第14球「嘆願書騒動」
翌日、ブレッドが朝からクラブハウスに赴いた。
ベンチ裏まで行くと、外からバットの音が聞こえた。
ブレッドが気になって外に出てみると、ヘルメットをかぶり、紺色の木製バットを持った葵とアリアが、ピッチングロボットを相手に打撃練習を始めていた。
魔法科学の粋を集めて開発されたこのピッチングロボットは、全身真っ黒のフルアーマーに加え、アンパイアロボットやフィールディングロボットにも変形できる高級品だ。更には投げたボールを瞬間装填することもできる。最速300キロまでの投球ができ、選手たちの練習に適したロボットとなっている。
選手情報をデータを入力すれば、各選手の動きをコピーすることも可能であり、対戦相手を研究するためにも使われている。
後ろ側がネットに囲まれているホームベースが3つ設置されている。ホームベースからフェンスまで150メートルはあるが、右打席に入っていた葵がその距離をあっさりと越える弾丸ライナーを何発も突き刺している。その隣では、アリアが狙ったようにボールを広角に打ち分けている。
かと思えば、今度は葵が左打席に入ると、アリアと同様に広角に鋭い打球を打ち始め、全く違うタイプのバッターに変貌を遂げた。
「朝から精が出るな」
「あっ、おはよう」
「おはよう。監督がこの時間から来るなんて珍しいわね」
「お前らが朝から練習してるって聞いてたからな」
「それで見にきたんだ。結構現場主義なんだね」
「まあな」
打撃練習の途中であるにもかかわらず、2人はブレッドと会話をしながら涼しい顔で1球も逃すことなく、納得するまで打ち続けた。
2人が特訓メニューを終えると、ピッチングロボットに停止の合図を出し、汗をタオルで拭きながら爽やかな顔でブレッドに近づいた。
――この2人、あれだけ打っていたのに全然息が乱れていない。なんてバイタリティだ。
ブレッドはメルリーグ屈指の守備力を持つ二遊間コンビの神髄を見た。
「私はボトムリーグ時代から葵の特訓メニューにつき合うようになったのよ」
「どうりで守備がうまいわけだ」
「二遊間コンビを組む相手には必ずつき合ってもらってる。アリアは歴代セカンドの中でも特に長く続いているから助かるよ」
「えへへ、褒めても何も出ないわよ」
「セカンドって、そんなに入れ替わりが激しかったのか?」
「みんな特訓に耐えられないのか、すぐコンバートしちゃうんだよね。ついてこれたのはアリアだけだったよ。ただでさえ守備負担が重いし、それでいて連携ができる人じゃないと務まらない。それに打力まである人はすぐ他球団に引き抜かれる。だからアリアが入ってくるまでは毎年違う顔だった」
話を聞いていたブレッドとアリアがしんみりと頷いた。
常に注目を浴びているスーパースターと二遊間コンビを組むのは相当なプレッシャーのはずだと、ブレッドが心の中で呟いた。
特に引っ掛かったのは他球団に引き抜かれるという言葉だ。リードオフマン時代が終わりを告げた理由は他でもない。それはスラッガーの増加である。
ドラフトだけではワールドシリーズ優勝を目指せるチームを作れないため、マンキースやジャイアンツを始めとした無尽蔵な資産を誇る球団が、挙ってFAとなった有望な選手と契約を交わしたり、他の球団からプロスペクトや金銭と引き換えにトレードで主力を引き抜いたりしていたため、メルリーグでは戦力均衡が早急な課題となっていた。
優勝候補の球団は贅沢税を物ともせず、批判覚悟で戦力強化を実行していることもあり、ハートリーグ北東地区はマンキースが毎年のように地区優勝を果たしていた。
そんなことを考えながらブレッドが浮かない顔で青空を見上げた。
「みんなが葵の特訓メニューにつき合うようになったら、成績伸びるのにな」
「無理無理。葵の特訓は消耗が激しいし、慣れが必要な上に、シーズンオフかスプリングトレーニングでしかできないわ。シーズン中は体力を温存しながら戦わないといけないし、それにみんな、アイリーンを追い出そうと必死みたいだから」
「えっ……今、追い出そうと必死って言わなかったか?」
「ええ、そうよ。昨日リンツたちが部屋までやってきて、アイリーンをレインディアーズに留めておく要求を書いた嘆願書にサインするように言ってきたのよ。一部の人以外はみんな署名したみたいだけど、ホント、何考えてんだか」
「……署名した連中をどうにかしないとな」
ブレッドの顔色が変わり、事態は思ったよりも深刻であることを理解する。
チームを改革するにあたり、大幅な戦術の見直しに迫られていたブレッドは、アイリーンをペンギンズのリードオフマンに置く構想を練っていたが、葵を差し置いてアイリーンをリードオフマンに置くことなど、チームメイトたちが賛成するはずがない。
近年はスラッガーの増加により、相対的にリードオフマンの価値は下がったが、ペンギンズのようにチーム事情からスモールボールを戦術として用いている球団の中には、未だにリードオフマンをチームの顔と考える風潮が根強く残っている。
