあんたをクビにするように頼んでるの。あんたをクビにしないと、資金援助を打ち切るってオーナーと交渉中よ」
「エステルは資金援助を打ち切っても何とも思わないと思うぞ」
「どうしてそう言えるわけ?」
「アイリーンや煌をチームに入れたのは、物珍しさで観客を呼び寄せるためだ。去年までのペンギンズはあんまり観客を確保できなかったからな。でも今年は多くの観客が詰めかけるはずだ。今までにないチームだし、資金援助の分くらいすぐに確保できるだろうな。それにチームメイトを受け入れられないような奴をレギュラーに置くわけにはいかない」
「……球団がなくなるとしても、同じことが言えるかしら?」
「もちろん。球団がなくなったところで僕には関係ない。お前らが困るだけだ。ていうかペンギンズ以外にお前を使ってくれるチームがあるのか?」
「ぐっ……」
思わぬ返しの言葉に歯ぎしりを始めるワッフル。
ブレッドの言葉はワッフルにとって急所とも言える指摘だった。
それでもブレッドには1つ引っ掛かる言葉があった。球団がなくなるとはどういうことかと、ブレッドは考えた。
「どうしてもこの問題に決着をつけたいって言うなら、お前の親父を今すぐここに呼べ」
「なんて無礼な奴なの。私は貴族なのよ。お父さんに頼んだら、あんたなんて簡単に潰せるのよ」
「できるもんならやってみろよ。失うものが何もない人間はな、貴族なんかよりずっと強いんだ。どうしても呼ばないってんなら、お前を問題児と見なしてボトム落ちにするぞ」
「わ、分かったわよ……呼べばいいんでしょ……呼べば……ううっ」
涙目になったワッフルがポケットからコマンドフォンを取り出した。
腹いせに懲らしめてやろうと言わんばかりの顔を後ろに向け、ワッフルの父親にしてオベリオス家の当主であるストロープ・オベリオスにメールを送った。連絡が済むと、コマンドフォンをブレッドの前に差し出し、鬼のような顔でブレッドを睨みつけた。
コマンドフォンから茶色のスーツ姿をした男性のホログラムが現れた。
貴族の称号となるバッジをスーツに装着し、自らの階級を表していた。オベリオス家は貴族の中で最も地位の低いバロンの称号を持っているが、実質的には他の貴族をも凌ぐ財を築いている。
『初めまして。私はストロープ・オベリオス。ワッフルの父だ。普段は会社を経営している。私を呼び出したのは君かな?』
「ああ。ブレッド・ベイカーだ。訳あってペンギンズの監督をしてる。お宅のお嬢さんがどうしてもうちの方針に納得できないみたいでな。念のために確認しておきたいんだが、資金援助を餌にこいつを正捕手に就けることをエステルに約束させたのは本当か?」
『本当だと言ったら?』
「今のこいつは正捕手に値しない。でも守備力は高いから、投手戦に持ち込める相手に対して起用することを考えてる。もしこれに納得がいかないなら、容赦なくこいつをボトム落ちにする。他の選手とのトレードも辞さない」
『立場を弁えない平民の監督がいると娘から聞いたが、本当のようだな。事情は娘から聞いた。だが無駄なことだ。資金援助をしているのは私だけではない。エステルは他の貴族からも援助を受けているんだ。貴族たちの中にはワッフルの活躍を見るために球場を訪れる者もいる。それにペンギンズにはビノーがいるだろう。観客たちにボイコットを呼びかけて球場に来れないようにすれば、ペンギンズは資金援助なしで運営することが不可能になる。それでも娘を正捕手にしないと言うつもりか?』
ドヤ顔を決めながらストロープが言った。
しかし、ブレッドは怯むことなく無表情のまま淡々と軽いノリで口を開いた。
「うん、そうだよ」
『……何だと』
「あんた、本気で言ってんの?」
ワッフルとストロープは大きく目を見開き、ブレッドの顔を見た。
「本気だよ。もし資金不足で球団が売られたところで、僕には何の関係もないし、ワッフルが移籍先に困るだけだ。たとえあんたのコネで別の球団に入れたとしても長くは続かない。それにシーズン中に球団が売却されて、その間試合が中止になるような事態になれば、メルリーグはその事態を防ぐためにシーズン中はペンギンズに資金援助をするだろうな。今年の間だけは問題なくプレイできるってわけだ。お前らの計画がばれたところで、大した痛手はないだろうけど、このことをペンギンズファンとマスコミが知ったら騒ぐだろうな。ペンギンズが12年連続で最下位になった要因の1つは、正捕手に相応しくない者をレギュラーにしてしまったことだ」
『何が言いたい?』
「あんたはワッフルの愛称を知ってるか?」
『知らん。普段は仕事だから、選手の愛称なんて、いちいち調べている暇がないんでね』
「なら教えてやる。ホールゾーンだ。こいつのせいで、打線に穴ができていることから名付けられた。それだけファンたちも感づいてるってことだ。そこでだ、取引をしよう。あんたがこいつの件に関与しないと言うなら、こいつをボトム落ちにしないと約束する。どうだ?」
『……』
しかめっ面のまま、静かにブレッドを見つめるストロープ。
「もちろん資金援助も続けてもらう。ペンギンズがなくなったら、それこそ娘のピンチだからな」
『……分かった。これ以上は関与しないと約束しよう』
「ちょっとお父さん、何言ってるのよ」
『ワッフル、私にも立場というものがある。もうこれ以上は庇えない。ここからは自分の手でレギュラーを取れ。では失礼する。これから仕事があるんでね』
逃げるように通話を打ち切ると、ストロープの姿が一瞬にして消えた。
「――もう親父には頼れねえぞ」
「あんた、私に恨みでもあるわけ?」
「別にねえよ。今は1人でも多くの戦力が必要だ。人を選ぶ余裕がない。最初にお前の事情を知った時は、マジで可哀想な奴だと思った」
「それどういう意味?」
「お前も薄々気づいてるはずだ。明らかに打力がメルリーガーの域に到達していない。いつも自分の打席で流れを切っていた自覚はないのか?」
「……確かに打力には自信ないわ。打撃は昔から苦手だったから、それでいつも守備練習ばかりしてたの。お父さんのコネがなかったら、今でもボトムリーガーやってたんじゃないかって思う時があるわ。私は試したかったの。自分がメルリーグで通用するのかって。最初はなかなかメルリーグに上がるチャンスがなくて、それでお父さんに頼んだら、嘘のようにすぐ昇格できた……でも結果は散々だった。私に対してDHが適用された時から――自分がメルリーグで通用しないことを悟ったわ。本当はすぐに身を引くのがチームのためだとは思っていたけど、その頃にはもう、ペンギンズが万年最下位のチームに成り下がっていたし、資金不足で補強もできない。だから、ずっとぬるま湯に甘えてた。正捕手の候補になりそうな人がいたら、お父さんに頼んでトレードしてもらってた」
ワッフルは常に正捕手で居続けた絡繰りを自供した。
目からは今まで思い詰めていたものが溢れ出ていた。自らの中にある毒を全て吐き出し、洗い流すかのように。
それは球団にとって、頭の上のたんこぶがようやく取れた瞬間であった。
創成期はチーム最強打者が4番を打つのが当たり前であったが、次第に3番へと移り変わっていき、今では2番打者に最強打者が置かれている。しかし打力に劣るチームにおいては、最強打者に3番を打たせることも珍しくはない。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




