第二十三章 首都アエテルナにて
国境近くの街からいくつか衛星都市を経由して、やっとのことで共和国の首都に辿り着いた。現在は、適当に入った軽食屋で一息ついている。
「みんなお疲れサマ。首都アエテルナへようこそ……アハハ」
かしこまった仕草でミアさんがお辞儀する。だが、全員疲労困憊。当のミアさんも顔が青ざめている。
シムラクルムに入ったところ辺りからだが、魔物との遭遇率がちょっと異常だったな。魔力隠蔽で誘引は減ったが、街道近くに群がる魔物がいなくなるわけでもないし、放置していいものでもない。
「幽霊ってかお化けだよほんとにユーリ君は。アイリスさんでさえちょっとぐったりしてるのになんで全然疲れてないの」
「身体強化を使ったからだな」
「それはわかる。でもそれは皆同じ」
ふむ。ティアさんの言う通り、みんな身体強化は使っていたな。差があるとすれば。
「魔力量の違いかな」
「それはわかるケド、魔力を増やすのってどうやるノ? 普通は成長と共にだよネ」
「毎日魔力を使い切ることですかね。回復時に多少は限界が増えるので」
その辺は筋力増強と同じ理論だな。
あとは完全回復時なんかにマナポーションを大量に飲む方法もあるが、原理的にも体調的にも金銭的にもいろいろ博打なのでやめておいたほうがいいだろう。前世で地獄を見た経験の一つだ。
「わたしも最近似たようなことを始めましたけど、ユーリくんならずっと続けていそうですね」
「ああ、一〇年くらい」
「桁が違う!?」
実際には、一〇年というか転生してからずっとだな。流石に最初の数年は抑えめだったが。
ブーストが使えるようになってきてからは吐き出した自分の魔力を回収なんてのもできるようになったから、さらに高効率化が進んでいる。
「ユリフィアスさんの魔法にかける情熱は想像もつかないものがありますね」
「ええ」
ユメさんとアカネちゃんにも、例によって苦笑されてしまった。
うーん、そこまでおかしいのかなオレの感覚は。普通と違うのは自覚してるが。
「ホント、どこまで強くなる気なの?」
セラには呆れられたみたいだが、やっぱりどういう状況で何が敵になるかわからないからな。力はあるに越したことはないだろう。
あとは、レヴの力にもなりたいし。人の身でドラゴンの力に追いつけることは無いのかもしれないが。
「……あまりにも強くなりすぎると目をつけられませんか?」
「いまさらという気がする。ユリフィアスの場合」
「法士爵ということは、王国の第二王子で近衛魔法士団の総隊長であらせられるリーデライト殿下ともそれなりのお付き合いがあるということですよね」
「うん。魔人関連とかでもね」
そうか。リーデライト殿下にその気はなくとも、こういう情報が出回ればもっと面倒な何かが寄ってくる可能性もあるのか。
人間関係を作ったのが間違いだったとまでは思わないが、後悔する時も来てしまうのかな。今、微かに頭を過ぎってしまったし。
「でも、ユーリくんならそれもまとめて叩き伏せてしまうでしょうから大丈夫でしょう」
「そーそー。マ、そのトキは守ってくれそうな人もいっぱい居そうだから心配ないよネ」
事情を知る二人は苦笑している。押し返すにせよ庇護下に入るにせよ、その後は完全に隠遁だな。姿を変える魔道具もあると言っていたし、それでどうにかしよう。
うーん。身の振り方が周囲に影響を与えるってことを完全に忘れていたわけではないけど、あまりにも無頓着過ぎたか。実力を隠して生きることと他人を見捨てる事がほとんど同義に感じてしまっていたのもあるが。やっぱり人生は簡単には行かないな。
思わずため息を吐く。と、姉さんが落ち込んでいるのが見えた。
「どうかした、姉さん?」
「……え? ううん、なんでもないよ?」
姉さんは否定して笑ったけど、どこか影があるのもわかる。
姉さんも肝心なところは内に溜め込むタイプだからな。今の話のどこに思うところがあったのか話してくれるといいんだけど、ここでは無理かな。
「んじゃ、サッサとごはんで回復してウチに行こっか」
「「「「「「「賛成」」」」」」」
/
ハウライト邸を見た後だと、おそらくどんなものでも霞んで見えるんじゃないだろうか。少なくとも、エルシュラナ邸は普通に見える。
いや、基準がおかしくなってるだけで立派な屋敷だし、ミアさんが貴族だってことは変わらない。失礼があってはいけないだろう。
「ウチはユメちゃんのところみたいななんでもやってくれる執事さんはいないから、普通に入ってネ」
ミアさんが門を開き、全員を招き入れる。
そのまま普通に前庭を通り抜け、やはり玄関扉もミアさんが開ける。
「タダイマー、って、アレ?」
家の中に入ったミアさんが首を傾げている。オレ達も続いて中に入るが、なんだ? 家の中が暗いぞ?
