似ている感覚を思い出せ
エメリッヒの子育てに参加している大人全員が寝不足でダウンしているということは、その中心で常に泣き続けているエメリッヒ自身も疲れているということだ。
カインの子守歌効果で眠ったエメリッヒは、カインの腕の中で二時間ほどぐっすり熟睡していた。
寝入りばなではなく、熟睡開始後三十分ほどたてばベビーベッドに戻しても大丈夫だろうとは思ったものの、せっかく寝たのだし……とカインは抱っこしたままソファーに座って眠るエメリッヒの様子を眺めて過ごした。
「カイン様ありがとうございます。おかげですこし元気がでてきました」
二時間経って、エメリッヒがぐずぐずと泣き出した声に反応してスティリッツが目を覚ます。
ささっと手ぐしで身だしなみを整えつつ、カインのもとへとやってきてお礼を述べた。
カインはゆっくりと首を横に振ると、立ち上がってスティリッツをソファーに座らせ、その手にエメリッヒを返した。
「おしめでは無さそうだから、ミルクかな。僕は一度退席するね」
「はい。本当にありがとうございました」
「無理しないでね。授乳が終わったらまた子守歌でもなんでも歌うし、庭に散歩に連れて行ったっていい。夏休みのうちは僕を頼ってね」
二時間ほどまとまって眠ることができれば気分はすっきりするだろうが、蓄積した疲労と落ちた体力が戻ってきているわけでも無い。
カインはスティリッツに気遣いつつ、イルヴァレーノとキールズを連れて部屋の外へとでていった。
「うーん……」
離れの廊下をあるきながら、カインが下っ腹部分をゆるくさする。小さくうなって首をかしげるその姿に、イルヴァレーノが心配そうな顔をした。
「どうしました? カイン様」
「エメリッヒを抱いている間、このあたりがじわじわと気持ち悪かった気がする。痛いとかじゃないんだけど、ゾワゾワするというかカユイ感じがするというか……表現しにくいんだけど」
「カインもか! 静かに二時間も抱っこしててくれたから大丈夫なのかと思っていたんだけど、やっぱり違和感があったんだな!」
カインが寝ているエメリッヒを抱いている間、洋服越しに触れている部分。腹部と太もも、そして腕のあたりに不快感とまではいかない違和感があったのだ。
「二時間ぐらいなら、我慢できる範囲だし別のことしながらだったら全然気にならない程度かなっておもうけど、乳母が体調不良を訴えるぐらいだったんだとすれば、個人差があるのかな」
「スティリッツはそんなに感じないらしいが、俺は結構な不快感があってさ。我が子を抱きしめたいのに抱きしめるとちょっと辛いってのが、つらくて……」
キールズがしょんぼりと肩を落として、弱々しくつぶやく。
「ネルグランディ領の管理と騎士団をまかされていて、お金もそこそこあって、子爵家っていうまぁまぁな権力もあるのに、結局子育ての負担が全部スティリッツにいってしまってるんだ。母さんも、義母上も、古くからいるメイド達だってエメリッヒの事は可愛がってくれてる。けど、みんな長時間世話をする事ができないんだ」
それでも、キールズは父親として不快感を我慢して我が子の世話をしているのだろう。昼間は騎士として働いて、夜は少しでもスティリッツが休める時間を作ろうと子どもを抱いてあやしているのだろう。
目の下の濃いクマがソレを物語っている。
『子どもは可愛いし、可能性の塊である』
これは、カインがずっと思っていることだ。前世で知育玩具メーカーの営業をしていたカインは、営業先のおもちゃ屋や保育園幼稚園などで、子育て中の母親、父親と接することが少なく無かった。
会社には子育て中や子育て終わりのパートタイマーの女性達がいて、色々な話を聞かされていた。
前世にはママ友という言葉もあったが、子育て情報というのは年齢差関係なく共有しようとするものの間にはめぐりめぐってくるものだった。
「叔母様や乳母達は、こういう事例が他にもあったかどうかって知らない感じ?」
「知っていたら、経験者に教えを請いに行っていたよ……」
「だよねぇ」
エメリッヒが生まれたのは半年ほど前の話だ。
その半年の間に、似た事例がなかったかどうか調べない訳がない。とにかくキールズの父でありカインの叔父であるエクスマクスは大らかで人情にあつい人物だし、その妻である叔母のアルディも貴族とは思えないぐらいに『みんなのお母さん』という感じの人物なのだ。
自分の息子とその妻、その子の為に手を尽くさないわけがない。
「とにかく、僕が来たからには僕にできることをやらせてもらうよ。子育てに詳しそうな人にも聞いてみる」
「助かる。……子守歌を歌って、エメリッヒを眠らせてくれるだけでも良いんだ。カイン、どうかスティリッツとエメリッヒを助けてくれ」
深々と頭をさげるキールズのつむじを、カインはじっと見つめた。
一緒に釣りをしたり、森で虫を捕まえてはコーディリアとディアーナをからかったりしていたやんちゃ坊主のイメージの強かったキールズ。
妻と子のために、年下の従兄弟に頭をさげられるその姿は、すっかり父親の自覚を持った大人の男だった。
カインは、子守部屋のある離れを出ると、そのまま本館の衣装室へと向かった。
騎士団第三部隊のシャツを繕っていたお針子達にお願いして、赤ん坊抱っこ用のスリングを作ってくれるように依頼した。
前世で知育玩具メーカーの営業だったカインだが、育児用品については詳しくない。
営業先のおもちゃ屋の近くにあった育児用品店に、新商品のアイデアがないかと偵察に行ったり、保育園や幼稚園で情報交換をしている際に聞きかじった程度である。
もちろん、自分で使った事などはない。それでも、興味をもって見る・調べるという事は大事だったなと前世の自分に感謝した。
衣装室のお針子達のなかには、子育ての終わったベテランなどもいたため、カインの身振り手振りや、あまり布を使っての「なんとなくこんな感じ」という提案でだいたいの構造を把握してくれ、請け負ってくれた。
次に、武器や家具の修繕を請け負っている工作室へと足をはこび、エメリッヒがつかまり立ち出来そうな高さのテーブルや幼児用の椅子を作って貰うようにお願いをした。
単純にサイズの小さい椅子をつくるのではなく、背もたれや手すりで囲んで赤ん坊が落ちない様に、足で跨ぐように落下防止の棒をいれてずり落ちないように、綿をいれて座り心地が良いように、付け外しのできるテーブルを付けてその椅子で食事が出来る様に、と細かい注文をつけていた。
エメリッヒの首はもう据わっていたし、そろそろお座りが出来る様になる時期だ。
椅子に座らせることで『座る』という行為を知れば、だんだんと自分で座るようになる。
また、赤ん坊用の椅子に座らせて離乳食を与えられれば『触れていると不快感を感じる』という現象にも悩まされなくて済む。
すぐにはできあがらないが、エメリッヒの為だと言えばみな最優先でやってくれると言ってくれた。
そうしてカインは自室にもどって何通かの手紙をかき、イルヴァレーノに配達の手配を頼んだ。
数日後、ヒントは意外なところからやってきた。
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくおねがいします。
活動報告を書いたのでよかったら確認してね!