第七十章 ララの日
「どこにもでかけませんよ」
朝。二人きりになった瞬間にララはそう言った、というより言い放った。
てっきり、やりたいことも行きたいところも山ほどあるんだと思ってたんだけどな。レヴとフレイアとはリーフェットに行ったから、最低限そのくらいは。
代わりと言っちゃなんだけど、ソファーに隣り合って座った状態で、抱きつくでもなくオレの左腕にぺったり張り付いていますけども。
「デートとかしなくていいのか?」
「これまでずっと離れ離れで、会うことも邪魔されて……ああいえ今ここにいる人たちのことではないですよ? 一日くらい付かず離れず誰にも邪魔されずに過ごすのはいけませんか?」
「いけなくないです」
丁寧な言葉遣いになったのは気圧されたわけではない。切実さが伝わってきたからだ。と、思う。
まあ、言ってることも事実だからな。否定こそしたものの仲間がいるから二人きりになれないというのもまた事実ではあるし。
「……本当は、料理の一つでもできたら擬似的にでも夫婦がやれたんですけどね」
ララはそう言うと心底残念そうな顔をする。
料理ができるできないの話でキレてた人も結構いたように思うけど、女子力って言われる要素の一つではあったからな。
「それにリーズからも話を聞きましたけど、やっぱり料理はできたほうがいいですよね。というかレアさんとセラさんから聞きましたけど、悠理は料理できたんですね」
「キャンプ飯だけどな。出来合いのものを使っただけで大部分はレインさんの力だよ」
いや、オレの感覚だとカレーやシチューにルー使っても料理判定だし、あれは料理でいいのか? レインさんのを見て完全に感覚が狂ったな。転移前はどの程度の料理まで作れたっけ。
「まあ、もともと男女平等の社会通念だったし別に女性が料理しなきゃいけないって感覚はないけどさ。それでも憧れはあるし、『父親の味』っていう概念が特殊な方なのは変わらなかったからなぁ」
家族構成だけで言えばレアのところみたいな。そっちは生活様式だとレインさんが特殊な方になるみたいだけども、技術としてはできたら恥ずかしい類のものではないよな。
「完全な感覚の話でしかないのかもしれないけど、教会とか修道院って生活全般は神父やシスターが自助でやってるもんじゃないのか?」
「多くはそうでしたけど、各国の主要教会に限ればそうではなかったですね。特に聖都教会総本部は聖侍女たちがすべてを取り仕切ってくれていて……というのは悠理も知っていますか」
お世話になったからな。
それでも多少のことくらいは分担がありそうなものだが、そんなことより聖女になる修行をしろってことなのかな。そっちがメインだろうし。
「素養のことを考えると奉仕作業は有用なのにな」
「ええ。けれどそれも魔力探知によるものもありますからね」
「だけどこう、連綿と受け継がれた歴史による検証の結果とか……歴史があるからこそ難しいのもあるのか」
歴史を積み重ねて文化を固めた結果、なにかを変えてなにかが変わるのを拒む。それもよくある話だ。
でも、魔法と感情が密接に関係してるってのも結構知られたことなのに。汚れのない心が聖属性の力を高めると思われているのだろうか。「汚れを知らない」っていうのもいろいろあるとは思うけど、代々失敗してるのはどうなのやら。そこは高度な政治的要素があるんだろうなあ。
あとは、危険と紙一重でもあるのかな。みんながみんな真っ当な被奉仕者でもないし、基本的に自衛できない聖属性魔法使いはその辺致命的だ。
「って、こういう話は今度でいいんですよ。リーズやフレイアさんともしなければいけませんから」
「言いだしたのはララだけどな」
「話を逸らしたのは悠理ですよ」
そうだっけ。いやそうか。
無意識に逃げてるのかな、こうすること。この期に及んでそんな気はないんだけど。
レアには休みがあってもいいんじゃないかとは言ったけど、逆に変に冷静になったってことだろうか。正気じゃないのもいろいろ問題だとしても。
「それじゃとりあえずこうするか」
「っ、せめて前置きくらい……ふーん」
王都教会でもやったように手を握る。ただし、あのときは普通に手のひらを合わせただけだったけど、今回はちゃんと指を絡めて。
みたんだけど、なんとなく不満そうな顔をされた。
「なんだか手慣れてますね」
「言いたくはないけど最後番だからな。こういう系は一通りやったよ」
「はぁ……ですよね。聞きました。それにしてもクジ運の悪さを呪えばいいのか、申し訳なく思えばいいのか。いえ、最後なら逆に差がつかなくていいことでもありますか」
うん? 申し訳ないってなにに?