と思った瞬間、鉄っぽい匂いのする蝙蝠があちこちの窓から飛び立ち光が差し込む。
「フハハハハハ! 我が館へようゴッヅ!?」
マントを広げてテンプレ台詞を叫んだ人は、言い切る前に隣の人に頭を叩かれた。
「まったく。主人が変でごめんなさいね。ようこそ、皆さん。お疲れでしょう?」
「私なりの歓待の仕方だったのに。吸血鬼ってこういヴゴッ」
「ミアが勘違いされるからやめてあげなさい」
眼の前で繰り広げられるドツキ漫才は、ツッコんだ方がいいのか放置すべきなのか。この家の娘であろうミアさんを見たが、
「アハハ、相変わらずだネ、お父さんもお母さんも」
普通に笑っていた。マジか。
「これが普通なんだ……」
セラが衝撃を受けている。他のみんなも苦笑い。オレもだ。
「おーいたた。ともかく、ようこそ皆さん。ここ数日共和国のあちこちで魔物の活性化が報告されていたから、もう少し遅れるかと思ったんだけどね」
「そこはもう、アタシたち学院最強集団二角だし」
ミアさんが胸を張っている。
そうか。言われてみればそういう位置か。って言っても、学院生全員の実力を知ってるわけじゃない。もしかしたら実力を隠している生徒がいるかもしれないな。
「……なんか上には上がみたいな顔してるけど、ユーリ君より強い人って少なくとも学院にはいないと思う」
セラが言うと、ミアさんのご両親以外みんな頷いている。
いや、わからないぞ。世の中広いからな。
「あら、やっぱりあなたがユリフィアス・ハーシュエスさん?」
「ええ、はい」
やっぱりって想像通りってことか? オレの噂の方がものすごい速度で先に歩いていってる気がするが。ほんとにオレは他人の想像の中で何者になってるんだ。
「で、水精霊の祝福のユメちゃんティアちゃんアイちゃん。無色の羽根のユーリくんセラちゃんレアちゃん。ギルドでお世話になってるアカネさん」
オレの紹介が済んだところで、ミアさんが全員の紹介をサラッと済ませる。
「エルシュラナ・ヴァフラトル。吸血鬼です。よろしくね」
「エルシュラナ・メーレリア。夢魔です。娘がお世話になっております」
対して、ご両親は至極丁寧だった。まあ、お二人にもちょっと俗っぽいところはあるし、なんなら魔王様がだいぶ闊達というか庶民的な感覚も持ってるからこういうものなのかもな。
「で、泊まる部屋だけど。ウチは一人一部屋とかムリだし、旅の醍醐味はヤッパリみんなで一部屋だよネ」
「なんならお父さんとお母さんモブホッ」
「自重しなさい?」
いや、ヴァフラトルさんの気持ちもわかるけどな。男女半々とかならまだしも、男はオレ一人なんだから親としては気になるだろう。メーレリアさんは気にならないのか?
「あら、別に構わないわよ、ユリフィアスくん?」
「は?」
え? なんだ?
まさか、心でも読まれたか?
