第六十八章 アイリスの日
疑似精霊魔法、水の玉。そのごく小さいのを無数に作り出す。
生み出した水は飛ばしたりすることなく制御を放棄して降らせる。ただの雨だが、目的は達した。
「水やりはこんなところか」
「ありがとな、ユーリ」
「どういたしまして」
リーズに頼めば人工降水機みたいなのも作ってくれるのかな。植物工場って採算取れないから用途が限定的になったとか聞いた覚えがあるけど、この魔法の世界なら案外現実的なんだろうか?
いや、無菌にするのが難しいから衛生面がネックか。露地栽培の補助かハウス栽培くらいが限界かな。
「またなにか面白いアイディアでも考えてるのか?」
「んー、農作業がどこまで自動化できるかなって」
「自動? 農業は自分の手でやってこそだろ? あっちだとそうでもなかったってことか?」
「いや、父さんと同じ考えが主流だったよ。収穫を魔道具みたいなのでやってたくらいかな。でも病気を始め不作の可能性もそうだし、人手のこともつきまとうだろ? その問題をどう解消するかって……まあ傍流も傍流な感じになってたみたいだけどさ」
耕作放棄地多かったからな、日本。減反もガンガン進めてたし。食料自給率低かったのにな。そりゃ米をおかずに米食うわけにはいかんけどさ。
「なるほどな。たしかに安定的な収穫ができれば農家にとってはいいことか。自動でやるのは農家って言えるかはともかく」
「言われてみればそうだ。ただ、作業やコストが増えたり希少価値が上がったりすると高騰するし、作り過ぎたら作りすぎたで単価が下がるってのもあるだろ? むしろ農家ってそっちが難しいところもあるよな」
「そうだなあ」
需要供給原理。ある意味それで二次以降の産業も安定せず、景気という概念があるわけで。
安定しすぎるのもそれはそれで難点はあるんだろうけどな。事故が起きたとき、それがどんなに小さくても前提が全部崩れてしまうとか。発展性が無いとか。
「他にできるところで言えば、当てる光の色によって普通よりでかくなったり栄養が増したりとかいう研究結果もあったかな。色のついたガラスとか使えればいいんだけど」
「お、それは面白そうだな」
「囲むと温室になるけどさ」
「ああ、そういえばそうか。でも温室はいつか作ってみたいところではあるな」
「温室も魔道具使えば案外楽そうなのにろくに見ないよなぁ。王都の貴族街にはポツポツあったけど。気候を安定させれば年中同じ作物が作れるだろうに」
「なんだかんだ維持管理が大変だからだろ。風殺石でも風害を防ぎきることはできないからな」
「それでか。『周りに物がないけど飛来を遮らないといけない』ってなると結構な敷地がいるんだな」
などと農業雑談をしながら家路、というかグレイクレイ家への道を歩く。談義っていうか又聞き知識の提供とそれからの妄想だな。
父さんに対してももう特にあれこれ誤魔化す必要もない。せっかくならこういう知識も使ってほしい。シャレで済む分には世界に大きな影響も与えないだろうし。
「あ。お父さん、ユーくん、おかえり」
「二人ともおかえりなさい。ご苦労様」
グレイクレイ家の前では、姉さんと母さんが洗濯物を干していた。
「大丈夫か、フィリス?」
「まだまだ平気よ。それに少しは運動もしないとね」
母さんはむん、と元気に力こぶを作るポーズをする。できてないけどな。
十月十日の流れはイマイチ覚えていないというか正直わからないし、探知してもオレには体調を理解しえないと思う。それでも母さんには経験があるわけだから大丈夫かな。まだお腹が大きいわけでもないし、やんわりとだけど身体強化や防壁も使ってるみたいだ。
「ここはわたしとユーくんで大丈夫だから、お父さんとお母さんはゆっくりしてて」
「そう? ならお言葉に甘えようかしら」
「悪いな」
「それを言うならこっちだよ。親孝行どころか家族も普通にできてないんだから」
そう言うと、父さんと母さんは困ったように笑った。また言葉の選択をミスったか。
