第九章 風魔法使いは聖女と再会する
法子爵を貰った時、「士団の義務は果たさなくていい」とは言われた。
しかしそれは何でも断っていいというわけでもないし、頼まれもしないというわけでもない。こと内容によればこっちから頼み込むくらいはする気ではいた。
例えばこれだ。
「聖女の護衛とか、ユーリならまあ断らないか」
「遊撃するなら下にいたほうが楽だろうけどな。こうして上から全体を見られるのはこっち側の立場じゃないと無理だろ」
パレードの舞台になるメインストリートを見下ろせる建物の屋上。今、オレたちはそこにいる。
ちなみに、隣りにいるのはいつもの二人ではない。フレイアだ。下手な魔法士と組まされるよりは楽でいい。
「どう? なにかおかしなところはあった?」
「現状、あるとは言えないな」
「こっちも同じ。いつもと大して変わりはないね。一か所に集めればこれくらいいるだろうし」
魔力探知を展開しているが、おかしなところはない。
いや、パレードの列に対する敵意が見られないわけではないが、常識の範囲内といったところだ。
「視力を上げる魔法とかあればいいかなあ」
「水魔法でレンズを作れば可能だろうけどな。この人数と領域だと何かを仕掛けられる方が早そうだ」
足元には万を超える人がいるだろうか。おそらく、王都内だけでなく周辺の領からも人が集まっているのだろう。それを望遠鏡で総当りするのはそれだけで日が暮れる。
その上で、淀んだ魔力というのは周辺がどうであれ魔力探知ですぐわかるが、魔道具や催眠術で阻害されている可能性はある。それに、そういう魔力の持ち主が向けている感情が聖女に向かっているとは限らない。近距離の警備を行っている誰かに向かっている可能性もあるし、隣の人間が足を踏んでいるだけの可能性もあるからな。
「まーでもホント凄い人波だよね。聖女様、大人気」
「二つ名を思えば炎皇もそこそこ人気じゃないのか?」
「私? どうなんだろ。どっちかって言うと見てる側のほうがいいかなって気はするけど」
たしかにな。祭り上げられる側は気苦労も多そうだ。いや、心配で済むレベルでなく多いか。
オレがこの世界に召喚なんかで来ていたら、あっち側になっていたのかもしれない。
「っていうかむしろ下でのんびりしたかったー!」
「そうできれば苦労はないけどな。まったく」
「……いやーでも、こっちはこっちでこうしてるとデートみたいかななんて思ったり?」
おいおい。
「この状況でその発言は少しばかり不謹慎じゃないか?」
「耳の良さ忘れてた! いや、そういう発言はスルーしてくれないかな!?」
実際、見えてる風景はロマンチックかもしれないけどな。仕事以外で同じことをすれば不法侵入だぞ。
中世ベースなこの世界だと展望台みたいなものが軍の見張り台しかないのは、いろいろともったいないとは思うけどな。
「でも、こんなことまでする必要あるのかなっていうのは正直思うかな。聖女様の敵になる人っていなさそうなのに」
「それこそまさかな話だな。聖国内側から敵だらけだぞ」
「は?」
フレイアの疑問も困惑ももっともなんだが、事実そうなのだから仕方ない。
「え、どゆこと?」
「聖魔法の適正自体は生まれ持ったものだが、その力の強さは慈愛とか救世とかそういう感情に基づくものだ。聖女は遍く民衆を救うという名目の存在だが、それとは逆に聖国としてはその神秘や神性を守る為に可能な限り表に出したくはないし、タダで御業をばら撒きたくもない。聖女は聖国の御旗ではあるが、旗に剣も盾も庇護者も選ぶ権利はない。人事の沙汰は人の所業。その人々が清廉潔白かはそれこそ神の御業。ここまで言えばあの国の中がだいたいどうなってるかはわかるだろ」
「今私、とんでもない話を聞いてる気がする」
だろうな。こんな話、知ってる人間のほうが稀だろう。
でも、そのくらいのことは誰でも思い当たれる気はするんだけどな。
「そうか? この程度でとんでもないか? 聖女候補者がみんななりたくてそうなってるわけじゃないってのはどうだ? 一部は騙されたり拉致じみたことをされたりして聖国にいるってのは?」
「うわー、聞きたくないー! 裏どころか闇情報すぎるー! あーっ、わかっちゃったー! 聖女様がそこそこの年齢で代替わりしちゃうのって、魔力の衰えじゃなくって、もしかして!?」
「雁字搦めでやりたい事もやりたかった事もできない人生の結果、聖属性の魔質適性がなくなるからだな」
「やっぱりー!」
ホント、狂ったことやってると思うよ。まあ、宗教と金は綺麗でも汚くても切り離せない重要な問題だとは思うけどな。でもその結果として聖女が割や恨みを食うのはどう考えても道理に反しているが。
「あー、うわー、聖女に選ばれるってなんなんだろ」
「奇跡の代償がそんなモノでいいのなら、聖女の魔法なんて必要ないだろうにな」
だからこそ、そこだけはオレの罪なんだろうとは思う。これで聖女じゃなくなるようなことになったら責任をとれば済むだけの問題ではない。
護るという約束を十年以上も放棄してきたのだ。許容してくれたとは言え、ユーリ・クアドリは最低な野郎だろう。
「ていうか、ユーリがなんでそんなこと知ってるのかもすごく気になるんだけど」
「一時期、聖女の庇護下にいたからだ。言わなかったか?」
「そうなんだー……えっ?」
「ん?」
思い返してみれば言わなかったか。そもそも“翼”のメンバーくらいしかオレの出自を知らないし。
何より、“俺”が本当は何者なのかを知っているのは彼女しかいない。
「初耳なんですけど?」
「まあ、そういう時期があったんだよ。それ関係でひと悶着あったし、今でもユーリ・クアドリの名前は聖国上層部の間でどう扱われてるかわかったもんじゃないな」
「それ、聞いたほうがいいような聞かないほうがいいような」
「ともかく、国なんて割とどこも同じってことだ」
それこそ「どこの世界でも」と言うべきか。善意や滅私だけで社会が成り立つわけではないのかもしれないとしても、理不尽であることには変わりない。
「でも、それだと逆に国を出てる今の方が安全だし気楽じゃ?」
「そこもなあ。聖国というか宗教否定での敵もいるし、魔法廃絶主義者もいるだろ。ある意味最強の魔法使いでもあるわけだけど、聖国にいれば一応そっちは安泰だからな」
「あー、そっかー。ホントきっついんだなー聖女様って。どこにいても敵だらけか」
もちろん、明確に狙ってくる相手はそうそういない。だからこそ逆に気疲れすることもあるだろうけどな。
今回の滞在中に顔を合わせる機会がなかったとしても、彼女の現状くらいはきちんと見極めないと。
