第15球「仲間割れ」
――翌日、オリュンポリティア属州キールストル――
朝早くからエステルたちが大騒ぎのままオーナー室に集まると、嘆願書にサインした選手たち1人1人に連絡を取りながら確認作業に追われている。
職員たちは選手たちとのメールの処理に追われ、午後を迎えた頃、ようやく嘆願書への署名を認める者だけを炙り出すことができた。
「ふぅ……やれやれ、大変なことをしてくれましたよホントに」
一通り作業を終えたドボシュがエステルの真向かいに椅子を持ってくると、肩の荷を下ろすように腰かけた。エステルは嘆願書に明らかな署名を示した選手だけをリストアップした。
「まさか嘆願書を書く選手がいるとは思いもしなかったな。だがこれのお陰で、アイリーンのことをよく思っていない選手を割り出すことができた」
「どれくらいいるんです?」
「今朝選手たちに確認した結果、5人の選手が嘆願書への署名を認めた。他に書いた者もいたが、ほとんどの選手は署名を取り下げた。その辺はブレッドがうまくやってくれたようだ」
「――我々が思っていた以上に仕事をしてくれましたね」
「何でも、昨日の晩に選手たちを呼び出して活を入れたらしい。中には貴族出身の選手もいたというのに、そんなことは全くお構いなしだ。はははははっ!」
エステルがオーナー席に堂々と腰かけながら天井に向かって高笑いをした。
「笑ってる場合じゃないですよ! このことが世間に知れたらどうなるか! ましてやリンツの父親はヴァイカウント家の側近で、姉がヴァイカウント家に嫁いでいるほどの名家です! 彼らはうちの重要な取引先でもあります。もし取引停止にでもなったら――」
「落ち着け、息子よ。ブレッドは何も悪くない。我々でもなかなか手を出せなかった開かずの扉を抉じ開けてくれたんだ。むしろ感謝している」
「理不尽な行為をした相手に正面から文句を言うところは、以前から全く変わっていないようです」
愚痴を吐き捨てるようにドボシュが言った。ドボシュ自身はアイリーンを入団させるリスクを知りながらも、痛みを伴うこの計画を止められなかったことを今更ながら悔いている。
ブレッドの起こした行動は、ドボシュにとっては褒められたことでもなければ、咎めるべきことでもなく、冷や汗をかくほどの複雑な心境である。
次は何をするのかと考えるだけでも、ドボシュにため息を吐かせるには十分だった。
「ペンギンズが万年最下位だったのは、多くの選手たちの利権のためだ。それよりペンギンズの練習試合の相手が決まったぞ」
「この状況でよく見つかりましたね」
「名門のアウグスト・マンキースだ。3月にはエルナン島に向かうそうだ」
「それはまた珍しいですね。メルリーグ球団の中にはペンギンズと試合をしたくないチームもいますが、マンキースはそれでも構わないということでしょうか」
「今年のペンギンズはどこの球団よりも血の入れ替えが激しかった。シーズン開幕までにおおよその戦力を探っておきたいんだろう。まあいい、ブレッドにとってはこれがメルリーグ球団同士の初対戦だ。今までの練習試合とはわけが違うぞ。常に本気でいなければ、たちまち崩されてしまう」
「それまでに最下位を免れるだけのチームを作れるでしょうか」
「分からん。どうなるかは神のみぞ知る。他の国のリーグに良い選手はいたか?」
「一応何人か目をつけている選手がいます。嘆願書に署名した選手たちの処分が決まったら、メルリーグ昇格を餌に、何人か釣ってきますよ」
「釣れるといいがな」
そう言いながらエステルが立ち上がり、窓越しに雲行きの怪しい不吉な空を見上げた。アルビノに偏見を持つ敵はメルへニカのみならず、ガイアース全域に及ぶ。
無論、見つからないことも覚悟していた。有望な選手かつアルビノに偏見のない選手を探すのは、広大な砂漠の中から一粒の宝石を見つけるようなものである。
エステルたちの懸念は、まだまだ続くのであった。
――2月下旬、エルナン島クリテイシャス・ボールパーク――
リンツが嘆願書を提出したことを知ったブレッドは、いつものようにベンチに腰かけ、葵が行っていた特訓メニューを練習に取り入れた。
ペンギンズのGMであるドボシュが合流し、しばらくはブレッドたちと様子をうかがうことに。
リンツの正面にドボシュが不機嫌そうな顔で佇んでおり、少し遠くにはブレッドが座っている。
「君たち5人以外は、全員嘆願書を取り下げると言っている。もう一度考え直さないか?」
「お言葉を返すようですが、こっちにも事情というものがあります。故郷の友人たちが許してくれるはずがありませんよ」
「オリュンポリティアの友人はどうなんだ?」
「知りませんよ」
「そうか……君がチームのためにベストを尽くせないと言うなら仕方ない。すぐにトレードの手配をすることにしよう」