「男の子が一人でもいいのかって顔だったじゃない。ダメなら旅の間にそういう関係になってるでしょう?」
そういうって、どういう……ああ、男女の関係ってことか。
たしかに。道中の時間と長さを考えればおかしいことでもないな。それを人の親から聞くおかしさ以外は。
「……ほんっと、ユーリ君はそういうことに関しては一切ブレないなー」
セラが何か言っているが、そこをブレてどうしろと言うのか。むしろどうブレろと。
「そこはそれとしてサ。ともかく、さっさと荷物置いて、休むなり散策するなりしませんかネ?」
「そうだね。また荷物もユーくんに預けっぱなしだし」
ということで、とりあえず部屋に行くことに決定された。オレも一緒か。
「了解。何かあったら呼ぶんだよ、ミア」
「何かあっても呼ばなくていいわよ?」
良識がとっ散らかった言動に、みんな乾いた笑いしか浮かべられていない。
うん。変わった両親だな。
/
全員なんだかんだ疲れが抜けきっていなかったのと、例によってというか女子は女子の時間があるのとでオレ一人だけが首都の散策に繰り出していた。
と言っても、勝手知ったるほどではないにせよ一度来たことがある。王都もそうだったが、記憶の中の街並みとさほど変わりはないな。
散策に出ては来たものの、今買うものは特に無い。見に行くなら魔道具店くらいかと考えていたら、魔力反応が近づいてきた。
「ふえ、へ、は。やっと追いついたー、ユーリくん、ううん、ユーリさん」
ミアさんだ。家でくつろいでたんじゃないのか。走ってまで追いかけてくることないのに。
「大丈夫ですか? 疲れてたんじゃ」
「アハハ。こんな時じゃないと話もできないからネ。実家の力を使わせてもらっちゃった」
そんなのあるのかと思ったら、ポーション瓶を取り出してきた。そういうことか。
「久しぶりのアエテルナの感想はどうカナ?」
「懐かしいのと、変わってなくて安心、んー」
何様だろうこの感想は。いや、真面目な実感なんだが。
「相変わらず、不思議な場所だなって」
「不思議?」
「ほら。ステルラもですけど、オレにとってはみんな空想上の存在だったわけですからね」
オレが何者かを知っているミアさんなら、みなまで言わなくても伝わるだろう。
「あー、なるほどネ。そっか」
「そう言えば、あっちの世界だとミアさんとアカネさんって天敵同士だったのかも」
「エ!? なにソレ!?」
唐突に思い出したことを漏らすと、ミアさんが目を白黒させた。ほんとにオレの知識も今更だな。
「吸血鬼と狼人間は敵対関係だったんですよ」
「うーん、そういうカンジなんだ」
まあ、ミアさんとアカネちゃんは普通に仲がいいし、この世界では通用しない法則だな。そもそもオレもその原因を知らないし。
「あとは、日光に弱いとかニンニクに弱いとか胸に杭を刺されると死ぬとか」
「イヤ、胸に杭を刺されれば誰でも死ぬよネ……?」
違いない。まあ、銀の弾丸含めてトドメを刺す方法と言うべきか。どれも人間にとっても必殺になりうるな。
「空想だからこそのお遊び、ってことカナ?」
「だと思います」
こんな事、笑い話として語るくらいでいいな。別の世界の知識に引きずられる必要はない。
しばらく他愛も無い話をしながら歩いていると、一際でかい建物が目についた。
共和国という名と相容れない建物。それでいて、魔族の国にはあるべきもの。
「魔王城だネ。アソコも行ったことあるんだっけ」
「ええ」
この世界に来て、一番緊張して最大級の肩透かしを食らったところ。
ここにいるのは、オレとミアさん。ミアさんはオレの事情を知っている。ということは、これを逃す手はないな。
問題は、どういう手順を踏むか。直接行ってもどうにかなりそうな気もするけど、そこは礼儀を通すべきだよな。
「ミアさん。ニフォレア・ヴォルラット陛下への面会を取り付けられますか?」
「エ、陛下に?」
ミアさんは驚いた表情をしたが、すぐに理由に思い当たったのか手を打った。
「ああ、ナルホド。いい機会だもんネ。まあ、行くだけ行ってみよっか」
並んで、魔王城への道を歩き出す。ゲームみたいな光景だろうが、中身も違うしむしろ序盤の王城への登城のほうが近いな。