ブレッドが事情聴取のように話を聞くと、葵とアリアはすぐに練習を再開する。
正午を迎えた頃には、ぞろぞろと他の選手たちも集まってくる。この日は3時からの練習試合だ。だが選手たちの中には浮かない顔の者までいた。マカロンやクラップもその中に名を連ねている。
疲れた顔でベンチに座るクラップの隣にブレッドが腰かけた。
「どうかしたか?」
「いや、何でもない。今日はちょっと調子が悪くてな」
「理由は嘆願書だろ?」
「何で知ってんだっ!?」
ボソッと呟いたブレッドとは対照的なクラップの叫び声に反応した周囲の人たちが、クラップの方に顔を向けた。
「あー、すまんすまん、何でもねえから」
「で? 署名したのか?」
「してねえよ。そしたらリンツの奴ら、俺と全然口を利かなくなっちまった」
「これから多くの化け物揃いのチームと対戦して、1戦でも多く勝ち越さないといけねえってのに、開幕前から派閥争いか。世も末だな」
「監督がそれを言っちゃお終いだろ。まあでも、言わんとしていることは分かるぜ」
「あっ、そうだ。クラップ、コンバートの件、考えてくれたか?」
「あー、その件ね。話はジャムから聞いたよ。外野だったらスタメンで出られるんだろ。別に構わねえけどさ、俺の本職は内野手だ。もし内野に空きが出たら、真っ先に俺を入れてくれよな」
「分かった。もし外野手として結果を残せば、その時はお前をレギュラーにする」
「……ホントか?」
真剣な目つきでクラップがブレッドの顔を見つめた。
「ああ、ホントだ。うちにはバランスタイプの選手がなかなかいないからな」
――本当はアイリーンの隣に味方をしてくれる人を置きたいだけなんだけど。
「やったぜー!」
飛び上がるようにクラップが喜びを露わにした。
クラップが今までにレギュラーを取ったことは一度もない。成績は決して悪くなかったが、器用貧乏と見なされ、普段は下位打線での起用が目立ち、代打起用されることも少なくなかった。
そんなクラップにとって、チームの主力選手になることが何よりの望みであったことをブレッドは知っていた。
「まだレギュラーって決まったわけじゃねえぞ」
「でも俺にとっては滅多にないチャンスだ。そろそろ旅を終えたかったからな」
「……」
ブレッドは気づいてしまった。移籍の多いメルリーガーたちだが、本当は1つのチームにレギュラーとして居座り続けたいのが本音であると。
本当はみんな、好きなポジションに就いて上位打線で活躍し、レギュラーとしてキャリアを全うしたいが、それが叶う選手はほんの一握りであることを、ブレッドは選手たちを間近で見たことで思い知った。しかも選手たちの熾烈なポジション争いの鍵を握っているのがブレッド自身であることを重く受け止めると、ベンチの席から立ち上がった。
次に向かったのは葵がいる場所だった。
「葵、ちょっといいか?」
「どうしたの? これから試合だよ」
「それはそうだけど、シーズン開幕までに解決しておくべき問題があるだろ。今日の夜10時、アイリーン以外の選手を全員僕の部屋に集めてくれ。来ない奴はアクティブ・ロースターから強制的に外すって言っとけ」
「分かった。でも大丈夫なの?」
「心配するな。何とかする」
軽い口調でブレッドが言った。主犯はおおよそ把握していたが、犯人を特定するだけで解決するほど単純なものではない。
対抗勢力となる者たちも長いシーズンにおいては戦力であるため、安易に首を切ることはできなかったが、そんなことはブレッドには関係なかった。
練習試合が無事に終了し、紺色のペンギンが何匹も描かれているデザインのチームバスへとアイリーンが戻っていく。
――午後10時、エルナンアイランドホテル24階――
ペンギンズの選手、FA選手、レインディアーズの選手たちが所狭しと集まり、ブレッドだけが不在のままざわざわと騒いでいる。
ブレッドの部屋の扉は開いたまま固定されており、ジャムは隣の部屋から聞き耳を立てている。
「葵、こんな時間にブレッドが全員呼び出したのは本当なのか?」
「本当だよ。何をするかは聞かされてないけど」
「明日も練習試合なんだからさー、そろそろ寝たいんだけどなー」
「全くだ。一体何のために集めたんだか――」
「性懲りもなくしょうもねえことしてんじゃねえぞぉ!」
「「「「「!」」」」」
ブレッドが威嚇するように怒鳴りながら部屋に入ってくる。
その後からキルシュが入ってくると、選手たちが怯んだところで部屋の扉を閉めた。
「おいおい、こんな時間に呼び出してどういうつもりだよ?」
半ば呆れ顔で丸雄が言った。丸雄はこの状況がまるで飲み込めていない。
「どういうつもりだぁ? そりゃこっちが聞きたいもんだね。誰とは言わんが、この中にアイリーンと一緒にプレイしたくないっていう署名をした馬鹿共がいると聞いた。嘆願書はどこにある?」
「それなら僕の部屋にある。明日には郵便でオーナーに届けるつもりだ」
