安全対策は施しても施しても完璧ということはない
ティルノーアは一人用のソファに深く腰を掛けさせられ、カインが城の裁縫室に作って貰っていたスリング型の抱っこひもをたすき掛けで身に付けた状態で、エメリッヒをスリングにすっぽり納めた状態でようやく抱っこすることが出来た。
急に立ち上がらないように、キールズが背後に立ってその肩を押さえ込んでいる。
「ふふふぅ~。確かに、ぴりぴり、もぞもぞしますねぇ。魔力が体に収まらず、あふれちゃってるんだねぇ~。いいよいいよ~、体鍛えて、おっきくなって、立派な魔法使いになろうねぇ」
「いや、出来ればエメリッヒには騎士団を継いでほしいんだけど……」
「棒振りになるなんてもったいない!」
スリングから顔を出しているエメリッヒにニッコニコで声をかけるティルノーアは、布越しにエメリッヒの腰や背中を優しくなでまわしている。
ティルノーアの背中越しに、ハラハラとした表情でキールズがのぞき込んでいるが、意外とティルノーアの抱っこは安定していて危なっかしさは感じられなかった。
「じゃあ、まずは魔力循環から試してみましょうかねぇ。はい、エメチッチ君手をだしてくださーい」
「エメリッヒです」
「ぷにぷにのおてて柔らかいですね~」
ティルノーアはスリングの中からエメリッヒの両手だけをちょこっと取り出すと、自分の右手とエメリッヒの左手、自分の左手とエメリッヒの右手で手をつないだ。
そのまま、右手を引っ張りながら左手を押す、左手を引っ張りながら右手を押す、という押し相撲の様な動きをしはじめた。
「はーい、右手~、左手~、右手~、左手~」
「……何をやっているんですか?」
「手を押した時に、魔力を押し込み、手を引いたときにあふれてる魔力を引っ張ってますよぉ」
手の動きを留めずに、ティルノーアはキールズの質問に答えてくれた。
「先生、それって魔法の授業の一番最初にやったのと同じですの?」
ふわふわのラグマットの上に座ってティルノーアのやっている事を見守っていたディアーナが、はい!っと手をあげて質問をした。
家庭教師として魔法を習っていた時の習慣である。
「そうそう、そうだよぉ~。さすがディアーナ様は勘が鋭い! エメチッチ君はまだ、言葉で『こうしてねぇ』って伝えても分からないので、ちょっとずつこうだよぉって体験して貰っているところだよぉ」
「どういうことだ?」
「キー君は、魔法の勉強するときに『魔力循環を体感する』ってやらなかった?」
ティルノーアの説明だけでは理解しきれなかったキールズに、ディアーナが反応した。すっくと立ち上がると、キールズの側まで移動して両手を差し出した。
ティルノーアとエメリッヒがやっているように、ディアーナもキールズに手を握れと言っているのだ。
ティルノーアの肩から手を離すのをためらったキールズだが、何をやっているのかも気になるのか、素直にディアーナの両手を握った。
二人の手がつながり、腕と体で円の形ができる。
「いい、キー君。右手から魔力を流すから受け取ってそのまま魔力を肩の方まで動かして、反対の肩を通って左手から私に向かって魔力を押し出してね」
「??おう、よくわからないが、わかった」
「いくよー」
「…………おわ。なんかぞわっとする!」
カインやディアーナが、魔法の家庭教師としてやってきたティルノーアに一番最初にならった『体内の魔力を感じて、魔力の流れを意識する』ための練習方法である。
キールズも貴族の令息なので魔法の勉強は一通りしているが、この指導方法はうけていなかったようだ。
「あ、あれ僕もカインから魔法を教わるときに最初にやりましたよ」
「そうなのか? 魔力というのは、どのように感じる物なのだ?」
「なんか、人の魔力が入ってくるのはゾワゾワっとします。だからこそ、魔力がめぐってる感じがするのかもしれません。自分の魔力は結構意識しないとわからないので」
「そういう物なのか」
ソファーに座るティルノーアとエメリッヒ、ソファーの後ろに立って輪になっているキールズとディアーナ。二組の魔力循環作業を眺めながら、ジュリアンとジャンルーカもリラックスした様子でのんびりと会話を交している。
ジュリアンの休暇を兼ねているということで、ジャンルーカも数日ほどネルグランディ城に滞在することになったのだ。
夕方まではこの子守部屋ですごし、夕食のあとは本城の三階、ジュリアンと同じフロアの客室に泊まることになっている。
「ふむふむぅ。おぉ。エメチッチ君は魔法の天才かもしれませんよぉ! 魔力を循環させるのがとってもおじょうずだ!」
「きゃふぅうう。うぶぶぶぶぅ」
目を見開き、大げさに喜ぶティルノーアの様子にエメリッヒもご機嫌そうに笑っている。
いっちに、いっちに、みぎひだり、みぎひだり、と声をかけながら相変わらず手を出し入れしているティルノーアは、目線だけでカインを呼んだ。
「カイン様、布ごとで構いませんのですこしエメチッチ君を抱っこしてみてくれませんか?」
「……わかりました。ティルノーア先生はぜぇぇええったいに立ち上がらないでくださいね!?」
「分かってますよぉ~」
カインはティルノーアの前に膝立ちになり、そっとエメリッヒの入ったスリングの下に手を差し込んだ。
ティルノーアが相変わらずエメリッヒとつないだ手を出したり入れたりしている状態で、カインはエメリッヒをそっと抱き上げた。
ティルノーアは引き続きつないだ手を出し入れしているので、逆にカインに向かって前屈みの体勢になっている。ちゃんと注意されたことを守って尻はソファーの上から離れていない。
「……あれ? エメリッヒを抱いてもゾワゾワしない」
ご機嫌でティルノーアと手遊びをしているエメリッヒを腕の中に抱え、カインは目を丸くして赤子とかつての恩師の顔を見比べた。
ティルノーアは、エメリッヒから視線を外さなかったが、口角をぐにゃりと引き上げてしてやったりという顔で笑ったのだった。
スライサーで右手小指の先っちょをざっくりやってしまいました。
出血しすぎて倒れちゃったよ。
みなさん、刃物を使うときは十分にお気を付けくださいねぇ……