「今日くらい甘えてってことだよね、ユーくん」
「あー、そう。そういうこと。恋人夫婦の時間を作ろうという子供たちの粋な計らい。なによりお互い一緒にいたほうが安心するだろ」
「わかったわかった。じゃあ頼むな」
「ありがとね、アイリス、ユーリ」
なんとか取り繕うというか言いくるめるというか、納得してもらうことはできた。
こっちもこっちでいろいろ考えることもあるからな。動揺まではしてないと思うんだけど。
洗濯物をかごから拾いつつ、姉さんに聞いてみる。
「よかったのか? ああいや、父さんと母さんと過ごすことが嫌なわけじゃないけど、姉さんと二人の日なのに」
「そうだね。でも、本当はきっとこういうのが日常だったのかなって思ったらそういうのもいいかなって」
洗濯物を渡すと、姉さんはそれを丁寧に広げて干していく。魔法で乾燥はできるがそれもしていない。
こういう日常。
そうか。あんなことがなければまだこういう“四人で魔法も特に使わない生活”は続いていたのかもしれないのか。オレも十五歳まで冒険者登録はできなかったわけだから、ふらっと出ていくこともできなかっただろうし、できたとしても消えることができなかった可能性は高いな。
それでも、いつかはすべてを明かしてララたちのところに行っていたのだろうか? それとも、ネレが言っていたようにあの場所にみんなで?
しかしそうすると出会いの半分が消えてしまう。今となってはそれは考えたくもない選択肢だから人生は不思議だ。
「もちろん、ユーくんを大好きなみんなと一緒にいる今もすごく特別。無くしたくないよ。けど『違う生き方もあったんだな』って、ちょっとだけ浸らせてもらおうかなって」
「そういうことなら」
あんまり明確に感じることはないけど、姉さんにだって独占欲はあるだろう。今はまだそうできてた時期だものな。
世界は広いけど、無理やり広げるのはいいことではない。姉さんにとってはたまたまうまく行ったわけだけど、「いい結果を引き当てただけに過ぎないのかもしれない」というところを忘れてはいけない。
「だからね、ユーくん」
ぎゅ、と背中から抱きしめられる。そのまま後ずさって、家の前に置かれたベンチに着席。
「今日はユーくんを弟として目一杯甘やかしてあげるから」
「ん、わかった」
姉さんに体重を預けると頭を撫でてくれる。オレがただのユリフィアス・ハーシュエスだったなら純粋にくすぐったく感じたんだろうな。
でも姉さんの手はそれ以上に優しくて、それよりなにより背中に当たる感触が気になって仕方ないのであった。なんかフレイアからこっちそういうの増えてない? 意識する余裕ができちゃったってことですかね。
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昼食の用意も姉さんがした。「あるもので手早く」という感じではあったが、
「……腕を上げたわね、アイリス」
「美味い。ほんと美味い」
母さんは真剣な顔で手が止まり、父さんは逆に真剣な顔で手が止まっていない。そのことに姉さんは満足そうな表情だ。
「レアちゃんのお姉さんが料理上手でね。それでいっぱい教えてもらったんだ」
「そう、レアちゃんの。貴族って料理はしないものだと思ってたわ。いえ、ユメちゃんはできてたわね」
「ユメのところは預かってる子供がたくさんいたからね。レインさんは本気の趣味みたいだよ。プロ級なの」
「それはすごいな」
んー、レインさん……雨音さんのことも明かしてもいいんだろうけど、勝手にやっていいことではないかな。顔を合わせたときでいいか。
そういえば声だけは聞いてたな一昨日。お互い自己紹介はなかったけど。
「フレイアがメチャクチャに通信つないだときにもう一人会話に加わってただろ? 完全に呆れてた人。あの人がレインノーティア・ファイリーゼさんだよ」
「そうなの……大変だったわよねレインさんも」
「ああ……まあ、なあ。女性の前であんまりそういう話はするなよ、ユーリ」
