第五十八章 ハーシュエス家の今後
新しい命の誕生はめでたいことだ。
ただ最近そんな話をしたように、医療技術の発達していないこの世界の出産には危険な面も多くある。発展してても危険はあるだろうけどな。
「それでも、三人目となれば母さんとしても慣れたものなんだろうとは思うけど……」
「慣れてはいるけれど、不安な面があるのも本音よ?」
「だよな。ごめん」
そりゃそうか。
高齢出産ってわけでもないが、それとこれとは別問題だものな。
出産か。男のオレには一生持てない喜びと不安と恐怖だ。
「お父さんとお母さん二人だけだと、なにかあったときに心配だよね」
「その辺りは周りの人も助けてくれるだろうけどな」
父さんの言うとおり、そこまで排他的な村じゃないだろう。それでもさほどオレが安心できていないのは人間不信がすぎるのかな。
ある意味で魔人事件で善人だけが残ったという見方もできるが、悪人みんなが消え去ったわけじゃないだろう、ってなんか考えがとっちらかってるしいろいろ傲慢でもあるな。
「一時的にでもオレたちのところに引っ越すっていう選択肢は……いや、助産経験がある人なんて知り合いにはいないから問題があるか」
「聖職者として多少ならば関わったことはありますけど、私自身は本業ではないですからね……」
ララが無念そうな顔をする。
いくら人を集めたとしても、年の功に敵わないものはあるな。オレ自身もそもそも万能ってわけではないし、どうやっても手の届かない分野はいくらでもある。
レインさんとの話でできることについては考えたが、この件でできるのは腹部エコーの真似事くらいか。それならたぶんオレたちの誰でもできるし母さんだって自力でできるはずだ。そこから先はどこまで行っても手の届かない領域なわけだが。
「わたしがしばらく一緒にいたほうがいいかな?」
それも手だとは思う。ただ、「オレと居たい」と言ってくれた姉さんと離れるのもなんだか違う気がする。
「『ここに引っ越してくるのも悪くはないのかも』なんて考えたこともありましたけど、まさかこういうことで現実味を帯びてくるとは思いませんでした」
ネレはそんなことも考えてたのか。たしかに、移住先としてこの場所はありなのかもしれないな。人目を避けられないって問題を除けば。
昔聞いたことのある日本の田舎ほど排他的でもないだろうし、選択肢としてありえたのかもしれない。
「いくら魔法や魔道具を極めようとしても……それだけで全てが解決するわけでは……ありませんね」
リーズも落ち込んでいる。
そこは別に落ち込むポイントじゃないと思うんだけどなあ。知識や経験で解決できないことだって同じようにあるんだから。
「どうするにせよ、弟か妹ができるならオレも『家を出たから』って言うわけにもいかないな。オレは長男としての役割を果たしてないし」
それどころかそんなことを考えて転生しなかった。これもまたオレの無計画と罪か。ただ、狙って次男以降に転生できたとしてもそれはそれで自己中心的だよな。
「なんだ長男の役割って?」
って、なんで父さんが首を傾げる?
「役割なら十分果たせるんじゃない?」
いやいや。母さんまで何を。
「家とか畑とか、オレが守るものなんじゃないのか?」
あとは老後のこととか。それはまだまだ先の話になるが。
「土地のことは別にな」
「家のことなら心配する理由なんてこれっぽっちもないでしょうし」
父さんは頭をかき、母さんはララたちを見て笑っている。あー。
母さんの思ってることは置いておいて、立身出世の時代でもあるわけだから「先祖伝来の土地が」とかは平民としてはさほど関係ないのか。
心の動きは様々で、オレが思っていることと父さんと母さんが思っていることは違うだろう。そもそも常識と感覚が違うのもあるのだろうな。いや、前の世界でも農家の跡継ぎがサラリーマンとか別に珍しくもなかったけど、そういうことなのかもしれない。
「っていうか結局これまで父さんと母さんの来歴すら聞いたことないんだよな、オレ。親不孝なことに。案外貴族の血とか入ってたりとかしない?」
えーと、何かで聞いたことあるな。『貴種流離譚』だっけ? そうなるとオレも貴族の血が入って云々とかだから、今までの言葉から説得力が消えそうだが。
「いや? 俺は貧乏農家の三男坊。小金稼ぎに冒険者としてクエストを受けてた時期もあるけどな。土地を求めて流れてきた感じか」
「わたしは隣村の食堂で働いてただけね」
見事に血筋的なものはなんにもなかった。
とは言うものの、それがこうしてデカ目の家と個人の畑を持ててるのはそれはそれですごくはあるか。そこは日本では無理ではないにせよ難しかっただけでもあるとしても。
「……親とかは」
これまで会ってない辺り、その類の話はデリケートな可能性はある。この際ついでにって感が強いなこれも。
「俺は健在だと思うが、頼るのもな」
「うちはもう……ね。できれば会わせてあげたかったけど」
ほらな、母さんの地雷踏み抜いた。横目で見たけど境遇が同じネレも俯いて落ち込んでるし。
「すまん、ネレ」
「え? 何に対しての謝罪ですか?」
あれ? なんで不思議そうな顔? 落ち込んでたんじゃないのか?
