第七十七章 未完成で未到達で尊いもの
クースルー家のある街の名前は“リバーエンド”と言うらしい。「海に近いのだから川の終わりだ」というのはたしかにそのとおり。
ただ、空から見ただけでも海までは結構な距離があった。地球の常識で言えば汽水域に住む魚もいれば遡上してくる魚もいたから、海棲魔物の到達限界がその辺ってことなのだろうか。
海岸線に近いどころか場所によってはその上まで人家が並んでいた日本人としては切なさに似たものを感じもするな。と言っても、ホオジロザメが常に襲ってくるような状況とかだったら住む気にはならないか。この世界だとダイオウイカとかシャチとかカジキマグロが魔物化したのとかも襲ってくるのかな。シロナガスクジラの魔物とかも。だとしたらシャレにならないのは想像に容易い。
「また益体もないことを考えていませんか、悠理?」
「海の魔物ってどんなだろうなってのがそうなら、そうだな」
「え、戦うの?」
フレイアが驚いたような目で見てくるが、苦笑するしかない。オレはそんな戦闘狂じゃないぞ。
でも。
「素材……場合によっては……戦闘も必要になります……よね」
「そうですね。どんな生き物や魔物がいるんでしょうか?」
リーズの言うとおり、魔物素材は倒して得るしかない。
クジラの肉や油が資源として常用されていた時代もあったし、サンゴが普遍的に宝飾品だった時代もあったはず。海底油田はまだちょっと使い道がないけど、斯様に海は資源の宝庫だ。
それにしても、リーズよりもレアのほうが乗り気に見えるのはなんでだろう?
「お姉様の期待にも応えなければ!」
「レインのってことは、食べ物?」
両拳を握りしめて目を輝かせるレアにレヴが首を傾げたけど、そういうことね。
海産物か。そっちも重要だな、元日本人にとっては。
「……いやーしかし、やっぱり人目は避けられませんなあ」
そんな流れとは反対側で、セラがポツリとつぶやく。
「さすがにこれだけの人数で行動してる人はいないもんね」
「わたくしたちが水精霊の祝福として行動していたころでも目立っていましたものね」
「夏季休暇のときも……ってあのときはステルラからシムラクルムまでは徒歩でしたね。魔力探知を覚えるのに精一杯で周りを気にしていられませんでしたけど」
「それで言うと。スタンピードのときくらい?」
レイドって言うんだっけ。いくつかのパーティーやソロ冒険者が集まって緊急クエストに当たることはある。ヴェノム・サーペントも本来そうなるはずだっただろうな。三人一パーティーと一人でやっちゃったけど。
比して今回、世はすべて事も無し。その状況で十四人は多くて目立つ。のに、何よりその中に野郎一人はな。物珍しいより戸惑いみたいな視線も多い気がする。
うん。不審者を見るような目も結構あるよ。殺意もあるよ。ある意味間違ってないだけになんとも。
「女の子が旅してるだけでも目立つもんだよ。それが一人でもね」
「エルさんは段違いなんだろうけど、私も経験あるなぁ。この人数なら変なのは寄りついてこないからいいんじゃない?」
「ユーリさんには荷物でも持たせてあげたほうが逆に目立たなかったかもしれませんね。十人以上分なら見方も変わるでしょうし」
「ソレはソレで役得に見えたりしそうですけどネー」
そう見える人は特殊だと思うんですが。
別にやぶさかでもないけどね。今回もいくらかやってるし。
/
「それでは。行ってきます」
「がんばってね、ユーくん……でいいのかな?」
「ティアさんしっかり頼みますよー」
「いってらっしゃーい。あ、もしかしたら顔を出すかもってアーチェリアたちに言っといて」
もろもろのエールを受けつつティアと二人送り出されて、道を歩く。エスコートできればいいんだけど、残念ながらルートを知らないので無理だ。
他の面々はそれぞれ市場巡りや観光、ギルドに顔を出したりクエストをやってみたり周辺調査をしたりと自由に過ごすらしい。まとまっての行動は明日以降になる。エルも今日は可能な限り遠慮しておくということだった。
手持ち無沙汰になると、前言われたとおりクースルー家のことをなにも知らないことを思い出す。
「ティアのお父さんとお母さんってなにで生計立ててるんだ?」
「花屋」
非常に端的な答えだった。
「それと。お父さんの失せ物探し」
そして謎の付け加えだった。
花屋と失せ物探し。思い描ける仕事と思い描くのにちょっと苦労する仕事だ。
「なんか脈絡が無いような」
「お父さんは精霊魔法は使えない。でも話はできる。だからいろいろ聞ける。自然のことも。それとは特に関係ないことも」
「なるほど、そういう」
どこにでもいる精霊ならいろんなことを知っている。言ったとおりの失せ物……すなわち、忘れ物の置き場所とか。もしくは人の居場所とか。
精霊にも少なからず個性はあるので聞いたことをなんでも答えてくれるとは限らないし、関係が遠くなるほどそれは顕著になるとエルとレヴが言っていた。ということは、ティアのお父さんは多くの精霊と良好な関係を築いてるってことだ。
「着いた。そこ」
などと考えを巡らせ始めた矢先に目的地に到着。
ひと目見て花屋とわかるのは当然として。軒先の手入れも行き届いていて、花も活力に満ちている。精霊の力もあるのかな。
って。
「あら、ティアリス」
軒先にエルフの店員さんがいますけど?
