第十一章 学生も魔族も楽じゃない
魔力探知を広げる。
ミアさんの魔力は当然記憶済みなので、居場所を見つけるのも状況を把握して推測するのもそう難しくはない。
「中庭か」
特殊な状況を除き、学院内を走り回ることは禁止されている。ここで時間を食う気はないので、速歩きに留めて演習場へと進む。
歩き出してすぐに、セラがポツリと口にした。
「よく考えるとこの魔力探知って、とんでもないプライバシーの侵害に使えるんじゃ……?」
「今気づくことじゃないな」
「そうだね」
いまさらというのと、このタイミングなのかという意味で。
「そうだよねそんなわけ、って、できるって意味で言った? ねえ、レア、聞いた?」
「……イイエ、ワタシハナニモ」
「うわあ……こっちにも犯人がいた」
「か、考えたことあるだけですからね!?」
「個人識別ができるようならかなり習熟度は高いぞ」
「ほら! 聞きましたか、セラ!」
「公認って意味じゃないよ!?」
何の話だか。
そもそも、選んで探知をかけることはできないしな。範囲内の情報は全部入ってくる。それでも、分析までしなければストーカーにはなれないだろう。
いやそういう話じゃないか。まあ、透視じゃないし、何をしているか大体わかるくらいでしかない。
よくわからない話をしている間に演習場に着いた。
そこで行われているのは、傍目に見れば二つの集団による魔法の撃ち合いだが、
「魔力探知でだいたいわかっていましたが」
「ちょ、何やってんのア」
抜き手を振る。
徒手空拳の魔力斬。二つの塊の間を飛んでいった一撃が、一方的に飛ばされていた魔法を全て刈り取っていく。
「……レって言い切る前になにかされるとその先がさぁ」
言い切るより長くなっているが。
ただ、なにかしたという意識があるのはオレたちだけらしく、人間側は魔族・獣人側がなにかして魔法が消し飛んだと思っているらしい。
もう一発叩き込むまでもなく魔法の雨は止んだので、ゆっくりと間に割り込む。
「な、なんだ」
「アイリスさんと……」
「対抗戦の一年生たち?」
「アイちゃんに弟クン」
どよめきは双方向から伝わる。前からは畏怖、後ろからは困惑だろうか。
さて。この状況がどういうことなのかは考えるまでもないが、
「レア、セラ。そろそろ魔力探知で個人の本質みたいなものも見えたりするか?」
これだけ人が集まれば、魔力の見え方の差異も相当なものになるだろう。魔力探知の応用の一つを実験しておくのも悪くない。
「ユーリ君の言うのが何かわからないけど、黒い陽炎みたいなのが湧き出してる人は見える」
「セラと同じ人かはわかりませんけど、わたしには黒い泥みたいに見えます」
姉さんは「胸の中央に見えるから魂かな?」とか言っていたが、やはり見えているものや見え方は人によってそれぞれ違うのか。セラはオーラとして見え、レアは人間の形状そのものとしてでも見えているらしい。
「何の話だ」
「どうも、この状況を作ってる奴がいるらしいって話だよ」
あえて煽ってみるが、相手が見せるのはやれやれといった表情だ。芝居がかってるな。
「魔族が危険なことに変わりはないだろ」
「……口開くとボロが出るだけだからやめたほうが良くないか?」
「なるほど。じゃあ当たってるね」
「わたしもです」
怪しいのは先頭に立ってるこいつだけじゃないけどな。もちろん、ここにいない人間もそれなりにいるんだろうが。
で、どう対処するかな。
リーデライト殿下に頼まれはしたものの、権力者が何かを言おうが暴力で抑えようがどうにもならないんだよなこういうの。やってる事自体は変わらないはずなんだが。
リーズの時は有耶無耶にして一時退却という手を打てたが、ここは閉じていて継続と継承されていくコミュニティ内だ。明日になっても状況も構成も変わらない。それどころかエスカレートするだけ。イジメと同じだからな。特に、やられている方は人間にやり返してはいけないという暗黙のルールのようなものさえあるらしい。
「人間と魔族は普通にうまく付き合ってるだろうに」
「それは見せかけだろう」
「何この人。どうかしてるよ……」
「ええ、本当に……」
セラとレアの辟易はよくわかる。
水精霊の祝福は、人間が姉さん一人だ。好意的な人間はこれを「多様な種族は良好に付き合える」と解釈する。比率が逆でもそれは変わらない。
だが、悪意しかない奴らは「他の種族が人間である姉さんを隷属させている」と解釈し、吹聴する。そういう奴らは逆の構成の場合、「人間は他種族を従えてもいい」と解釈する。