差?
「となるとあとは……いえそれは……私としては構わないんですけど……やりすぎるのは……」
なにやらブツブツ聞こえてくるけど、ララがなにを考えているかはわからない。声から考えられるのは、まだやってないことを考えてるってことくらいか。
寝るにはいくらなんでも早いから外して。観光はやった。戦いもした。デートもやった。風呂に入りもした。家族で過ごした。クエストも行った。
あとはほんとになにがあるかな。意識して意識から外してることも除いて。
いや、意識から外さなくていいのかな。それこそなんかガキっぽい気がする。
「せっかくだしオレを押さえつけてみるか?」
「いえ、ですからそれはまだまだ先の……はいぃ!?」
ギュルン、と首が動いて目が合った。口もあんぐりと開いている。
「色欲封じがあったとは言え、転生も含めてある意味躱し続けてきた訳だろ? いい加減に覚悟を決めてもいいんじゃないかってさ」
「それは……たしかにそうなんですけど……」
歯切れが悪いのは戸惑いもあるからか。冗談だったのも。でも少しくらいは本音もあったよな。その辺がまぜこぜになってるのかな。
「勝手にやるのはバツが悪いか?」
「いえ、それは。なぜか満場一致で……ありがたくて申し訳ないことに、そういう行為のすべては私が最初だと。初めに出会ったのも私ですし、助けてきっかけを作ったのは私だからと。それに悠理だってすべて初めてだからだろうと」
ふむ。
「ですから、早く済ませてしまわないと皆さんに申し訳がなくて」
「うん。最初云々のやつ、後半は理解できたけど、前半の方は割と意図不明だったんだけど。どこからどこまで?」
「それを私の口から言わせますか!?」
いやそう言われても。
怒ってる……わけじゃないな。恥ずかしいのか。
ああ。いわゆる“付き合ってからじゃないとダメなやつ”から“結婚しないとダメなやつ”までか。結婚しないと駄目ならだいぶ先の話になるかから申請が通るかまでハードルはいろいろあるけどその辺は目をつむって。
となると最後のは余計なお世話、ではないけど当たっていることはちょっと大きな声では言い難い。そっちの理由もまた割愛。
「ともかく他の人も待たせてることもありますし、私としてもすぐにでもしたいことですから、願ったり叶ったりです。今ここでしましょう」
気勢は伝わってきた。言語化するまでもなく僅かな空回りも感じる。
「そういうの、ロマンチックなシチュエーションとか欲しいものじゃないのでしょうか女の子としては」
「これだけ待たされたのだから十分にロマンチックです」
そういうものですか。
うん。よく考えるとそうだな。体温上がってきたし。ララも同じみたいだし。
義務感で済ませるものじゃなくても、それだけじゃない。距離と時間が合わなくても、否、合わないからこそ残り続けるものだってある。
「……ロマンチックですか。そうですね、一つ忘れていました」
そう言って、ララは首からかけていたネックレスを外した。
「私だけ自分でつけることになってしまったので、悠理にやってもらわないといけませんよね」
「そういえばそうだな」
ネックレスを受け取り、髪を避けて首を抱くように手を伸ばして金具を留める。みんなにやってから思うのもなんだが、ほんとは後ろからやるのがベストなんだろうなこれ。ただ、それじゃ誰も喜びはしないのはわかる。
「これでいいか、ララ」
「はい。あ、いえ、待ってください。」
元に戻そうとした両手を掴まれて、握られた。再び恋人繋ぎで。向かい合わせだけど。
一回深呼吸したあと、ララはもう一度息を吸い込んで、
「私、ララ・フリュエットは九羽鳥悠理でありユーリ・クアドリでありユリフィアス・ハーシュエスであるあなたを生涯、いえ、たとえ転生できず生まれ変わってもあなたの元へたどり着いて何度でも愛することを誓います」
歌うように言葉を紡いだ。って。
へ。
なにいきなり。
