第12球「リトルドール」
リンツがライトの守備に混ざり、ムスッとした顔で1列に並んでいる。
「リンツ、ちょっといいか」
ブレッドが再びライトまで歩き、列の隣からリンツを誘った。
「なんか用?」
「提案がある。ちょっとベンチ裏まで来てくれ」
「――別にいいけど」
リンツが素直に列から外れると、ポケットに手を突っ込み、ブレッドよりも先にベンチの階段を下りていく。リンツには大きな懸念があった。アイリーンのことだ。
奇しくもアイリーンとはポジションが被り、守備範囲でも送球力でもリードを許している。そんなリンツにとって、アイリーンは二重の意味で邪魔者でしかなかった。どうにか追い出したいと思っていることをブレッドは懸念する。
故に、リンツが最も恐れているのはトレードだ。
「はぁ!? 何で僕がファーストなんだよっ!?」
コンバートを告げられたリンツがベンチ裏で叫んだ。
「理由はもう分かってるだろ。ライトにはアイリーン、センターにはクラップに入ってもらう予定だからな」
「だったらレフトにしてくれよ」
「レフトは丸雄のために取っておきたい。葵の守備範囲が広いお陰であんまり打球が来ないし、最悪立っていてくれるだけでもいい。そうなるともうファーストしか空きがない。ファーストは左利き有利なポジションだ」
「それくらい知ってるよ。ボトムリーグにいた時はファーストもやったことあるけど、すぐライトにコンバートさせられた」
「ファーストは打力優先のポジションだ。OPSで言うなら9割くらいないとな。でも今はそんなこと言ってられない。今のうちでOPSが9割を超えているのは葵とマカロンだけだ。あの2人は守備がうまくて肩も強いから、なるべく守備負担の重いポジションに就かせたい。リンツは守備範囲も狭いけど、肩は強いし、エラーは少ないし、捕球技術には長けているから、ファーストなら簡単にレギュラーを取れる」
リンツが不機嫌そうな表情を見せながらも、ブレッドとは目を合わせようとせず、廊下の壁に背もたれをしながら俯いた。
「――もし断ったら?」
「残念だがレギュラー落ちだ。ファーストには修造に就いてもらうことになる。いいか、ここは世界最高峰のベースボールリーグだ。ポジションを選り好みしたいなら、相応の選手になってから言うべきだ。違うか?」
「……」
ブレッドはリンツの適性を見事に把握している。リンツにとってもそれは同じだった。
リンツは行き場のない憤りをこらえるので精一杯なのか、反論の言葉が口からなかなか出てこず、両腕をプルプルと震わせながらだんまりを決め込んでしまった。
「うちは深刻な打力不足だけど、守備力は全チームでトップクラスだ。ユーティリティーも豊富に揃っている。守備に関して言えば、代わりはいくらでもいるということだ。丸雄をレフトで使いたいのも、煌をDHで使いたいのも、ただでさえ足りない打力を少しでも補うためだ。去年のペンギンズでホームランを二桁打っているのは5人だけで、その内の2人を失ったのはかなり痛い。リンツも貴重な戦力だ。今のうちは一定の守備力があれば、打力の高さでレギュラーを取れる」
「……」
リンツにとって、ライトからファーストへのコンバートは大した問題ではなかった。
むしろ自分よりも劣った存在として見ていたはずのアルビノの選手に、それも自分よりパワーで劣るアイリーンにポジションを奪われたという事実を受け入れられなかったのだ。
ブレッドの決定はリンツのプライドを深く傷つけた。
ブレッドはアイリーンを贔屓しているわけではなく、あくまでも実力でポジションを選んでいるに過ぎないが、曇りきったリンツの目にはそうは映らなかった。
「まあそういうわけだ。3月までに決めてくれ」
リンツの内心を全く知りもしないでブレッドがベンチに続く階段を上っていく。
1人になったリンツは、静寂が周囲を支配する中、収まりきらない怒りを何もできない無力感で無理矢理抑えようとするが、ついにそのブレーキの壊れる音がリンツの心の中に響いた。
――認めない……僕は絶対に認めないぞ……全部あのビノーのせいだ。このままじゃあいつのせいで、僕の人生が台無しだっ! ……ビノーなんかにっ……好きにされてたまるかっ!
