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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
序章 前代未聞の入団
12/50

第10球「それぞれの事情」

 ブレッドはエイブル・スキーバーをマウンドに送った。


 紫色のポニーテールをなびかせ、落ち着きのある子供のような小顔、一見大人しく見える性格に闘志を秘めている。


 ストレートとフォークを使いこなし、常にバッターに対して択を押しつける先発投手であったエイブルにとっては正念場だった。4年前からペンギンズに所属しているが、ここ数年は調子が悪く、ペンギンズに来る前はトレードを繰り返し、ペンギンズに来てからは度々ボトム落ちを経験した。


 エイブルにとってはメルリーグに復帰する最後のチャンスだ。


 今年はボトムリーグで過ごす予定であったが、多くの選手がペンギンズを出たため、再びペンギンズの先発として復帰したが、今回はクローザーとしての登板だ。エイブルはこの起用法に戸惑いを隠せずにいる。多くの場合、先発投手を務めていた者にとってリリーフ起用されることは、降格処分を言い渡されたことと同じである。


 その事実だけでも、この瀬戸際のジパング人の闘争心に火をつけるには十分だった。


「次は当たりのない4番からだ。一発サヨナラだから、ホームランを打たれにくいエイブルにした」

「結構考えたね。でも彼女、去年の大戦犯だよ」


 話の腰を折るように丸雄が暴露する。多くのピッチャーを見てきたのは丸雄も同じだ。


「大戦犯?」

「まあ見てれば分かるよ。抑えられるといいけど」


 ブレッドの脳裏に嫌な予感がよぎる。絶望を示唆する丸雄の発言を気にする暇もなく、試合はついに9回裏を迎えた。


『ペンギンズサブチームのDHを解除。4番ピッチャー、ホムラーシーナー』

「「「「「!」」」」」


 球場内に激震が走った。DHを解除してピッチャーが打席に入ることなど、本来であればまずあり得ない選択だ。


 煌がバットを持ちながら左打席に入った。


「えっ……冗談だよな?」

「冗談じゃねえよ。あいつは打撃も得意だ」

「打撃も得意なピッチャーって、二刀流じゃねえか」

「二刀流って何?」

「投手と打者を同時にこなす選手だ。スペードリーグにはDH制がないからピッチャーも打席に入るけど、ほとんどは送りバントか三振をするだけのアウト製造機だ。だが極稀に、両方でプロの域に達しているプレイヤーがいる。それが二刀流だ」


 ――寄りによって煌が相手だなんて、本当についてないですね。


 エイブルが警戒の目で煌を睨みつけると、手始めにストレートを内角低めに投げた。


 煌はノンステップのままいとも簡単に打ち返し、一塁線に弾丸のような当たりを放ったが、惜しくもファウルとなった。


「何だあのパワー。一塁線に入っていたらホームランの当たりだぞ」

「とてもピッチャーの打球とは思えないな」


 今度はフォークを織り交ぜながらコースギリギリを突いたが、いずれもストライクゾーンから大きく離れるほどのボール球になった。


 スリーワンとなり、エイブルはもう後がなくなった。


 素直にフォアボールで出塁させてもよかったが、メルリーグ復帰の鍵となる功名を目の当たりにしているのか、エイブルはいつもの冷静さを失っている。


 ジョンのサインに首を横に振り、ストレート勝負を選択した。


 ――煌は打撃も得意と聞いてはいたが、ここ数年メルリーグには昇格できてないんだ。だったら勝負しても良いはずだ。


 エイブルがコクッと頷き、大きく振りかぶると、放たれたストレートは内角低めに投げたつもりであったが、ボールは真ん中高めに入ってしまう。


 打球音と共にボールは高い弾道のまま、ぐんぐんと勢いを失うことなく飛んでいき、ライトスタンドへと吸い込まれた。観客たちがボールの取り合いになる中、煌はヘルメットを右手で押さえながら堂々とダイヤモンドを1周する。


 ホームにはサブチームのメンバーたちが集まり、煌は笑顔でサヨナラのホームを踏んだ。


 エイブルはマウンド上で肩を落とし、レギュラーチームの面々は楽しそうに煌を称える選手たちの光景をただ見ているしかなかった。打球速度は218キロを記録し、紛れもなく真芯を射抜いた一撃であった。


「お前すげえな! サヨナラホームランだぜ! やべえよホントに!」

「ふふっ、ありがとうございます」


 煌が礼儀正しく満面の笑みを浮かべ、クラップにお礼を言った。


 だがこの結果に最も度肝を抜かれていたのはブレッドだった。


 そこに現実感はなく、さながらリトルリーグの試合を見ているような感覚にさえ陥り、思わず両手で頭を抱え、開いた口が塞がらないままである。


「……マジかよ……170キロオーバーのストレートに、160キロオーバーのスプリットを投げるだけでも十分すぎるほどすげえってのに、打球速度200キロオーバーの170メートル弾って、まるで漫画じゃねえかっ!」