「お、やっと来たね」
「みたいだな」
フレイアの視線を追うと、隊列が目に入る。微かだが歓声も。
先頭は近衛騎士団のようだ。聖騎士隊はその後ろにでもいるのだろうか。通常はたしか、その後ろに見習い、聖女、傍付き、聖道士隊、聖騎士隊の順だったか。相変わらず大袈裟すぎる護衛だ。その中に敵がいないとも限らないというのがなんとも。
もしもこれを崩すなら、外門を落として分断するのがいいだろうか。そんなことは当然考えられているだろうから、この可能性はほぼ無いな。分断したところで数の力には敵わない。
もう一つは衆人環視の中か。しかしそれこそ状況が地獄になる。何もないのが一番だが、どうにもそれは希望的観測な気がする。
列が近づいてくると、歓声に混じって花が蒔かれ、好き勝手に楽器が鳴り響く。これはこれである種カオスだが、
「演出の話は聞いてるか?」
「ないね。そもそも視界を奪う類のをやるわけないし」
唐突な霧。道具や魔法で大量の煙を一度に出すのは難しいからこその苦肉の策か。
「残念ながら、期待を裏切ってはくれないようだな」
本来なら下にいる魔法士が対処するんだろうが、こちらもその数秒の目眩ましを台無しにしてやらないと失礼というものだろう。
霧の中心部、その上方の気圧を真空近くにまで下げる。それだけで吸い上げられるように霧が晴れていく。
「さっすがー」
「さて、どう動いてくる気だった?」
周辺の状況変化に右往左往しているのは群衆も同じ。だが、目隠しがなくなれば明確な違和感に目が留まることになる。ともすればそれは分かりやすい目印になるだろう。
数カ所で黒い魔力の異常な増大を感じる。魔物の姿がそもそもなかったことを考えれば、可能性は一つ。
「魔人化か。どこから拾ってきた」
「まじ……なに?」
「バカが自分から喜んで魔物になったんだよ」
動物と魔物には外面的な差異や魔力の質も当然あるが、最大の違いになるのは魔石の有無だ。
なら人間でもそれは起こりうるのではないか? と誰がやったのかは知らないが、魔石を丸呑みしてみたやつがいるらしく、それが最初の確認例だったとか。
まあ、所詮は都市伝説。動物実験でも否定されたとこれもまた噂で聞いた。のだが。それを現実化した奴らがいたのだ。同一集団ではないが、ヴェノム・サーペントの一連もおそらく同じような手法だったのだろう。
魔力が増大した辺りで黒い奔流が生まれ、中心にいる人間に吸い込まれていく。それを見た周囲の人間は当然、逃げようとする。が、そこはこの人集り。何より状況把握ができておらず、退避ルートの先が詰まってまったく上手く行っていない。
なら。
「先手を取るしかない。魔力密度が濃くて高強度のアイツらに圧縮と先鋭化をしやすい魔法剣は有効手だ。こいつなら魔法防壁と強化をかければしばらくは保つだろ」
フレイアに耐火剣を渡す。素材のことも二刀のことも、因果はなんとやらというところか。もしもに備えているのは常態だが、この辺の運にもオレは案外見捨てられてないな。
「了解。でもこの人混みでどうやって近付くの?」
「悩むことなんてないだろ。オレたちは魔法使いだぞ?」
屋上の縁を蹴り、跳ぶ。身体強化、防壁展開、魔力強化、付加。使う魔法はいつもと変わらない。
着地点として狙うのは一点。真上だ。この奇襲は騎士にはできない。
「ガアァァァァ!?」
脳天から一突き。何が起こっているかわからない群衆にもこれで状況は知れる。剣を持って空から降ってきた少年の方が恐怖の対象になるかもしれないが、それは気にすることじゃない。わかりやすい忌避対象になるならそっちのほうがありがたいくらいだ。
次に向かって飛ぶ。空中を駆け抜け、同じように真上から強襲する。
魔力探知。フレイアの方も同じ要領でやってはいるが、名前の売れた炎皇の登場に逆に周囲が色めき立っているようにも感じる。見目もいいし、炎をまとった美女とか幻想的だしな。呆けた顔や恐怖の表情をされてるこっちよりはずっとマシだろう。
されど仕事は仕事。それに、そんなことよりずっと重要なこともあるのだから。
「何だこいつは!」
「魔法も剣も効かないのか!?」
「戦えなくなった者は一度退け!」
あちこちで悲鳴と怒号が聞こえる。ここからでは遠くはあるが、聖女の近くでも。
群衆を有象無象と切り捨てる気はないが、オレにだって優先順位くらいある。
「ユーくん!」
と思っていたら姉さんが飛んできた。文字通り。
「やっぱりこれダメだって!」
「生きた心地がしないですっ!」
セラとレアも。一緒にパレードを見ていたのか。
「まだ反応があるよね?」
「ああ。姉さん、ウォーターカッターなら行けるはずだが……頼んでも大丈夫か?」
「……うん。大丈夫」
微妙な間の意味は伝わったらしい。「元は人間だったものだが」という意味は。魔人化のことや原理は知らなくとも、オレのように常時魔力探知をかけている姉さんならそのくらいは察せる。
姉さんだって冒険者として活動しているし、これまでその機会もあっただろう。
「うーん、さすがハーシュエス姉弟」
「わたしたちは足手まといですかね」
ただ、二人にはまだその覚悟も割り切りもないはずだ。今させようとも思わないし、そもそも魔人は魔物と同じには対処できない。
「これは単純に桁が違う。二人は避難誘導の手伝いを頼む」
「そうですね。わかりました」
「了解。任せといて」
レアとセラは、うなずきあって走っていく。
その背中をしばらく見た後、姉さんはクスリと笑う。
「うまく逃げてもらったのかな?」
「それは思ってても言わない類のものだと思うけどな」
微笑みには苦笑で返すしかない。まさにその通りなわけだし。
「頼んだ身で言うことでもないけど、姉さんも無理はしないでくれよ」
「ん。大丈夫だけど」
とは言われたものの、抱きしめられてしまった。震えはないが、不安は伝わってくる。誰だって好きこのんで命のやり取りなんてやりたくないからな。
「ユーくんも気をつけてね」
「ああ、もちろん」
抱擁を解き、それぞれ別の方向に跳ぶ。
群衆と聖女なら間違いなく後者に重きを置くが、親しい人間たちを天秤にかけると揺らいでしまう。当然の反応だとはわかっていてもイヤになる。
「ホント、意味不明だ。なんで目的のために手段を超越できるんだこういう奴らは!」
八つ当たりの袈裟懸け一閃。同時にフレイアと姉さんもそれぞれ一体片付け終わっている。
残りは数体だが、一番大きな魔力反応が聖女の馬車に近い。コイツは他を放り出してもオレがやらなければならない。そっちは任せよう。