「初めて出会って助けてもらったときからあなたのことが好きでした、悠理。思えば嫉妬や腹立ちばかり示して一度も愛をちゃんと伝えていませんでしたから」
ララは、満足そうに微笑みながら頬を赤くしている。
要因はわかる。これ以上なく暖かくて、それと同じくらい恥ずかしいセリフだったものな。
でもなにより心に沁みた。返せるものが自然に出てくるくらいに。間抜けな顔してただろうけど、心が引き締まった。だから迷わず言える。
「オレも愛しているよ、ララ・フリュエット。出来損ないの夢のように消えてしまうことを恐れ、転生してこの命を確かなものとして一緒にいたいと思うほど」
待たせたことは悪いと思うけど、という言葉は飲み込んだ。台無しだし、言わなくてもわかってくれると信じているし、それでも待っていてくれたと知っているから。
潤んでいた瞳が閉じられる。求められていることは経験ゼロでもわかる。
心臓が口から飛び出そうになった人の気持ちもわかった。でもそれ以上にその先に進みたいと思う気持ちや心に応えたいと思う気持ちがずっと強い。
ララと両手を繋いだまま、顔を近づける。
そうしてオレは。三度の長い人生で初めての、愛する人とのキスをした。
\
ああ。
やっとこの日が来て、ついにこのときに辿り着きました。
幾度も思い浮かべた光景。思い浮かべただけで叶わぬと思ってしまったこともある光景。思いの行き場が無くて泣いたこともありました。けれど今叶って、それは想像よりずっと素敵で。
胸の中から温かい光が広がっていく感覚。「もっと強くならないといけない」と決めて思い描いていたよりずっと強い光。
まだまだ私は自分の心に気づききっていなかったのですね。想像していたよりずっと、ララ・フリュエットは彼を愛している。九羽鳥悠理であってもユーリ・クアドリであってもユリフィアス・ハーシュエスであっても、魂と魂で繋がりあっていたいし、そういられるような。
もう一度。離れたくないので今は心の中でだけ。
あなたを愛しています、悠理。
/
一瞬が永遠に感じられたことは何度かある。
最初に死んだとき。
その直後、薄れゆく意識の中で初めてララの顔を見たとき。
エルと一緒に襲われて殴られたときと、その後光る湖を二人と四精霊で見たとき。
再起したネレの笑顔を見たときと、両親についての予測が当たったとき。
レヴの前に初めて立ったときと、スタンピードを一瞬で消し去る力を見せてもらったとき。
フレイアが置き去りにされたことを聞いたときと炎の力を目覚めさせたとき。
リーズとリーズの作った魔道具を初めて見たとき。
転生の瞬間。ユーリ・クアドリの終わりとユリフィアス・ハーシュエスの始まりのとき。
姉さんが魔法使いとしての力の片鱗を見せたとき。
魔法学院の入学試験でレアとセラに出会ったとき。
超音速貫通撃のために魔法展開したとき。
初めて風牙を手にして風閃を使ったとき。
その前後、成長したララを見たときとビンタでふっ飛ばされたときもか。
レアがティアさんと戦りあう中で魔力斬を使ったとき。
セラが熱の力に目覚めたとき。
アカネちゃんのことを思い出したとき。
ミアさんに噛みつかれて血を飲まれたとき。
レヴと再会したとき。
ユメさんがレヴの力を借りて領域回復を使ったとき。
ネレと再会したとき。
セラが皇城で啖呵を切ったとき。
レインさんの過去を知ったとき。
エルと再会したとき。
みんなに自分のことを明かしたとき。
エルブレイズ殿下と戦った二度両方。
リーズと再会したとき。
ララとレヴと一緒に、高空から世界とそれを染める夕焼けを見たとき。
ここで、オレが来るのを待っていてくれたララを見たとき。
思い返せばたくさんあった。けれどそのすべてが霞んでいく。どれも忘れちゃいけないことだとはわかっていながらも。
「ん……ふ、ん」
ずっとしていたいと思ったが、少しだけ苦しそうにララが顔を離した。時が止まってるように感じたなら、お互いに呼吸も止めてたかもな。
