第20球「最強打線」
アイリーンが一二塁間を駆け抜けていく。
ブライアンは急いでボールを二塁に投げたが、余裕のセーフとなった。
「おかしいわね」
「えっ……何が?」
「ブライアンの送球よ。去年より明らかに遅いわ」
「アイリーンの足を知らなかったとかじゃねえの」
「これだけ話題になっている選手が調べられていないわけないでしょ」
ネクストバッターズサークルに立つアリアがブライアンの送球の遅さを直観的に疑った。
スリーツーとなり、葵はアイリーンが二塁に辿り着いたのを見てからゲイリーのコーナーギリギリに入ったカーブをバットに当て、外野に強烈な飛球を放った。
「ゲイリーのカーブをすくい上げて打つなんて」
「左でも長打が出るんですね」
「二塁打や三塁打は左で打つことが多いわよ」
そう言いながらバッターボックスへと向かっていくアリア。
だがブレッドたちの予想を覆すように、センターを守っているワットがボールを目で追いながら全速力で走り、間一髪のところで飛球をランニングキャッチする。
「嘘だろっ! 抜けていれば二塁打だぞ!」
リンツが驚嘆する間にアイリーンがタッチアップを図り、あっさりと三塁へと辿り着いた。
アリアが打席に入り、足を広げながらバットを斜めに構えた。
初球のストレートを見逃し、続いて外へ逃げるスライダーを捉えるが、ライト線に切れてファウルになる。ツーワンと追い込まれ、ゲイリーがニヤリと笑みを浮かべた。
――これで終わりにしてやる。
ゲイリーが渾身の投球で見せたのはスプリットだった。アリアはバットにコツンと当てるのが精一杯であり、そのままボテボテのゴロを捌かれ、セカンドゴロに倒れた。
2アウトランナー三塁になったところでマカロンが打席に立つと、スプリットを警戒しながらボール球とファウルが続いた。
「ねえ、何で葵が2番なの?」
「あー、そういや答えてなかったな。葵なら出塁したアイリーンを長打でホームに帰せるし、出塁すればクリーンナップの打撃でホームに帰ってこれる。だからOPSの高い葵が2番に入るのはとても理に適ってるわけだ。2番だけどバントはしない。それは下位打線の仕事だ。それに強打者はなるべく上位打線に置いて、1打席でも多く回ってくるようにしたいからな。4番はランナーのいる時に回ってきやすいから、長打力のあるマカロンにした」
「かなり合理的な発想だね」
「そんなこと考えもしなかったわ」
「何かと思えば、ベースメトリクスか」
リンツが愚痴をこぼすように言った。
データは参考にするべきものではあっても、鵜呑みにするものではないという認識が既に常識として定着しており、ベースメトリクスを利用しようとする者は皆無に近い。
優秀な選手を掻き集めることが最も優勝に近づく方法であるという結論が出されており、強打者のみの打線になれば打順など関係なく、好投手のみになれば上位5人で先発ローテーションを組み、余った中で最も優秀な選手をクローザーに回し、残りは全てリリーフに回すだけで事足りるからだ。
しかし、実際にはそのようなやり方こそ、最も頭を使わずに済む愚鈍なやり方であると、ブレッドは肌で感じている。
ラーナがマンキースからの誘いを断ったのも、いつ自分がリリーフに落とされるかが分からないプレッシャーに耐えられないからだ。
「そんなデータばっかの机上論を実際の試合に当てはめようなんて、馬鹿げてるにもほどがある。そんなんで勝てるんなら誰も苦労しねえよ」
「僕だって最初は馬鹿げてると思ったけど、どうしてもこれが正しいかどうかを確かめろって言われたからな。一通り試して駄目だったら元に戻す」
「ベースメトリクスねぇ~」
ベンチの最後尾で背もたれをしながら頭の後ろで腕を組み、のんべんだらりと座っていたパネットが呟くように言った。
「あれっ、パネット。どうしたの?」
「データに頼ってる内は勝てないよ。ベースボールは総合力だ。マンキースの成績を見ただろ。うちが勝てる相手じゃない。ラーナを早く降板させるために投げさせて、リリーフを崩すいつもの作戦で勝つつもりだよ。もう何度見た光景か」
パネットが日焼けしたような小麦色の髪、黄金のように輝く目をブレッドに向けた。
「去年までだったらな」
ブレッドが意味深な言葉を返した。マンキース側の作戦はとっくに見抜いている。
ラーナはそれを知りながらも、球数を要する三振狙いの投球に拘っているが、マンキースが用いている持久戦はこのプレイスタイルの弱点でもあった。
――なるほど、ラーナがエースと呼ばれながら勝ち星を挙げられない理由はこれか。
ブレッドが心の中で呟いた時だった。