加速して一気に近接距離へ。周囲には聖騎士連中がいるが、無視して刃を叩き込む。
「チッ」
剣は振り抜いたものの、手応えで分かっていた通り刃が通っていない。それどころか砕けなかっただけ運が良かった感じだ。押し戻すために魔力を乗せて蹴りを入れたが、逆に弾き飛ばされた。
さっきまで瞬殺できていたザコとは段違い。他は保険にならない保険でコイツが本命ということか。
他の奴らは遠目ではまだ人間に見えたかもしれないが、コイツは背中の翼と言い頭の角と言い、明らかに人間の形状を外れている。これもこれで今後の余計な問題を産みそうだ。
「……ハ」
魔人の口角が釣り上がる。掲げられた手に黒い霧が渦巻き、集まる。
無詠唱の魔法ではない。ただの魔弾だ。だが、当然ながら人間に出せる出力ではない。こちらが使えるのが拳銃弾だとすると、これは砲弾。
剣に防壁を展開。放たれた真っ黒の塊を空へ殴り飛ばす。
単純な魔力量ならこちらが上だろう。しかし密度が全く違う。現状の防壁で防げるかは怪しい。魔弾に限らず、過剰な魔力が自動的に身体強化をかけている。
辺りに群れている聖騎士が邪魔で全力は出せないし、やりすぎれば周囲の構造物にまで被害が及んでしまう。そもそも通用するまでかけた魔力にこの剣が耐えられるとは思えない。
「ユーリ!」
飛んできたフレイアも剣を振るうが、わずかに炎をまとわりつかせるだけで斬り捨てるまでは行かないし、そもそもその刀身は既に形を失いかけている。
何にせよ、通じる可能性を見せる辺りはさすがは高位属性の炎魔法。いや、フレイアの魔法制御とここまで耐えた剣を称えるべきか。
そこから数度攻撃を加えたが、フレイアの炎とオレの剣技を併せて一進一退。決着がつく気がしない。
「同時攻撃とかならどう?」
「魔力強化と防壁を突破できる気がしないな。長引かせれば自壊するはずだが、押し切られる方が早そうだ」
突っ込んでくるのを捌くので精一杯。一体、どれだけの量と種類の魔石を食えばこうなるんだ。
四属性斉射で強引に押し飛ばすか。いや、周辺状況が荒れている。無駄に被害を出すだけだ。
そんな逡巡と同時に、魔人の死角に影が飛び出す。
「ユーくん!」
「な、姉さん待ッ!」
放たれたウォーターカッターは、物理工具を再現する魔法。言うなれば魔法剣に近い。だからこそ魔人にも有効な手段になりうるし、今のオレたちが打てる中では最強の手かもしれない。
しかし、どんな相手にも通じるというわけではない。理論上切れないものもないし、切れないものは破壊されてしまうだけ。だが、それは物理科学世界での静物相手の話。
単純な魔力密度による干渉。さらに反射的な魔力放射が水の刃を散らす。それだけではなく、絶対の必殺技を防がれた姉さんの集中力も。強力かつ繊細な魔力制御を必要とする魔法の水刃はそれだけで霧のように消えてしまう。
同時に、さっきの砲弾のような魔力が姉さんに向かって放たれる。咄嗟に防壁を強化したのは分かったが、動揺のせいでそれでは足りない。
「やらせるかッ!」
バーストでさらに防壁を強化。加えて、少しでも威力を削るためにカウンターとして土属性放射を撃つ。
急場しのぎの魔法は当然打ち破られ、受け止めた防壁も悲鳴を上げる。
それでもギリギリ耐えることはできた。驚愕で目を見開いた顔の姉さんなんて初めて見る。
これ以上のフォローよりもこっちに気を向けるのが最善手。魔弾と風魔法を連射しながら突撃。イチかバチか、剣に崩壊限界まで魔力を込める。そこからさらに魔法を展開して防壁で圧縮していき、
「避けなさい」
声が耳に届くのと同時に魔法の展開をキャンセルして飛び退く。少し遅れて、金色の奔流が魔人に向かって叩きつけられた。
聖属性放射。オレがどうあっても使うことができない魔法の一つ。
「本命を違えるとは。理性を失っている証左でしょうかね」
発生源から放たれた声には、これ以上ない威厳と威圧があった。自然とそっちに目が向く。
白地に金糸で柄があしらわれた豪奢な法衣。身長ほどの長さの錫杖。何よりも、聖属性の魔法使いが持つ光を放つ完全な金色の髪。
聖女ソーマ。そう呼ばれる女性の姿がそこにあった。ただし、記憶の中のものよりかなり大人の姿だ。
「せ、聖女様!?」
当然、フレイアは悲鳴に似た声を上げる。しかし、聖女の目はオレに向いている。
そのまま彼女は持っていた錫杖を掲げて、
「これを」
「は……?」
身体強化による投擲。本気ではなさそうなもののオレへの直撃コースだったそれを、避けつつも掴み取る。
「何す……」
手にした瞬間、光が散るように姿が変わる。長さも、形状も、何もかもがまるで別の物へ。
「……これは」
錫杖にかけられていた魔法の構造が瞬間的に理解できた。
認識阻害。解除条件は一定以上の風属性魔力の感知。リーズの魔法か。
光の中から現れたのは、一メートルほどの長さの打刀。鞘尻と柄頭にはエメラルドがはめ込まれている。
エメラルドは風魔法使いのための宝石。これは誰のものでもない、オレのための武器だ。
それだけじゃない。微かにだがレヴの魔力の偏在も感じる。なるほど、素材として龍鱗を混ぜたのか。
片手剣を地面に突き立て、刀を鞘から抜刀する。光を返す刀身には幾重にも複雑に重なった素材の層が刃文となって現れている。
「モノにしたか、ネレ。やっぱりおまえは最高の鍛冶師だよ」
曖昧な“俺”の記憶から、ここまで見事な刀を打ってみせるとは。これで負けたら申し訳が立たないな。
鞘を差し替え、セオリー通りまずは正眼に構える。そのまま踏み込み、一閃。それだけで笑ってしまう。今までの剣閃なんて子供のお遊びですらない。
二個のエメラルドがこれ以上なく魔法制御と魔力効率を上げている。一〇メートルはあった距離は軽い一歩。バターどころか牛乳を斬るより軽い感触で魔人の腕が地に落ちた。やれるとは思ったが、刀への強化も付加もなしでこれか。
魔人はそれを視認し、反射的に逃げの体勢に入る。予備動作なしに空中に飛び上がり、距離を開けていく。
同時に、差し出された手に黒い魔力が集まるのが見える。その規模は今までの比ではない。ただの魔力放射だろうが、威力は上級魔法に匹敵するだろう。
抑えるには魔力斬では威力が足りない。突っ込めばその動作に反応されて受け太刀や防御をすることになり、二手になって逃がす。超音速貫通撃では相手の方が準備完了が早いだろう。
ならば、この状態から相手の思いもつかない一撃必殺の攻撃を放つしかない。相手が攻撃に移る前に。
そんなもの、どうやって?