自ら主犯を名乗り出るようにリンツが言った。リンツは一歩も引かないつもりでブレッドの顔を睨みつけ、ゆっくりと詰め寄った。
「その嘆願書をどうすればいいか教えよう。ケツでも拭くんだな」
「そう怒るなよ」
「文句あるか?」
ブレッドが眉間にしわを寄せ、リンツを睨み返した。
「シーズンが開幕したら、着替えもシャワーもあいつと一緒なんだぞ。そんな光景を部外者に見られでもしたら、僕らまで迫害を受けることになるんだぞ! それに僕の親父はウィトゲンシュタイン家の分家の1つ、ヴァイカウント家の側近だ。その気になれば親父に頼んで――」
「ヴァイカウント家のことなんかどうだっていい! リンツ、もしこのことがエステルに知れたらお前は終わりだ。仮にクビを免れたとしても、トレードでチームを出ることになるぞ。打率2割5分もない成績じゃあ、行く先々でレギュラーを取るのは難しいだろうがなぁ!」
「「「「「……」」」」」
物凄い剣幕に押され、ブレッド以外の全員が黙ったまま、ブレッドに視線を集めた。
部外者であるはずの葵たちもまた、ブレッドとリンツの様子を両手の指が見えるように腕を組み、固唾を飲んで見守っている。
ブレッドはリンツたちの周囲をのっそりと歩きながら話を続けた。
「僕はそいつが白だろうと、黒だろうと、縞模様だろうと一向に構わん。アイリーンはメルリーガーたちを相手に互角に渡り合える力を持っている。打席に立てば安打を量産し、塁に出れば盗塁を決めてバッテリーを撹乱させ、守備はどこのポジションでもこなし、葵を刺すほどの送球を投げる。現場を間近で見てきたお前らが1番よく分かっているはずだ。受け入れて、我慢しろ! しっかり覚悟を決めておけ! アイリーンのレギュラーはもう決定してる。それともあのプレイを見ても、まだうちには不要と決めつけるか!?」
「「「「「……」」」」」
逆らいようもない正論を突きつけられ、誰1人として反論はできなかった。
実力でまず敵わないことは、他でもないリンツたちが1番よく分かっている。だがそれ故に、アイリーンの有望さがかえってリンツたちの恐怖心を煽り、反感をより一層強める材料となっていた。
「アイリーンはまだ1人目にすぎない。あいつの後ろには、才能もやる気もあるような連中が大勢控えていることを忘れるな。いつ取って代わられても何ら不思議じゃねえ。だから、僕なら嘆願書なんかよりもまず自分のポジションの心配をする。当たり前だよなぁ! 今まで以上に自分の仕事に身を入れなきゃ、そいつらに球場から蹴り出されるんだ!」
「「「「「……」」」」」
遂に全員が口を完全に閉ざしてしまい、ブレッドの話を親身に聞いている。
この時点でほとんどの選手からは、アイリーンをチームから追い出そうという気は綺麗さっぱり消え去っている。リンツたちを除いては。
「今夜寝る前にちゃんとこのことを考えておけ。さっきも言ったが、どうしても納得できない奴はトレードで出て行くことになる。覚悟しておけ」
「「「「「……」」」」」
余りにも不毛な話に、全員が口を閉じたままぞろぞろと部屋を出て行き、それぞれの部屋へと戻っていった。
「はぁ~、やっと終わった」
ホッと胸を撫で下ろす葵。
「ほんの数分だったけど、物凄く長く感じた気がするわ」
葵の隣でアリアも同様に息を吐いた。
「これからペンギンズはどうなるんだろ」
「私にも分からないわ。葵、やっぱり私、移籍するわ」
「えっ……」
葵がこの世の終わりのような暗い顔をアリアに向けると、アリアが咄嗟に葵から目線を逸らし、何もないホテルの壁に顔を向けた。
「私は……ワールドシリーズ制覇をずっと夢見てきたの。だから……どうしても勝てるチームでプレイしたいの。ペンギンズは好きだけど、とても優勝を目指せるチームじゃないわ。来年にはFA権を取得するし、ちょうど契約満了になるわ。オーナーとも話はしているの。トレードデッドラインを迎える頃には優勝を目指せるチームに移籍できるようにしてほしいって」
「……そうか」
葵が力なく答えると、自室の扉を閉めた。
選手全員に球団の危機、そして選手たち自身に身を引き締めさせるブレッドの作戦は一応の成功を収めた。だがそれでも気が収まらなかったリンツは、予定通り翌日の郵便で嘆願書をエステル宛に送りつけてしまった。
ブレッドはそんなことも知らないまま、キルシュと同じ部屋で眠りに就くのだった。
メルリーグはレギュラーシーズンの120試合目が終了するとトレード期限を迎える。このトレードデッドラインと呼ばれる時期に多くのトレードが発生する。上位チームは下位チームから主力選手を獲得し、下位チームは上位チームから長く活躍することが見込めるプロスペクトを獲得する。その一方で貸与トレードというものもあり、金銭と引き換えに主力選手を貸し出しという形で獲得することができ、シーズン終了時に選手の保有権は元々の球団に帰属する。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




