未来の王
「何かありましたらお呼びくださいませ」
そう言って執事のパーシャルが深々と腰を曲げたのを見送り、ハッセがゲストルームのドアを閉めた瞬間、ジュリアンは脱力したようにふにゃふにゃとした姿勢になり、足を引きずるように歩いてソファーの上へと倒れ込んだ。
「ほんとうにもう、賓客であればあるほど階段を上らせるのは、逆に失礼に値すると思わないか?」
「警備の観点から、また夜景や朝の窓からの景観などから鑑みても妥当かと思います」
「疲れるじゃないか」
賓客用のフカフカのソファーにうつ伏せに横になり、ソファーの座面からこぼれた腕をぶらぶらとさせながらジュリアンが文句を言っている。
その間も、ハッセは窓の外を確認したり、部屋の中にあるドアというドアを開けて不審物がないか抜け道が無いかなどのチェックを行っている。
「もう、王様言葉はよろしいんですか?」
「ハッセしかいないし、カインの実家だ。盗み聞きするような不心得者もいないだろ」
うつ伏せのまま、ひじから先だけを挙げて「ナイナイ」と手を振って省エネなジェスチャーで答える。
カインには「今回の遷都は臣下任せにして楽をしている」とうそぶいてみせたジュリアンだったが、そうはいってもお飾りではあっても指揮官は指揮官である。
はんこを押すだけの書類だとしても大量にあり、高位貴族からの陳情であれば直接謁見の場を設けて話を聞かねばならない。その対処自体は臣下がするにしてもである。
学業もおろそかに出来ないジュリアンは、疲れていた。
飄々としてチャラい態度をすることの多いジュリアンだが、根は真面目なのである。見かねたシルリィレーアとハッセとで、ジャンルーカを迎えに行くという口実をつくり、王都を脱出させたのだ。
「お茶でもお入れしましょうか?」
「うん」
部屋中の安全チェックを終わらせたハッセが、部屋に備え付けられているお茶セットへと足を進めた。
「……この湯沸かしポットというのは便利ですね。ストーブもコンロも不要でお湯が沸くなんて」
「本人が水魔法を使えれば、水差しすらいらないからな」
サイリユウムは魔力の無い人間ばかりの国なので、魔法道具も存在しない。お湯を沸かそうと思えば火をおこすところから始めなければならない。
大きな城であれば厨房が常に一口は火を保っていたりもするが、そうで無ければいっそ水で我慢するぐらい面倒な仕事である。
スイッチを入れて少し待つだけで湯が沸くというのは、本当に魔法のようだとハッセは思った。
「コレがあれば、ジュリアン様のおそばを離れること無く私がお茶を入れて差し上げられるのに」
「嫌だよ。お茶ぐらい美人の侍女が入れたものが飲みたいよ」
「……そこは、せめてシルリィレーア様の入れたお茶とおっしゃってください」
ハッセが言ったのは、お茶をもらう為に護衛のハッセがジュリアンの側を離れなくても済み、厨房から運ばれてくる途中で毒を仕込まれる心配のないお茶を入れられる、という意味だ。
ジュリアンも分かっていて茶化しているだけだが、ハッセは真面目なので真面目に返答を返してしまう。
「これ、一つ貰って帰れませんかね」
「やめておけ、いらん騒動が増えるぞ」
ハッセはカップ二つ分のお茶を用意し、一つをジュリアンの前に置き、一つは持ったまま向かいのソファーに座った。
ジュリアンが起きてお茶に口を付けるのを待たずに一口すすり、顔をしかめた。
「魔法道具一つで騒動ですか?」
「あの道具の下部に赤い石がみえるだろ? あれに火の魔法が込められていて、使い続けると色が薄くなっていって、透明になると使えなくなるんだそうだ」
「あぁ、使用回数が決まっているのですね」
「もちろん、魔力を込めなおせばまた使えるようになるけどな」
「……では、我が国に持ち帰ってもすぐにガラクタになってしまうだけですね」
便利であっても、使い捨てとなるとゴミの処理に困るしきっと使い捨てるには高価なのだろうと、ハッセはがっかりして肩を落とした。