リンツはただ1人、心の奥底で次の一手を企むのであった――。
――数日後、オリュンポリティア属州キールストル――
アンタークティック・スタジアムでは、シーズン開幕に備えるべく、氷が張られた状態のスケートリンクとして使われていたグラウンドが一瞬にして内野の土と外野の緑が広がっていき、がらりとその姿を変えてしまった。
職員たちが忙しく働く中、エステルは呑気にオーナー室で1人高級な椅子に腰かけていた。
エステルがコマンドフォンを机の上に置いて通話ボタンを押すと、小さくなったアイリーンの全身がホログラムとしてコマンドフォンの真上に映し出された。
「アイリーン、そっちの様子はどうだ?」
『監督たちや一部の選手は受け入れてくれたようです……でも――』
「他の選手たちからは反発されていると?」
『はい。選手だけに絞ると、葵、煌、アリア、ラーナ、マカロン、クラップは私に対して敵意を持ちませんでした。ただ――他の選手たちは抵抗を持っているようで』
「詳細は分かるか?」
『真っ向から敵意を示した人が全体の半数以上で、残りは私とつき合いを持つことによる迫害を恐れ、私に近づこうとすらしませんでした』
「思ったより深刻だな。ブレッドから極力離れないようにな」
『はい――エステルさん』
「どうした?」
エステルが机に両肘をつき、アイリーンに尋ねた。
アイリーンはすぐには答えられなかったが、間を置いてから恐る恐る口を開いた。
『……何故こんなことを?』
「君はうちの戦力になれる。今のうちは資金不足で、グループを守るのが精一杯だ。これじゃ選手の強化もできない。だがアルビノの選手や二刀流の選手がメルリーグにデビューすれば、観客たちが君や煌の姿を一目見ようと雪崩のように球場まで押し寄せてくる。そうなればチケットやビール、ホットドッグにコーラが飛ぶように売れるわけだ。視聴率もかなりの取れ高を期待できるぞ」
一瞬、エステルが嬉しそうな笑みを浮かべながらも、アイリーンから少しばかり目線を逸らした。
エステルは席から立ち上がり、戸棚からお気に入りのワインとグラスを取り出した。
『お金のためですか……』
「そうだ。我々はボランティアではない。れっきとした営利企業だ。特に我々のような弱小のグループ企業が手段なんて選んでいたら、あっという間に潰れてしまうよ。また何かあれば報告してくれ。それとソーラーガードが足りなくなったらまた輸送することにしよう。幸運を祈る」
エステルがそう告げると、通話終了ボタンを押した。
1人バスの中にいたアイリーンは終始顔色が曇っていた。
――同刻、エルナン島クリテイシャス・ボールパーク駐車場――
「アイリーン、元気してるか?」
元気の良い声がアイリーンの耳に届いた。意外にもブレッドが1人でバスに乗り込んでくると、アイリーンはバスの奥にある右端の席から近づいてくるブレッドに驚きの顔を見せた。
「どうしてここに?」
「1人じゃ心配だからな。ここはメルへニカ本島よりも偏見が少ない分安全だけど、どんな奴がいるか分からないからな」
「鍵は閉めてるから大丈夫よ」
「さっき悲しそうな顔だったけど、どうかしたか?」
「……何でもないわ」
「そういえば、アイリーンはどうやってボトムリーグ契約を結んだわけ?」
「エステルさんに誘われたの。絶対に怒らないことを条件にね」
「それは随分と危ない橋を選んだな」
「私にはもう……これ以上落ちる場所なんてないわ」
健気にも笑みを浮かべながらアイリーンが言った。
ブレッドは常に耐え続けるアイリーンの姿を知っている。味方のいない観客席からの罵詈雑言は目に余るものがあり、ブレッドにはそれが自分に向けられたものであるかのように感じていた。
ブレッドはアイリーンからボトムリーグ契約の詳細を聞いた。それはブレッドがアイリーンの宿命を共に背負う覚悟をすることでもあった。
「一緒に買い物行くか?」
「私と一緒だと、迷惑がかかるわ」
「もうかかってる。この状況に限って言えば、監督としての報酬なんてほとんど迷惑料みたいなもんだ。コンビニやスーパーや商店街だったら、入店禁止にされてないんだからさ、何の問題もない」
「それはそうだけど――えっ、ちょっと」
ブレッドがアイリーンの細い手を丁寧に引っ張った。
バスの外に連れ出すと、近くにあるスーパーに入り、バスの中で食べるものを探した。ランチの時間を過ぎていたこともあり、客はあまりいなかったが、あからさまに嫌そうな顔を向けられた。
アイリーンはサンドウィッチが並んでいる所まで赴き、そこでいくつかのサンドウィッチを買い物かごの中に入れた。
「それが好みか」
「これくらいしか食べられるものがなかったから」
「でもこれからは違うぞ。当たり前の日常を過ごせるようになるには前例が必要だ。アイリーンはその役に選ばれた。いつもそんな食事だったら筋肉もつかないだろ。もっと色んなものを食べて、シーズン開幕に備えてくれよ」
「あなたは本当に変わってる。みんな私を見ると、親の仇を見るような目で睨みつけてくるのに」
「君がアルビノだろうと、そうでなかろうと、離れていく奴は離れていく。それだけのことだ。君だけじゃないよ。僕だってずっと嫌われてきた」
「でも後悔はしていない。そうでしょ?」
「よく分かるな――君が不当な扱いを受けていなかったら、今頃は心理学者になってたかもな。これは僕が持つよ」
「……」
ブレッドがアイリーンが持っていた商品を手に取り、袋詰めにした。
