第六十五章 リーズの日
「……リーズ?」
「はい……なんでしょう……ユーリさん……」
いや、「なんでしょう」じゃないんだが。
「二人きりの日をそれぞれで取るってことになって、今日はリーズの日だよな?」
「はい……そうですね……」
よかった、間違っていなくて。
じゃないんだって、だから。
「あのですね……それがリーズさんにとって大事だというのはわかるのですけどね。せめて顔くらい見てほしいなって」
なんていうかさ。端的に言うと“イチャつく日”なのに、魔道具師の仕事をしているリーズを静かに、いやそこそこやかましく見てる感じになってるんですけど。
このまま邪魔するべきかせざるべきか。「明日できることは明日やればいい」と言うつもりもないし、この一日だって一巡すればあらためてできることではあるけどさ。軽んじられてるとも思わないけどさ。
……無理だ。こうなってくると逆に、ベタベタしたいという欲求が吹きこぼれる鍋より盛大に湧いてくる。この火を止める気はない。
「ユーリさん……? どうして……突然背後に……?」
「いや、先生の肩でもお揉みしようかと思いまして」
「先生……? いえ……大丈夫ですから……」
「いいからいいから」
そうでもしないとオレがいる意味がないし。リーズにとってはこれ以上なく価値があるのかもしれないけど。
というわけで、肩に手をかけて。このまま後ろから抱きしめてやりたい気になるけど今はそこはぐっとこらえて、指圧を。
指圧、を。
指、圧、を。し、た、い、の、で、す、が。
できねー。指が沈み込んでいかねー。っていうかリーズってなんで部屋の中でもこんな厚着を……なるほどそうか。手強いなメイルローブ。
ここで脱がしてやっても怒られはしないんだろうけど、いくらなんでもアウトだろう。どこかからララとネレとセラとティアさんが飛んできそうな気がする。
となると、メイルローブ以上に手強いのはリーズ本人か。この状況を望んでないわけじゃないっていうのは、ビミョーに上がった口角とかほんのちょっぴり染まった頬からもわかりはするけど。
たぶん『イタズラする』っていうのも一つの選択肢で正解なんだろうけど、手元を狂わせたくはないからな。
「しかたない。じゃあこうするか」
「ユーリさん……?」
ちょっとだけ集中を散らすために、音を立てながらテーブルセットの椅子を集めてリーズの椅子から横一列に並べた。
その上に寝転がり、頭はリーズの膝へ。
「…………」
しばしリーズは放心し、
「……え?」
一言だけ発してまた固まった。
そりゃ勝手に膝枕させられたら驚きもするか。でもな。
「『ウサギは寂しいと死ぬ』って話があってそれは迷信だったけど、オレはリーズにほっとかれると死ぬかな」
コレ、客観的に見ると構ってちゃんだな。でもこのくらいしないと駄目なのかも。だってさ。
「チャンスはチャンスとしてしっかり使えよ、リーズ。遠慮や罪悪感がまだあるならそんなものどっかに捨ててこい」
上から覗き込むような顔。その頬に手を伸ばして撫でる。
お、今これ恋人っぽくないか? リーズは変わらずポカーンとしてるけど。
ていうかこれ、黙っていられるとオレの方も割とバカっぽい。何か感想がほしいところではある。なんていう思いが伝わったのかは謎だが、
「っ……!」
頭を抱きかかえられた。というか、顔をお腹に押し付けられた。ちょい苦しい。
「ユーリさん……いきなり……恥ずかしい……です……」
「言っただろ、もっとわがまま言えって。やりたいことやっていいんだよ」
リーズのお腹に顔をうずめてるのも悪くないけどな。これだとオレばっかりいい思いしてるし、やりたいことは少しでも叶えてやりたい。そういう日なんだから。
「わかり……ました……それでは……」
/
結局、リーズは魔道具づくりをやめはしなかった。彫金と言うんだったか、金槌で金属板に細工をしている。
ただ、その叩く振動が今はオレの身体にも伝わってくる。腕の中に抱いているリーズの身体を通して。
「ユーリさん……退屈では……無いでしょうか……?」
「いんや。工学系じゃなかったけど工作は好きだからな。こういうのを見てるのは楽しいよ。逆にオレの方は邪魔じゃないか?」
「いえ……とても……安心できます……」
リーズがそう言うなら大丈夫だな。
肩越しに作業を見続けているが、繊細な手付きなのに結構な速度で仕上げていく。すごいな。
やはりちょっかいをかけて手元が狂ったりするのも嫌なので、じっと作業を見つめ続ける。そうしていると、どことなく槌のリズムとか作業の手付きが弾んでいるように感じてきた。