城が近づいてくるほどに緊張が身体を支配していく。する必要もないと感じるのと、しておけよという義務感。前の時より頭と腹の中がグッチャグチャだ。
当然だが、城門の前には門番がいた。敵意がなくともそう簡単に通してくれそうにはない。
「それじゃ、ちょっと待っててネ」
緊張するオレとは裏腹に、ミアさんはスタスタと門番さんに歩み寄って行って、二言三言交わしただけで門の向こうに消えていく。早いな。
最初から警戒はされていなかったが、ミアさんの連れということで更に信用されたのか、門番さんは欠伸をして船を漕ぎ始めた。それでいいのか魔王城。
そんなユルさに比べて、オレの方はまるで裁きの時を待つ罪人みたいだ。
いや、ある意味で罪人ではある。だからこそか一分一秒が長く感じる。試しに脈拍を測ってみたら普段より多分早い。どれだけ強くなってもこういうのには強くなれないんだな。当たり前だが。
「アハハ。死にそうになってるなんて貴重なもの見れたカモ」
至近で笑われて、さらに脈拍が早くなった。びっくりした。もう戻ってきたのか。
「お待たせしてゴメンね、カナ? ユーリくん。いや、ユーリさん」
「たぶんさほど待ってはいませんけどね。それで」
とりあえず、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
表情は明るい。ということは、面会の許可が降りたか。
「魔王サマ、会うって。行こっか」
/
通された部屋は大体、学院の教室くらいのサイズの部屋。そこで男女のペアが待っていた。
謁見の間とかではなく私室。それも魔王妃様同席とは。
「どうぞ。寛いでくれたまえ」
「失礼します」
「ドーモ」
許しをもらったので、ミアさんと二人でソファに腰を下ろし、大きく息をつく。
「お目にかかれて光栄です、魔王様、魔王妃様」
「ああ、王国に留学している子達の親からかなり名前と話を聞いたよユリフィアス・ハーシュエス君。いや、法士爵持ちらしいからハーシュエス卿かな? ははは」
冗談と情報網。裏表のない笑い。一切の悪気の無さ。変わらないな、この人は。
ふむ……からかわれたのならこっちも多少は意趣返しをしてみるか。
この人はそれくらいなら怒らないはずだしな。
「そこまで大したものじゃありませんよ。お久しぶりです、ヴォルさん」
そう軽く言ってみたら、威厳が一気に消えた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「ん? んんん? あれー? 確かに親しい人はそう呼ぶけど、前に会ったことあったかな? 無いよね?」
「あらあら」
思った通り、魔王妃様も含めて驚かせることには成功した。不敬とか言い出さないのもこの人らしい。
そもそも、緊張する必要なんかないのか。なるようにしかならないのだし。
「『リーズにもう少し広い世界を見せてあげたい。そうすればきっと自分に自身を持てるようになるはずだ』。覚えてますか?」
リーズを見捨てたと詰られたり殴られたりするかもしれないが、それはオレが決めることじゃないわけで。
「それ……ええ……まさか、ユーリ君か?」
「ああ。アナタはあの子にそう呼ぶことを許していましたね、そう言えば」
どうやら、オレがユーリ・クアドリであることの十分な証明になったようだ。
ヴォルさんは、腰が砕けたように深くソファーに身を預けた。
「そうか、それでか。君の話を聞いた時に笑ってしまったのは。それにしても生きて……いや、転生するとリーズの手紙にあったな。成功したのかい」
「はい。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
「では、自己紹介の必要もなかったではありませんか。意地悪になりましたね、ユーリさん」
魔王妃様、いやニフォレア・ティリーナ様に苦笑される。この人のことも「リーナさん」と呼ぶように言われているんだよな。
「しかし、転生かぁ。リーズの手紙を読んだときも思ったが、またとんでもないことを考えるものだ」