まだ近くにあるその顔は、恥ずかしそうでもあり嬉しそうでもあり、幼かった頃の面影もあり大人になったからの美しさや妖艶さもあり、といろいろ混ざっている。けれど、幸福であるというのは疑う気も起きなかった。
「何度でもしたいですけど……他のみなさんが済ませるまでは我慢しないと……」
自分の唇に指で触れながら、ララはそう呟いた。
律儀だな、ほんとに。感情と欲求のままに任せたらいろいろ崩れるのも事実ではあるんだろうけどさ。
各々順番に段階を済ませていたら、いつまでかかるのかな。十年先送りにしたオレが言えたことじゃない。小手先でどうにかしていいことじゃなくても、望みは早く叶えないと。
「それでもこれ以外であれば…………ああ、やってみたいことがありました」
「はいよ。なん、だ、って二回目はまだ先じゃないのか?」
肩に手をかけられ寄り添われる。そのまままた顔が近づけられ、
「ミアさんの話のとおりであれば、こうですよね」
寸前で逸れて、首筋に。そのまま噛みつかれる。さっき考えたなこれ。
最初は歯を突き立てようと試したらしいが、当然無理なのですぐに甘噛になる。かと思ったら、舐められて吸われて。
跡が残るんだよな、これ。通称キスマーク。正式にはたしか内出血。それだけじゃなくて歯型も残るか。
ミアさんのときとは違い、ちゅぷ、と耳に残るような音を立てて顔が離れた。さすがに唾液が糸を引いてるみたいなことはなかったのが良かったのか悪かったのか。いや悪くはないな。
「いいですね、こういうのも」
「そりゃな。ララのやったのは所有証明みたいな意図もある行為だし」
「……そうなんですか?」
あれ、知らなかったのか。それともこの世界には無い?
「こういうところに跡を残せる関係の相手がいるっていうことだろ? 普通は隠すし、隠してる場所に印があるってことで」
「ああ、なるほど。そういうこともあるんですね」
そういえばネレとリーズは恋愛小説の購読者なんだよな。いわゆるR指定とかX指定の本とかもあったり読んだりするんだろうか? そう簡単には聞けないけど。
「となると、悠理はミアさんに対しても責任を取らないといけないんでしょうかね?」
「本人にその気はなさそうだけどな。むしろ行為的にはオレが責任を取ってもらうほうだし、あの場のいろいろで相殺だろ」
友人で仲間でリーズの理解者。今のところそれだよな。そういう好意は示されてない。
ミアさんと言えば、あとなんかあったような。
ああ、初めて会ったときか。
「ミアさんには初見で胸に顔を埋めるように抱きしめられたっけ……案外彼女が一番大胆なことやっておぶ」
逡巡無しで同じことやられた。
しかし、相手との関係性によるところもあるんだろうけど、これもこれで色欲封じ無しでやられると来る物があるな。オレも一応は思春期男子なのだ。女性の体の凹凸に目を向け続けていることを避けるべきだと思う程度には。いや、これもこれでなんかよろしくない煽りの言葉がありましたけれど。
っていうか今になって色欲封じのすごさが体感として理解できた。相手の感情だけじゃなく、体温とか布の感触以外の柔らかさとか匂いとか聴覚や伝導で伝わる相手の心拍数とかあらゆるものの感知をスルーしてたんだな。こんなので平静でいられるわけがない。
「ところで、いつまで続けるんだこれ?」
「気恥ずかしいですけど、明日までには普通にしていられるようにしないといけませんからね。慣れるまででしょうか」
なるほど、それは大事だな。慣れるのもそれはそれで困る気がするとしても。
そもそもそう簡単に慣れるわけないのですが。
「……恥ずかしいのもあるけど、そういう気分になったりは」
「……意識しないようにしてるんですから、わざわざ言うのはやめてもらえませんか」
うん。伝わってくる動悸の強さと速さからわかる。オレの方も息を荒げてないことに感心して欲しいところだ。
さんざん寝るときに抱き合ったりしてるしなんでいまさらって気もするけど、なんか違うんだよな。キスした以上はこれよりすごいこといっぱいしなくちゃいけないっていう未来予想図があるからか?
