第一章 王立魔法学院へ
あれから二年が経った。
正直、姉さんがいないからできた無茶も山ほどあった。姉さんには悪いが成長の伸び率はこの二年が一番良かったんじゃないだろうか。
それでも目的は変わらない。背を伸ばし、前を見据える。
「よし、行こうか」
宿屋を出て石畳の道を歩く。
オレにとっても十数年ぶりになる王都だが、流石にそこまで様変わりはしていなかった。
記憶に従って王立魔法学院へ。いくつか変わったものもあるが、懐かしい光景だ。それに目線が違うので目新しさもある。
しかし昨日姉さんと一緒に食事をした時、「合格できたらいいことがあるよ」と言っていたのは何だったのだろう?
学院へ向かう道にはオレと同じように試験を受けるのであろう子供が多数歩いている。表情は様々だが、果たして何人が再び門をくぐることができるやら。
受付の方はすんなり済んだ。唯一、推薦状の姉さんの名前を二度見されたのは姉弟だからだろうか。
ところでこれ、前世のオレの名前を使ったらどうなったのだろう。死亡確認されたわけでもないはずだし、間接的には通用したのだから試してみたかった気もする。さすがに十二年経つと無理かな。
学院の中に入ったのは初めてだが、構内はかなり広そうだ。王立と冠するだけのことはある。気を抜けば迷いそうなので、早めに筆記試験の会場に行っておくことにしよう。
探検は入学してからでもできるからな。
「オイ、目障りなんだよ! やる気がないなら消えろ!」
と、目的の教室に近づくと叫び声が聞こえた。本当にごく僅かだが、魔力の波が伝播していくのがわかる。よくないなこれは。
「ご、ごめんな、さ……」
消え入りそうな声の発生源を探すと、指定された場所の隣の部屋だった。男子が三人、女子が二人。服装は統一されてはいない。ということは全員、試験を受けに来た入学希望者なわけだな。
しかし。入試でカリカリしてるのはわからないでもないが、あれはないだろう。魔法使いとしてやってはいけないことだらけだ。
「ッ!」
「……ん?」
もう一人の女の子が相手を睨んだ瞬間、気温が少しだけ下がった気がした。
魔力を観測してみるまでもなくわかることはいくらでもあるが、今後の対人関係に影響があることだろうから一応やっておく。
なるほど。色々と要素はあるが、やはりうずくまった子が一番まずいな。助けるか。
「とりあえず、周りは気にするな」
できるだけ穏やかに話しかけながら、同じようにそばにかがんで背中に手を当てる。血の気の引いた顔や喉に何かが詰まったような細い呼吸。普通は過呼吸だと判断しそうだが、こいつは違う。
しかし、もう少しこのままだったら嘔吐するか気を失っているところだ。危ないな本当に。
そんな診断をしている間に周囲から驚愕のような感情が伝わってきたが、構っている暇はない。
「おま」
「試験前に暴力沙汰は笑えないだろう。ここは散っておいたほうがいい」
適当にあしらうと、舌打ちと悪態ともに足音が離れていく。これで邪魔は入らないな。
手の先に魔力を集める。その上で出力を最小限にして……こんなものか。
「痛くはないはずだが、軽く背中を叩くからな」
「はい……けほっ」
背中の真ん中。気管支を中心に肺の辺りを叩いて彼女自身の魔力を活性化させてやると、目論見通り咳とともに淀んだ魔力が吐き出される。すかさず、呼吸範囲に清浄化した空気を貯めてやる。
ついでだ。魔力元素濃度も多少濃くしてやるか。
「呼吸はゆっくりな」
「……はい」
最初は荒い胸式呼吸だったが、次第に腹式呼吸に変わっていく。もう大丈夫だろう。
「ありがとうございます。すごく楽になりました」
「魔力酔いだな。これだけ属性と密度が荒れた場所なら仕方ない」
というか、空気が悪すぎるなここは。今更出ていくのも無理だろうが。
「あの、助けてくれてありがとう」