「エルフィヴェルさん。ただいま」
「はいおかえりなさい。アーチェリアさーん、チェルシーさーん」
めちゃくちゃ自然体だな。わざわざ指摘したり慌てたりするのがマナー違反というか紳士的ではないというか、いいことではないのはそうなんだけども。ちょっと焦ってしまった。
そのエルフィヴェルさんは、特にこっちを気にすることなく店の中へ入っていく。
「早い話が。お父さんの従姉」
「なるほどつまり」
「ストップ。ワタシとの続柄を言ってはいけない」
なるほど。
「例によって名前がエルフだってのは」
「そっちはたぶん問題ない」
なるほど。
とまあ、若干の注意事項を踏まえて店内へ。エルフィヴェルさんが奥を指し示したのでそっちに向かうと、男女のペアが。
「おかえりティアリス。今回は早かった、かな?」
一人は、やや線の細いというか儚げな雰囲気を持つ男性。
魔力探知があるからハーフエルフでティアのお父さんだってわかるけど、ティアの兄弟とか言っても通りそうな感じ。外見だけなら今のオレと変わらないくらいに見える。
「ええと? どちら様?」
もう一人は母さんと同年代くらいか? こう言うとあれだけど、容姿は別としてまとう雰囲気はティアとはあまり似ていない。系統としてはセラとかミアかな。
「お父さん。お母さん。これが前話したユリフィアス・ハーシュエス」
これて。
まあ、かしこまって紹介されるような素性でもないし、こういうほうがティアらしい。ので、何も言わずに腰から頭を下げる。
「はじめまして。ご紹介にあずかりましたとおり、ユリフィアス・ハーシュエスと申します」
「ティアリスから話は聞いているよ。娘がお世話になったようで」
「いろいろありがとうございます」
「いえこちらこそ。お嬢様には姉が大変お世話になりまして」
互いに頭を下げ合う。
ひとしきりペコペコしたあとにお土産を出し、お父さんの名前がアーチェリアでお母さんの名前がチェルシーだと知り。着座を促されてお茶を淹れていただき。
とまあここまでは穏やかな流れだったのだが。
「あれからいろいろあって。お付き合いすることになった」
「は?」
「あら」
「うぐ」
いきなりぶち込みますね。おかげでアーチェリアさんは口と目を大きく開けて固まり、チェルシーさんは無表情になって固まった。オレも吹きそうになったので気持ちはよくわかる。
ふ、と。アーチェリアさんはティアの側の空間を見る。
「うん……だからって」
ウンディーネか。
「それはもっと長い時間をかけないとわからないよ」
「……『一応これでも。ティアが好きだと認めはした人ですから』と『まともとは言えないですけれど。悪人ではないですわ。甲斐性もあります』って」
聞こえなかった言葉はティアが教えてくれる。オレだけじゃなくてチェルシーさんにも聞こえないからな。
言ってること自体はギリギリの悪口なのかフォローなのかってところだけどもね。たぶん間違ってはいない。
「甲斐性は大事よ?」
「ですけども」
どこかシリアスにチェルシーさんに言われ、思わず苦笑しそうになる。これまたオレの評より事実だから笑えないなあ。
言わないけど、甲斐性については自己判断できかねる。冒険者が甲斐性を持ち続けられる身分なのかってのもあるし。
「…………はぁ」
深くため気を吐いて、アーチェリアさんはちらりとオレを見てから視線を移した。チェルシーさんもだ。
「そりゃ、話を聞いてはいたから悪い人だとは思ってなかったけどさ。ティアリスは……それでいいのかい?」
「後悔はない?」
二人の目は娘に向いている。懐疑と守護。親として当たり前の心配だ。たぶんオレが親でも同じ心境になるだろう。
その目を向けられたティアは、隣りにいるオレを見る。
「正直に言っていいよ」
「やっぱり。ユリフィアスならそう言うと思った」
飾らなかった答えに返るのは、薄いけれどたしかな笑顔。
「正直なところなら。わからない。というか。たぶん後悔はすると思う。でもそれは。ユリフィアスを好きなのかもしれないと思ったことではないと思う」
それでもどこか手探りしている答えだったのは、言葉のとおりなのだろう。