そうかそういう認識か。
いいよ別に。根本的に悪いのはオレだから。それでレインさんの評価が上がるなら願ったり叶ったりだよ。いやほんと拗ねてるわけじゃなく。
そのまま微妙な空気で食事は終わった。なんもかんもオレが悪い。
「ごちそうさま。洗い物しながらでいいから作り方を教えてね、アイリス」
「うん」
母さんと姉さんは食器をまとめて流しに持っていく。
父さんは立ち上がって軽く柔軟を始めた。
「それじゃあ俺は街に買い出しに行ってくるかな」
「付き合おうか? いやむしろリストを貰えればオレが行ってくるけど」
「大丈夫だ。母さんと一緒にいてやってくれ」
「ん、了解。いってらっしゃい」
なにかあったってオレがなんでも対応できるわけじゃないけどな。それでも安心できるならわざわざ断る理由はない。
とはいえ、逆に手持ち無沙汰になる。オレがすることはなんにもないし。とソファーに座ってぼーっとしてたら姉さんと母さんが洗い物を終えていた。
「あら、ユーリだけ? お父さんはどうしたの?」
「買い出しに行くってさ。とりあえず今日だけとは言え食糧消費が二倍になったから当然なのか」
「あ、そうだね。なにも考えずに使っちゃった」
んー、空間圧縮に時間停滞を組み込んでたら生鮮食品の持ち運びもできたな、やっぱり。魔力消費量が爆上がりしそうではあるけど。
「そんなこと子供が気にしないの。それよりも美味しいものが食べられることのほうがいいでしょ?」
「ありがとう、お母さん」
「代わりになにか珍しいものでも手に入ったら持ってくるよ」
海鮮とかかな。獲れればだけど。
まずは釣り竿作ろう、釣り竿。一人底引き網漁とか爆破漁とかできるけど駄目だろうから。
三人でソファーに移動し、座る。昔はよくネレとレヴとリーズと一緒にいろいろ話をしたっけ。稀にエルも。
「ユーくん」
隣りに座った姉さんがぽんぽん、と膝を叩いた。それが示すところは。
「それじゃ失礼して」
膝枕。他に無いであろう。食べてすぐ寝るとなんとかとは言ったが。
「うーん……これは姉弟のすることなのかしらね?」
「姉弟でも膝枕くらいはすると思うよ?」
「家によるだろうけどオレもそう思う」
単純な姉弟の関係ではないけどな。それでも違和感はまったくないからおかしくもなんともない。ユメさんとノゾミとかもやってておかしくなさそうだし。
……オレもノゾミも「シスコンじゃないの?」と問われればそうなんだろうけど。いいだろ別にお姉ちゃん好きで。悪いことはない。
「こんな感じでちゃんとこの子のお姉ちゃんとお兄ちゃんになれるのかしらねぇ。アイリスも不安になってきたわ」
「あー……」
「どうかなぁ。わたしもユーくんも大丈夫だと思うけど」
まともな兄になれるのかはわからない。それこそいろんな姉や兄がいるからな。兄としての指標もエルブレイズ殿下とフォルシュリット殿下とツァルトハイト殿下しかいないからってどんな兄君方だよ。
そう言えばヴァリーのところは兄妹だっけ。まだ小さかったから参考にはなりにくいけど、関係は悪くなさそうだったな。
とは言え、甘やかしても厳しくしても人はどちらにでも転びうる。それも人を育てるってことであり、その難しさの一つなのかもしれない。
「兄がろくでもなくても、いい姉はたくさんいるから大丈夫じゃないかな。それこそどんな力にでもなってくれるくらいにさ」
「そこは前もあなたが言ったとおりね。ユーリが悪いお兄ちゃんになるとは思わないけど」
「超えられない壁にはならないように努力するつもりではあるけど、どうなるかなぁ」
「ふふ。壁を壊す人が壁になるって、変な話だよね」
いや姉さん。笑ってるけどそこは割と重要なんだぞ。
低い壁でも躓いて、そこを超えていこうとする人の足を引っ張ってたやつは山程見てきたわけだし。十年以上早く生まれたどころか転生でやり直しまでしてるのに踏み台になるのもそれはそれで悲しいものがあるし、姉さんみたいに手を引っぱる機会なんて無いほうがいいに決まってる。それでも正しく力を求められればいくらでも分けるつもりはあるわけで。でも他人の助けを固辞する人もたくさんいるわけであり。