アイリーンが先に外に出ると、ブレッドは商品を持ったまま扉の外に出た。
すると、扉を出ると同時に決済完了となった。
魔法科学が劇的に進歩しているガイアースで買い物を行う場合、商品を持って外に出た時点で個人が識別され、自動的に口座から料金が差し引かれることとなる。
「食べる分くらい私が買ったのに」
「遠慮するな。そんなに年俸貰ってないだろ」
「年俸は1万2000メルヘン、ボーナスは8000メルヘンよ」
「それ……一般的なボトムリーガーたちと同じ待遇じゃん」
「言ったでしょ。エステルさんは私たちが思っているよりずっと優しい人よ」
「信頼してるんだな」
「もちろんよ。ただ、あの人の言葉がどこまで本当なのかが分からない」
「アイリーンでも考えが読めない人っているんだな」
2人が球場近くに泊めているバスに近づいた。
しかし、そこには先ほど終わったばかりのスプリングトレーニングを一目見ようと球場まで訪れていた観客の一部が集まってきており、その1人がブレッドとアイリーンに気づくと、真顔のまま距離を詰めてくる。
咄嗟にブレッドの後ろに隠れるアイリーン。
「アイリーン・ルーズベルトだな?」
「そうだけど、何の用?」
「――俺たちはあんたのことを応援してる。みんなウィッチ・ロウの再来だと騒いでた……才能がある奴にはチャンスを与えるべきだ。こんなこと、あんまりでかい声じゃ言えないけどな」
「それは願ってもないことよ」
アイリーンが安全を確認すると、ブレッドの隣に並び立った。
「遠く離れちゃいるが、俺たちはずっとペンギンズファンなんだ。期待してるぜ。リトルドール」
集まっていた観客たちがぞろぞろと立ち去っていく――。
「……?」
不思議なものを見るように首を傾げるアイリーン。
「どうやらそれが君の愛称らしい。メルリーガーはみんなファンから愛称で呼ばれている」
「みんな葵に向かってブルーって呼んでたけど、そういうことだったのね」
「本当に世間のことを何も知らないんだな」
「隔離政策を受けていたの。私のコマンドフォンは去年までプロテクトがかかっていて、インターネットにも繋げられなかったの」
「エステルが君に話を持ちかけたのは、さっきの連中が言っていたように、きっとチャンスを与えるためだ。万年最下位から脱出すれば、みんなもアイリーンのことを認めざるを得ない。僕らで一緒にこの世界を変えよう。善良な人間の時代がようやくやってきたんだ」
「ええ……そうね。私は希望を信じる。いついかなる時も――」
アイリーンが空に燦々と輝く太陽を見ながら言った。
ブレッドはアイリーンとバスの中で遅い昼食を共にする。
クラブハウスへと続く道をブレッドが1人で歩いていると、前方から歩いてくる幼女のような姿をした女性と目が合った。
「あっ、監督、どこに行ってたんですか?」
「ちょっと昼飯食ってた。みんなはどうしてる?」
「葵さんたちは練習に励んでますけど、リンツさんたちはもうホテルに帰っちゃいましたよ」
「はぁ!? ……ったくあいつら何考えてんだよ。ただでさえレギュラー取れるかどうかの瀬戸際だってのに。まあいい、ところで君……誰だっけ?」
まるでボケをかまされたお笑い芸人のように女性がこけそうになる。
「エクレール・ルリジューズ・ショコラです! この前自己紹介したばかりじゃないですかぁ!」
エクレールが両頬を膨らませながらツッコミのように言った。小学生のような童顔、青い髪に小さめで細身の体が、ブレッドにはとても可愛らしく見えた。
土汚れがほとんどないことからも、エクレールがピッチャーであることが見て取れる。
「わりいわりい、選手の数が多すぎてな」
「監督、先発ローテーションはもう決まったんですか?」
「まだ決まってねえよ。みんなレギュラーを取るのに必死だよな」
「当たり前ですよ。メルリーグで活躍するために、みんな命懸けですから」
「エクレールは確かリリーフなんだよな?」
コマンドフォンでエクレールのデータを確認するブレッド。
「はい。私はスターズでデビューしたんですけど、それからは投手力を必要とする球団を片っ端から助っ人のように回っていました」
「15歳でメルリーグデビュー果たして、4年の間に6球団でプレイしてるのか。絵に描いたようなジャーニープレイヤーだな」
「毎年トレードデッドラインを迎える度に、優勝候補の球団がリリーフを強化するために、トレード要員として出されるんです。私としては、そろそろ旅を終えたいところですけど」
「だったら今年はレギュラー定着のチャンスかもしれないぞ。うちは投手陣も打撃陣も圧倒的に戦力不足だ。特に投手陣に至っては絶望的だし」
「そんなドヤ顔で言われても説得力ないですよ」
目を半開きにさせながらエクレールが言った。
まだ19歳ながら既に経験豊富な投手となっているが、エクレールのデータと睨めっこを続けているブレッドが、この経歴に1つの疑問を抱いた。
エクレールは目をパチパチとさせながらブレッドを見つめている。
同地区に所属するチームの勝率が並んだ場合、順位決定戦を1試合のみ行う案が出た。だがレギュラーシーズン扱いとなれば不公平が生じるため、最終的には直接対決の成績とチーム成績によって順位を決定することとなった。
歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より