悪意がもたらす恣意には際限が無い。疑心暗鬼ですらない。ともすれば視野狭窄とすら言えない。
いや、扇動している奴らは一握りなのかもしれないな。
「あ」
納得はしないにしても、知識不足による思い込みを疑わせる方法なら思いついた。
「ミアさん」
「ン? 何?」
魔族の集まりは一〇人以上いるが、種族について聞いたのはミアさんだけだからな。そしてそのミアさんは、吸血鬼と夢魔のハーフだと言っていた。
「吸ってみます? 血」
「エ?」
どうなるのか見せるというのが、一番早いし楽だし確実な方法なんじゃないだろうか。それで駄目ならまた考えればいい。
ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し、首周りを露出させる。
「ひゅぅっ」
「あっ、レアが倒れた」
場外でなにかあったようだが、それはともかく。
「あの。弟クン?」
「吸血鬼に血を吸われると眷属になるって伝承、ありますよね。それが嘘だって証明すればいいでしょう」
かつて話の流れで聞いたことがあったが、リーズいわく、そんな都合のいい話はないとのこと。同感だ。いたら会ってるだろうしな。
「でもさぁ……イイの?」
「オレの血で平和が買える、かどうかはわかりませんけど、多少は状況も変わるでしょう」
オレの言葉を否定しない、と言うとなにか話が逆になるが、血を吸ったところでどうにもならないということだろう。
「でもアタシ、色々あって吸血の時に記憶とか見えるし。知られたくないコトとかわかっちゃうカモ、よ?」
「知られて困ることがないわけではないですけど、それはミアさんに任せます」
「なんでそんなに信頼できるカナぁ……」
ミアさんはうーん、としばらく考え込み、
「わかった。アタシも覚悟を決める」
オレのそばまで歩いてきて、肩に手をかける。複合防壁を解くと、キスをするような距離でゆっくりと顔が近づいてきて、間際で逸れ、
「あ、ふ」
「ッ」
ペンを二本押し付けられたような感触のあと、肌を突き破る鈍い痛みが来る。直後に、血と魔力が流れ出していく感覚。
これはこれで貴重な体験だ。
「ん、む……」
耳元にミア先輩の吐息が聞こえる。少し遠くからは、小さい悲鳴や息を呑む声を含むざわめき。
これ、傍目にはどう見えてるんだ?
「うっ、ふ……」
何故か、肩にかかっていた手が背中に回る。周囲の雰囲気まで変わるが、やられている感覚としては恋愛的なものではなくベアハッグに近い。首筋よりも上腕が痛い。
これはどういう反応なんだろうか。オレに問題があるのか、ミアさんに問題があるのか。どちらかを考えあぐねていたら、首元の感触が離れていき、
「……弟クン」
耳元でミアさんが囁やき、
「限界」
そのまま、後ろ向きにぶっ倒れた。え、なんだこれ。
「み、ミアー!?」
「し、死んでる……」
「いや死んでないよね」
友人達に取り囲まれたミアさんは、胸元で両手を重ね合わせたまま微動だにしない。表情は目を閉じた笑顔。マンガか。そう言えば、初対面のときもそんな感じだった。
さて。当初思い描いてたのは、「ふたりともなんともないですがなにか?」みたいな状況だったのだが。これでは違う意味でなんとも言えなさすぎる。
やるしかないか。
「ぐ、ぐうっ」
「ユーリ君!?」
膝を付き、制服の胸元を握りしめる。
周囲からはセラと同様の悲鳴が上がるが、
「やっぱり、苦しい演技ってめんどくさいな……何やっても嘘くさいし」
平然と立ち上がる。
ように見せただけで、実際の内面は驚愕でいっぱいだったが。
「ツッコミどころが多すぎる!」
「いや? お約束だし? 一応やっておくべきだろ?」
「心臓に悪いよ。もー」
セラとのやり取りも、なんとなく緩慢になってしまう。
で、セラのツッコミ自体についてはどうだろう。初めから平然としていたら、逆に操られてるように見えた……か? どうだろう、わからないな。
少なくとも、思考力が落ちているのは悟られていないようだが。
「おいおいオマエらみんな見たかよ!?」
誰かが叫んだ。
無数と呼ぶほどではなく数えられる程度でしかないが、群衆は群衆。言葉を発したのが誰かはわからない。
普段ならわかったはずのそれも、今回はわからなかった。
「魔族はヤバイヤバイと言うが、どうだ? おれも魔族だが」
それが魔族の口からだとは。
その声を上げた、種族はわからないが魔族の先輩が近づいてきて、
「こいつのほうがヤバいぞ!?」
オレの肩に手をおいて、そう声を上げ……ん?