「ん……悠理……」
頭の天辺あたりに唇と鼻が触れる感触がした。
こっちはもうララに包まれてる感覚しか無くなってきた。ピークを通り越してきたのか。「恋人に包まれている」というのはそれはそれで詩的というか病的な表現だ。それと、冥利に尽きる。
/
「慣れるわけないでしょうっ……!」
怒られた。慣れるのもどうかなって考えてたのが伝わった、わけじゃないよな。
「慣れるっていうか、母性に変わるほうが早いし楽そうでは?」
「それこそ無理です」
即座に否定。
そりゃそうだ。オレだって年齢のことを最大限加味してもみんなを子供とは思えない。恋愛除いたユメさんとミアさんとティアさんとセラに対しても。
「いっそのこと開き直るのは?」
「全員が待っている状態でそれは最低でしょう。嬉しいですけど自慢しようという気はありません」
「たしかにそうだ。かと言って急いでやるのも違うよな」
「そうですね」
キスする状況なんていくらでもあるし、それこそ人工呼吸が初回に来る人だって山ほどいるんだろうけど、そうじゃないなら可能な限りこだわるべきだ。その上で叶えられることは叶えたいと思う。
「ところで、慣れるのが無理ならそろそろ離してくれても良くない?」
「嫌です」
そっちも即答ですか。
正直、嬉しいのは否定しない。今のところそれでどうとかはないけれど、
「オレにだっていろいろと限界はあるんだけど」
「私はそんなものとっくに振り切れてますけど?」
「……ごめんなさい」
そうだよな。不満と一緒に溜まるものなんていくらでもあるよな。いえそっちの意味ではなくてね。
そうか。やりたいこと云々じゃなくて、オレもちゃんと伝えてなかった。
「十年以上待ってくれてありがとう、ララ。それによく頑張った」
これまで他の相手にもやってきたように背中を叩いて撫でる。
頭を抱きしめる力が強くなり、身体の震えが伝わってくる。ずっと早鐘を打っていた心臓が少しだけゆっくりになるのも伝わってくる。
「はい。がんばりました。ずっと。独りではなかったですけど、一人で。あなたに触れられなくて。声も聞けなくて。魔力もわからなくて。ずっとずっと」
ヴァリーもいた。仲間でいてくれる聖侍女もいた。裏表なく護ってくれる聖騎士もいた。プリマヴェラさんもいた。けれど、一人しかいない聖女には分かち合えないものもある。敵もまた仲間より多くいたようだし。
オレのことについてもそうだ。それを共有できる相手はいても、いつも遠くにしかいない。通信魔道具ができるまでは話すことすら難しかっただろう。
「本当によくがんばったよ、ララ。もう甘えることを我慢しなくていい」
頭を撫でてやりたいけど、この位置だとちょっとサマにならない。あとで存分にやってやろう。
