第五十九章 衣食住足りて
リーズが作った結界の面積はかなりの広さがある。もともとがレヴの領域ということか龍脈から得られる魔力も多く、そのアシストを受けて維持しているらしい。のだが……ハウライト家がまるまる入りそうな程なのはとんでもないな。いや、逆に一軒一区画でこのサイズのハウライト家がとんでもないのかもしれないが。
「さあ、やりましょうか」
「はい……お願いします……ネレさん」
ネレとリーズの二人が並び立ち、移設予定の区画に向き合う。
「どちらにせよ地盤は固めなければいけませんから、だいたいでやります」
まずはネレが地面を掘り抜く。言ったとおり大体で、目測収まるだろうなというサイズの直方体の穴が開く。
「では……“戻し”ます」
さらにその空いた場所に建物が現れる。基礎はもちろん、杭打ちした地面ごと。ネレの言ったとおり誤差はあるが、闇魔法の重力操作で位置が固定され、隙間は一度どけられた地盤で素早く埋め固められていく。
「久しぶりに見たけどすごいね、これ」
レヴが目を輝かせているが、同感だ。なるほど、こうやって移築したのか。これはオレには真似できそうにない。
身体強化で家を運べるかと言えばノーだしな。何事にも限度はある。
「ユーリ君といい、こういうことやってるの見ると魔法使いとして『戦う』以外の道のほうが良さそうな気がしてくるなぁ」
「ほんとにね。私はちょっと戦うこと以外は無理そうだけど」
セラとフレイア、二人が二様に笑う。どっちも苦笑だが、炎魔法使いであるフレイアのほうがやや力が無いか。
「フレイアだって身体強化や魔力探知を活かせば都市間配達はできるだろ。炎魔法の力だって戦い以外のどこかで役に立つさ」
「だといいけどね」
それでも表情は良くならない。実際、戦いに適した力であるのも事実だからな。
「そこはみんなで一緒に考えましょうよ、フレイアさん」
「ええ」
「そうですよ」
「わたしも同じような感じだよね。一緒にがんばろ?」
「わたしも……お手伝いしますし……お二人にも……お願いしたいくらいですから」
「あはは、みんなありがとう」
まあ、誰しもそれぞれ劣等感みたいなものを完全に無くせるわけじゃないものな。
でもそれぞれ違う人間なんだから、誰かと完全に同じ道を歩かなきゃいけないことなんてない。自分の意志とペースでいいんだ。それを助けてくれる仲間ならここにたくさんいる。それがオレたちの最大の強みで幸福なんだから。
いや、パッと思いつくこともあるけどね。人間火力発電所とか人間焼却炉は最低な発想だからな。オレだって風力発電補助機とか帆船用動力になれるけど、仕事にはしたくないし。
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と、いろいろあったり思ったりしたが。
この惨状を見ると全く違う感想が湧いてくる。
「ぁ、あゎ、ぁぁぁ、あ」
「「…………」」
本気で言語能力を失っているネレは初めて見る。絶句してるのはララとリーズも一緒だが。
「「「……ごめんなさい」」」
いつどこでだったか、「キッチンは戦場だ」と誰かが言っていた。昼時の飲食店の厨房を視界の端でも覗いたことがあればその表現は正しいと頷ける。しかし、ピークタイムをすぎたら戦場跡になるようなことはないだろう。
その戦場跡が今ここにある。否、その表現すら生温い。
過言だが、“地獄”。漫画的表現であればモザイクと黒や紫のオーラが見えているところか。さすがに虫がいたりはしないのは救い。
「……よくよく考えてみれば、残ったのは家事ができない面子だったな」
野営の経験があるはずのフレイアならある程度はできるはずなのだが、と二つも「はず」が付くと可能性はだいぶ落ちるのだろうか。一緒に冒険者やってたころもほぼ日帰りだったもんな。士団も後方担当は所属したことのない第二隊だったらしいし。
そんなことを考えていたら、ジト目が一つ向けられていた。
「……そういうユーリ君は何かできるのかとあえて問いたい」
なるほど、セラの疑問ももっともだろう。オレだって家事はできない組に入る。九羽鳥悠理だったころも自炊もろくにしてなかったし、現代人らしく洗濯は洗濯機任せで掃除は掃除機を活用していた。
けど。
「まあネレとアカネちゃんと姉さんとユメさんに比べればオレも似たようなものではあるだろうな。それでも二年近く放浪してたんだから最低限の生存技能はあるはずだと思うが」
「しまったそれがあった!」
セラが頭を抱える。そりゃまあ、出会って一年の印象がほぼすべてなのもまた事実。学院だと身の回りのことは寮付きの世話員さんにほとんどやってもらえていたし。
しかしながら、
「それでできない私はなんだろねー」
フレイアにさらなるダメージを与えてしまっていた。人生の足跡としては同じような感じではあるものな。
「ある意味では悠理がおかしいとも言えますけどね。適応力が高すぎるというか、フレイアさんのようになるのが普通でしょう」
「そういう天才肌みたいなのじゃないけどな、オレは。あとはそうだな、日本だと“家庭科”って言って簡単にでも料理や裁縫を学ぶ科目があったからな。それの開始自体はこの世界での学院入学より数年前だし」