「『腐ってもぶん殴って道を正してくれる』とは言われたけど、ぶん殴るようなことにはなってほしくないしぶん殴って正しい道に進むかもわからなくて。ホント子育てって大変なんだな」
「そうよ? まあアイリスはいい子でユーリはもともと人間ができてたわけだけど……ってそれもあるけどそうじゃなくてね? どっちかがお嫁さんかお婿さんに見えないかってこと。あとは、ひょっとしたらアイリスみたいに……うーん。それはそれでなんとも言えないわねぇ……」
あーそれねー。
姉さんみたいになるのはそれはそれでほんとにどうかしてると思うので、そのときはちょっと霊験を高めに霞食いに行かないといけないな。エクスプロズより高い山はちょっと知らないし、霧じゃなくて湯気になるけど。あと茹で人間。
「なんにせよ、まずは無事に生まれてきてもらうことからだよな」
「そうね。そこはお母さんが頑張らないとね」
「それに、まだ妹が生まれるって決まったわけでもないよ? 弟かもしれないよね?」
「それはそれでユーリみたいにならないかしら?」
「どうかなぁ。ユーくんはユーさんだからね」
「そうよねぇ」
……我々はなんの話と心配をしてるんだろうなぁ、ほんとに。なんか呆れが強くなってきたぞ。
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「すー……」
いつの間にかユーくんは眠っちゃってた。毎日誰かのことを考えて相手をして、それで疲れちゃったのかな。
みんな早くユーくんとの関係を進めたり落ち着かせたりしたいっていうのがあったけど、レヴさんとエルさんを除けば一番年上なのに女の人とお付き合いしたことないって言ってたし、戸惑うこともいくらでもあるよね。わたしだって一日なにがしたいかすごく悩んだもの。
あとは、学院を卒業してから気が抜けてるのもあるよね。子供の頃から気を張り続けてた反動かな。
今思えば、そう見せないだけでずっとピリピリしてたように思う。わたしが近づいてもいつも気づいてたから。探知してたからだってわかったけど、常にしてたってことだもんね。
転生とか魔法使いとかの隠しごとで口を滑らせちゃったり気づかれちゃったり纏わりつかれちゃったりされないようにしてたからなんだろうけど。こういう生活もあったのかもとは言ったけど、隠しごとがあるままじゃユーくんはこうしてくれなかっただろうなっていうのもわかる。だからきっと、わたしが昔望んでた世界は幻想にすぎなかったんだろうね。
とりあえず寝ててほしいから、声を遮れるのかはわからないけど防壁を耳栓みたいにしてみる。一瞬だけ反応があったけど、起きてはいないみたい。よかった。
「わたし、お姉ちゃんできてるかな?」
ユメとレインさん。ノゾミくんとレアちゃんの二人から慕われてて、疑うことなくお姉ちゃんと弟妹って感じ。エーデルシュタイン殿下はセラちゃんからすると絶対って感じかな。
血の繋がりがないところで言えばフレイアさんとエーデルシュタイン殿下とか、リーズさんとミアとか、エルさんとティアとか。ここもそれぞれお姉ちゃんと妹って感じだよね。
だけど、わたしとユーくんはときどき横並びか逆転してる気がする。ユーさんだからそれも当然なんだけど。
「……アイリスはそれ以上なにがしたいの?」
お母さんがこれ以上なく驚いた顔でわたしを見る。
なにがしたいのか、かあ。
「ユーくんがこうしていられるのが一番だけど、わたしもずっと弱いからね。まずはもっと強くならないとかな。そうすればこうしてぼーっとしていられるでしょ?」
学院を卒業してララさんたちみんなと再会してやっと肩の力が抜けたのって、約束を守れて安心したからだけじゃないよね。わたしたちが信頼されてないわけじゃないのはわかってるし、リーズさんの結界があるからなのもわかるけど。