「ちょっと待ってください! ビノーのために僕ら全員をトレードするって言うんですか?」
「君たちが選んだ道だろ。オーナーもアイリーンの入団に反対する者は容赦なくトレードかDFAでチームを出すように言っている。私はその意向に従っているだけだ。もし文句があるなら問題を起こす意思があるものと見なし、君たちを制限リストに入れることになるぞ」
「そんなこと言っていいんですかねー。もし僕がレギュラー落ちすれば、僕を可愛がってくれているヴァイカウント家の人が怒って、取引停止になるかもしれませんよ。あそこの当主は僕の親戚でね。いつも僕が試合に出るのを楽しみにしているんだけどなー」
「……」
リンツが悪意のある笑みを浮かべると、急にドボシュの表情に陰りが出た。
これ以上は何も言えなくなった。リンツもまた、エステルたちの心臓を掴んでいる。故に反対者たちを簡単には動かせないことを、ブレッドはこの会話内容から悟った。
ブレッドがベンチからゆっくりと立ち上がり、対処に困っているドボシュとリンツに近づいた。
「リンツ、本当ならぶん殴ってやりたいところだが、今は1人でも多くの戦力が必要だ。トレードかDFAが決まるまでは他の連中と一緒にロースター枠に置いてやる。だがアイリーンも一緒だ」
「何だと」
歯を強く食いしばっているリンツの視界にはブレッドの顔しかない。
「どっちを選ぶにせよ、まずは決断しないと埒が明かないだろ」
「ブレッドがそう言うなら別に構わないが、本当に良いのか?」
「こちとら戦力を選り好みしている場合じゃないんでね。どうしても出て行きたいなら、今すぐ自分の足で実家に帰れ。自動タクシーを使えば、1時間で実家まで帰れるだろ」
リンツの不良のような瞳と目線を合わせ、一度も目を逸らすことなく更に距離を詰めた。
「アイリーンを受け入れてここに残るか、実家に帰るか、2つに1つだ。選べ」
「……6人ともいなくなったらどうするつもりだ?」
「その時はボトムリーグから足りない分を昇格させる。選手ならいくらでもいるし、そいつらにチャンスが回ってくるだけだ。案外お前よりずっと使えるかもな」
「何だその言い方はっ!」
リンツが頭で考えるより先にブレッドの胸ぐらに両手で掴みかかった。
負けじと脊髄反射のようにリンツの胸ぐらを掴み返すブレッド。
「やんのかてめえ!」
「上等だ。やってやるよ」
「ちょっと! 何やってるのよ! やめなさいって!」
2人の取っ組み合いに反応した周囲の選手たち一斉の止めに入り、まるで試合中の乱闘騒ぎのような事態へと発展してしまい、ブレッドとリンツは選手たちによって無理矢理引き離された。それでもなお、お互いの顔を憎悪の目で睨んでいる。
他の選手たちと共にベンチから出てきたアイリーンは、内側から湧き出る気持ちをこらえきれず、左手で自らの口を覆いながらただ1人指を濡らしている。
――ブレッド、何で私のためにそこまで……どうして……どうしてなの?
「おい、アイリーンが泣いてるぞ」
「「「「「!」」」」」
修造の声に全員がアイリーンのいる方向へと顔を向けた。
俯きながら全身を震わせているアイリーンを前に全員が落ち着きを取り戻した。
「ねえ、大丈夫?」
マカロンが声をかけながらアイリーンに近づいた。
「ありがとう。私は大丈夫だから」
涙を浮かべながらアイリーンがニコッと笑うと、その足でブレッドたちに歩み寄った。
「……もうやめて……もう争わないで」
「何言ってんだ。これはお前のための争いじゃない。人類の正義を懸けた真剣勝負だ」
「ダサッ……何カッコつけてんだか」
「んだとこらぁ!」
「はいそこまでー。もう争わないでって言ったのが聞こえなかったのー?」
2人の間に割って入ったマカロンがブレッドを制止する。
「なあ、前々から思ってたんだけどさ、何でリンツはアルビノが嫌いなわけ? 俺さー、学校行ってねえから、そういうのよく分かんねえんだけど」
何も知らないクラップが素朴な疑問をリンツにぶつけた。
クラップは幼い頃から勉強をサボってベースボールのみで育ち、学校には一切通わなかったため、偏見を植えつけられることなく真っ直ぐ育った。
「……魔法科学は古来より伝わる由緒正しき絶対の万物だ。そのお陰でこの世の人間は全員健常者だけになるはずだった。だがお前らビノーは魔法科学の恩恵を全く受け付けず、唯一の障害者及び遺伝子疾患の持ち主としてこの世に残った忌むべき存在だ。魔法科学の恩恵を受け付けない時点で、もはや正式な人間じゃねえんだよ!」
「てめえっ! ――ふごっ!」
「お願いですから……殴りかかるのはやめてくださいっ!」
「やれやれ、手のかかる監督だぜ」
顔を真っ赤にしながら反射的にリンツに殴りかかろうとするブレッドをエイブルとクラップが2人がかりで止めようとすると、エイブルがはめたままのグラブが偶然にもブレッドの口を塞いでしまった。