そういや、「リーズも恋愛小説読んでる」ってレヴが言ってたな。それもこの部屋のどこかにあって、こういうシーンがあったりするのだろうか。細工師と弟子みたいな。他にはどんなシチュエーションがお好みなのかな。
考え事と作業音でなんだか眠くなってきた。作業も終盤でリーズの手も少しずつゆっくりになってきたからかな。それになんだかんだ疲れも溜まってる。この気疲れを拒絶はしないけど、な。
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「……、!?」
メイルローブにはその名の通り鎧や防壁と同じような効果があって、多少の衝撃は受け止めてくれます。さっきのユーリさんの肩揉みを受け付けなかったのはそれでだと思います。
けれど重みを感じないということはないので、すぐ気付きました。わたしの背中にもたれかかるようにして、ユーリさんの顎がわたしの肩に。それと穏やかな吐息。
いえ、寝息ですね。魔力の動きもとても穏やかですし。
「あの……ユーリ……さん?」
小声で呼びかけてみます。「起こしたほうがいいかな?」というのと、「起きてほしくない」というのの半々くらいでしょうか。
心臓がドキドキして手が止まりました。だって、呼吸が吐息にしか聞こえないのですから。その息もまるで耳をくすぐるようですし。
アカネさんとレヴさんとエルさん、わたしで四人目。恋愛初心者だと言っていましたし、そのことの疲れもあるのでしょうね。だったら起こすのも悪いでしょう。ユーリさんにはあとで謝られそうですけど。
でもこれも悪くないと思います。静かに道具を置いて、作業を中断。お腹を抱いてくれている手に自分の手を重ねて。
わたしも物語の中のような器用な恋愛はできないと思いますけど、大好きな皆さんから分けていただいた大好きなユーリさんとのこの時間、大切に噛み締めたいです。一緒の空間にいるだけで十分だと思いましたけど、こうしているとずっと幸せです。
ええ。とても幸せです。望んでいた時間なのですから。
/
「ん、ぁ?」
しまった気づいたら寝てた。割とリーズに寄りかかった状態で。
「はふ……すまんリーズ。どのくらい寝てたオレ」
「そうですね……三十分くらい……でしょうか……」
三十分。うつらうつらでもないけど寝入ってたってほどの時間でもないな。
「重くなかったか?」
「いえ……平気です……幸せな重みというやつです……きっと……」
幸せな重み。逆ならオレもそう感じるだろう。リーズも笑ってるからこれ以上謝らなくてもいいか。
なるほど、こっちから積極的に行かないといけない相手も当然いるわけだ。リーズもその一人ってわけだ。
手は止めてるみたいだし、今なら危なくないだろう。お腹に回していた手を肩がけに変える。なんかこういう抱き方に名前があったような気がするな。
「ついでに」
「はい……え!?」
腕をもぞもぞさせてメイルローブをずらす。それで露出されるのは肩から上腕くらいだし中に服も着込んでいるけど、密着度は少しだけ上がる。
「リーズにはもっと人の体温を感じて欲しいな。まあ、夜は同じベッドで寝てはもらうからそれを待つのも手だけど」
「え……え?」
耳元でささやくと、リーズは両手を宙に浮かせた状態で完全に固まった。
頭の回転の早い人ほど予想外に弱い……なんて言葉があったかはわからないけど、キャパオーバーっぽい。空想と現実は違うから、いくら想定していても思ったとおりにはならないもんな。
なんて考えながら実はオレも結構いっぱいいっぱいだったりするんだけどさ。これで正しいのかとか嫌がられないかとか何やってんだろうとか。でも、一番ドロドロに甘やかして甘えさせてやりたいのもリーズだったりする。「頑張らなくていい」って言葉が嫌味や呪いになりそうだから、その代わりに。
宙に浮いていた手を握って、一緒に抱き込む。
「せっかくだから一日こうしていようか。楽しいって言うと変だけど、これはこれで悪くない」
キザったらしい台詞を口からボロボロ吐いてたら、意外に落ち着いてきた。なんだかんだ本音ではあるからかな。
「あ……は……え……」
逆にリーズはまだ現実に戻りきっていないようだ。残念ながら夢見心地ではなさそうだけど。
笑ったら失礼だからやらないけど、ちゃんとリーズにも女の子の一面があって安心する。同時に、耳でも食んでみたいなって衝動と戦うのと苦労する。って、今やってることってイジメ一歩手前か踏み入れてるか?