「はい?」
え? 今なんて言った?
そんなことがやけにぼんやりと頭に浮かんだと思ったら、思いっきり肩を掴まれていた。
「おまえなぁ! 無茶にもほどがあるだろ!? そりゃ、味方してくれるのは嬉しいけどなぁ!?」
「そ、そうだよ。無茶し過ぎだって」
「体張りすぎだろ」
ざわめいているのは、魔族のみなさんの方だ。この反応は予想外なんだが。
「なんでオレ、魔族のみなさんに責められてるんですか?」
先輩や同級生の魔族達は、総じてドン引きの表情をしている。背景には「ナニ言ってんのコイツ」という字が浮いているようだ。
「いや普通吸血鬼にわざと血を吸わせたりとかできないだろ……」
「弟くんに言われるがまま吸うミアもミアだけど……」
別にミアさんは悪くないと思うんだが、張り詰めた空気はなくなったように見える。
「あ、うん……」
「た、たしかに……」
「あいつアレだろ、色々と……」
いや、風向きは全面的に変な方に行ってるな。その気もないのに悪目立ちするのはいまさらの事だが。
「おまえなぁ、もっと自分を大事にしろよ。マジで引くぞ」
「してますよ。確信しかないことに賭けるのはギャンブルにならないですよね」
「まあ、たしかにおまえの言うことにも一理あるが。って、なんで確信があるんだ。魔族の知り合いでもいるのか?」
「ええ」
強いて言うなら、生まれる前からの付き合いだ。
もっと言えば、ある意味で特別な魔族だし。
「そうか。そういうこともあるのか」
妙に納得されてしまった。これも人徳、ではないな。当然と言いたげな感じだ。
「で? そろそろこれ治していいか?」
振り返り、ミアさんに噛みつかれたところを指差しながら集まっていた人間連中に聞くが、答えは返らない。
気にすることもないかと思い直し、空間圧縮魔法で携帯していたポーションを取り出して首元にかける。濡れた服は風魔法で乾燥。ボタンをはめてネクタイを締めて、これで痕跡は何も残らない。
「で? 他になにかあるか?」
「ぐっ……覚えてろよ!」
完璧な捨て台詞を残して、一人が逃げ出す。それを見た集団も追従してどこかへ去っていく。
ほんと、マンガみたいな一幕だったな。逃げるときの台詞はオレも他に思いつかないが。
一応、これでこの場は収まったのかな。
「ねえ、ミアどうすべき?」
「保健室に引きずってくしかないんじゃないの?」
「むしろ教会がよさそう」
「いやだから死んでないって」
魔族の方では、ミアさんをどうするかについての話し合いが行われているらしい。扱いがぞんざいな気がするが、ミアさんに何か恨みのある人でもいるのか。
「……じゃあ、オレはこれで」
「わたしはミアについてるね。ありがと、ユーくん」
姉さんに手を上げて、ゆっくりと歩を進める。
やってから思ったが、キザに見えたかな。これで精一杯だっただけなんだが。
「あっ、待ってよユーリ君。って、いつまで寝てるの、レア!」
「はっ!? なにか忘れがたいものを見たような」
「あー現実現実」
投げやりに答えたセラと、焦ったレアも後を追ってくる。
「ほんと、よくやるよユーリ君」
「言っただろ。確信があったって」
そもそも隷属できるっていう与太話だって、それがどういう手順を踏むか考えると色々無理があるだろうしな。血が肉体的に作用するなら代謝がある以上一時的なものだろうし、それ以前に魔法的なものでしかありえないだろうからブロックできる。ウイルスのようなものならもっと広がっている。
そもそも、基本的な部分は魔族も人間も同じ身体構造なわけで、血が吸えるわけ無いだろうに。飲むならまだしも。しかも、抽出だけで注入なんでできるわけがないから双方向の影響があるわけがない。
「ただ、まあ、ミアさんもちょっと吸い過ぎだよ、な?」
視界が暗い気がする。多少寒気と吐き気もするし。意識もフワフワというかグダグダというか、間延びしているような感じだ。
なるほど、失血するとこうなるのか。死にかけたことはもちろん色々怪我をしたこともあるが、血が抜けただけなのは初めてだ。