オレだってティアを含めてみんなのことが好きだ。それでも、とかく恋愛について把握して、確実にそうだって言えない。不誠実だとしてもやっぱりそこはごまかしたり嘘ついちゃいけないと思う。
まあ、ユメに言ったとおり頭だけで考えるものでもないし、勢い任せで後悔することもあるのかもしれない。そのときは背を向けられたとしてもちゃんと手を掴むつもりではいる。掴み返してくれると信じて。
……払い除けられたら泣きそうだな。恥ずかしながらではなくも泣いた前例もあるし。
「ところでティア。ユリフィアスさん」
とかの逡巡を読み取ったのか。チェルシーさんがじっとオレたちを見てくる。
これは、なにか重要な質問が来るな。喉を湿らせておこう。
一息に話したからか同じようにしていたティアはすでにカップを置いていて、
「ん。なに?」
「はい」
オレはそれに一瞬遅れて答えたのだが、
「ちゅーはもうしたの?」
「「ブフーッ!?」」
「ブーッ!?」
大仰な前置きからの間を置かずの子供みたいな言い回しながら容赦のない質問にティアと二人で喉を通り過ぎた茶を吹き出す。一拍遅れてアーチェリアさんも。
三人咳き込んだけど、回復は向かいの人が早かった。
「……『しましたわ』だってさ」
隠す気はなかったけど、ウンディーネに暴露させたみたいになったからかアーチェリアさんには厳しい目を向けられる。
対してチェルシーさんはと言うと……なんだろうな。「ニヨニヨ」とか擬音にするのが正しそうな顔を。
「……お母さん。なに?」
「ティアがちゃんと本気なんだなあって。よかったわねえ」
「……ほんき? ほ? ち。ちがう。ただのかくにんとよやくだった」
「女の子にとってはじめてのちゅーを予約には使えないし確認にも使わないわよー?」
チェルシーさんはからかいの顔を全面に押し出しているが、言葉のトーンはこれ以上なく優しい。
「だって。きょうみはあったし。きすってどんなものか」
「待って。キス? もしかして唇にしたの?」
「うん」
「へーそうなの」
お父さんは目を白黒させているが、聞かれた娘さんは余裕が無いのか特に隠すことなくうなずいた。お母さんはさらに興味深そうな顔を。
「唇……べ、別に、頬とかおでことかでも良かったんじゃないのかなぁ? ていうか予約ってなに?」
アーチェリアさんがティアとオレを交互に見る。片や呆れ、片やいろいろないまぜになったもの。
いや、たしかにオレもそう思ったよ。「前置きなく唇なんだなあ」って。それ言うとセラにもだけど。
「そのはっそうは。なかった」
驚いた顔を見るに、ほんとにその選択肢はなかったのだろう。
とはいえ、エルからレアまで続けてやるのを目の前で見たわけだし。その絵で固定されても仕方ないのかもしれないな。
ティアはしばらくぼんやりと中空を眺めて、
「うん。今思うと。いろんな意味で無い。あ。他の場所にってこと」
しっかりとした表情で言った。
意外と言えば意外かもしれない。
「なにを不思議そうな顔を。優劣を付ける気はないってユリフィアスは言った。だからそこでワタシが引くのはおかしい」
ああ。
そうだな。それ自体が明確に優劣になるのかはともかく、心がそう感じるのであれば従うべきだろう。
「それに。嫌でもなかったし。これまで寄ってきた変なのとすること想像させられたことあるけど。それと比べるまでもない。うん。後悔はない。普通の人と比べても」
あー、パーティ勧誘だのなんだのあったって言ってたもんなあ。ユメも無礼千万なこと言われたって言ってたし姉さんもそれ系統のことは言ってたし。
しかし暑いなあ、この部屋。魔法で冷やしたほうがいいかな。暑い暑い。
でも。なんか寒いところもあったりする。
「……ねえティアリス? ちょっと待ってくれるかな? 優劣ってなに?」
「……言われてみるとそうよね? なにが勝って何が劣るの?」
「…………場所じゃないよね? つまりさ?」
「…………他にも唇にしてる、ということかしら? それってそういうことよね?」
ギチギチ、と。アーチェリアさんの関節という関節が回らない方向に回ったような気がした。いつの間にやらチェルシーさんのも。
「それは。ユリフィアスには。ワタシを含めて嫁が十三人と一柱いるから」
ビキィ、と。音がした。
