うるさいお客様
カインの子守歌でしっかり眠れるようになったエメリッヒは、機嫌良く起きている時間が増えた。
そうすると、ディアーナやサッシャなどが手遊びをしてあやしたり、数十秒ほどのお座りを大げさに褒め称えたりして過ごす事ができるので、その分スティリッツの休める時間を増やすことができた。
生後半年ぐらいの赤ん坊なので、おむつが濡れれば泣くし、お腹が空けば泣くし、眠くなっても泣く。エメリッヒは相変わらず良く泣く子ではあったのだが、よく泣く普通の子の範囲に収まるようになっていた。
それでも、抱いたりおんぶしたりすれば触れた所からじわじわと不快感や違和感が広がっていくのは変わらないため、比較的我慢できているカインが寝かせる担当を請け負うことが多かった。
子育て便利グッズも少しずつ試作品ができあがってきて、色々ためしていたある日。
執事のパーシャルが離れの部屋へとやってきて、カインに来客を告げたのだった。
「わはははは、息災そうでなによりである!」
ネルグランディの城にやってきたのは、隣国サイリユウムの第一王子ジュリアンであった。
「何しに来たんですか」
「なんだカイン、冷たいではないか。親友の来訪であるぞ?」
「し……ん、ゆう?」
「心底不思議そうな顔をするでない。さすがに傷つくぞ」
わざとらしく傷ついた顔をしてみせたジュリアンだが、じっさい顔や体全体から疲れがにじみ出ていた。
「ジュリアン殿下は、ジャンルーカ殿下を迎えにくるついでに私の事も送ってくださったのよ。そんなに邪険にしないであげてよ、カイン」
「お帰り、コーディリア。元気そうでなにより」
「ただいま、カイン。ただいま、兄さん、ディアーナ」
少し背が伸びて、女性らしくなったコーディリアがにこやかに帰宅の挨拶をかわす。
その更にうしろには、ハッセが騎士服の上に革の軽鎧を着けて立っていて、カインと目が合うと小さく目礼してくれた。
コーディリアは自室へと引っ込み、カインはジュリアンを連れてひとまず応接室へと移動した。
「ジャンルーカは寮に残ると言っていたのだがな、その理由が飛竜の無駄遣いを嫌ってのことと知れたので迎えに来たのだ。遷都計画もほぼ終盤だし、王妃殿下がさみしがっておるでな」
「再来年には遷都でしたっけ」
「そうだ。私の卒業と同時に遷都完了を宣言する予定である。まぁ、二回前の旧王都へ引越すだけだからな。そんなに手間取るものでもない」
応接室へと移り、冷たいお茶を飲みながらしばし雑談をしてカインとジュリアンは過ごした。
ジュリアンの後ろにビシっと立っているハッセにもカインは椅子を勧めたのだが、「護衛としてきていますので」といって断られてしまった。今回はジュリアンの影武者ではないので、短く切りそろえた髪型のままである。
「今回の遷都では、私はお飾りの指揮官でな。優秀な臣下たちがなんでもかんでもやってくれるから、もう任せることにしたのだ。……王子としての責任や、本来の意味の遷都を目指して頑なになっていた時期もあったが……カインの言葉で考えを変えてからは気が楽になってな、直前ではあるがこうして遊びにくることもできたのだ!」
「遊びに来たって言っちゃったよ……。ジャンルーカ様を迎えに来たっていう建前ぐらいちゃんともちつづけましょうよ、ジュリアン様」
わっはっは、と笑いながら膝を叩くジュリアンに、カインが渋い顔を作る。お茶のおかわりを、とイルヴァレーノが動こうとした時に、応接室の扉が開いた。
「考えを変えたお兄様の言葉ってなんですの?」
「おお。カインの妹御であるな。美しくなったではないか」
入ってきたのは、エメリッヒをだっこしたディアーナだった。後ろからキールズとスティリッツも続いて入ってきた。
「サイリユウムの王子であらせられる、ジュリアン殿下。お初にお目にかかります。キールズ・エルグランダークと申します」
「妻のスティリッツ・エルグランダークです」
「よいよい、カインの身内であれば私の身内のようなものだ。かしこまらず座るが良い」
紳士の礼、淑女の礼をとったキールズとスティリッツに対して、ジュリアンは朗らかに手を振って着席を勧めると、逆に自分は立ち上がってディアーナの側までスキップするように移動していった。
「愛いのがおるな。ディアーナ嬢の子か?」
「そんなわけないでしょう!」
相好をくずしてエメリッヒをのぞき込むジュリアンは、ほっぺたを手の甲でやさしく撫でた。エメリッヒがむずがって口をへの字にすると、サッと手を引っ込めて姿勢を戻す様は、いつものジュリアンの意地悪さからは考えられない慎重な行動だった。
「カインはすぐに大声をだしていけないなぁ。赤子が怖がるではないか。なぁ~?」
ディアーナの子ではない事なんかわかりきった上で、カインが怒るような軽口を言ったのはジュリアンの方なのに、まるでカインがいけない事をしたかのようにエメリッヒに同意を求めるジュリアンである。
「ジュリアン様は、赤ちゃんお好きなんですか?」
その様子をみて、ディアーナが笑いながら質問すれば、
「もちろんだとも。赤子の嫌いな王族などおらぬ。人が無ければ国は無し。赤子がすくすく育ってくれることほど、王族として嬉しいことはない」
ジュリアンも、エメリッヒを愛しそうに見つめながら弾んだ声でそうこたえた。
意外だな、とカインが目を丸くしてジュリアンの事を見つめた。
「抱っこしてみますか?」
スティリッツが、ソファーに座りながらほんわかとジュリアンに声をかける。エメリッヒに対する態度や声の調子で、大丈夫だと思ったのだろう。
ジュリアンは振り向くと、ディアーナをエスコートしてソファーの空いている席へと座らせた。
「座った状態で抱っこさせていただこう。大事な跡取りをお預かりするのだ。万が一もないようにせねばな」
ジュリアンはそう言ってディアーナの隣へと深く座ると、ディアーナからエメリッヒを受け取って危なげなく抱き上げた。
右肘の上に頭を乗せ、両手でしっかりと背中と尻を支えるように抱っこしたジュリアンは、小さく揺らしながらエメリッヒの顔をのぞき込む。
「目つきはキールズ殿に似ておるかな。眉のさがりぐあいは奥方にそっくりであるな。……そして、やはり赤子とはいえリムートブレイク人だな。魔力で腕がピリピリしおるわ」
ジュリアンは、変顔を作ってエメリッヒを笑わせながら、ポロリとそんなことをつぶやいた。
「ジュリアン様?」
「なんだ? カイン」
「今、なんて言いました?」
「目はキールズ殿に、眉毛は奥方に似ておると言った」
「その後です!」
「魔力で腕がピリピリする?」
「それ!」
ビシッとジュリアンに向かって指をさし、中腰に立ち上がったカイン。
カインが指摘したことで、ハッとした顔になったキールズとスティリッツも真剣な顔でジュリアンへ視線を向けた。
「な、なんだ?」
エメリッヒの子守に参加していたサッシャも、カインに無理矢理エメリッヒを抱っこさせられていたイルヴァレーノも目を丸めてジュリアンをじっと見つめている。
思わずハッセが一歩動いてジュリアンを守れるような体勢を取ってしまうほど、真剣な空気がその場に流れた。
「魔力、なんですか?」
カインのつぶやきが、シンとした応接室の中に吸い込まれていった。