「いや、ネレもご両親を早くに亡くしてるし、嫌なところに触れたかなと」
「それについてはもう折り合いはついています。友人であり家族であるみなさんもいますから、私は大丈夫です」
そうか。そう言ってくれるなら多少は救われる。空気が読めない発言をしたのは取り消せないけど。
ホント申し訳ない。どうせならこの辺りのことを封印するような魔法をかけて欲しかった。
「……変なところで責任を感じないでください。私が考えていたのは、リーフェットのグレイクレイ家を使ってもらうのはどうかということです。そうすれば会いに行くのにも苦労はしないでしょうし、生活の利便性もよいのではないかと」
「グレイクレイ家か」
なるほど。そういう手もあるか。
リーフェットならエクスプロズからも近い。それにちゃんとした街だからな。生活インフラも十二分に整っている。
でも。
「ネレさんはそれでいいのかい? お父さんとお母さんとの思い出があるだろうに」
父さんも同じことを考えていたらしい。そりゃ普通の感性ならそうか。
「現状でも維持管理ができているかわかりませんから、使っていただけるのならこれ以上はないです。リーズさんが作っていた家庭菜園しか無いですしそれも今は放棄に近いので畑は新しく作ることになってしまうでしょうけど」
「そこはなんとかするよ」
ここに移り住んできてるらしい時点で開墾は自力でやってるんだろうからな。植生が変わる可能性はあるが、それもまた農家の力の見せ所だろう。
「その時はオレも手伝うから」
「おう。頼りにしてる」
もう魔法使いであることを隠さなくていいからな。存分にやってやるさ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかしら? ありがとうね、ネレさん。大事なお家を貸してもらっちゃって」
「いえ。いずれ私にとってもご両親になる方ですし。ですよね、ユーリさん?」
おっとっと。いきなり矢が。オレと、それを言ったネレ以外全員苦笑。
いい加減、こういうことにも対処できるようにならないとな。今回はその相手からだが。
「そうだな。生まれてくる弟か妹にも姉がたくさん増えることになるな。ネレと同じで父さんと母さんにとっては娘か」
「「えっ……あう」」
「な……もう」
ララとリーズが唖然とした顔をしたあと真っ赤になった。そう返されると思わなかったネレも一瞬遅れて。
父さんと母さんはいつもするような遠い目になってたけどな。
いや、笑ってるのは姉さんだけでオレだって真顔じゃないけど。
「でも、そうなるとこのお家ともお別れなのかな」
しかし一転、姉さんが寂しそうな顔をする。
その気持ちもわかる。生家だものな。父さんと母さんもそこは複雑そうな顔をしている。
それについては右から左へ流すってわけじゃないが、これで別の問題の解決にはなるかもしれない。
「リーズ。この家ごと空間圧縮魔法でエクスプロズに持っていくことはできるか?」
そもそも今使っている家だって、どこかから持ってきたものだと思う。じゃなきゃ普通に建て増ししてるはずだ。
となれば答えとして考えられるのは、空間収納魔法のオリジナルでリーズが運んだということ。魔道具で家も作れるのかもしれないが、そういう感じではなかったし。それならそもそも建て増しできている。
「なるほど……そうですね……三辺寸法的にも問題はないですね」
これ以上なくサラッと言う。さすがはリーズ。
オレも一度最大サイズがどの程度か計測してみるべきかな。と考えて真っ先に想像したのは隕石みたいな質量攻撃。環境へのダメージが大きすぎるから無理。
うん。暇に暇が重なったときに適当に調べよう。
で。
「……家を持っていけるって。ほんとにユーリの知り合いはすごいわよね」
「……ああ。すごすぎて言葉が見つからない」
ずっと父さんと母さんは能面みたいな顔を続けているが、オレからすればララとリーズこそホントの魔法使いなんだよな。あとはフレイアか。
創作モノでは“魔法”と“魔術”の表記があって、語感だけで言えば一般的な魔法使いが使っているものは後者のような気がする。最初に訳した人はどういう意図で英語の“マジック”に“法”の字を充てたのだろうか。