小学校時の調理実習を何年生のときにやったかは覚えていないが、中学以降でも授業や学校行事としていろいろと料理をやる機会はあった。キャンプも何年かに一回のブームの周期みたいなものがあったしな。
「へー。ユーリの世界だとそうなんだ。おもしろいね」
「家庭科……って家政学院みたいなもの?」
「そこまで本格的なものじゃないけどな。内容自体もほとんど覚えてないくらいだ」
実際、料理も裁縫も母さんはおろか姉さんにも及第点すらもらえなかったからな。焼き肉くらいか褒められたの。ただ食品を焼いただけで褒められるのはどうかと思うが。
「最低限醤油があれば食えるものは出せると思うんだけどな。世界差としてスパイスが少ないわけじゃないんだが、オレとしては逆にやりにくい」
料理の「せそ」が無いのはやはりレパートリーが狭まる。海産物が少なくて魚醤もないし。いや、大豆醤油と魚醤は違うけど。塩と果実酢とハーブでなんとかしてる面が多いよな。
「醤油と味噌、それに穀物酢でしたっけ。私も使ってみたいです。レインさんに期待ですね」
「ユーリの料理かー。楽しみだなー」
「全員が泣いて喜びそうですね」
「そこまでは……いえ……可能性はあるかもしれない……ですか」
「……よし、私も教わろ」
「私はレアに期待で」
「最初から諦めるなよ」
などと雑談している間になんとか片付けは終了した。落ち着くまでグレイクレイ家に滞在している姉さんやまだ戻ってきていないレアがいてくれたら水魔法でもう少し早く片付いたかな。
ところで、終了したはいいが。
「こっちの家はどうしようか」
基本的には今後は元ハーシュエス家を使うことになる。そうするとこちらは空き家になってしまう。愛着も使い道もあるだろうから取り壊す必要はないけど、家って使わないと痛むって言うし。
「ゲストハウスでいいのでは?」
「ですかね。ユーリさんのお父さんとお母さんもいらっしゃることがあるでしょうし……いえ、そのときは自室を使っていただいたほうがいいですか」
「ユメとかミアとかティアも泊まりに来ることもあるよね。レインも」
「あるいは……別荘のような……すぐ隣ですけど……」
無限色の翼の四人の言うように使うのが妥当かな。もう「オレだけ一人で住む」とか言う気はないし。
とか考えていたら、またセラが微妙な顔をしていた。
「どうした?」
「……ううん。変なこと考えただけー。お気になさらずー」
変なこと?
同じことを思ったのか、全員の頭の上にハテナマークが浮かんでいる。
その空気に気圧されたってことはないだろうが、セラはポソリと呟く。
「……連れ込み宿」
当たり前に全員が吹いた。飲食の最中でなかったのが不幸中の幸いだ。
「セラちゃん!? なに言ってんの!?」
フレイアが吠える。いや悲鳴か。
ホントだよセラなに言ってんの。
全員に真っ赤な顔と目を向けられて、爆弾発言をした当人はこちらも顔を真っ赤にしながら腕を振り回して焦りだす。
「だってさ! ユーリ君の弟か妹のことがあって、将来的には当然みんなそういうこともあるわけで、そのとき私は耳塞いで部屋で小さくなってるのかと思うとですね!? ってなに言わせてくれてんのユーリ君!?」
知らんがな妄想が過ぎるだろ。
いやたしかにオレの問題ではあるけど。衣食住揃ったらそういうことも人生設計に組み込まれてくるんだろうけども。
でもな。
「「「「「…………」」」」」
……淑女五人とも。何かを期待した目でオレを見ない。おそらく身体的にまだ早いから、じゃねえよおめーも何考えてんだユリフィアス・ハーシュエス。いや実際オレは年齢的に早いけどさ。早いよな?
というか、レヴまでその言葉の意味を知っててわかってるのはちょっと意外だった。
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今この場にいる面子の引っ越しは完了した。
あとは姉さんとレアとアカネちゃんとエルか。そもそもちゃんと部屋を持っていたわけじゃないからある程度なら勝手にやってもいいんだろうが、やっていいのとやるべきなのは違うからな。
「行く度に思ってたけど、ハーシュエス家って結構おっきいよね」
「最初は宿をやるつもりだったとか言ってたな。それほど大規模にやる気もなかったけど、これでも満室にならなさそうだったからやめたとかなんとか」
全員が個室をとって父さんと母さんの部屋も残る部屋数が小規模なのかは謎だが。
宿屋自体については母さんの前職にも関係してるのかな。農家と宿泊施設はあんまり両立できる気がしないが……自分の家で育てた野菜を提供するって考えたら有りかもしれない。なかなか大変だろうけど。
「悠理が宿屋の息子ですか」
「むしろ宿泊者になる方ですよね」
「みんなで宿屋やるのも面白そうじゃない?」
「わたしは……接客はできませんが……楽しそうには思えます」
とんでもない宿屋になりそうだな。少なくとも面倒な客が叩き出されるのは間違いない。
日本じゃ考えられないな、そんな客商売。でもそれはそれでおもしろそうだ。お客様がどんな神様かなんてわかったもんじゃないものな。
老後なんてまだ考えられないが、いつかどこかで隠居するなら父さんと母さんの願いを叶えるのもいいかもしれない。また一つ将来のプランが増えたな。