「嫌なら言えよ、って言ってもリーズなら飲み込んじゃいそうだな」
「いえ……嫌では……むしろ……」
むしろ。なら悪い気はしないってことかな。
前傾で寄りかかっていたので、後ろに身を引く。背もたれに身を預けてリーズを受け止める。
柔らかい背もたれと座面。抱いているのもふわふわしたリーズ。
「あー、至福」
「そう言って……いただけると……はい……嬉しい……です……」
後ろからだと耳しか見えないけど、真っ赤に染まってるみたいだった。それでも、腕を通して伝わってくる鼓動は落ち着いているように感じる。
いまさら気づいたけど。これ、腕が胸にあたってないかな。心臓の拍動がわかるわけだし。
とりあえずそこは黙っておこうか。恋人だし問題もないだろうからな。
/
学院の寮で暮らしてた頃、朝夕は肉肉肉みたいな割とガッツリした食事が出ていた。小市民的なオレは残すのも悪いのでやや減らしてもらって食べきっていたが、それでも足りないという生徒もいたりした。
とはいえ、魔法使いの根源とも言える魔力は生命力とほぼ同義。体育会系でなくても使った分の補給が必要なので、食事量が増えるのもそれでかもしれない。故に、オレたちのように魔力制御が向上すれば食欲は落ち着くのだろう。
だとしてもだ。リーズはそれに比べても異常に燃費がいいな。
「保存食とかツマミの代名詞ではあるけど、ある意味すごいなこの食生活は」
ナッツ類とドライフルーツ類と干し肉。それを齧ってるのはなんとなくリスやハムスターを想像してしまう。キャラ的にもそれっぽい気もする。たいていはみんなで食事してるし、食べてるときはちゃんと食べてるんだろうけどさ。
……いや、メスのハムスターってオスより気性が荒いんだったか? なんかで聞いたような。
ということを、腿の上に横座りさせて食べさせ合い、というよりも餌付けのしあいみたいなことをしながら考えたりしていた。
「ユーリさんの世界だと……スティック状のクッキーのようなものを……食べていたんですよね……」
「ああ。受験のお供とかにな。あとはドリンク状のゼリーとかいろいろあったぞ」
「保存食としても……レインさんと……アカネさんが……実用化するそう……ですよ?」
ほう。
アカネちゃんも「冒険者向けのちゃんとした簡易補給食が欲しい」って言ってたものな。その辺りで需要がマッチしたか。レインさんもお菓子作りにまで通じてるとか万能だな。
「料理……いいですよね……わたしは……得意ではありませんから……」
うん? そうなの?
家庭菜園やってたとかネレが言ってなかったっけ? 今みたいに薬草だけとかか?
「お茶淹れるの上手いんだから、やればすぐに上手くなるんじゃないか?」
厳密には違うのかもしれないけどな。それでも手順さえすっ飛ばさなければリーズなら大丈夫だと思う。
「いえ……お茶を淹れることや……魔道具制作とは……」
「そうか? 料理自体も食材に科学的な作用を与えてるだけだと言えるし、やれるやれる。駄目ならそういう魔道具を作っちまえ」
「料理の……魔道具……ですか?」
「ああ。科学世界じゃスイッチひとつで飯が炊きあがるのが普通だったぞ。鍋で米が炊けるのも一つの技能なくらいだったからな。オーブンも薪を使わずに電気で温度から時間までほぼ全自動だったりとかしたし、魔道具で再現もできるさ」
「そうなん……ですね……」
実際のところは炊飯器どころかレンチンでほぼなんでもできたわけで。そのどこまでを料理と呼ぶのかはそれはそれで泥沼の世界大戦になるので置いておくけど。
「自分の才能を区切る必要なんてない。リーズの作った卵焼きとか食べてみたいなー、なんてな」
「そう……ですか……なら……がんばって……みます」
気合の入った表情だけど、気負う必要はない。卵焼きが簡単な料理だとは言わないし、料理が愛情を示す手段だってのもある種の暴論だろう。これはオレのワガママだな。いや。
「自分の子供を手料理で育てたいってのは、別にどの世界でも主流ってわけじゃないのかな」
「そう……ですね……貴族だとそれはあまり……あ……まり……自分……の?」
「そう。自分の」
「じ……ぶん……の……」
お気づきになられたようですね。
なんかそういう話をいろんな相手とちょっとずつ順番に進めてる気がするけど、オレなんかが考えてるくらいだからみんな考えてるだろう。
ていうか、レヴがリーズとそれ系の話をしたって言ってなかったっけ?