アイリーンを守ろうと真っ先に動いたのは、ブレッドを含め、一部の人間のみであった。
そんな中、今度はアイリーンが包み隠さず涙を見せ、憐れむような顔でリンツを見つめた。
「――何だその目は?」
「私が気に入らないならそれでもいい。でもこれだけ言わせて。私はあなたの敵じゃない。チームに貢献したいのは私も同じよ。私を追い出したいなら、実力でレギュラーを奪うことね」
「けっ、ビノーの分際でえらそーに。行くぞ」
リンツはいつもつるんでいる仲間たちと共に向かい側のベンチへと戻っていく。
「おい、どこに行く気だ?」
再び冷静さを取り戻したブレッドがリンツの後ろから声をかけると、リンツたちの足が止まった。
「これから練習試合なんだろ? 監督は僕らをロースター枠に残すと言った。だったらこっちも、そいつと一緒にいることを我慢する代わりに、さっきの言葉を守ってもらう。僕らだってビノーなんかにレギュラーを取られたくはない。だから――必ず奪い返して、チームから追い出してやる。覚悟しておけ」
体を後ろに向けたまま、リンツがアイリーンに顔を向けて言うと、さっきまで泣いていたアイリーンに笑顔が戻った。
望むところよと、アイリーンが心の中で呟いた。
「やれやれ、手のかかる選手だよ全く」
「人のことを言える立場ですか?」
目を半開きにさせたままエイブルが言った。2人はベンチで試合の準備を始めている。
「あいつと一緒にすんな。今日の先発は?」
「私ですけど」
「エイブルは歌手もやってるんだってな」
「はい。兼業しているとは言っても、シーズンオフですけど」
「てことはあんまり練習できてないよな。走り込みとかもついていけてなかったし」
思わぬ指摘に、エイブルはすぐさま観念するように口を開いた。
「……気づいちゃいましたか」
「見ていれば分かるよ」
「私がメルリーガーをしながら歌手として活動しているのは、それが夢だったからです。子供たちに夢を与える仕事なのに、片方の夢を諦めるのはどうかと思って」
「兼業しててこの成績か。どっちかに絞れば、もっと飛躍するかもよ」
「歌手を辞めろって言うんですか?」
「芸能事務所には所属のままでいいけど、僕はペンギンズで優勝を目指したいと思ってる。だから――」
「ふふっ、今のこのチームで優勝なんて、小学生でもそこまで言いませんよ。どうしてそこまで優勝を目指したいんですか?」
嘲笑うようにエイブルが言った。どこの誰もがペンギンズの最下位を予想している。それはブレッドも同じであった。
――言えない……借金地獄に陥るのが嫌で最下位を免れたいなんて……言えない。
自分のためではなく、あくまでもチームのためとは言っても、その根拠がどこにあるのかを説明できないまま、お茶を濁すようにスポーツドリンクを飲んだ。
「優勝したくない監督がいるか?」
「それは分かりませんけど、見ての通りチームはバラバラです。有望な選手たちは、みんなワールドシリーズで優勝できるチームでのプレイを望んでいます。葵はずっとフランチャイズプレイヤーでいるみたいですよ。マンキースかジャイアンツに行けばすぐ優勝できるのに」
「最強のチームで勝ちたいっていう発想がよく分からん。僕は最高のチームで勝ちたい。つき合う相手を選べるに越したことはねえけど、強い奴ばっかりのチームで勝つって、なんかつまんなくね?」
「言いたいことは分かりますけど、世界の頂点に立てるのは、いずれも勝てるチームばかりですよ。それに、ワールドシリーズで優勝しないと、球団も利益が出ませんからね。綺麗事だけで世界が回るんだったら、誰も苦労なんてしませんよ」
エイブルの無気力とも言える言葉にカチンときたブレッドがエイブルの前に立った。
不思議そうにブレッドを見上げるエイブル。
「確かにその通りだ。だが有望じゃないからってのは、ここで手を抜いてもいい理由にはならない。どうしてもメルリーガーと歌手を並行したいって言うならスプリングトレーニングで結果を残せ。他のことにうつつを抜かす奴はいらない」
「ちょっと、何言ってるんですか?」
「オフシーズンに何をしようがそっちの自由だ。だがな、肝心のレギュラーシーズンにまで影響が出るようなオフの過ごし方を見過ごすわけにはいかねえんだよ」
この言葉にはエイブルも流石に危機感を覚え、対立するように立ち上がった。
メルリーグでは140試合終了後、最後の8コマ目からアクティブ・ロースター(25人枠)にエクスパンデッド・ロースター(40人枠)にいる残りの15人を参加させることができる。8コマ目から参加できることからエイト・コールアップと呼ばれ、この機会にメルリーグデビューを果たす選手も数多く存在する。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