風の刃などありえない。そんな魔法はない。エアーカッターという工具はあるが……あれは空気圧で実体の刃を動かす物。ただの風、つまり空気では物質を断つことはできない。
だが、その摂理を超えるために求めたのがこの刀だ。
できるかできないか。それはオレの実力が決めること。魔法は想像し創造するもの。信じなければ結果はもたらされない。
納刀し、軸足を引いて居合の体勢を取り、目を閉じる。その状態で魔力探知を用い、世界の構造を視る。
人、物、自然。いくつもの魔力が虹のように煌めいて世界は創られている。その中から断つべき標的を見定め、編むべき魔法を想像する。
構築開始。
まずは鞘の上下を返す。居合は刀を差したまま、つまり刃を上向きで行うようだが、この技は太刀のように刃を下に向けての居合で行う。
鞘尻の宝石に風魔法を溜める。さらに刀身や峰に防壁と魔法を同時展開。
空間把握、イメージ、魔法構成。転生前に思い描いていたものと遜色ない。
構築完了。
「……風閃」
目を開き、魔力の世界と現実の世界を同期。鞘尻宝石の魔法を解放。鞘の中の空気が膨張と暴乱を起こし、刀を射出。刀身の風魔法でさらに斬撃を加速。
魔法の風や防壁と共に、刀身が世界を切り裂く。
魔力、魔法、防壁の全てを一体として先鋭化し、刃と為す。
結果は一瞬。魔力探知のできた魔法使いのみがその一撃を捉えることができたはずだ。
そのほかの人間には、ただオレが刀を振り抜き終えたのと、黒い魔力が霧散したことと、魔人がゆっくりと二つに割れていくのが見えただけだろう。
残心の後、鞘の上下を戻してから納刀する。
「……やってできるものだな」
「んえ? なんか今すごいこと言った?」
思わず出た言葉はすぐそばにいたフレイアに反応された。
とんでもないことを言った自覚はあるが、転生前に構築したこの技だけは成立するか確信がなかったんだから仕方ないだろう。
他の魔法は前世の時点で不完全ながら発生させられていたんだが、これだけは無理だった。魔法の要素ももちろん道具もなかったし。正直、この刀でないと同じことは無理だ。
ところで、貰っておいていいのだろうかこの刀……というか元錫杖。認識阻害は一度きりのようだし、かけ直すことはできないから錫杖の状態に戻すことはできないが。
そんなことを考えていたからか、姉さんが側に来ていたのに気づかなかった。
「……ユーくん、凄かったね」
「姉さん?」
様子がおかしい。それだけはわかる。姉さんだって苦笑いくらいはするが、こんな引きつったものをしたことはない。魔人から何か良くないものを貰った、というわけではないはずだが。
しかしそんな疑問もまた、周囲の喧騒で追いやられる。
「おい、大丈夫か!?」
「誰かポーション持って来い!」
「他はどうなってる!?」
状況が片付いたからこその事後処理。転がっているのも奔走しているのも主に聖騎士連中だが、直衛に回っていたのが彼らなのだから当然だろう。
そんな中で聖女と目が合う。しばらく見つめ合うが、相手は小さくため息を吐いて、
「まずはこの場を収めましょう」
目を伏せ、わずかに俯く。魔力探知のおかげで聖属性の魔力が湧き上がってきているのがわかる。
「……生きとし生けるもの、私の手の届く範囲のすべての命」
朗々とした聖女の詠唱。それと共に周囲の地面から光の粒が立ち上る。
「俯き、膝付き、伏せしものの顔を再び上げるために、その傷を癒やし給え」
だが、わかる。これはただのパフォーマンス。出力を絞り切った灯光の魔法をばら撒き、地面からはこれも出力を絞った光線を上方に放ち、トドメにこれまた灯光で意味のない魔法陣を描いているだけ。
それでも、幻想的な光景は確かに人の心を強く打つ。こういう配慮もまた、彼女の聖女としての資質なのだと思う。
ならオレも後押しでもしてみるか。そよ風で髪をなびかせてやれば、より大きく神聖な魔法に見えるだろう。
その意図を理解してくれたのか、一瞬口元が綻んだ気がした。
「広がれ、全域回復」
瞼を開いて両手を掲げると、円状に光が放射される。光に触れた生き物は輝きに包まれ、痛みからの震えや乱雑な呼吸が収まっていくのが見える。そこまで疲労しているわけではないオレにも鎮静と活力の効果があった。
大したものだよな、本当に。
魔法の行使を終えた聖女はゆっくりとオレたちの方に近づいてくる。
「助かりました、勇敢な魔法使いたち」
「い、いえ! 聖女様もご機嫌麗しく!」
瞬時に膝立ちになったフレイアが微妙におかしな挨拶を返す。こういうことに慣れていないのか。結構いいところのお嬢様だとか言っていたような気がしたが。
フレイアを真似て、オレ達も膝をつく。
「危ないところをお救いくださり、ありがとうございます」
姉さんはまあ、例によって卒がない。これもまたさすが。
さて、オレはどう対するべきか。色々候補はあるが、
「到着が遅れて申し訳ありませんでした。御身に大事がなく幸いです」
これか。無難に。
「ええ。皆さんも無事で何よりです」
ちらりと上目で顔をうかがうと、柔らかい声色とは別にこれ以上ないほどの無表情でオレを見ていた。明らかに責められている。
いや仕方ないだろ。人の目があるんだから。
「……聖女様、お戻りを」
とかやっている間に近づいてきた聖騎士がオレたちの間に割り込む。職務だろうとはいえ、この対応は少々気に障るな。
「わかりました。ああ、滞在中に話をする機会も訪れるかもしれませんが、その時にまた、必ず」
誰が聞いても社交辞令であろうその言葉を残して、聖女は馬車に戻っていった。
念押しするような言い方だったし、オレに対してはどんな手段を使っても会いに来いということなのだろう。いや、気のせいか。
そのまま馬車は動き出し、王城の方に向かっていく。
「はー、緊張したぁ」
「そうだな」
とりあえず終わったか。そう思って息を吐いた瞬間、隣りにいた姉さんの体が崩れ落ち始めるのが見えた。
「姉さん!?」
「え? あ、アイリスちゃん!?」
他に気を逸していたら抱き留められなかったかもしれない。これ以上ないほど運が良かった。
魔人と対する前は不安が伝わる程度で普通だったが、今回は目に見えて青ざめて震えている。これは拙い感じだ。
何か食らっていたのかと一瞬焦るが、魔力が極端に乱れているようなこともない。どうもそういった類ではなさそうだ。そこは安心していいのか。
「ごめんね、ユーくん。まだまだだね、わたしも」
「え!? そんなことないよ! それ言ったら私だってダメだったし。アイリスちゃんの歳からすればむしろ強すぎると思うよ?」
「いえ、そうじゃないんです」
フレイアのフォローに首がふるふると横に動く。
そうか。さっきの表情はそういうことか。
「そうじゃないんです。あの時、もしかして、死ぬんじゃ、ないかって、思って。こんなの、初めてで」
「あ……もしかしてこれ」
姉さんの震えが止まっていかない。これは、ハマると抜け出せない最悪の泥沼だ。