「アイリスも十分強いと思うけれど……」
「ユーくんが『今でも足りない』って言ってるのに?」
「それもどうなのかしらねぇ……」
レヴさんのブレスと魔法をぶつけあって、ユーくんは負けてた。勝つ気なんてなかっただろうけどね。レヴさんも全力のわけないに決まってるし。
でもきっとなんとなく、ユーくんが思ってる強さはレヴさんと同じところですらないって気がする。あの偽物のドラゴンに使った魔法を使えば勝てたかもしれないとか、これまで苦戦してきた魔人なんて一撃で倒せるようにとか、そんな段階じゃなく。もっと。それこそ世界のすべてすら相手にできるような。
「少なくとも、『自分は一人じゃない』って思ってくれたらいいかな。どうしても強くなりたい理由を話してくれるくらいには」
「そうね。親だから、お姉ちゃんだからなんでも話してくれるわけじゃないものね」
お母さんもわたしと同じことは思ってるのかな。
悔しいって気持ちがそんなにないのはユーくんのことを信頼してるからだよね、お互い。
「おー、ただい」
「……お父さん」
口元に指を立ててお父さんを見る。笑ってるお母さんも見て、言いたいことは伝わったみたい。
お父さんは足の早いものだけ魔法冷蔵庫に入れて他の買い物はテーブルに置いて、お母さんの隣に静かに座る。その目はわたしたちと一緒でユーくんに向いてる。
「こうしてると見た目相応には見えるのにな」
「見た目相応に見えなかったら困るけれどね」
「そうだね」
ユーくんはわたしと同じでお父さんとお母さんの子供ではあるけど、純粋にそうだとは言えないのかもしれない。でも、お父さんとお母さんは息子だと思ってるしユーくんも両親だと思ってる。わたしにとっても大事な弟……で、恋人でもいいのかな? そこははっきりとはわからないけど、この関係は壊したくないね。
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膝枕っていっさい縁がなかったけど、素晴らしいものだな。熟睡してしまった。リーズにも無理やりやってもらったけど、身を預けてることの安心感がすごい。
「おはよう、ユーくん」
「……ものすごくガッツリ寝てた。足は痛くなってない?」
「大丈夫だよ」
あぐらかいて腿の上で頬杖つくと真っ赤になってたりするけど、そんなことはないのだろうか。撫でたりしたらそれこそ別の問題なのでできないけども。ていうか仰向けからお腹側に九十度以上向いたらやばくないこれ?
そして、いつの間にか父さんも母さんに同じようにしてもらってるし。
「ユーリを見たら羨ましくなってな。それにここに新しい家族もいることだし」
「ああ、そうだね」
父さんは母さんのお腹を撫でている。まだ目に見えて大きくはなってないけど。
……若いっていいよな。いや、年甲斐もないって言うほどの年でもないし、何歳になっても別に悪くはないだろうし。羨ましいのはこっちかもしれない。
よし、あんまりそこに突っ込むのはやめよう。身を起こして姉さんの感触からも一時撤退。
「あっ、別にそのままでも良かったのに」
「交代交代。ほら」
逆に腿を叩く。
「姉さんだって息抜きはいるだろ、たまには」
「んー。うん、それじゃあ」
パタリと倒れ込んできて頭が太ももに乗る。人間の頭部はボーリングの玉と同じくらいの重量があるんだっけか? 人を背負っても体重のすべてがかかるわけじゃないってのもあったけど、重いとも軽いとも言えない負荷だ。
母が父を膝枕し、弟が姉を膝枕する。不思議な光景がここにある。
「なにやってるのかしらね、家族で」
「オレも一瞬同じことを思ったけど、そこは冷静にならなくていいんじゃないかな」
「そうそう。フィリスにこんなことやってもらえるのは久しぶりだしな」
「ふふ、お母さんそうなんだ」
家族仲がいいのはいいことだ。のんびりできるならそれだけ平和だってことでもある。