造血幹細胞を魔力強化で活性化とか試してみたいが、今は無理だな。効くかどうかはわからなくても、ポーションを経口摂取しておくか。
「大丈夫ですか? 身体強化をいつもより強くかけていますよね」
レアはよく見てるな。言いはしないが、虚脱状態に近くて自力で歩くどころか立っていることすらできなさそうだ。
「種族的にはまだ人間のままだが、体調は絶不調ってところだな。身体強化で強引に動いてる感じだ。失血で死にかけるのはキツそうだってのはよくわかった」
「いやあ、ユーリ君ならそれも大丈夫そうな気はするけど」
「……セラはオレをなんだと思ってるんだ?」
というか、失血はどんな生物でも致死原因だろう。割合は忘れたが絶対値なので、オレもその現実からは逃げられないに決まっている。
「しばらくパフォーマンスは落ちるな。オレを殺すなら今のうちか」
「シャレにならないこと言わないでよ……」
「ならわたしたちで護りましょうね、セラっ」
「もっとシャレにならないこと言ってる人もいるけど……まあ、少しは頼ってね?」
「ああ。ありがとう、二人共」
とりあえず、さっさと部屋に戻ってぶっ倒れよう。一日くらい、ユリフィアス・ハーシュエスにも休みは必要だ。
/
「……なんだこれ」
気がついたら知らない場所にいた。
いや、知らない場所ではあるが、完全に意味不明な場所ではない。
ただ、現実ではないというのはすぐにわかった。
ライトアップされた東京タワーとスカイツリーが隣り合って並び立ち、照明の灯った高層ビルが生え、キラキラとした観覧車が回り、写真にも記憶にもない城が建って、なぜか輝いているピラミッドや自由の女神のような謎のオブジェまである。こんな光景はどこを探しても無いだろう。
オレだって夢は見るが、ここまで荒唐無稽にはならない。いや、なるのかもしれないが、もう少し整合性は取れるはず。流石にこれは絶句ものだ。
「アハハ。やっと繋がったケド、チョット再現がおかしかったネ」
元凶、と言うと言い過ぎだが、その相手はすぐに現れた。
半分は夢魔だと言っていたから、夢に入るのも得手なのだろうな。
「再現についてはちょっとってレベルじゃないですが……」
ん? なんだ? 声の感じが違う。
そう思った瞬間、目の前に都合よく鏡が出現する。そこに映るのは見慣れた少年の顔ではない。
見慣れていた、どこかの誰かの顔だ。
「弟クン。ううん、ユーリさん?」
「好きに呼んでくれていいですけど。しかし随分懐かしいものまで覗きましたね、ミアさん」
かつての“俺”はこんな顔をしていた。そしてここは、その俺、九羽鳥悠理のいた世界……に似たどこか。
ただ、自分自身にも違和感はある。手を差し出し、ファイアボールを作る。
なるほど。なら今の俺は九羽鳥悠理ではなくユーリ・クアドリだな。
ミアさんは、何故か大通りの歩道にポツンとワンセットだけあるテーブルに腰を下ろした。あまり褒められた行為ではないが、らしいといえばらしい、かな。
「こんな世界もあるんだネ」
「ミアさんが言ったとおり、こんなではないですけどね」
答えながら、俺は椅子の方に腰を落ち着ける。
夜空を見上げてなんとなく正しい光景を頭に思い描いてみるが、かつての世界は上手くは浮かばない。さらに言えば、それでこの光景が修正されることもない。
いまさら郷愁もないからだろう、きっと。だから今の姿もユーリ・クアドリの方……あれ。ならユリフィアス・ハーシュエスじゃないとおかしくないか。
「あ、そっちはアタシの趣味カナ?」
「なら、この光景もミアさんの希望ですか。というか、考えてることまで筒抜けなんですね」
夢魔は相手の望んだ夢を見せるとも言うし、だったらそこは把握できないといけないか。
しかし、少なくとも血は吸えるし、夢にも入り込めるのか。かつての世界の創作とは違うが、類する力は持っている、と。
「あ、コレはちょっとユーリくんの血と魔力を吸いすぎてアタシが引っ張られてるからで、意図したものじゃなくてネ? ホントはちゃんと現実で謝るつもりだったんだケド」