その名前は“死の恐怖”。オレもフレイアも体感して、他人のものも多く見てきた、最も身近で、誰にでもかかり得る呪い。
と言うより、“俺”はこの先まで行ってるんだよな。だからこそ姉さんの気持ちはよくわかる。誤魔化しや慰めが答えにならないということも。
「……守ったものだってあるだろ、姉さん」
「そうだよ、アイリスちゃん。ほら、顔を上げて、見て」
ただ、オレと姉さんには明確な違いがある。“俺”のそれにはなんの価値もなかったが、姉さんはただここにいるわけじゃない。
今回の一件、多少の破壊痕跡はあるものの、初動によって大きな被害はない。人々は様々感情があるだろうが聖女の魔法に歓声を送っているし、さらに重要なことを言えば探知で引っかかる死者はいない。
この世界に蘇生魔法はない。だから、誰も死んでいないということはそれだけで最上の価値があるのだ。
いやもちろん、蘇生魔法があったら死んでもいいというわけではないのだが。というかそもそも、回復魔法が万能なら魔人すら復活してしまうわけだし。
「姉さんもこの光景を守ったんだ。だから誇っていい」
「そうだよ。それに、誰でも一度は経験することだからね。大丈夫だよ、乗り越えられる」
忘れてはいけない。さりとて囚われてもいけない。そんな糸を渡るような向き合い方が必要だが、姉さんならきっと大丈夫だと信じている。
「ありがとう、ユーくん、フレイアさん」
震えは収まりきっていはいない。それでも、この経験が姉さんの糧になることを願おう。
/
今回の件。王国側の功労者を挙げるなら当然オレとフレイアと姉さんなわけで、翌日三人揃って話を聞かれることになった。
ただし、あくまで魔法士としての職務上の行為であって、王様含めた首脳への報告は第二王子を通してとなったらしい。なぜかよく会うな、本当に。
「まずは、三人ともご苦労さまでした」
「私からも。二人とも、ありがとう」
目上二人に頭を下げられたものの、特に恐縮するようなことでもない。横目で姉さんの様子を見たが、表情が硬い。相手云々ではなさそうなので、やはり平常に戻りきってはいなさそうだ。
そのあたりの報告は受けているというか、雑談としてくらいはしていたのだろう。リーデライト殿下に目を向けると微かに首が縦に動いた。この人は信頼って言葉すら陳腐になりそうだな。
「それでユリフィアスくん。“アレ”のことを知っているという話でしたが」
と思ったが、あんまりこの人に会いすぎるとボロが出そうな気がする。が、仕方ないと割り切るしかない。
とは言え、オレも全容を知っているわけではない。すべてを答えることができないのも元々だ。
そういえば知り合いの知り合いネタがあったか。いや、それも彼相手だとバレそうだ。
「魔人化と呼ぶらしい、というか現象としてもそうとしか表現できないものですね。要は人間の魔物化です」
「魔人……人間の魔物、ですか?」
「それって当然、魔族とは違うんだよね?」
「ワーラックス隊長の疑問はもっともだと思いますが、全く違いますね。だからこそ、そっちでも厄介なことになりそうな気がするんですが」
最近そんな内容の授業があったな。いわゆる、種族や生物としての境界や成り立ちの根源。
物理科学世界出身者としては魔力の存在が形成に影響を与えているのだろうと推測はできるが、魔力枯渇が生命体としての危機に直結することを考えるとやや怪しくなってくる。ゲノム解析でもできれば一発で謎が解決するんだろうが、当然そんなことはできない。
考えが逸れたな。
「遭遇事例自体さほどあるわけではないですが、少なくとも人間以外の種族がああなった例はありません。そういう意味では差別されかねないのは人間の方だと思うんですが、内実が知られていないのと外面がああいうものだったのでそういうわけには行かないでしょう」
「その件については了解しました。学院内についてはきみたち姉弟にお願いすることになってしまうとは思いますが、ある程度目を光らせておいてください」
「そのつもりです」
「わかりました」
魔力探知さえしておけば、そういう状況はすぐにわかる。
付き合ってみれば種族的な差異なんて外見以外殆どないとわかるはずなんだけどな。世の中そう優しくない。成功失敗問わずそれを狙ったというのもあるのだろうか。
「しかし、いろいろな意味で由々しき行為ですね。人が魔物になるとは」
「ええ。彼の言うとおり事例が少ないのであれば、そもそも簡単なものではないということなのでしょうけど」
一番の問題はそこだろうな。魔石が必要なのはほぼ確実で、あとはおそらく魔力結晶辺りが関わっているんじゃないかとは思うが、まだまだ推測に過ぎない。魔物という存在そのものにも関わってくるんだろうし。
「唯一の救い……かどうはわかりませんが。魔人化にはそれなりの素養が必要というか、ある程度以上の悪人でないと変化しないようだというところですね」
「なるほど。ともかく、残された物を可能な限り鑑定してみるしかないですね。ユリフィアスくんにはまた知恵を借りるかもしれませんが、その際はよろしくお願いしますよ」
「オレで役に立てるなら」
実際のところはこれ以上提供できる情報はないだろう。手法はもちろん、開発者も普及者もわからない。
それに、ここから先は情報を選んでどうこうで済むことではなくなる。素養の話だって、魔力探知で対象を見た結果で証明のしようがない。
そもそも、今の時点でもユリフィアス・ハーシュエスが何者なのか言及せざるを得なくなりかけているだろうしな。
「以上ですね。ではワーラックスさん、今日の貴女の業務はこれで終了にしておきます。二人を学院まで送ってあげてください」
「了解しました」
本当に気が利く上司だ。これならフレイアもやりやすいだろう。その割に隊内が一枚岩ではないようなのは本当に不幸だ。
士団の会議室を出ると、フレイアは疲れた顔をして自分の肩を叩いていた。まあ、オレのことで色々と気を使わせただろうしな。
「さて、私も暇になったわけだけど、どうする? どこか寄っていく? 戦勝会的な」
「いえ、せっかくですけど……」
即答したのは姉さんだ。やっぱりそう簡単に割り切れはしないか。
いっそのこと、演習場を借りて一戦交えるべきだろうか。そう思って刀の柄に手をかけながらフレイアを見たが、苦笑と横方向への首振りしか返ってこない。
そうだな。オレたちの克服方法が強引なものだったからと言って、みんながそれで解決するわけではないか。最後の手段にしよう。
そんなことを考えながら建物を出ようとしたところで、後ろから走ってきた人影がいた。
「ああっ、待ってくださいワーラックス隊長!」
「ん? あれ、どうかしたのアンナ。たしか今回の件の相互報告で教会に行ってたんじゃなかったっけ?」
「いえ、それは完了したんですけど、聖女様からお手紙が。お急ぎとかで直接」
「ああ、そういうことね。ちょっと待って」