いや最近ちょっと平和にかまけ過ぎかな。少なくとも全員と過ごし終わるまでは一時休止だけど、ちゃんと身の置き場所考えないとな。
「ユーくん、やっぱり楽しくない?」
「え? ああいやごめん、ちょっと考えごとしてて」
自分で考えてドツボにはまってたら意味ないな。姉さんにも悪いし。
顔に伸ばされた手を取る。普通に握ろうとしたら、姉さんが恋人繋ぎに。ちょっとむず痒い。
なんか恋人同士でやること一つ一つ別の相手とやってる気がするなぁ。ちゃんとリードできないとサマにならない。
「ふふ、これだとユーくんがお兄ちゃんみたいだね」
「ああごめん、無意識に」
「謝らなくてもいいよ。嬉しいから」
姉さんに指摘されて気づいたけど、自然に頭を撫でていた。
実際、中身だけだと父親の年齢だ。弟か妹もそのくらいの年の差になるのか。
「あー。なんだろうなぁ。娘と息子なのになんか微笑ましいというか、口から甘ったるいものを吐きそうというか」
「そうね」
「……いや、父さんと母さんだって息子の目鏡を外せば十分砂糖吐けるからな?」
「そうだね。でもそんなお父さんとお母さんは素敵だと思うな、わたし」
うん。それも否定しない。
でもさらに下の弟妹ができるのもありえるんじゃないですかね。悪いことじゃないんだけどさ。
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夕食もまた姉さんの担当だった。
オレもリーズにあれこれ言った以上は料理ができたほうがいいだろうと思って夕食の手伝いをしたりしてみたけど、向上してるのは刃物の扱いくらいかな。それも諸々ネレの力が大きいな。
というか。試しに空中切りとかやってみたら怒られた。いや誰でも一度はやってみたくなるだろ。父さんは拍手してたから男の子限定なのか?
当然のように夕食も全員で舌鼓を打ち、父さんと母さんには二人でゆっくり風呂に入ってもらってオレたちはバラバラで入り。本日も就寝時間と相成った。
昨日まではオレが相手を抱きしめるような形ばっかりだったけど、今日は逆でオレが抱きしめられている。
「昔はよくこうして寝てたよね」
「仲のいい姉弟だったからね。ああいや、今でも仲はいいけど」
ハーシュエス家は部屋数が多かったので、子供部屋ではなくて直で一人部屋だった。しかしユリフィアス君は「一人じゃ寝られないよお姉ちゃん」などと可愛いことを言えるやつでは無かったので、姉さんが毎晩のように枕を持ってやってきていた。
むしろ枕を置きっぱなしだったわけだが。結果、姉さんの部屋の枕が予備用になり、友達のお泊り用の枕のほうがヘタりが早かったくらいであり。
「ユーくんって、転生する前にもここ……ネレさんのおうちに泊まったことあるんだよね?」
「あるよ。拠点がここみたいなところもあったし」
ちなみにいま姉さんと寝てるのがオレが使わせてもらってた部屋、というか元物置だ。使うことが少なかったから当時はそのまま物置だったけど。っていうかレヴのことで呆れられたのが尾を引き、潮が引いたところにリーズのことがあったからだろうけど。
今思えば、完全に定住をしたのは転生後なのか。この世界だと住所が定まっていない人は結構いるみたいだけど、税金体系とか面倒くさそうだな。オレもクエストの手数料とか消費行動関連費を間接的くらいにしか払ってない。
「ユーさんだったころって、エルさんとかネレさんとかレヴさんとかリーズさんと一緒に寝たりはしなかったの?」
「あー、こういう感じで一緒に寝たことがあるのはレヴだけかな。ネレとリーズはリビングで話しててそのまま寝落ちしてたことがあったくらい。エルとは基本的に宿とか夜営ばっかり。フレイアも同じかな」
「そうなんだ。でもそのころからレヴさんってユーくんのこと好きだったんじゃないのかな」
「かな。恋愛として意識したのはオレが転生したあとみたいだけど」
出会った頃からその片鱗はあったもんな。嫌われたかと思って泣いたのは、まだ無意識に友人だと思ってたから程度なんだろうけどさ。