そこが原因なら、残った血と魔力が微妙にパスを繋いでいるということなのだろうか。ありえなくはないかもな。
だとすれば、魔力というのは魂のようなアストラル的なものに端を発するのかもしれない。肉体を超越した何かというか。
「アハハ。ユーリくん、いつもこんな小難しい事考えてるんだネ」
「今やご存知の通り、魔法の無い世界から来たもので。もっとも、剣と魔法のこの世界でも解明されていないことは多いですけどね」
「そっか。アタシがこのカガクっていうのに興味を持ったようなモノだネ。でも、こういうコト現実で話せないから良かったのカナ」
ミアさんは可笑しそうに笑う。
その後、本題を思い出したのか真顔に戻り、テーブルから降りる。
「あ、でネ。エーっと。このイマの状況もだけど。ゴメンネ、じゃなくて、ゴメンナサイ」
ミアさんは、膝に手がつくほど深く頭を下げる。別にこっちは謝られることは特にないが、
「これだけじゃなくて、とは?」
「いや、アイちゃんに怒られちゃった。吸い過ぎだって」
それか。さすが姉さん、よく見ている。とすると、残ったのは怒るためもあったのかな。
「って言っても、吸い過ぎたのはユーリくんの魔力とかそういうのもあるけど、ティトリーズ様のこともあったからなんだケドネ。気になっちゃって」
「ああ、はい。そうかなとは思ってました」
魔族にとって、リーズはかなり特別な存在だ。当人はそれに対して複雑な思いを抱いていたとしても、気にしていない者は存在しないくらいには有名人なのだ。
「あ、となるとユーリ様って呼んだほうがいいのカナ? ティトリーズ様の旦那様だし」
「……何もかもが違う」
考えが吹っ飛んだ。
いきなり何がどうなってそうなった。
「またまたー」
「何がまたまたですか。リーズにだって選ぶ権利くらいあるでしょうに」
ああ、いや。これは。
こういう反応をしてるってことは、思考や存在のベースは一応ユリフィアス・ハーシュエスの方なのか。変な感じだ。
「あー。そういうコトかー。でも、だったらリーズ様も俗っぽくなってるワケだから、幸せなのカナ?」
「どうなんでしょうね」
少なくとも、リーズは幸せになるべきだとは思うけどな。立場だの関係なく。
いや、結婚とかの意味じゃなくて。いやいや、結婚もか。
「とりあえず、そこも含めて俺の諸々については秘密にしてくださいよ」
「そこは当然。でも、濃い生き方してきたんだネ。強いのもよくわかるカナ」
ミアさんは苦笑するが、俺だって客観的に見ればわけのわからない人生だとは思う。それでも、俺が決めたオレの生き方なのだから、このまま進むだけだ。根幹のところの謎解きについても、いつか答えが出るかもしれないし。
「っていうか、アイちゃんって全部気づいてナイ?」
「……その疑惑はありますね」
その辺りも謎だな。面と向かって聞く勇気もない俺も俺なのだとしても。
「さて。お母さんが言ってたけど、夢現は永遠の現に非ず、だったカナ。お開きみたい」
ミアさんの言葉とともに、暗かった世界に光が差してくる。
太陽の方向には富士山があった。本当にとっ散らかった世界だ。地理なんてあったもんじゃない。
「そこは追々聞かせてもらえる時も来るのカナ? それじゃあ、おやすみ。ユーリくん」
「ええ。おやすみなさい、ミアさん」
一夜の夢は全て、朝の光の向こうに消えていく。
っていうか、「おはよう」じゃないのかね、この光景は。
/
「オハヨー、ユーリくん」
「おはようございます、ミアさん」
最終的にというか、ミアさんとは気軽に挨拶する先輩後輩くらいの関係に落ち着いた。
記憶を見られたことを考えると、ララよりも九羽鳥悠理のことを知っていることになるのかもしれないけどな。そこは急極端に距離が縮まるのも変な話ではあるし。
「いやー、うん。また大変になったんじゃない、レアさん?」
「その辺りはもう諦めたほうがいいんですかね……」
レアもレアでなにか思うところがあるようだが。これもまた、オレには踏み込めないところらしかった。