そういえば別口で聞いたことがあるな。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」だったか? 今のところ科学技術の先に魔法があるとは思わないけど、それ自体も訳された言葉だからな。
と、この考察もまた今度にするとして。
「風呂はネレの家に持っていくか」
「そうですね。設置はしてありますけど、話を聞くにユーリさんの作ったものほうが良いもののようですし」
今の家にはもうそれなりのサイズのがあるし、いつかは温泉を作る予定だからな。母さんも慣れたもののほうがいいだろう。
「本当にいろいろと悪いわね。みなさんもご挨拶に来てくれたのでしょうに、お構いもできず」
「いえ、慶事に立ち会えたことに何よりも感謝したいです」
「私としても、懸念のいくつかが解消されたのでやっぱり来てよかったです」
「わたしも……ユーリさんの……今生のご両親が良い方たちだと……わかりましたから」
引っ越せばもっと気軽に会えるだろうし、その機会も増えそうだしな。
「ただ、環境の変化がいいことだけじゃないと思う。もしかしたら悪い結果になるかもしれない」
「体調面で何かあれば私が力になります。そんなことが無いのが一番ですけど」
その面でやはりララの存在は大きい。もちろん、聖女で回復魔法の使い手だっていうことだけが彼女のすべてじゃないけどな。
「皆さん、これからよろしくね」
「俺からも。男じゃ察せないことも多いだろうし、フィリスのことをよろしくおねがいします」
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普通は引っ越しって一大事のはずなのだが、結構簡単に決まってしまった感はある。って、仕向けたオレが言うことじゃないが。
問題になりえる不動産だが、家の土地はともかくとして、持っていた畑は隣人のトラスさんに譲ることになった。そこも隣同士だったからな。魔力含有土の恩恵は長くは続かないだろうが、有効に使って欲しい。
「そうか、出ていくのか。寂しくなるな」
「すまないな、いろいろ世話になったのに」
「まさか。それこそこの前の一件含めてアレックスとフィリスさんには誰も頭は上がらないさ」
そう言えばレヴと姉さんが言ってたっけ、「この辺の魔人は父さんと母さんが片付けた」とか。そうでなければ甚大な被害が出ていたに違いない。
「アイリスちゃんも。いろいろあったけど、腐らずにやってて眩しい限りだ。これからも変わらず元気にな」
「ありがとうございます」
姉さんはこの近辺でも評判のいい子供だった。惜しまれるのは当然だな。
さて、こんなところか。
「ユーリ君も元気でな」
っと、空気に徹しようとしてたのになぜかこっちにも話題が飛んできた。
「元領主のバカ息子に何度も啖呵切ったとこなんかスカッとしたぜ。あのときは弟じゃなくて男に見えたからな」
「はは。ありがとうございます」
そうか。それまで目立たないようにしてたからって、あんなことがあったら別か。
「それだけじゃなくて、周辺の魔物を駆除してくれたりもしてたんだろ? ある時から明らかにそういう話が減ったからな。アレや王都での話を聞けば納得だ」
「……ええ。まあ」
そこも知られていたのか。
もちろん、被害が及ぶからとかじゃなくて魔法の実験台なことも多かったけどな。
「見てるやつは見てる。ユーリ君に一目置いてる大人もそれなりにいたってことだ。まあ、ハーシュエス家がいなくなるとこれからちょっと気合を入れないけないかもだけどな」
「……ありがとうございます。見てくれている人のことについても覚えておきます」
「おう」
なんだかんだで、オレもちゃんとこのコミュニティの一員だったんだな。学院のことと言い、出ていくときに限ってそれに気付かされるなんて本当にオレは失敗してばかりだ。
いつかここに帰ってくるのもいいのかもしれない。そのときもここが変わらずこのままあって、世界がもう少し善くなっていますように。




