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Märchenica League Baseball ~The First Albino Märleaguer~  作者: エスティ
序章 前代未聞の入団
11/50

第9球「異色の選手たち」

 次のバッターはリードオフマンの葵だが、ラーナの腕には怖気が走っている。


 いつもとは様子が違うギラギラとした目つきで葵がラーナを睨みつけ、今度は右打席に立ち、寝かせていたはずのバットを縦に構えている。ラーナは右打席に立った時の葵の恐ろしさを知っている。


 まるで別人のような葵にブレッドが違和感を持った。ラーナが内角へと食い込むシュートで何度もシーズン中のような厳しい内角攻めをするも、全てボール球となっている。


「おいラーナ、啖呵切っておいて今更逃げるなんて言わねえよな? 今はシーズン中じゃねえんだ。もっと堂々と勝負しろよ」


 ラーナの恐怖心を読み取ったブレッドがマウンドに立つラーナに声をかけた。


「はぁ!? ワタシが逃げるとでも思ってるデスカ!?」

「だって逃げてんじゃん」

「――だったら勝負してやるデス!」


 ラーナがグラブで口を隠し、小さな声でボソッと呟いた。


 ジョージのサインに首を横に振り続け、ようやく納得すると、外角低めに渾身のスライダーを投げ、ストライクゾーンに入れつつ、葵の空振りを誘った。


 しかし、葵は外角にまでバットを伸ばし、スライダーを真芯で捉えた。


 大きな打球音が鳴ると、ボールはライナーの弾道を描き、あっという間にレフトスタンドへと吸い込まれていった。


「……おいおい、何だあのパワーは。打球速度212キロって」

「あれが、葵のもう1つの顔よ」

「もう1つの顔?」

「葵には2つの顔があるの。左打席の時は『コンタクトフォルム』と呼ばれる状態になって、打率4割越えのアベレージヒッターになるの。右打席の時は『スラッガーフォルム』と呼ばれる状態になって、年間60本ペースでホームランを打てるスラッガーになるの。葵は試合状況に応じて、この2つのフォルムをうまく使い分けてるのよ」

「まるで二重人格だな」

「言われてみればそうね。でも葵が言うには、長打を狙う時に目を細めることで、集中力を極限まで上げているんだって。左の時は視野を広げたいからそのままなの。要は出塁か長打のどちらかに特化できるってことよ。これが葵の強さの秘訣なの」

「左右でタイプが変わるスイッチヒッターか。僕には度し難いな」


 涼しい顔のままダイヤモンドを1周し、同点のホームを踏むと、プレクとハイタッチを交わし、呆然としているラーナに近づいた。


 歩み寄ってくる葵に気づくラーナ。


「何で本気出さないわけ?」

「スプリングトレーニングで本気を出すなんてあほらしいデス。ワタシにとってはただのウォーミングアップデス」

「監督は現場主義だ。あの様子だと、全選手を積極的に参加させるつもりだよ。恐らくスプリングトレーニングの結果でレギュラーを決めるつもりだ。今までの監督だと思っていたら痛い目を見るぞ。君には自慢のフォークがあるだろ。それをうまく使えば、もっと楽に抑えれるはずだよ」

「……分かったデス」


 さっきまで興奮気味だったラーナの目の色が変わった。


 これにはブレッドもすぐに気づき、葵がベンチに戻ってくると、ベンチにいる全員とハイタッチを交わした。


「ラーナと何を喋ってたんだ?」

「ちょっと気が抜けていたみたいだから火をつけてきた」

「どうりであんなにやる気なわけだ」

「ラーナはシーズン中じゃないとなかなか本気を出さないところがあるけど、どうせならシーズン中のような活躍が見たいでしょ」

「こっちが負けたらあいつが出て行くのを忘れてないか?」

「ふふっ、彼女なら大丈夫だよ」

「……」


 ブレッドの懸念が杞憂であるかのように葵が言った。


 ラーナはストレートにフォークを織り交ぜ、ウイニングショットとして三種の神器を全て使い始めると、あっという間に後続を三者連続三振に切って取った。


「やれやれ、ラーナがスプリングトレーニングで本気を出すなんて。もう打てないかもね」

「心配すんな。あいつはもう50球を超えてる。100球投げさせればノックアウトだ。そこまで耐えれば勝てる。ペンギンズのピッチャーのデータを調べたけど、みんな防御率が火の車だ」

「防御率がみんな火の車ということは、こっちも打たれ放題になるってことだよ」

「そうだな。ピッチャー交代。お疲れさん」

「ちっ、もう交代かよ」

「仕方ねえだろ。正直5回は投げてほしかったけど、そのスタミナだときつそうだからな」

「今日は調子が悪かっただけだ」


 ルドルフがムスッとした顔でベンチ裏の階段を下りていった。


 ブレッドがブルペンに電話をかけると、センターの壁の一部と化していたフェンスの扉が開き、そこから白と黄色に染めている縞模様の派手な髪型をした長身の男性が走ってくる。