「ぐす……悠理……悠理……もう離れなくていいんですよね? ずっとそばにいていいんですよね?」
「ああ。頼まれたって離してやらないし、どこにもやらないよ。嫌われても何度でも好きにさせてやる」
「嫌いになんてなりません。なるならもうなってます」
優しい声と笑い。それでもしばらくの間、ララが静かに泣く声は止まらなかった。
/
ようやくララは胸の中から解放してくれた。
けれど、今度はお互いに入れ替わることになった。体格差的に押し倒されてるような気がするけどそこはそれ。これまで夜にやってきたのとさして変わらない。いえ、さっきやったことを思えば明確に違うのですが。
「悠理の生きている音がします」
人の心臓の音は一番落ち着く要素だって聞いたことがある。さっきまでララのそれを聞いてたオレは落ち着かなかったですがね。
「オレはちゃんとここにいるぞ」
頭を撫でて髪を梳く。こうしてると昔に戻った気もするけど、アカネちゃん同様こういうことをした覚えはない。いや、頭を撫でたことはあるけど。どちらにせよ、大きくなってからするのは不思議な感じがする。こっちが小さいからさらに。
「ん、ふ……んっ」
胸に抱きつくのは堪能したのか、すりすりと登ってきて頬と頬を合わせる体勢に。どうあっても気になるのは人体として出っ張ってるところなのでやっぱりこっちは全然落ち着かない開き直れもしない。性別の違いとはかくやありなん。かくやありなんってどういう意味?
「あのですね、悠理」
ララは耳元に口を寄せてくる。なんかくすぐったい。わざと小声で喋ってるからもあるんだろう。
でも、出た言葉は過激極まりなかった。
「……身体年齢の退行をする前に私たちのことを好きにさせてあげようかと、ネレとリーズとフレイアさんとアカネさんと私で話していたりしますけど。どうします?」
「づっ」
一気に心臓が苦しくなる。
そんなこと言われてあれこれ想像しなかったら嘘だろ。
「だ……あのなララ。オレをどこに追い詰めたいんだ」
「そういう気を持ってもらわないと困りますからね。身体年齢的には未熟でも精神的には成熟していますよね?」
「そりゃオレだって無知蒙昧じゃないし生理的反応もあるけどな。いや各種体験で言えば無知蒙昧だけども。あんまり煽らないでくれよ」
どう反応と対応しろってんだ。
いや、そういう反応をして欲しいって言ってるけど。でも今は駄目なんだろ? 生殺しだと思うほど飢えてはないのが救いか。
「迂闊にキスもできないんじゃないのかよ」
「フレイアさんみたいに、悠理から手を出してもらう分には問題ないかなと」
おい、聖女様に変な影響与えてるぞ炎皇様よ。気持ちもわかるだけに怒れないのさえも狙ってないよな?