フレイアは懐からナイフを取り出し、躊躇なく手紙を開ける。
一応、文面が目に入らないようにしばらく目を背けはしたが、その必要もない気はする。オレたちも当事者だし、何よりこの手紙には魔力が込められている。
その意図は当然、追跡だ。そしてこれは魔力探知ができなければ役に立たない。いや、オレのせいでそれができる人間が増えてしまってはいるけどな。
そんな事をしなければならない諸々の理由は、魔力の属性を考えれば推して知るべしと言ったところだろう。
「ふーん、なるほど。ありがとね、アンナ」
「いえ、それでは」
ペコリと頭を下げて、アンナさんは建物の中に戻っていく。一瞬姉さんの方を見て微笑んでいたのは知り合いだからだろうか。
で、フレイアの方の表情はというと。これ以上なく渋い。
「うーん、どうしたもんかなぁ……」
その呟きからだけではなんとも言えないが、面倒なことになっているらしいことはわかる。
王城区画と学院区画はさほど離れてはいないので、一〇分もかからず着いてしまう。
「はい、到着ー。ふたりとも今日はお疲れ様」
フレイアは、手を叩いてニッコリと笑う。その態度には違和感しかない。
「で、アイリスちゃん。悪いけどちょっと弟くん借りるねー」
「え? はい、わかりました?」
「また今度アンナも入れて食事とか女子会でもしようねー。それじゃまたー」
肩を抱かれ、引きずられながらそそくさとその場を離れる。一瞬振り返ると、姉さんがポカンとした表情をしていた。また珍しいものを見せられたな。
しばらく歩いて、肩にかけられた手がどけられる。
「だいぶ不自然だったな」
「だよねぇ。やっぱりこういう知恵を巡らせるみたいなのは苦手だなぁ」
知恵を巡らせるというか、隠し事をしているのがバレバレな感じだったが。腹芸の上手さも善し悪しだけどな。
頭が痛そうにしながら、フレイアはオレにさっきの手紙を差し出す。
「いいのか? お前宛だろ」
「いや、ユーリ宛だよこれ。やっぱり聖女様って大変なんだね」
まあ、そもそもフレイアへの手紙に追跡なんて必要ない。顔見知りにはなったとは言え、ただの一学生に聖女が使いや手紙を出すのは不審だ。信頼できる利害関係のない相手を経由するのは無難な手段だろう。
渡された手紙を要約すると、「オレに教会に来るよう言伝を頼む。この手紙が届けばわかる」ということらしい。
しがらみばかりだな。よく聖女を続けていられるものだ。今のオレが言うとそれこそ皮肉にもならないが。
「聖女様もそうだけど、こっちもね。誰かいると気安く話せないのがねぇ。疲れる。殿下やアイリスちゃんが悪いわけじゃないんだけど」
「悪いな、気を使わせて」
その辺りはオレも同じだ。
転生するとたしかに人間関係はグッチャグチャになるな。主に年齢関係由来で。年上が実はほとんど年下だからな。
とかなんとか言っている間にまた教会に着いていた。
さて。礼拝堂の扉はガッチリと閉ざされ、聖騎士二人がその脇を固めている。教会の門戸は常に開かれていると聞いてはいたが、今日は別であるらしい。
「まるでダンジョンの入り口だな」
「あはは、そう言われるとそうとしか見えなくなってきた」
あるいは仁王門とかかな。
どう例えようとも歓迎ムードではない。近づくと威圧度が増していく辺りも。
「申し訳ないが、しばらく礼拝は中止する事になっている」
「それについては伺ってますよ。私はリブラキシオム王国近衛魔法士団第三隊隊長、フレイア・ワーラックスです。こっちはユリフィアス・ハーシュエス。聖女様にお招きいただきました」
フレイアはオレに渡したのとは別の手紙を聖騎士に渡す。だが、相手はそれを見もしない。
「話は聞いていないな。それに、それが事実だとしても貴女はともかくとしてそちらの少年を通すわけにはいかん」
「……は?」
フレイアは、ニッコリと笑顔……というかビジネススマイルを浮かべた。目の前の聖騎士に魔力探知ができたなら、フレイアの背中に黒い炎が見えたかもしれない。
「むしろ私が付添兼身元保証人ですけど? 聖女様を襲った敵を倒したのが誰かすらご存知ないと?」
「馬鹿な」
「まさかあの場に誰がいたかも知らない、とか? 予備要員? それとも早々にやられたのかな?」
「ッ、いくら魔法士団の隊長でも」
「……ワーラックス隊長。煽りすぎですって」
苛つくのはわかるが、こういう手合いは何を言っても無駄だ。
フレイアも礼拝堂の中に誰がいるかはわかっているだろう。なら単純に扉を開ければいい。得意分野だ。こっちが来る前に向こう側から鍵も開けてくれたようだしな。
扉の手前に真空空間を作る。それだけで気圧差と気流によって外開きの扉は開く。内側から風属性放射を撃つのも手だったか。
「な、なんで扉が勝手に!?」
「……さっすがー」
目的の相手は祭壇の前で祈りを捧げていた。これもシチュエーションとしては好都合か。
「聖女様の祈りと神の奇跡に導かれたので入らせてもらいますよ。隊長、預かっておいてください」
明らかな凶器である刀をフレイアに渡し、礼拝堂に向かって歩を進める。当然聖騎士は止めようとするが、
「な、なんで」
「近づけないんだ」
「邪魔するなって警告でしょう」
単純に物理防壁を大きめに展開しただけだが、行動を制限するにはそれで充分だ。そろそろ空圧抑制くらいは使えるようになりたいところだが、試すのは今度にしておこう。
礼拝堂に入り、風魔法で扉を閉める。あとのことは外に任せよう。フレイアが物理防壁で扉が開かないようにしてくれているようだし。
「さて」
祭壇の方に近づいていくと、相手はゆっくりと立ち上がる。ちょうど終わったのか、切り上げたのか、最初から祈ってなどいなかったのか。それはオレにはわからない。
振り返った顔には柔らかい笑顔が浮かべられていた。ただし、「作ったような」だが。
「改めてはじめましてですね、ユリフィアス・ハーシュエス。先だってはありがとうございました」
「いえ。近衛魔法士団の末席に名を連ねているようなものなので、これもまた役目です。お気になさらず……じゃないな」
フレイアの言うとおりだな。腹の探り合いみたいなのは面倒だし、不誠実だ。ただでさえ不誠実を通しているのに。
ずっと覚悟だけはしてきたのだから、いまさら自分の中のそれを自分で揺さぶったり封じ込めるわけには行かない。
「久しぶりだな、ララ。再会の機会を待たせて悪かった」
聖女ソーマはオレの言葉にピクリと肩を震わせ、顔を伏せる。そのままゆっくりと足を踏み出し、こちらへと歩み寄って来て、
「ええ。お久しぶりですね、九羽鳥悠理ッ!」
ビンタ。
その三文字ならまだ可愛い表現だろう。
身体強化、聖魔法、魔力放出と、相手があらゆるダメージアップ要因を限界まで乗せていることを無視し。その上、こちらは防壁も魔力強化も完全に解除して、ガードすら一切行っていないしする気もないという事実も無視すれば。
「ぐがッ……!」