「礼はいい。君ら二人にはぜひとも試験を通ってもらいたいからな。その実力もあるだろうし」
「え? まだ話したこともないけど」
「ん? 人の善し悪しくらい」
魔力見ればわかるだろ。
とはちょっと言えないよな、当然。
「見る目はある方だからな」
なんとなく誤魔化すためにそう言うと二人とも驚いたような表情をして、
「……よかったね。可愛いって」
「っ、っ、っ!」
耳に手を当てて囁いている。どちらがどちらにかは言うまでもない。
聞こえてるんだよなあ。それとも聞かせてるのか。
っていうか、そういう意味じゃないんだが。言われた子は顔真っ赤にしてうつむいちゃってるし。
「じゃあ、オレは隣の部屋だから」
「うん。頑張ってね」
「わたし……たちも頑張りますから!」
完全に元気になったようなので、安心して立ち去れる。
ああ。いい事するってのは悪くないな、やっぱり。
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筆記試験は魔法使いの社会常識についてもいくつかあったが、各属性魔法の利点の列記に自分の使う魔法についての自己アピールや理論が主だった。
しまったな。姉さんが同じものを受けていたとすればこの試験の配点は低くなってしまったんじゃないだろうか。オレは世間的にはムダな属性の使い手ではあるが、普遍的な魔法理論も当然知ってはいる。そいつこそがムダだからと言うわけではないが、姉さんにはその辺はさらりとしか説明しなかった。
まあ属性説明はそこそこしたし、特殊な持論は伏せておいたので大丈夫だったと思おう。
それにしても、さっき喚いてたやつがずーっと怨嗟の形相でこちらを睨んでいるんだが。
隣の部屋にいたのもどうかとは思うが、それはカンニング行為になりはしないのか? 試験官は見て見ぬ振りをしている。注意くらいはしろよ。
/
正直、座学についてはいかんともしがたいところがある。記述式である以上、結局の所は採点者がどう思うかの問題でもあるのだから。それに比べて実技は答えが明確なので楽でいい。
と思ったのだが、案内されたのは演習場だった。しかも平場。ということは対人用らしい。その上、受験生二人ペアでお互いに魔法を撃ち合うのだとか。
……本当に受験生同士でやりあうのか?
確かに試験官が全員を相手にするのはかなり体力と魔力を消費するだろうが、この試験方法では絶対評価は難しいし、何より運の要素が強すぎないだろうか。
と、普通はそう思うはずなのに、
「……いい試験だな」
などと考えるやつもいるらしい。
誰なのかは見なくてもわかる。
こういうやつはどこにでもいるんだな。
「センセー。相手を指名しても?」
「構いませんが、相手の了承も必要ですよ」
「大丈夫ですよ。なあ、逃げないだろ。英雄サマ」
「?」
「オマエだよ、そこの」
英雄様って誰だろうな、と思っていたら、どうもオレのことらしい。
貴族がどうのとか言っていたような気がするが、どう聞いても物言いがチンピラなのだが気にならないのだろうか。
「俺の名はオーリストル・ダヴァゴン。知らないとは言わせないぞ」
全く知らない。そこは無視しよう。
ちなみに、この世界には出自問わず家名というか名字がある。なのでフルネームだけで個人の背景を察するのは難しい。貴族を自称するのは罪だそうだが、自称なのか事実なのかというのは一発ではわからない。
「ユリフィアス・ハーシュエス。ベストを尽くそう」
礼儀として名乗ってから舞台に進む。尽くせるものならな、という言葉を飲み込みつつ。
どうやら空間への魔法防壁は常時展開されているらしい。物理の方は常時展開だと入れなくなるし、このあと張るわけだな。
と、思ったのだが。
「では、開始の合図をしますので」
ん? このまま始めるのか?