「『色欲に溺れてる姿を見るのは嫌だ』って言われてるんですけどオレ」
「溺れ続けるのが駄目なだけですから」
どうにも感覚に差異がありますね。
まあ、順繰りにやること終えたら好きにしていいってことかな。それにあたってせっかくだから一度無くなるものに手を伸ばしてもいいと。レインさんが虚無りそうだな。
「さて、かわいそうだからこれくらいにしてあげましょうか」
そう言って、ララはオレから離れた。助かってないと言ったらこれも嘘だ。
「堪能しましたね、お姫様」
「ええ、これについては。次は」
手を引っ張られて引き倒され、頭が腿の上に。今度はリーズと姉さんのネタね。
「いい子いい子」
ついでに頭を撫でられる。
「ほんとにいい子か?」
笑ってしまった。“子”の部分はともかく、良いやつかどうかは首を縦に振れなさそうだぞ。
「そうですね。悠理はいろんな女の子の心を惑わし続ける悪い子です」
「そう来たか」
そこは考えてなかった。それについては間違いなく悪い子だ。
惑わせた分だけちゃんと返すつもりではいる。どれだけ返しても足りないだろうから、返し続けないと。
「そう、いろんな女の子の心を惑わして空かし続ける悪い子です。でもそんなあなたがみんな好きなんです。不思議ですね」
「そうだな、っぶ」
鼻をつままれた。いたずらするのも悪い子だろ。
お返しに頬をつついてやる。と、その指を掴まれた。
「もっと触れたいのに触れさせてくれない。独占したいけれど救われた人の多さに気が咎めてしまう。それでもそこも愛おしく感じてしまいます。みんなと思いを共有できるからでしょうかね」
なんだか気恥ずかしくなってきた。正直になってくれてるんだろうからこっちも素直に受け取らないといけないんだけどムズムズする。
「もう一度そういうふうに触れたいですけど……代わりに何度でも言いましょう。好きですよ、悠理。誰にも負けたくないくらい。みんなそうでしょうけど、最初の一人であることは誰にも譲りません」
「オレもだよ、ララ。命の恩人だからとかじゃなく。いや、命の恩人でもあるけど、きっと、まだ九羽鳥悠理だった瞬間に見た顔に惹かれてたと思う」
「……え、そこで顔ですか?」
思いっきり引かれた。
ん? いや違う違う。いや出会ったころから美人だけど。ルックスがいいからって話じゃなくて。
「『なにがなんでも助けてやる』って顔と、『救えて良かった』って顔。ほら、あの瞬間は年齢とか意識できなかったわけだし。もちろん、刷り込みだって言われたらそうかもしれないけどさ。忘れられない表情だよ」
ナイチンゲール症候群だっけ。吊り橋効果もそうだけど、当人からすれば野暮だけど、真実は本質的なことって結構あったものな。
「刷り込みなんですか?」
「どうかな?」
頬で掴まれているのとは逆の手を伸ばし、親指でララの唇をなぞる。さらにその指を自分のそれに。このくらいなら許される、かな?
「ふふ。色欲封じがなくてもキザなことはできますね、悠理」
「なんならさっきしてくれたみたいに首筋にキスしてやろうか」
「それはあとでぜひお願いします」
っと、この返しは想定外だった。まだまだララのことを知りきれてないな。
冗談で済まさずにちゃんと触れたいって欲求はオレにもある。相談できないけどレインさんなら「拗らせてる」とか言うのかな。実際たぶんそうなんだけど。
嫌われるかどうかなんて人それぞれだから行動してみないとわからないし、行動しないことのほうが嫌われそうだ。順番へのこだわりがあるみたいだから次はエルなんだろうけど、そのためだけに行動するのも、と堂々巡り。
恋も愛も難しい。九人分となればさらに。けれど、尻込みするわけにも行かないしその気もない。
「制限があるからでしょうか、こういうのもそれはそれで悪くないですね」
さっきオレがやったのと同じように、ララが唇に触れてくる。それをそのまま自分に。なんだか投げキッスみたいに見えた。
「ところで悠理」
「んー?」
「リーズにしたように、お腹に顔を埋めてもいいんですよ?」
「あ? あー、そうねー? やめておこうかな。ていうか、あれは膝枕状態からリーズがオレの頭を抱いたからであって」
「やりたくないんですか?」
「正直やってみた、でなくてまだ早いから」
ふれいあァー。