「ぷっ、くははははは」
ハッセがお茶を入れてからも、ソファーにうつ伏せに寝転がり続けていたジュリアンが、笑いながら身を起こした。
「ハッセは良い奴だな!」
そう言って背もたれに腕をかけると、ジュリアンは大げさな動きで足を組み、背筋を伸ばしてふんぞり返った。
「いいか? 我が国にも魔力持ちはいるんだ。しかも分かり易い目印を付けて生きている」
そう言ってジュリアンは自分の右手人差し指で、左手首のあたりをトントンと叩いた。
魔力封じのブレスレットの事を指している。
「あんな便利な道具があるって知ったら使いたくなるに決まってるだろ。そして、我が国では使い切ったときに『燃料を充填できます』ってのは金になる。この国みたいに平民であっても多少は魔力を持っている国なら問題にならないが、我が国ではそこが問題だ」
「それは……」
「平民や孤児、ヘタすれば下位貴族の魔力持ちはことごとく誘拐されて『部屋と一日一個のパンを与えれば動き続ける燃料タンク』にされるぞ。いいや、誘拐するまでもなく、我が子であっても隠し育てて魔法道具の燃料タンクとして使う貴族家もでるかもしれないな」
持ち帰っても使い捨てになってしまう、と考えたハッセは自分の考えの浅さを恥じた。
「カインが留学してきて見せつけた高貴さ、そしてジャンルーカの扱いを無碍にしないことで向上してきている魔力持ちの地位だが、便利さと大金の匂いの前では簡単に覆ってしまう。そうするわけにはいかないんだよ、ハッセ」
「……一個だけナイショで持ち帰り、ジュリアン様のお部屋でのみ使うとかでは」
「俺の部屋に一日どれだけの人間が出入りしてると思う? ハッセを含めた護衛達、朝晩の身支度を手伝いに来る侍女達、部屋の掃除をするメイドに洗濯物を回収に来るメイド、ノックもしないししても返事を待たずに乗り込んでくる無礼な妹達……俺にプライバシーなんか無い」
つまり、部屋の中だけで個人で楽しむ道具など持ちようがないということだ。
「浅はかでした」
「……だから、俺は王にならねばならんのだ」
先ほどよりも深く肩を落として落ち込むハッセのつむじにむかって、ジュリアンははっきりとした声で宣言する。
「俺が王になって、法整備をしてからだ。カインが留学してきてくれたおかげで、俺たちの世代では魔法使いに対する印象はすこぶる良い。ジャンルーカが留学を終えて戻ってくれば魔力持ち達を保護して魔法を学ばせる学校も作れる」
「ジュリアン様?」
ジュリアンは、普段あまり「俺が王様になったら」という事を言わない。
ほぼ内定している事ではあるが、まだ第一王子ではあるが王太子ではないからだ。驕りは自分の足をすくうとでも思っているのか、王族としての未来を語ることはあっても、国王でしか出来ない様な事はあまり口にださない。
なので、この物言いは長年側に仕えているハッセからしても珍しい。
「法整備したからといって、魔力持ちを誘拐して燃料タンクあつかいする人間がいなくなるわけでは無いだろうけどな。少なくとも見付けて罰する事はできるようになる」
そこまで言うと、ジュリアンは目の前のカップに手を伸ばし、少し冷めたお茶をグビッと煽った。
「俺が王になったら、その時は魔法ポットでお茶をいれさせてやるよ」
「かしこまりました!我が君!」
偉そうに胸を張って言うジュリアンに、ハッセは背筋を伸ばして応えた。
いつも飄々としていて、ちゃらんぽらんでチャラい雰囲気をだしながらも、ちゃんと胸の内では国の行く末を見据えている。自分の仕えるべき人はやはりこの人しかいないと、改めて感動に打ち震えるハッセである。
「……まぁ、なんだ。とりあえずお茶を入れ直してくれ。コレは味がしなさすぎる。客だからといって葉をケチるな」
「……やはり、薄かったですよね」
常々、ジュリアンの為には何でもしてあげたいと思っているハッセだが、だからといってお茶を入れるのが上手な訳ではないのであった。