「…………きゅう」
ガクン、とリーズの首が後ろに折れた。全身からも力が抜けてかかる体重が一気に増える。
おー、ついに完全にキャパオーバーに達したかー。まあ人によるもんなこういう話って。オレも割と弱い方だし。
なにはともあれ、目を覚ますまでしっかり抱きしめておいてあげようか。気絶させた責任は取らないとね。
/
その後目を覚ましたリーズは、ものすごいスピードでオレから逃げていった。のんびりと追いかけてみるとララの後ろに隠れていたのだが、近づこうとするとネレの後ろとかセラの後ろとかティアさんの後ろとかいろいろ移ったので、そのたびに腕をつねられたりスネを蹴られたりふくらはぎを蹴られたりビンタされたりした。やんわりと問い詰められたリーズは真っ赤になっただけで理由を話さなかったけどな。
人によってはもったいないことに四半日くらいそのままだったのだが、それでも夜は決まりどおりに二人きりにされた。
ただし、距離が詰まったかは別。現在、オレはベッドの真ん中で正座、リーズは端で膝を抱えて縮こまっている。おそらく絶対距離があるので、これ以上はリーズが落ちる。
この場合は逆にセミダブルとかシングルなら逃げ場はなかったのかなと思ってしまうけど、そこはそれか。
「恥ずかしがることなんてないのに。こう言うとあれだけどリーズが初めてじゃないわけだし」
「わかっては……いるんですけど……」
心は二つ、二律背反かな。それもまた人の性。
ぶっちゃけ、逃げ回ってたときに「リーズかわいいだろ?」って聞いたら全員が頷いて、セラが「シムラクルムに行ったらみんなそう言いそうだよね」って言ったのにもみんな頷いたのが決定打だった気もするが。
ここまで来るとイジメ判定に引っかかってきそうだけど、リーズには申し訳無いが止まる気はない。
「ほい、完全停滞」
リーズの背後で拳大の空気を固定する。しかし。
「なら……こうです……」
その空気は空間圧縮で容積をゼロにされる。そういう対向手段もあるのか。
では別の手を。
「……悲しいな。リーズはオレの近くで寝るのがイヤなんだ」
「え……いえ……それは……」
「よしスキあり」
似非泣き落としで動揺させた瞬間に素早く飛び跳ねて接近、手を伸ばしてお手手をキャッチ。つーかまーえた。
そのまま引っ張って抱き寄せる。柔道の投げ技にこんなのがあるかは知らないけど、枕に向かって一緒に倒れ込む。
「そ……これは……ユーリさん……ずるいです……」
「なんとなくわかってきたからな。リーズを甘やかす為には手段を選ぶべきじゃないし、選べないって」
ガッチリ背中に手を回して抱き留める。少なくとも今晩は離してやらないぞー。
昼間言ったとおり、さすがにベッドの上だとメイルローブは脱いでいる。なのでリーズの身体はひと回り小さく感じる。ちょっと高いかなっていう体温も感じる。
「うう……」
胸に顔が埋められ、例によってというか耳が真っ赤になっているのが見える。
「言っただろ、他人の体温も感じろって。これでだめなら雪山で遭難でもしてみるか?」
「雪山で遭難……すると……どうなるんですか……?」
消え入りそうな声で聞き返された。けど、これって確認じゃなくて疑問かな。
「あれ、この世界ではその辺のノウハウというか通説は無かったっけ? 凍死しないために裸で抱き合うんだよ」
「はあ……なるほど……え? はだか……で……え……?」
リーズは納得したような顔を向けてきたあとまた一気に真っ赤になって顔をうずめてくる。
ところで、人肌の話はよく聞いたけどなんで裸なんだろうな。服着てると汗を吸って逆に冷えるとかそんなだろうか。
「それは……無理です……勘弁してくださぃ……」
想像してしまったのか、頭から湯気さえ出てるような気がした。ほんとリーズはかわいい。
「リーズ。恥ずかしがったりしなくていいんだよ。オレはちゃんとニフォレア・ティトリーズって子のことが好きなんだから。それをわかってもらうためなら雪山で遭難してやってもいいくらいにさ」
「それは……わかりました……けど……死んでしまうかも……しれませんから……」
そうだな。それで死んだら駄目か。
「オレはリーズが好き。何度でも言ってやる。リーズは?」
「はい……わたしも……ユーリさんが好き……です……大好きです」
真っ赤になりながらも、リーズはオレの顔をまっすぐ見て笑ってくれた。今日はそれで良しとしよう。