いやここまで来るとフレイアだけの影響とは限らないか。ララだって……歳のことを口には出さないけど十分知識も蓄えてる歳だよな。ヴァリーだって子供がいたりするわけで。
「ごめんな、ララ。まだ待たせることになる」
「誰かに先に取られたら許しませんよ?」
「鋭意努力致します」
ってなんか変な話とやり取りしてるな。こういう状態でする話でもなくないだろうか。
/
そして次はというと。食事をして、風呂だった。
昼から風呂はなかなか贅沢な行為だが、ネレのときにもやった。しかし今回は温泉として作ったほうではなく、内風呂のほう。
「さすがに狭くないか?」
「私は気にしませんよ?」
オレがするんだっての。後ろから抱かれてるわけじゃなくて、例によって座椅子だからまだ耐えられるけども。
女の子は背中も結構柔らかい。じゃなくて。
「では、悠理」
まとめられた髪の毛の下、うなじが口のそばに持ってこられる。後ろ手に両手を掴まれ、肩越しに抱きつくような姿勢に。
首筋に云々ね。わかったよ。やってやろうじゃないか。
顔を近づけると、お湯の温度や湯気だけじゃなくてララの香りにクラクラする。最後の一押しじゃなくて、吸い込まれるような気さえした。しっとりした肌の感触とともに浮いた滴が口中に入ってくる。
「ふくっ」
鼻から抜けたような声が聞こえた。でもそれを聞いた瞬間、背中に電流が走ってララに触れている唇が震える。
「はふっ、ふ……んっ、はぁ」
「ララ、ちょっと」
「だ、だってこれ、思ったより、ん」
掴まれていた両腕が強く抱きしめられる。ネレのときと同じような感触が。タオル越しだとはいえあがが。
頭の中が狂いだしてきているのに、ララの首筋に吸い付くのがやめられない。やめられない。やめられ、じゃねえんだよ!
「っだ、ってっがっ!」
音になり損なった謎の叫びを発しながらむりやり顔を引き剥がす。疑似精霊魔法で水属性放射を顔面に。
「ぶわっふ」
危なかった。さすがにここまで理性を失うのはまずい。
「ん、悠理……おしまいですか? もっと」
身をよじって向けられた顔は、目は潤み頬は上気し口は緩んでよだれをこぼしそうだった。なんで。オレそんな技術持ってないです。
「おしまいおしまい、今はおしまい! ほら! 髪の毛洗ってやるから!」
身体を無理やり抱き上げ、洗い場に直行。ガシガシと力任せに洗いそうになるところをなんとか抑えて、金色の髪を撫でるように洗う。
その間もララは微かに上を見上げるようにぽーっとしていた。いやネレは身体的に危なかったけどララのこれは心理的に危ないんじゃないの。なんであれだけでこうなった。
/
その後、なぜかララは心ここにあらずみたいにぽーっとしたままだった。どうせなら、ではないけどキスしたあとの反応にして欲しかったような。魔力探知で乗り切ったけど、身体拭くのとパジャマを着させるのが大変でしたので。誰か呼ぼうとしたらやんわりと、かつガッツリと止められたし。
食事も食べさせてあげて、ずっと抱きつかれて、ってこれひょっとしてアカネちゃん要素かな? それとネレとの併せ技。人間は思い込みでどうとでもなるけど、思い込みでこれができるならそれはそれですごいな。回復も解呪もララの担当だし。とまあどうにもならないので、さっさとベッドに入ってしまうことにした。
「ゆうり、ゆうり」
抱きついて頬ずりしてくる姿は、これがララの一面かと問われると首を傾げてしまう。でもこういう面もあっていいよな。いろんな理由でこれまでできなかったんだから。
思えば、割と情緒不安定だったよな今日。大半はオレのせいだから申し訳ない。
頭を撫でてやると、腕に込められている力が強くなる。
「ゆうり……ゆうり……すき……だいすき」
「うん、ララ。オレも好きだよ」
本心だが、心から言えたか疑ってしまう。
深呼吸。
言葉は魔法だ。言い方一つで意味が変わる。根源にあるのは想い。隠す必要はもう無い。
「ララ。愛してる。ずっと一緒だ」
「うん。ゆうり。すき」
背中に回された手に、より強く力が込められる。
……さて。ここまで行くと恋人同士の甘え合いで終わるのだろうが。キスした上これ以上なにもできないのに、頬だけでなく身体の前面を擦り付けられている。実は理性あるなきみ。
一昨日から昨日にかけての夜も眠れなかったが、これは正しい意味で今夜も眠れそうにないな。大オチとしてこれでいいのかはともかく。