「ええ。失敗しなくてよかったとも、他に手はなかったのかとも。知ったときにはもう決行した後だったようですけど」
ヴォルさんもリーナさんも、オレの身を案じてくれたのか。ありがたいな。
「まあもっとも、君の立場も苦悩も……」
そこでヴォルさんは言葉を留めてミアさんを見た。ここから先を話していいのかということだろう。
「エート。期せずしてユーリさんの血を吸う機会がありまして。ソレで。ほぼ知ってます」
「ああ、ミアちゃんは吸血鬼と夢魔のハーフだったか。なるほど」
ヴォルさんは得心したように頷いて、言葉を続ける。
「君の苦悩は、君にしか想像し得ない重いものだというのもわかったけどね。この世界の人間ではない。元の世界に引き戻されるかもしれない。本当に、我々には想像もつかないことだ」
「エ? ……あっ」
それを同調に近い状態で見たミアさんは、オレの苦悩にシンクロできたのかもしれない。絶句して青ざめていた。
そうだな。それこそミアさんと見た夢に近いのか。目が覚めたら以前の世界に立っているという。
だからこそ、オレの想像で夢の世界は修正されなかったのかもな。
「戻るという選択肢はなかったのかしら」
「ありえません」
リーナさんの疑問には即答できる。
オレは最初から、両方を天秤にかける気もなかった。
「それはそれで私には悲壮だとは思うけどね」
「アタシは……」
ムチャクチャな夢とは言え、アレを見てしまったミアさんには色々思うところがあるだろう。考えることは逆だとは思うが。
あの夢のおかげで、改めてオレは自分の立ち位置を定められたのだし、感謝してるんだけどな。
「というわけで、改めての挨拶と。殴られに来ました」
「うん、これからもよろし……いやいや待って待って。いきなりなんの冗談だい?」
「ええ。何を言っているのユーリさん」
あれ、なんで通じないんだこれで。勝手をやったオレにみんな恨み言の一つでもあると思うんだが。ララはあったし。
「聖女様には思いっきり引っ叩かれて死にかけましたが」
「ほんとかい。それはそれで衝撃の話なんだが」
「聖女って、ララちゃんよね?」
「それ、記憶で一瞬見たカモ」
何故かドン引きされた。ホントなんでだ。
「リーズを守るって役目をほっぽりだしたわけですよ? 十二年も。現在進行形ですし」
「あ、あー。そういう」
ヴォルさんはそれでやっと納得がいったらしい。なんだこれ。オレ、自分で不発弾掘り起こして全力ダイブしに来たみたいになってるぞ。
「無責任じゃありませんかね、この状態」
「ん、んー。責任かぁ。リーズだって常に君とべったりいられるわけでもないし、このくらいは許容範囲だと思うけど。それでも責任とるって言うなら、リーズと結婚して魔王でも継いでくれるのが一番だけど。ねえ、リーナ」
「そうねえ」
「ちょ、魔王サマ魔王妃サマ!?」
ミアさんが慌ててるけど、なんでだ? 自分で同じような趣旨のことを言ったじゃないか。
しかし、
「それで責任を取れるのかというのもありますけど、そもそもリーズがそれを望みますかね?」
人間が魔王になれるのかとか、リーズの補佐なら喜んでやるとか、他にも色々思うことはあるが。とにもかくにもそれだろう。
「ん、んん? なんか前と反応が違うぞー?」
「ええ。おかしいわね?」
うん? なにか、ヴォルさんもリーナさんもオレとは違うところで困惑している。
前と違う? そうだったか?
前か。何を返したんだったか。
「ユーリさん、ちょっといいかしら。ああ、アナタ。後でアナタにもやってあげますから」
「何を?」
首をかしげるヴォルさんに微笑みながら、近づいてきたリーナさんがオレに手を伸ばす。指がオレの首に伸ばされ……ではなく、人差し指で顎を上げられる。
「ブッ」
ヴォルさんが吹き出した。
顎クイとか言ったか、これ。やるなら配役が逆じゃないか。いや、配役が逆だとまずいか。
リーナさんはしばらくオレの目を覗き込むようにしていたが、困ったように笑われてそれも終わる。
「うーん、色欲封じかしら。あの子も拗らせてるわねぇ」
「ブフッ」
ヴォルさんが再び吹き出した。
「は、ハイ?」
ミアさんも面食らっている。
色欲封じ?