 落ち着いた様子でマウンドに上がると、何度かピッチング練習をしてからプレイが続行され、その長身から投げ下ろされるストレートやカーブで次々と打者を打ち取っていく。


「あいつ、見ない顔だな」

「バウムクーヘン・シュピッツェン。アレッサンドリア・エミューズからトレードで来たピッチャーで、期待のリリーフとしてやってきた。トマホークと称される高い位置からのストレート、バットの芯を外してくるカーブの使い手だ。三振は少ないが、ゴロに打ち取るのが得意なピッチャーだ」

「去年FAになってるってことは、招待選手か」

「ていうかうち、トレードで入ってきた人多すぎじゃね?」

「しょうがねえだろ。去年までうちにいたレギュラーどころか、ブルペン投手陣の連中まで、あいつのために一斉に移籍したからな。まあそんなわけで、投手陣はほとんど招待選手だから、うちのレギュラーじゃない奴もいるってわけだ」

「やれやれ、先が思いやられるね」


 丸雄が他人事のように両手の平を上に向けた。


 勝負は8回表にまでもつれ込んだ。ラーナは肩で息をしているが、本人はまだ打ち崩されているとは思っていない。スプリングトレーニングであるため、本来であれば3回で交代しているはずだが、ラーナはブレッドとの勝負に拘った。


『ストライクアウト。チェンジ』


 攻守交代となり、ここまで投手戦を続けてきたラーナがヘトヘトのままベンチに下がった。


「はぁはぁ、葵に何球も投げすぎたデス」

「よく投げてくれましたね。お疲れ様です。今日はもう十分ですよ」

「何言ってるデスカ。ワタシはまだ投げられるデス」

「これはスプリングトレーニングですよ。ラーナはもう100球以上投げています。無理をして怪我でもしたらどうするんですか?」

「……ブレッドとの勝負はどうなるデスカ?」

「交代した時点で2対2の同点なので、引き分けでいいと思いますよ。最初からフォークを交えて投げていれば、ほぼ完璧なピッチングができていたでしょうけど、フォークは肩や肘に負担のかかる球種ですから、それを考えればよく投げた方ですよ」

「――分かったデス。だがワタシはあいつのことを認めたわけじゃないデス」


 ラーナが両腕を組みながら相手ベンチにいるブレッドを睨みつけた。


「ブレッドさんは以前から選手よりも監督に向いていると言われていました。彼が社会人チームにいた時、選手の長所を素早く見極める観察眼、緻密な戦略に基づいた選手起用法で、トリプルリーグのチームを完封寸前まで追い詰めたこともあります」

「社会人チームで――トリプルリーグのチームをデスカ?」

「ええ。皮肉な話ですけど、監督向けの適性が、ブレッドさんがメルリーガーを諦めた1番の理由なんです」

「……」


 押し黙るようにラーナが口を閉じると、心の煌が消えるかのようにベンチに腰かけた。


 そして再びラーナが見たのは、チームメイトに馴染んでいくブレッドの姿だった。ブレッドに対して少しばかりの羨望を感じ、まだ見ぬ次の投手に希望を託した。


 8回裏、1アウトからマカロンが四球を選んで出塁する。その後2ストライクに追い込まれたところでヒットエンドランを狙って走り出したが、クラップが三振に倒れ、マカロンもワッフルの強肩送球に倒れ、三振ゲッツーとなった。


「あのキャッチャー、打力はからっきしだけど、かなりの強肩ね」

「すまん。空振りしちまった」

「ドンマイ。こういうこともあるわ」


 マカロンがクラップを再び励ました。その一方で三振ゲッツーにより、勢いのついたレギュラーチームは4番エドワードからの好打順であった。


 ジャムがブルペンに電話をかけると、センターのフェンスにある扉から赤と青の混ざったレインディアーズのユニフォームを着用している1人の女性が現れた。肩に届かないくらいの桃色のミディアムヘアー、丸みを帯びた豊満な胸、絶妙なカーブを描く腰回り、可愛らしい端正な顔に球場がどよめいた。


 選手たちのユニフォームは全身ボディスーツのような外見であり、一見薄いゴムのように伸びるユニフォームは魔法科学の粋を集めたものである。既定の範囲内であれば、自動的に着用した選手にピッタリのサイズへと変わり、死球や接触などのダメージを減少させることができる。


 これは選手たちのユニフォームや水着などの服を製作しているグローバル企業、『スピーディー』の製品である。メルリーグ創成期から使用され、多くの選手の離脱を防いだ。


『ピッチャー、スヴェトラーナ・ボルトキエヴィチに代わり、ホムラーシーナー』


 観客がリリーフ登板した女性を歓迎するように拍手と歓声を送った。


「あいつ、椎名煌(しいなほむら)じゃねえか?」

「えっ、椎名ってことは、もしかして親戚?」

「ああ。煌は僕の妹だよ」

「なるほど、兄は野手で妹は投手ってわけか。でもあのグラブ、今まで見てきたものと全然違うぞ。グラブにしては大きすぎると思うけど――!」


 見慣れない光景にブレッドが口をぱっくりと開けた。さっきまで左腕にグラブをはめ、右腕で投げていた煌がグラブを右腕にはめ直すと、今度は左投げをし始めたのだ。これには選手も観客も動揺を隠せない。両投げ用グラブ自体を見た人自体が少なく、物珍しい投球練習に人々は釘付けだ。