「あいつ……ブービ・ルース以来の逸材じゃねえか?」

「ああ、間違いないね」


 丸雄の言葉にリンツが頷いた。誰もが煌の活躍に注目している。


 ブービ・ルースは今から1000年前に活躍した伝説のメルリーガーである。二刀流選手自体はメルリーグ創成期から度々出現していたが、活躍そのものは至って限定的であった。


 戦力不足のチームにおいて、終盤まで野手として出場してからクローザーとして登板する者や、オープナーとして初回のみを投げてから野手に徹する者がいたが、ブービ・ルースはメルリーグ史上初めてエースピッチャーとスラッガーを同時にこなし、通算394勝に加え、通算本塁打1014本を記録した本格派二刀流選手であった。


 その圧倒的な影響力から、ブービ・ルース以降の時代を生きた選手の中から模倣を試みる者まで現れたが、いずれも数年以内にどちらかに絞ることを余儀なくされた。


「煌は本気で二刀流を究めようとしている。監督、アイリーンのことを心配する気持ちも分からなくはないけど、どうか煌のことも……よろしく頼む」


 葵が頭を深々と下げながら懇願する。


「よろしく頼むって言われても、二刀流選手なんて扱ったことねえから分かんねえよ。ましてやスイッチピッチャーの二刀流なんて前例がない。両投げ両打ちのレフティ・ライトはスイッチピッチャーに専念したことで、通算500勝を挙げることができた。速球の左投げと変化球の右投げだ。同じく両投げ両打ちのエディ・マントルはスイッチヒッターに徹したことで、通算1036本のホームランを打つことができた。ファーストとセンターを守るユーティリティーで、ファーストを守る時は左利きの利便性を活かして左投げ、センターを守る時は強肩を活かせる右投げだった。しかもそいつらには采配を知り尽くした名監督がいたから何とかなったんだ」

「過去の選手のことはよく知ってるんですね」


 新たな可能性を感じると共に、プロスペクトを扱いきれないことを明かした。


 萎れた木のようにマウンド上に座り込んでしまうブレッド。


 そんなブレッドを気にかけるように近づいてくるアイリーン。


 未来が全く想像できないブレッドが押し潰されそうになっていることを、アイリーンはブレッドの表情から敏感に感じ取った。


「煌があれだけの能力を持ちながら、何故メルリーグに昇格できないかを聞いてたよね。それにはちゃんとした理由があるんだよ。煌、ちょっと来てくれ」

「あっ、お兄ちゃん。一体どうしたの?」

「監督に今までの事情を説明してやってくれ」

「別にいいけど、どうして?」

「ブレッド監督は今までの監督とは違うからだよ」

「!」


 さっきまでの笑顔が消え、目つきが変わっていく煌。


 葵がコクッと頷くと、煌もそれに応えるかのように頷いた。


 試合中よりもずっと大きな緊張感がブレッドたちの周囲を覆っている。アイリーンもそのことに気がつくと、ブレッドの隣に陣取った。選手や観客たちがぞろぞろと歩いて帰っていく中、ブレッド、ジャム、キルシュ、アイリーン、葵、煌の6人だけがグラウンドに残った――。


「3年前、私はハートリーグ傘下のリトルリーグで投手と打者を務めていました。登板しない日はDHで出場していたんですが、お兄ちゃんが野手として成功しているのを見て、私は高校を卒業してから、投手に絞ってデビューしようと考えていました。そんな時でした。リトルリーグの試合を見ていたオーナーから提案を受けたんです。現代版ブービ・ルースにならないかって。最初に聞いた時は、流石に冗談だと思いました。でも――オーナーは本気でした。私1人のためだけに、練習場所を用意してくれたんです」

「そのまま熱意に押されて、本格的に始めたんだよな」

「うん。その後は練習に専念するために、高校には行かないことを発表した時、メルリーグの色んな球団が入団交渉を迫ってきたんです」

「ドラフト制度とかないの?」


 メルリーグに精通しているジャムにブレッドが尋ねた。


 さっきまでの浜風が吹き止み、太陽が徐々に沈んでいく。


「あるにはあるんですけど、ドラフトは基本的にウェイバー制で、チーム成績が低い球団が順番に選手を選びます。ただ、選手がウェイバー制で指名された球団との交渉が決裂した場合は、3年間契約金なしの格安年俸で固定化される代わりに、選手が球団を逆指名できるんです。メルへニカドリームを狙っている人なら年俸を優先してどの球団でも受け入れますが、たまに特定の球団に入りたい人もいるので、そういう人が浪人になることを防ぐための救済処置なんです」

「だったら特に問題ないな」

「それがそうもいかないんです。この方法で選手を入団させた場合、来年度はチーム成績に関係なくウェイバー制の恩恵を受けられなくなる上に、ウェイバー制で入団していた場合の選手に払われるはずだった推定契約金の3倍分を罰金として相手球団に払わないといけないんです」

「じゃあ、ペンギンズがここ数年間、優秀な選手を確保できなかったのは――」

「そうです。オーナーの勧めで始めた二刀流を貫くためです。ドラフトではペンギンズに選んでもらう予定でしたが、ドラフト1巡目で私を選んだのは、その年の勝率が全チーム中最下位だったホワイトスノーズでした。ペンギンズ以外には入団しないと言ったにもかかわらずです。ペンギンズ以外の球団は投手か打者に絞れって言ってくるんです」