「そっか。じゃあわたしもユーくんにとってはレヴさんと同じ感じだったのかな。レヴさんはすごく歳上なんだろうけどね」
「あー、そこは複雑だないろいろ。もちろんレヴが歳上ってのもあるけど、当時の接され方は姉さんと変わらなかったかな」
つまり、これまではほぼ抱き枕と変わらないか冒険者パーティーなんかと同じ扱いだったわけですね。そう思うとこうなってるのは感慨深い……とは表現しないか。
「オレたちの関係についてもアイリス・ハーシュエスはユリフィアス・ハーシュエスの姉だって感覚はちゃんとあったけど、いつかユーリ・クアドリって名前に戻るんだと思ってたフシもあるから単純な姉弟だとは考えられなかったところもあると思う。愛称がユーリになっちゃったし今となってはそういう気もないけど」
「なるほどね。わたしも前言ったけど、なんとなくユーくんとはよくわからない距離みたいなのがあるなって思ってたんだよ。それでなんだね」
互いに「純粋な姉弟ではない」と意識の端にあったからこそ、普通の姉弟とは違う関係性になったってことかな。
でも、魔法使いとしての修行を始めてから姉さんとはあんまり一緒に寝なくなったよな。ステルラとアエテルナに行ったときも同室ではあってもベッドは別だったし。それこそ。
「姉さんが魔法学院に入ってからだと帰省したときもお互い一人寝だったし、なんだかんだでこうするのは久しぶりなのか」
「そうだね。なんとなく恥ずかしくなってきちゃったのかな」
恥ずかしい。姉さんから遠い感情のように思うけど。
いや、姉さんに恥の概念がないってわけじゃなくて。好きなものは好きと……違う。
「わたしがどうしてユーくんを好きになったのかずっと考えてたの。それってやっぱりあのことがあったからなんじゃないかなって。わたしの思いをちゃんと受け入れてくれて、魔法使いにしてくれて。あのときユーくんが本当に王子様みたいに見えて、心からユーくんのことが好きなんだなってわかって。それとは別だったけど、言葉にしすぎると嘘になっちゃうし軽くなっちゃうかもって感じたのを思い出したの」
そういえばオレも姉さんのそれが自己暗示なんじゃないかって思ったことがあったな。そういう意味では嘘になるし軽くなることもあるのかもしれない。
ただ、ですねえ。
「王子様はどうかな。オレはお姫様をカボチャの馬車に乗せた魔法使いの方じゃないか?」
「『シンデレラ』だっけ。それだとユーくんは魔法使いの方だったかもね」
この世界にはお城にガラスの靴を落としてくる童話はない。魔法が普遍的に存在するこの世界では、カボチャを馬車にする魔法なんて無いからだ。
ファンタジーがリアルだからこそ幻想が幻想にすらならないっていうのはどこか皮肉めいてるな。
「でも、王子様ともちゃんと会ったけど好きだったのは魔法使いさんの方だから、シンデレラさんとは違うね」
「光栄でございますお姫様」
なんて。シンデレラの魔法使いはオレとほぼおんなじことやってるんだものな。弱みに付け込んで丸め込む……じゃなくて不運と不幸にさらされている女の子を救うっていう。姉さんの言うとおり、アイリス・ハーシュエスは王城にも行ってる。フレイアもか。
「だとしても、オレが魔法をかけたお姫様たちはそこから先は自力で登城してるからな。偉いよ」
シンデレラがタナボタだけの話ではないだろうけどさ。
姉さんとフレイアだけに限らないけど、オレができたのは伏せた顔を上げさせて背中を押すことだけ。一歩一歩前に進んできたのはそれぞれの力だ。
「ティアが言ってたよ。ユーくんはもっと自分のやってることに誇りを持っていいって。みんなそう思ってるし、わたしだってそう思ってるからね? だから何度でも言うね。わたしに力をくれてありがとう、ユーくん。大好き」
「こちらこそ。オレの大好きな姉でいてくれてありがとう、姉さん」
互いに笑い合う。
たとえオレたちの関係性がどう変わっても、根本的なところはきっと変わらないでいられるんだろうな。