盛大に血の味がする。肩から先のスナップだけで済ませてくれたのは御の字。体重が乗っていたら首が千切れていただろうな、これは。
さらに、床を転がったことで全身にも打撲ダメージが入る。身体がバラバラになりそうな感覚は最初に死にかけた時すら思い出させてくれる。
嫌な思い出との重ね合わせだが、笑ってしまう。が、息を吐くのすら辛くて笑うことはできなかった。
まさか転生して最初の大怪我が聖女様のビンタとは。これはこれで乙なものじゃないだろうか。
「なっ!? なんで防御しないんですか貴方はっ!?」
驚いて駆け寄ってきたララは、完全な想定外だという顔をしている。逆の立場ならオレもそんな顔をしただろうな。
「ああ、もう、こっちは防御してるつもりで。自分でやったこととは言え、こんなの」
無詠唱での回復。それだけで痛みが急速に引いていく。
「命の恩人への不義理としてはこんなの安い方ですらないと思うけどな」
「だからって、死んでも構わないというのは違うでしょう!」
「ははっ。殺す気だったのか?」
さすがは聖女。もう笑ってもどこも痛くもない。当然だ。これより酷い身体損傷すら跡形も無く治してもらったのだから。
「そんな変な趣味はありません」
「でも、ちょっとは楽になっただろ。心配したとおり魔力が濁ってたしな」
「もう。本当に敵いませんね、悠理には」
ああ、やっと本気で笑ってくれたか。
こっちもちょっとは気が楽になったよ。
/
多くの人間は、聖女は肩書でソーマが名前だと思っている。オレだって最初はそう思っていた。
だがそれは間違いだ。ソーマは個人識別の記号のようなものであって、そこに名前としての意図はない。
ララ・フリュエット。それが呼ばれることのなくなってしまった彼女の名前。“翼”のメンバーと、今は会えない彼女の両親くらいしか知らないだろう、彼女の根幹だ。
「そうか。みんな元気か」
「ええ。そちらもなかなか忙しない今生を送っているようですね」
最前列の椅子で近況を報告し合い、一息つく。
自分が柱だったと言うつもりはないが、“翼”が集団として離散してないのはそれだけで安堵の要素だな。
「皆会いたい気持ちはあるようですけどね。レヴからは特に羨ましがられましたが、魔力の抑制がまだまだで迂闊に姿を現すと天災を引き起こしかねませんから。ネレは刀の出来にまだ納得がいかないので、それが打ち上がれば自分で渡しに行くかもしれないとのことです。リーズだけは別で、あなたに合わせる顔がないと引きこもっていますね。理由は話してくれませんが」
それぞれ問題は無くならないな。
各々が持つ事情というのがそう簡単に解決しないのは当然といえば当然だが。
「って、一人足りなくないか? エルは?」
「それだけは言わなくてもわかると思いましたが……」
ララは、微笑を浮かべながら遠い目をした。
ああ。いつもの奴ね。出会ったときからのお約束。
一般的には、「迷子」と呼ぶ。遭難認定されないのが奇跡的なレベルの。
「難儀だなエルも。その辺はリーズの技術でもどうにもできなかったか」
「ユーリの発案したナビゲーションコンパスは日の目を見たんですけどね。それとこれとは別のようです」
「なるほど、リーズの技術の上を行ったか……」
まあ、前の世界でも地図とコンパスを持っていようがナビが優秀だろうが迷子って概念はなくならなかったものな。
こうなるとそれもレヴとは違った天災の類なのかもなあ。出会ったシチュエーションもだが、精霊はそこをカバーしてくれたりはしないんだろうか。
「通信具の方は無くしていないので、居場所自体はわかるはずだったんですが……」
「……わからなかったんだな」
うん。これも、伝える側に伝えられる能力がないとな。
もっとも、この世界にはランドマークになるような建物は少ないし、町を抜ければずっと森のようなところも多い。人里の近辺にいなければ自分の居場所を把握するのは難しいかもしれない。測距された詳細な地図だってないし。
「と言っても動きやすいのはエルだものな。旅好きでもあるし。ただ、エルもエルで目立つんだよなあ。わかりやすくどこかの街にいることがいいことなのかと言うと、そうでもないのがなんとも」
「その辺りはリーズの変装魔道具がありますからどうとでもなりますね」
「へえ、それもできたのか」
オレはオレで魔法の実用化が進んでいるが、道具の方も実用化がだいぶ進んでるんだな。いや、刀ができていることがその証拠か。
「本当はもっと色々持って来られたら良かったんですけどね。さすがに風牙だけで精一杯でした」
「フウガ? ああ、刀の銘か。そう言えばあれでもまだ未完成だって?」
「ええ。製法はほぼ確定したようですが、合金の方はまだ試行の余地があると」
マジか。どこまでのめり込むんだネレ。アレ以上を打ってオレに何をしろと。星でも斬れっていうのか。
「こう言うのも何だが、ネレとリーズでだいぶ自己意識に差が出てるな」
「そこは本当にどうにかしたいですね。才能で言えば誰もリーズには敵わないと思うんですが、どうしてあんなに自己評価が低いのか」
バックグラウンドで言えばリーズが一番複雑だ。だからって不幸でいなければならないなんてことはありえないんだが。
しかし、流石に魔女狩りほど酷くはないとは言え、世間一般の邪魔法へのイメージってなんで良くないんだろうな。そもそも人を害せるという意味ではどの属性も同じはずなのに。
「悠理の要求も、多くはリーズ自身の邪魔法に対する忌避感を取り除く為だったはずなのに。上手くいかないものですね」
「それにリーズ自身が気付いてないわけないんだけどな。いや、アレか。恩着せがましいか?」
「……いえ、それはないと思います」
そうか。じゃあやっぱり何かオレに対して思うところがあるってわけだ。それをずっと抱え続けていると。
ならやっぱり、時間をかけすぎたのか。
「再会まで長すぎた、か。ララは大人になってるし」
「十三年ですからね。いえ、こうして並ぶと育ちすぎた気がして複雑ですが」
そこを聞くと、な。
オレだって十二年遊んでいたわけじゃないんだが、果たしてその研鑽は足りていて、時間と距離をかけただけの意味があったのだろうかと不安になる。
「……十三年、ですね」
「改めて言われると本当に不義理だよなあ。連絡を取る手段なんてあってないようなものだからどうにもならないんだが、そこをまず第一に考えるべきだったな」
「ええ。そもそも今回もイレギュラーなものでしたからね。ところで、本来ならどの程度後だったのかというのは個人的にも気になりますね」
「……悪い。正直考えてなかった。一端の魔法使いになってからとは考えていたが」
「……貴方にとっての一端の魔法使いの基準がどんなものなのか、それも気になって仕方ないですね」
どうだろう。少なくともまだ半人前といったところだろうか。
いや、そもそも何か基準を決めていたわけでもないな。学院を卒業したらか?