その空気の悲鳴は、オレが風魔法使いだから聞こえたってわけではないと思う。
「なニがナんデ!?」
顔を伏せ、ダン! と両拳で机を叩いてアーチェリアさんはイントネーションをぶっ壊して絶叫した。みごとに感情が大爆発しておられる。
罪悪感は多大にあるが、正直なところこれが正しい反応だと思う。いや、一番最初の父さんと母さんの反応からですね。あとヴァリーも。いや、あやつはこっち側の先達でもあるけど……なぜか「絶対違う」という声が聞こえた気がしたがこの場にいるわけないしそういえば通信用魔道具も渡してないんんだから空耳だな。
もう一方のチェルシーさんはと言うと、半目になってじっとオレを見てくる。ともすれば敵意に感じるけど、値踏みだろう。甘んじて受ける。
「ユリフィアス君? どういうことかな?」
「それはさすがにわたしも擁護できないわね?」
「ええとですね」
「ふむ。それにはまず。ユリフィアスが実はおじさんだということから始めなければいけない」
え。あの?
説明責任のあるはずのオレに主導権が一切ないのですが。オレのこの開きかけた口どうすんの?
/
転移。前世の知り合い。転生。今生のこと。そのほぼすべてはティアが話し、オレは補足と訂正に終始した。
はじめは微妙ですらない疑いの表情をしていたアーチェリアさんとチェルシーさんだったが、これが良くできた話“ではない”と思い始めたのだろう。結構早い段階から真面目な顔で聞いてくれていた。
「そして今ワタシたちがとりあえずここにいる。こんなところ」
「「…………」」
ふう、と息を吐き出してやり終えた感を出す娘に対して、ご両親は動揺を隠せていないというか、よく抑えられているというか。
でもな。ティアの説明にオレだって動揺してないわけじゃない。
「そうだよな……三〇はオッサンだよな……」
「……ダメージ受けるところ。そこ?」
いや、そこにダメージを受けたからこそ自発的に説明できなかったの。ぼんやりと考えてやんわりと否定してたことを容赦なく急所からやられた感じなの。
ただ、ダメージ受けてるのはオレだけじゃないようで。最終的なトドメをかましたのはオレっぽいけど。
「……いや、ユリフィアス君。その感覚はよくわかるよ。とりあえずそこはそういうものだから……宿命だよ」
そうは見えないけど……あるいはそう見えないからこそアーチェリアさんも経験あるのかな。オレはギリギリそう呼ばれるような年齢を回避しては来たけど、外見と中身で言えばさほど変わらないわけだし。
「まあ、君の……貴方のと言うべきかな。事情はよくわかったよ。はは」
苦笑い。
しかしすぐにそれも消え。
「でもそれとこれとは別だよね?」
「おっしゃるとおりではありますね」
渋い顔には苦笑いで返すしかない。ほんとそのとおり。
「それでも、誰かを幸せにできるなら諦める気はないです。そうできるかぎりは。それくらいの我と覚悟は持ってます」
時折言われる。「もう少し自分勝手でいいのではないか」と。オレがリーズに言うのと同じことだな。
滅私してるつもりはないし、自分で無茶苦茶言ってるとは思うさ。それでも選ぶのと選ばないののどちらが不誠実かといえば選ぶことのほうが不誠実だと思ってしまう。そのあたりはそれぞれの社会通念の差も無視できないにしても、九羽鳥悠理とユリフィアス・ハーシュエスの明確な違いだな。
「はあ。覚悟があるならなんとも言えない……いやそういうわけでもないけどさ。特殊や特異とはいえ異常とも言い切れないし、なんだかんだ充実はしてるみたいだものなあ。よかったようなよくないような」
ちらりとアーチェリアさんの目がティアの横の方に向く。
ウンディーネがなんと答えたのかはわからないが、肯定ではあったのだと思う。多少は納得した表情をしてはくれた。諦めたとも言えるのかもしれないが。
「それにねえ。どことなくユリフィアスさんもアーチェとよく似てるし。ということはティアもわたしの娘らしく本気ってことよね」
チェルシーさんの方はと言うと、最初から反対はしてなかったように思う。不思議なことに。
「……僕と? どのあたりが?」
「押さないと落ちなさそうなところ」
それはまた。って、オレもそんな性格か?