「そりゃそうだ。格安年俸でプロスペクトが手に入るし、どっちかに絞らせるように言ったのはリスク回避のためだ」

「――みんな自分のことしか考えてません。でもペンギンズだけは私を受け入れてくれたんです。自分を侮った世界を見返してやろうじゃないかってオーナーに言われた時は、心が躍りました」


 煌が胸に手を当て、ブレッドに笑顔を向けながら言った。


 二刀流選手がメルリーグにデビューすることになれば、珍しいもの見たさに観客が押し寄せ、球団にとっては貴重な収入源になる。


 またしてもエステルの拝金主義が追及された結果なのかと勘繰るブレッド。


「悪いけど――」

「えっ!?」

「しばらく考えさせてくれ」

「分かりました」

「ところで、何で入ってから3年間もボトム暮らしなわけ?」

「右投げに徹するなら15歳でデビューできるって言われたんですけど、私はスイッチピッチャーもやりたいので、それでボトムリーグで訓練を積んでいたんです。オーナーからもスプリングトレーニングで結果を出せば、メルリーグに昇格できるって言われました」

「――4月までに必ず答えを出す。だから煌は、それまでに必ずメルリーグ昇格を勝ち取ってくれ」

「はいっ!」


 元気よく返事をする煌。その隣で葵は煌の顔を見つめている。


「お兄ちゃん、どうかした?」

「いや……何でもない」


 そう言いながら葵がベンチ裏にある階段へと下がっていく。


 両軍のベンチ裏は地下へと繋がっており、そこから外へ出ることもできる。


 メルリーグの各球場の地下にはクラブハウスがある。フードルーム、トレーニングルーム、シャワールーム、ロッカールーム、アミューズメントルームといった施設が広がっており、ブレッドたちがクラブハウスのロッカールームに戻ると、選手たちが楽しそうに喋りながら着替えている。


 メルへニカでは性別に関係なく同じロッカールームやシャワールームなどを利用することが当たり前である。性差を全く気にすることなく、全裸でバスタオルを体に巻いたままの選手もおり、練習の合間にアミューズメントルームで遊んでいる。


「アイリーンもシャワールームに行ったらどうだ?」

「みんなが終わってから入るわ」

「分かった。みんな聞いてくれ。6時を過ぎたら全員近くのホテルに戻れよ。明日になったらまた練習試合を始める。今度は今日出られなかった人がスタメンで出ることになる。いいな?」

「「「「「は~い!」」」」」


 午後6時、アイリーン以外は全員近くのホテルへと戻った。


 隔離政策により、アルビノがホテルで泊まることは禁止されているため、アイリーンはチームが遠征している間、チーム専用のバス内で寝泊まりをすることとなる。ようやくシャワールームの脱衣室に入ることができたアイリーンは落ち着いた様子でユニフォームをスルスルと脱いでいき、モデルのように真っ白でほっそりとした体を露わにした。


 目を半開きにさせたまま銀色のシャワーヘッドの下へと移動する。


 すると、下に人がいることを感知したシャワーヘッドから適度に温かい浄水が発射され、疲れ切ったアイリーンの全身を癒すように濡らしていく。


 気持ち良さそうに目を瞑り、浄水を浴び続けるアイリーン。


 その姿からは汗汚れと共に、心の傷をも洗い流していることが見て取れた。


 ――同刻、エルナンアイランドホテル24階――


 1階のロビーでチェックインを済ませ、車が余裕で1台入るほどの広いエレベーターで思った以上に体力を消耗していたブレッドがベッドに横たわった。


 天井を見ていたブレッドの真上にキルシュのニタニタしている顔が映った。


「……何故お前がここにいる?」

「えぇ~、いいじゃ~ん。せっかく私と同じ部屋になったんだから、好きなだけ触ってもいいよっ」

「断る。メルリーグの監督は忙しいんだよ。何でさっきクラブハウスで飯を食ったか分かるか?」

「選手たちの分析に時間を割くためでしょー。ブレッドったらホントに冷たいんだからぁ~」


 同じくベッドに横たわりながら手足をバタバタと動かすキルシュ。


「僕のアシスタントになってくれるのは嬉しいけど、やるんだったらちゃんとやってもらわないと。キルシュ、これから僕らは160試合を戦って、ポストシーズンに進出できるような強いチームを作る必要がある。最下位になったら一生借金生活だ。恋愛ごっこなんてやってる暇ねえぞ」

「ちぇっ。つまんないの。でもさっきまでと違ってやる気になってるね」

「……あんなお願いをされたら、必死になるしかないだろ」


 ――アイリーンだけじゃない。ペンギンズには色んな事情を抱えた選手がいる。


 チームを背負うことは、選手たちの人生を背負うことであると、ブレッドは肝に銘じた。


 そんなこんなで、ブレッドはキルシュと共に一夜を明かすのであった。

 創成期こそスペードリーグがメルリーグを席巻していたが、時を重ねるにつれてハートリーグが台頭するようになった。これはDH制による投手と打者の分業化により、特化した選手が役割に専念できるようになったからであると思われる。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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