 右投げの時よりも球速は遅いが、変化球がより鋭くなっていることをブレッドは見抜いた。しかも球種に至っては変幻自在そのものであった。


 投球モーションに一切の無駄がなく、非常にしなやかな動きであることからも、かなり柔軟で力強い体つきであることが見て取れる。


「両投げっ!?」

「煌は結構有名だぜ。知らないのか?」

「しばらくは世間と距離を置いていたからな。でもこっちはこっちで二重人格だな。まるで2人のピッチャーが1人の体の中にいるような感じがする」

「煌は右投げの時は速球を得意とする『パワーフォルム』、左投げの時は変化球を得意とする『テクニカルフォルム』になる。相手バッターにとって最も苦手な球種を必要に応じて投げる腕を入れ替えながら投げることができる。バッターからすれば、厄介極まりないと思うよ」

「お前ら利き腕どうなってんだ?」

「僕も煌も交差利きだよ。力仕事は右腕、繊細な仕事は左腕の方が得意でね。本当は僕も煌も両投げ両打ちのピッチャーを目指してたんだけど、流石に無理だったよ」


 とんでもない兄妹だと思わされるまま、ブレッドがマウンドに立っているスイッチピッチャーに再び目を向けた。


 試合続行が宣言されると、左打ちのエドワードに対し、左投げによる緩急自在のストレートとカーブで三振に打ち取り、続くウォーリーに対しては右投げに変え、思いっきりストレートを投げた。


『ストライク』


 ジョージのキャッチャーミットに大きな音を立てながらボールが収まり、スコアボードに172キロと表示されると、選手たちが思わず目を疑った。


「ひゃ……172キロだとっ!」

「おいおい、170キロを超える真っ直ぐって――マジかよっ!」

「球速170キロを超えるピッチャーは、800人もいるメルリーグのピッチャーの中でも10人いるかどうかだ。こいつはかなりの逸材だぞ。何でもっと早く昇格させなかったんだか」

「それは後で分かるよ」


 そう言いながら葵が立ち上がった。


 同時にアリアが170キロオーバーのストレートを空振りし、ツーツーに追い込まれた。


 次に投げられた球をアリアが捉えたかと思えば急速に落ちていき、バットが空を切ると共に地面に着いているキャッチャーミットに収まった。


『ストライクアウト。チェンジ』


 フォロースルーをしながら呆気に取られているアリア。


 ただのフォークかと思いきや、途中まではストレートと同じ軌道であった。その球はコンタクト能力に優れたアリアでさえ捉えきれなかった。


「なあ、あの球って……」


 これはもしやと思い、ブレッドが葵に尋ねた。


「まさかスプリットまで習得していたとはね」

「スプリットって、確かメルリーグでも1%のピッチャーしか投げていない魔球じゃねえか。しかも164キロって滅茶苦茶だろ」

「ねえブレッド、スプリットって何?」


 今度はブレッドの隣に座っていたキルシュが素朴な疑問をぶつけた。


「スプリット・フィンガード・ファストボール。平たく言うと、ストレートとフォークを足して2で割った球で、ゆっくりと減速しながら落ちていくフォークと違って、途中まではストレートと同じ軌道だ。しかも急に落ちるから、バッターからすればストレートと見分けがつかないまま空振りしやすい厄介な球だ。コントロールが難しいけど、煌はその課題すら克服しているようだ。まさかあの球を生で見られるとは思わなかった。今年の新人には期待が持てるかもな」

「へぇ~、ブレッドが褒めるってことは、かなり凄いんだね」

「そうだな。みんな聞いてくれ。スプリングトレーニングはあくまでも実力を見るための場だから延長戦はなしだ。この回をきっちり抑えて明日に備えるぞ」


 ブレッドが発破をかけるように言ったが、ほとんどの選手は右から左へと聞き流した。レギュラー選手は勝敗に関係のない試合には本気を出さない。


 その必要があるのは、招待選手であるFA選手とボトムリーガーのみであると誰もが知っている。だがブレッドの見方は違った。肝心な時に本気を出せるのは、常日頃から本気で練習や試合に取り組んできた選手であることをブレッドは知っている。


「今本気を出さない奴は絶対レギュラーにはしない。それだけ覚えとけ。でないとサブチームの連中にレギュラーを奪い取られると思え」


 警告するようにブレッドが告げると、選手たちの目の色が一気に変わった。


 ここまでにブレッド率いるレギュラーチームは既に4人の投手に登板させ、9回にも別の投手を登板させるべく、ブルペンからピッチャーを呼んだ。


 しかし、ジャム率いるサブチームは更なる秘策を披露することとなる。

 ベースボールはイニング制という最大の特徴にして最大の弱点を抱えている。創成期よりも前から試合時間の長さが問題視され、正式なレギュラーシーズンが始まってからというもの、10回以降は無死二塁から始めることとしたのは賢明とも言える。


 歴代ベースボール評論家たちの著書『ベースペディア』より

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