そりゃ恋愛関係は疎いし弱いし鈍いけど、というのはつまり「押さないと落ちない」のか。
「たしかに。もちろんいろいろ事情はあったけど。そこは同じかも。みんな不満はあったって」
「押して簡単に落ちられても困るけれどねぇ。苦労したわ、アーチェには」
「ふむ。具体的には?」
「まず近づくところから大変だったのよ」
母と娘はなにやら盛り上がり始める。出会ったころのこととか、なかなか振り向いてくれなかったとか、好き好き言っても信じてもらえなかったとか。いろいろ。
その話を横に赤くなって丸まっていくアーチェリアさんはとんでもなく幼く見えたけど、
「愛されてるって、いいですね」
素直にそう思った。
「そうだね。僕もそう思うよ」
苦笑だったけど、アーチェリアさんも幸せそうだった。
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アカネさんのところはみんなが泊まれるくらい広かったけど。うちはそこまででもない。あのときより人数は増えてるけどね。
というわけで。ワタシだけ実家でお父さんとお母さんと。ユリフィアスは宿に行ってしまった。
「少し残念?」
「うん……って。別に」
どうせ今日はワタシの番じゃないし。それなら距離がちょっと遠いくらいで。
『一昨日。ティアの番でしたものね。今日一緒にいても特には。というところでしょうか』
「一昨日がティアリスの番? なんの?」
「ああ、そういうこと。進んでるって言えばいいのかしら乱れてるって言えばいいのかしら」
ウンディーネの声が聞こえなくても。具体的なことがわからなくても。お母さんはそれで察したらしい。さすが恋愛強者。
というか。ユリフィアスも言っていたけど。メーレリアさんとお母さんはよく似ている。きっと話も弾む。ベニヒさんやティリーナ様も混ざれそうかも。
『となると。ユリフィアスの傾向として今日はおそらく三人部屋を使うでしょうから。アカネさんとエルフェヴィア姉様でしょうかね』
「アカネさんと……エルフェヴィアさん……? ああ、そういうことかっ!?」
お父さんもようやく追いついたらしい。この辺はお母さんが苦労したっていう話もよくわかる。
どちらについても。わかることがいいことなのかはわからないけれど。
「ああ、うう、それって大丈夫なのいろいろと。いや、ユリフィアス君はああ見えてお……ちゃんとした大人だから? でも、だからこそっていうか」
「アーチェの不安はわかるけど、せっかく好き同士なんだからそれくらいは……ねえ?」
「……正直。同意を求められても。少し困るかもしれない」
『ですわね』
好き同士がやることっていうのは。わからないわけじゃない。でも。今やってるのは家の中で夜営してるのと変わらないっていうか。いくらか義務的な部分はある。
そういうとき。お互いの関係性について不安にならないといえば嘘になる。進んでいいのか。進めばいいのか。引くべきなのか。
「もしそうでも嫌いにはならないと思う。でも。お父さんが思うようなそういう展望は今は特にない」
「そ、そそそういう展望? ななななんのことかなぁ?」
「く、ふふ、アーチェらしい」
レインノーティアさんから聞いた。こういうのを『むっつり』というらしい。ユリフィアスもそっち系統だって。
焦るお父さんとは逆に? お母さんはお腹を抱えそうな感じで笑ってた。
「あー笑っちゃった。ま、好きっていうのも少しずつ変わっていくものだから、それはそのときよね」
『ティアもそのあたりは。精神的に成長したばかりですものね』
うん。そこは否定しない。
ユリフィアスも言ってるけど。ワタシも恋のなんたるかなんてわからない。だからまだカタチもわからないけど。だからこそ尊いものだっていうことはわかる。生まれたものや持ち続けてたもの。それぞれみんなの恋や愛が。




