Material 魔法と呪文
「そういえば、ユーリくんもアイリス先輩も魔法を使う時に詠唱をしてないですよね」
とある休日。その日の朝はレアのそんな言葉から始まった。
「わたしは最初から無詠唱じゃなかったよ。ユーくんに教えてもらって詠唱が要らなくなったんだ」
「うーん、やっぱり」
セラが何に納得したかはわからないが、姉さんが詠唱無しで魔法を使えるのはたしかにオレの影響だ。今では母さんも無詠唱で魔法を使えるようになっている。
高速詠唱、というか早口で呪文を唱えたり、数節を省いて呪文自体を短縮したりする技術はなくもないが、
「そもそも、呪文ってなんだろうな?」
「またなんかすごいこと言い出した……」
いやだから別に変なことを言っているわけではなくてだな。魔法使いにとって詠唱が標準だというのはわかるにしても、だ。
「言葉自体のことだよ。文節とでも言うのか。ファイアボール一つとってもオレはセラも含めてかなりの魔法使いの呪文を聞いてるが、ほとんど違う呪文を唱えてる」
「たしかにそうですね」
「これが“決められた言葉”を“決められた速度”で“決められた抑揚”で唱えなければいけないのなら、たしかにそれは呪文なんだろうけどな。言葉はともかくとして、それ以外の要素が変わっても魔法が出なくなることはない」
そうでなければどうなるか考えてみればいい。
ある一つの魔法は、誰かたった一人の魔法使いが有史上一度だけ奇跡的に使えるような世界になるだろう。声紋だって個々人で違うのだから。
逆に言えば、ここまでバリエーションもテンションの違いもあるのに同じ魔法が発動することを誰も疑問に思わないのが不思議でならない。
「当然、人によって魔法の発動工程には差があるからなんとも言えないが、基本的には“イメージ”と“呪文”と“魔力”を噛み合わせて発動に至ってるというのはみんな共通してるはずだ」
オレの場合も、魔法を覚えた当初はそうだった。発動する魔法をイメージし、呪文を唱え、それに魔力を乗せる、というのを並行して進行するという手順を踏んでいた。
「そもそも使い続けた魔法は当然強くなるわけだが、呪文自体はこれも当然変わらない。だから、実は呪文は魔法自体に大きな影響を与えるわけじゃないんじゃないのか、というのがスタートだったな。呪文を除けば残るのはイメージと魔力。魔力は使用量と前言った属性の問題だけだから、残るのはイメージだけだ」
「たしかに消去法で行くとそうなりますね」
「じゃあ呪文はなんなのかと考えると、イメージを補助する機能が一番強いんだと思う。祈りに似てるのかな」
実際には自己洗脳の要素もあるのだと思うが、その辺は語る必要はないだろう。意味合い的に変わるものでもない。
「うーん。たしかにそういうカンジかなあ」
ところで。
そのファイアボールの呪文には『燃えろ』みたいな単語がよく使われている。しかしそもそも、火魔法自体は何が燃えてるんだ?
脊髄反射で「魔力」という答えが返ってくるかもしれないが、魔力結晶や魔石に火をつけても燃えないことからそれは否定できる。それ以前に大気中の魔力元素が燃えて無限延焼を起こしているはずだよな。
こういうことから突き詰めていくと、本当に詠唱の文言やイメージと魔法自体に関係性があるのかという疑問さえ起こってくる。
とは言え。それを言い出すと魔力や魔法の根源まで追求しなければならなくなるが。
「詠唱しなくて済むなら水の中でも魔法が使えるようになるのは当然として、口を塞がれて魔法が使えないって事もなくなる。それ以前の話として、詠唱のキャンセルの可能性を残したまま呪文のスパンで撃つよりかは八割性能だとしても同じ時間で一〇〇連射できたほうが有利だろ」
実際には詠唱の有無で魔法の性能が変わることはない。詠唱が必要なくなって逆に集中を削がれるようになってしまったオレだからこそなのかもしれないが。
「一〇〇連射は無理では……」
「できるよ?」
「もーやだこの姉弟……」
セラが天を仰ぐ。でも、その目が死んでいないことだけはちゃんと気づいてるぞ。
「いや、単発の連射が難しくてもイメージだけでいいなら複数を同時行使すればいいだけだ。こっちならできるだろ」
「こっちなら、ですか。それって、ユーリくんは一〇〇連射を同時行使できるということでは……?」
やるかどうかは別として、できるな。数は抑えていたが姉さんもやっていたし。それもこれも訓練次第だ。
「それができなくてもイメージを形にすることができるなら魔法を新しく作ればいいだけだ」
「そうだね。既存の魔法を改良するのも簡単だし」
「「うーん……」」
二人は不安になっているが、姉さんもできてるからなぁ。名選手が名監督ではないとかの類ではないと思うのだが。
いや、思い出した。無理なわけがない。
「そもそも二人とも無属性探知は無詠唱でやってたじゃないか」
「あ、そういえばそうだ」
「たしかに、特に意識せずやってましたね」
あの感覚があれば無詠唱もさほど苦労せずに身につくだろう。
曰く、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」だからな。まだまだこれからこれから。