ブライアンがゲイリーのスプリットを後ろに逸らすと、ボールを取りに行き、ホームに向かって投げようとすると、既にスライディングでホームインを決めたアイリーンが立っている。
その間にアイリーンがホームを踏み、ベンチに戻ってくる。
「よくやった」
ブレッドとアイリーンがハイタッチを交わし、ジャム、葵、アリア、クラップ、ラーナもブレッドに続き、ブレッドの隣に腰かけた。
他の選手やコーチは心理的な抵抗と観客の目もあり、相変わらずアイリーンとハイタッチをしようとはしなかった。
マカロンが再びバットを構えるが、160キロ越えのストレートを詰まらせてしまい、レフトフライに終わった。
ゲイリーが顔を顰め、俯きながらゆっくりとベンチに戻った。
「まさかお前がペンギンズに先制されるとはな」
「スプリットが後ろに逸れるとは思わなかった」
「ここから逆転すれば問題ない。それにしても、一度も長打が出ていないにもかかわらず、あの俊足だけで1点をもぎ取るとは恐れ入った。やはり噂通り、あのアルビノの実力は本物のようだ。ゲイリー、ペンギンズは足を使って点を取るチームだ。丸雄以外は全員走る。マカロンがバットを短く持ったのを見て、より確実性の高い軽打を警戒しただろう」
「それだけじゃない。攻略メモによれば、アイリーンは去年のボトムリーグでホームスチールを何度も決めている。つい警戒しちまった」
「ここはメルリーグだ。仮にホームスチールを仕掛けられても、お前ならアウトにできる。お前が集中を切らされたのが原因で、スプリットをアウトコースに失投してしまったことはよく分かった」
ジョーは至って冷静なまま、ゲイリーの頭を冷やすように諭した。
その頃、ペンギンズ側のベンチでは、マカロンが人目も憚らないまま、アイリーンの頭を子供を可愛がるように撫でている。
「やったじゃん! あのマンキースから先制したのよ。前々から思ってたけど、あんたすっごく足早いわねー! 今度盗塁の仕方教えてよ」
「ええ、喜んで」
普段はほとんど見せない笑顔を控えめな形でマカロンに晒した。
「――あんた、笑ってる時の方がずっと素敵よ」
「えっ……」
「アイリーン、守備の時間だぞ」
「ええ」
いつもは冷静沈着なアイリーンが珍しく動揺する。
少数派ではあるが、自分のことを応援してくれるチームメイトもいることにアイリーンは安堵し、ブレッドたちが心の拠り所であることを改めて心の奥底に感じた。
その後、しばらくは緊迫した投手戦が続いた。
何度かランナーを許したものの、ラーナは6回までを無失点に抑え、ゲイリーも同様に5回までを1失点に抑える好投を見せた。
1人でもランナーが出れば盗塁からのタイムリーになる恐れのあるゲイリーに対し、どこからでも一発が飛んでくるラーナの方が遥かにプレッシャーが大きかったが、持ち前の三種の神器と称される変化球を見事に使いこなし、三振の山を築いた。
『ストライクアウト、チェンジ』
「よしっ、抑えきったデス」
しかし、ここでついにブレッドが動いた。
6回裏、ペンギンズの攻撃が始まる時だった。
「ラーナ、お前はここで交代だ。よくやった」
「はぁ!? ワタシならまだ投げられるデス!」
「もう115球も投げてる。球速もキレも落ちてるし、これ以上投げたら怪我のリスクが上がるぞ。お前が奪三振に拘りさえしなければ、8回までは投げられたはずだ」
「ピッチャーたるもの、三振を奪ってなんぼデス」
「確かに奪三振率はピッチャーの査定にもなるし、ベースメトリクスにも適ってる。でもそれは守備力が低いチームだったらの話だ。うちはメルリーグでもトップクラスの二遊間コンビがいるし、他の選手も全面的に守備力が高い。もっとバックを信頼しても良いと思うぞ。うちの投手陣が弱いのは、みんなして奪三振に拘りすぎたからだ。強打者に対しては無理をせず、ゴロかフライに打たせて取るピッチングができるようになれば、ピッチャーとしてまた1つ成長できると思うぞ」
「……ワタシにポリシーを崩せと言うのデスカ?」
ラーナはブレッドの提案に真っ向から反発した。
奪三振の多さは野手に対する不信感の裏返しでもある。打撃だけでなく、守備の時でさえ信用できない上に、キャッチャーにさえ逆らう根性の悪さを持っているところが、ピッチャーとしてのラーナの魅力であり、問題点でもあった。
ジャムは選手たちに伸び伸びプレイさせている内にこの問題に気づいた。
ブレッドにとっても、シーズン開幕までの早急な課題の1つとなっていた。