色欲って、七つの大罪の一つだよな。この世界にもあったのか。
じゃなくて。
そうか、さっきリーナさんがやったのは、恋愛戯曲の一幕を再現したようなものか。それも後ろに花が舞っているようなヤツ。
「それって、どういうことでしょう?」
「えーとね。ユーリさん、女性に好意……は持てるわね。そう、その先の恋愛感情を持てなくなっているんじゃない? 噂話を聞いた限りだけど、今だって女の子に囲まれてるみたいなのにそういう気になっていないでしょう?」
「……なるほど。仰る通りですね」
ああ、たしかにそうだ。ララと話していて漠然と思ってはいたが、リーナさんに名前をつけられてやっと腑に落ちた。
母さんも姉さんも、血の繋がった家族ではあるが精神的には他人で、まったくこれっぽっちもそういう欲求の対象にならないのは不思議だなと思ってはいたが、なんのことはない、誰かに限った話じゃなかったということか。
しかし、色欲封じね。そんな呪いがあったのか。なんでもできるなリーズは。
術式もそうだが、オレにバレずに仕込めるところが最大の感心ポイントだろう。
「それがある限り、どれだけ押してもダメってことかな、リーナ」
「そうねえ。ユーリさんの考え方の根底に影響を与えているのも事実みたいだから。何にせよ、早めにあの子に解かせたほうが良さそう」
そう言えば、リーナさんも邪魔法の使い手だった。だからこういうことに詳しいのか。
「解けるんですか?」
「わたしには無理ね。術式の解析ができないし、多分そこまでの力はないし」
リーナさんは、嬉しいのと悔しいのと半分くらいの感じで笑った。娘の成長とさっき言った拗らせのことだろうか。
「愛されてるわね、ユーリさん」
リーズにか? 転生するにあたって無理難題を要求した上で嫌われてないなら……まあ、オレにとってはいいことなんだろうな。
こういう実感が伴わないのは、相手にとって悪いな。勘違いしないのは利点だとしても。
「さて、これが解けたらスタートがどこになるのかしらね。ねえ、ミアちゃん?」
「エ、アタシですか?」
うん? スタートってなんのだ?
女性二人の話はオレにはわからない。これは多分色欲封じとは関係ないな。
「……うーん。魔王ユリフィアス・ハーシュエスは遠いのか、近いのか、無理なのか」
ヴォルさんはヴォルさんで、謎の呪文を呟いていた。
いや、オレが魔王は多分無いですよ。人間だし。
/
「アー、緊張したー」
魔王城から出てしばらく歩くと、ミアさんが思い切り伸びをした。
「疲れてるところに付き合わせてしまってすみません。それと、ありがとうございました」
「んー、オモシロかったからよかったヨ?」
ならいいのか。国民から好かれてるものな、ヴォルさんもリーナさんも、もちろんリーズも。
「でも、ティトリーズ様ってホントにフツーの女の子なんだネ」
「そうですよ? 持て余すほどの力を持ってしまった、ごく普通の感性を持った女の子です」
だからこそリーズは悩んでいたし、今も悩んでいるのだろう。力の使い方と他人を幸せにする方法。それをどう重ね合わせて調律をとるかの答えを求めて。
オレにできるのは、背中を貸してやることと降りかかる悪意を跳ね除けてやるくらいだろうか。見方によってはオレもリーズを利用しているのかもしれないが。
「ウン。一つの手かもネ」
「はい?」
「ユーリさんがティトリーズ様よりずっともっと強くなれば、それはそれで一つの解決になるのカナって」
「ふむ、なるほど」
オレとリーズの力の方向性はまるで違うが、たしかにそれは一つの解決になるのかもしれない。いや、レヴもいるけどな。
そうか。転生先を人間以外にしなかったのは、人の身でどこまで行けるかを知りたかったからだが、そのことがリーズに対する答えの一つになり得るのか。
「ありがとうございます、ミアさん」
「アハハ。助けになったのなら良かったヨ」
オレは、オレの信じた道を歩いていいらしいな。それが誰かの助けになるのなら、ためらう必要もない。この状況でシムラクルムに来てよかったよ。本当に。