「それでも、私が最初に逢うことになったのは運命を感じてしまいますね」
「たしかに運命じみてるかもな」
回復魔法を使うことになった辺りも共通項だな。
ララは深く息を吐き、ステンドグラスから差し込む光を見つめる。それだけで聖女たるようにオレには思える。
「悠理。手を握ってもいいですか?」
「手? 別に構わないが」
了承したとおり、手を握られる。転生前はこのサイズ感は反対だっただろうが、逆になるとそれはそれで不思議な感じがする。
しばらくそのままでいたが、不意にララは大きくため息を吐いて手を離した。
「なんとなくですが、リーズが言っていた意味はわかった気がします。彼女の本来の得手は呪いでしたからね。ユーリも本当のところはわかっているのでは?」
「さて、ね」
当然、思い当たることは無くはない。それでもそれが不利益なのかというと、むしろプラスに働いたような気がするので責める気はない。
問題があるとすれば、取り除くことができるのかってことだろうなあ。解呪を使うと転生術式すらキャンセルされるんじゃないかって不安はあるし。
そこも含めてというか、そこの解消ができないから合わせる顔がないのであれば困るが。目処が立たないならまだしも。
「さて、そろそろこの時間も終わりですかね。とりあえず伝言を聞いておきましょうか」
「なにか伝えること前提なんだな。いや、当然か」
と言ってもな。頑張ってるのはわかってるんだから何を言えばいいのか。
「みんな元気で何よりってのと、待たせてすまないってところか。積もる話は会うか揃った時でないとな」
「そうですね。面と向かい合わないと出てこないものもあるでしょうし」
「ララの話である程度は想像できたからな。当面王都から拠点は動かさないとは思うし、手紙でも書いてくれれば色々伝わるだろ」
「……折り紙でやり取りしていた頃が懐かしいですね」
そんなこともしてたな。それ以外に方法がなかったからだが。
通信用の魔道具を送ってもらうのは、色々懸念もあるから難しいか。
「あとはこんなことばかりで申し訳ないが、オーダーだな。ネレには炎魔法に耐えられる剣。それとリーズに若返りの魔法がないかどうか」
「……若返り? 剣のことと言い、もしかして両方とも外にいる女性の為ですか? あの場でも共闘していましたけど」
「直接面識は初めてか。彼女がフレイア・ワーラックス、炎皇だよ」
フレイアについては元々“翼”に勧誘しようとは思ってたんだが、目的があるみたいで止めたんだよな。話くらいはしてもよかったかもしれないし、今なら別に構わないだろう。剣を渡す時についでにするか。
「魔質進化をした頃から魔法剣が使えなくて悩んでたし、魔力増強をするなら成長期を利用するのが一番だからな。肉体年齢を戻す魔法があるなら好都合だろう」
「えっ? 何言ってるんですか貴方」
はい? なんか変なことを言ったかオレ?
昔、フレイアが剣を融かしてボロ泣きしていたし、今は魔力のことで悩んでいるらしいのは厳然たる事実だぞ。前者は名誉のために口にはしないが。
「ああ、もう、そうでした。まったく。リーズとは戦争をすればいいのか握手をすればいいのか。ともかく、若返りの魔法については聞いておきます。絶対に。なにがなんでも」
「お? ああ、頼む」
気合が入ってるな。いや、私怨か?
ともかく、フレイアの願いはこれで叶えられるかな。
「会えてよかったよ、ララ。聖魔法が使えなくなったらどうしようかと思っていたからな」
「その時は責任をとってくれるんでしょう?」
「そうだな」
冗談のつもりで言ったんだろうが、一応それくらいは考えてるけどな。
まあ、それも含めて護るって約束だろうし。
と思ったのだが、隣からお湯が沸くような音が聞こえた気がした。
「……絶! 対! に! これは問題です! どうかしています! なんとかしないと……!」
「駄目だったのか?」
「駄目じゃないから困っているんです! って、独り言に反応されるとこちらもッ!」
ララは、頭を抱えたり青くなったり赤くなったり目まぐるしく表情を変えている。
「……一気に限界を超えました。少し頭を冷やしていくので先に帰ってください」
「そうか? じゃあそうするよ」
頭を冷やす要因が何かはわかりかねるが、言われたとおりにしておくのがいいんだろうなここは。
っと、忘れるところだった。
「またな、ララ」
「……ええ、そうですね。また会いましょう、悠理」
お互いに振り返らなかったので、相手の表情はわからない。それでも今回はこれで良かったはずだ。
だいぶ前から防壁はなくなっていたので、普通に外に出る。
陽光に一瞬目が眩み、
「……で、何をやってんだ」
思わず体面を取り繕うのを忘れた。
いや、目の前で風牙の柄と鞘を思いっ切り引っ張って抜こうとしているフレイアを見たら誰でもこうなるはずだが。
「ぬぎぎぎぎ! コレ、全然抜ける気配がないんだけど!?」
しかも、女性がしちゃいけない顔になってるぞ。聖騎士二人もドン引きしてるし。いつからやってたんだこのコント。
「……あの。何がどうなってこうなったんですか?」
「いや、まあ、お互い煽りあったのが悪いんだろうが……」
「正直、職務抜きだと美人だと思ってはいたんだが。これは無いな……」
どうやら、教会の外でも誰にも想像し得ない別の攻防が繰り広げられていたらしい。
とりあえず。色々と壊すなよ、フレイア。