「そうじゃない。例えばノーアウトか1アウトで走者一塁の時は、三振よりもゲッツーを狙った方が球数を抑えることができるし、相手の流れを止めることもできる。ただ三振を奪うだけがエースじゃない。いかに多くのアウトを少ない球数で稼げるか。それが先発の役割だ」
ペンギンズの攻撃が終わり、1対0の優勢のまま、ブレッドはピッチャー交代を告げた。
すると、ブルペンからは1人のピッチャーが現れた。
右腕にグラブをはめたパネットがマウンドに上がると、沈み込むようにしなやかな投球フォームでマンキースを相手に投げ始めた。
「サブマリンサウスポーか。珍しいな」
「パネットはまるで潜水艦のように浮き沈みの激しい球を投げるんだよ。ストレートは浮き続けているような軌道を描くし、ナックルカーブは浮いたように見える球が急に沈むんだよ」
アイリーンたちと入れ替わりでブレッドの隣に座ったバウムが言った。
ルーシーがフォアボールで出塁し、バッターボックスにはアリスが立っている。
ツーアウトであるため、本来であれば敬遠もありえるが、強打者しかいない打線であるために敬遠ができない状況がパネットを精神的に苦しめた。
「詳しいんだな」
「僕とパネットはオストリッツにいたから、結構お互いに情報交換してたんだよね」
「確かワンポイントリリーフだったよな?」
「うん。パネットは左打者に対しては滅法強いけど、右打者には弱いからねー」
この時、嫌な予感がブレッドの脳裏をよぎった。
パネットがカウントを取りにいこうとナックルカーブを投げた時だった。浮き上がったその球はフォークのように沈むはずが、高めに投げてしまったため、ど真ん中に沈んでくる。
「「「「「!」」」」」
全ては一瞬の出来事であった。アリスの流れるようなダウンスイングにより、ど真ん中に甘く入ったナックルカーブがあっという間にレフトスタンドへと消えていった。
涼しい顔でダイヤモンドを1周し、先にホームインしていたルーシーとハイタッチを交わした。
「おいおい、逆転ツーランかよ」
「だから右打者には弱いって言ったのに」
「どこのリーグでも右打者が多数派なんだけどな」
「どうしてワンポイントで使わないの?」
「マンキース打線を見てみろ。左右ジグザグに打線を組んでるだろ。しかもあのマンデル・シュトレンはスイッチヒッターだ。右でも左でも一発が打てる」
ブレッドがバウムと話していると、またしても球場の晴天に快音が響いた。
マンデルは浮き上がるストレートを真芯で捉え、今度はセンターバックスクリーンまでロケットのように軽々とボールを飛ばしてしまった。
「嘘でしょ……ここは両翼150メートルもある欠陥球場なのに」
「あの最強打線には距離なんて関係ねえってことだ。アリスは200キロオーバーの打球を160メートルまで飛ばしていたし、マンデルも200キロ近くの打球をライナーで飛ばしていた」
マンデルがその巨体でダイヤモンドを1周してベンチに戻り、選手たちとハイタッチを交わした。
「やっぱりペンギンズはリリーフが弱いなー。欠伸が出るぜ」
「あの先発は大したもんだけど、それ以外の選手はさっぱりだな。鉄壁の守備が売りとは言っても、ホームランを打てば何の問題もない」
「今年もペンギンズを相手にかなりの勝ち星を稼げそうね」
この状況を最も残念そうな目で見ていたのは葵だった。
アリアは羨ましそうにマンキースのベンチを見つめ、いつまでも弱小球団に居続ける意味を自らに問いただしている。
パネットは7回だけで5失点を喫してしまい。リードを守ることはできなかった。
ラーナが必死に守っていた1点のリードがあっさりと奪われ、ラーナは口を開けたまま、全身の力が抜けたように音もなく席に着いた。
「また……勝ち星を消されたデス……」
「ラーナ、気持ちは分かるけど、これが現実だ。お前が球数を考えて投げるようにすればこの事態は防げたはずだ。今のプレイスタイルを変えない限り、今シーズンもこういう試合ばかりを繰り返すことになるぞ。それでいいのか?」
「……」
今度は俯きながら口を完全に閉ざしてしまった。ブレッドはこの練習試合で、ペンギンズの12年連続最下位の根本的な原因を全て悟った。
試合は終盤へと突入したが、ペンギンズベンチはお通夜のように静かだった。
メルリーグでは選手をスカウトする際、実力はもちろんのことではあるが、スカウトが選手に対して最も求めているのは人間性だ。人間性に優れている選手はチームメイトからも尊敬され、球団の顔としてチームキャプテンとして任命されることも多いのだ。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