「あの、待ってください。物理防壁は?」
「はい? 魔法戦ですから必要ないですよね?」
本気で言ってるのか。そう思いながら見続けるが、傾げた首が戻ることはない。
……まあいいか。怪我をするようなことをしなければいいのだし。
「すみません、余計なことを聞いて」
「フン。面倒くさいやつだ」
眼の前の某は苛ついた表情を浮かべているが、お前にとっては丁度いいだろうに。
「こほん。改めて。それでは、はじめ!」
「燃えろ、燃えろ、燃えろ」
どうせ、火魔法使いなんだろうからさ。
「燃え上がって、俺の敵を焼き尽くせ」
「……」
詠唱が無駄に長い。魔力の変換効率も展開効率も悪すぎる。やる気あるのか?
しかし、言葉だけ聞いてると放火魔みたいだなこの詠唱。
「ファイアァ、ボールゥッ!」
これで上級魔法でも飛んできたら感心したところだが、予想通りファイアボールだった。しかも炎の密度も低すぎる。
なんだこの程度の低い魔法は。こんなものいちいち魔法防壁を張るまでもない。
さっきあの子にやったのと同じ。ただ今回は手の甲側に魔力を集め、
「……」
裏拳をするまでもなく、軽く手を挙げるみたいな動きで払い除けてやった。
ファイアボール……というか薄い鬼火みたいなやつは、フラフラと飛んで消える。消えた瞬間はそれこそ種火みたいなものだった。
「おまえっ、何をした!?」
いや、何をしたかもわからないのか。
「うおおお! ファイアァッ、ボールゥ!」
せっかくだし、お遊びじみたこともやっておくか。
魔力収束を右足の親指辺りに。そのまま足を振り上げて、
「ほらよ」
ファイアボールを蹴り返す。
が、あまりにもヘボすぎたので術者の元に戻っても服に煤すらつかなかった。どれだけダメなんだ。
「反射しただと!? 何だこの魔法はぁ!?」
もちろんそんな魔法を使った覚えはない。
オレや姉さんが使った特別推薦枠だが、やはり噂通り金で買う貴族は多いのだろう。今回もその類なのかもしれない。
まあ、いい勉強にはなった。弱すぎる魔法は相殺しないようにすることすら苦労するんだな。
「終わりか?」
「燃え」
「話が長い」
指先に集めた魔力を弾いて、形成され始めたファイアボールに飛ばす。通称、魔弾。魔法名称としては魔力弾や単純魔弾などと呼ばれるもので、こんな威力では一般人相手でも嫌がらせ程度にしか使えない。だが、ここまで雑な魔法展開なら十分阻害材料になりうる。
目論見通り、形成され始めた火球は霧散した。
「なんでだ、魔法が消えた!?」
……もうめんどくさくなってきた。
魔法を阻害しながら相手に近づく。
別に急ぐ必要はない。時間は区切られなかったが、この対戦形式には一つだけ明確な制限がある。
こちらが寄れば相手は引き、さらに寄ればさらに引き、
「は、へ?」
さすがに足が浮いていることには気づいたのだろう。変な声を上げ、そのまま後ろ向きに落ちた。
うーん。無属性魔法の、しかも話にならないレベルのものだけで勝ってしまった。属性で難癖を付けられたくないとは思っていたが、これは減点対象かもしれない。
しかし、こういう試験方法だと姉さんも全力を出せたか疑問だな。入学できてるんだから大丈夫だとしても。
ともかくこれで試験は終わりなんだろうし、さっさと次の受験者たちに場所を譲って、
「コノヤロぶべらっ!」
……背を向けた瞬間飛びかかってきたので、思いっきり殴りつけてしまった。身体強化をかけた上で。
拳がめり込んだのが腹だったのはちゃんと手加減ができたってことで及第点だろう。人にも場にも物理防壁がなかったせいで壁にめり込んでるのは知ったことではないにしても。
そういえば、終了条件についても明確な説明がなかったな。
「……先生。やっぱりこの試験方法には問題があると思いますが」
あとの生徒には残念なことに、何も答えは帰ってこなかった。