頼れる男、カイン
夏休み前日、学園から帰ったところでパレパントルから一通の手紙が手渡された。
差出人はキールズで、内容は『夏休みになったら領地に遊びに来てくれ』というものだった。
「キールズと言えば、神渡り休暇が終わった頃に赤ちゃんが生まれたんだっけ」
去年の秋の終わり頃、カインは見た目が黒髪金目になっていたため領地で過ごしていた。
その時、だいぶお腹が目立っていたスティリッツが転倒しそうになったのを、カインがとっさに転移魔法をつかって庇ったことが切っ掛けで、カインは見た目を元に戻すことができたのだった。
そこから二月ほどたった頃、無事に男の子が生まれたという連絡を貰っていた。
「キー君とスティリッツの赤ちゃん! 会ってみたいね!」
制服から私服へと着替え終わり、カインの部屋へと遊びに来ていたディアーナが嬉しそうに笑う。
結局、キールズとスティリッツはあの後ネルグランディ城で過ごす事になったそうで、今でも城で子育てをしているという。
ティアニアを預かって可愛がっていた叔母のアルディも、ティアニアがアイスティア領へと行ってしまってから寂しかったらしく、孫にデレデレになっているらしい。
春の種まきシーズンに領地へ視察に行っていた父ディスマイヤも、甥孫が可愛かったらしく、戻ってきてからしばらくカインに届いた婚約打診のお手紙を熱心に眺めていた。
カインと同年代の令嬢は、アルンディラーノ狙いで調整している家が多いため、カインよりもずっと年上の令嬢だったり家格が微妙に合わなかったりしていたため、父としてもこれぞというものが無いらしかった。
その件についても、母エリゼが「学園で交友を広めないからですよ!」と怒っていた。
家門の繁栄や派閥の調整などはもちろん必要なのだが、アルンディラーノとカインを天秤にかける場合に「娘がカインと懇意」であれば、王太子よりカインを選ぶ親も居るだろうという理屈である。
さすが、現国王と王妃、そして公爵家長男と一緒に四角関係を乗り越えて恋愛結婚した母の言うことは違う。
とにかく、ディスマイヤとエリゼが孫の顔を見られるのはまだまだ先のことになるだろうな、とカインはため息をついた。
「カイン様が夏休みに領地へ行かれますと……」
カインとディアーナにお茶を出しながら、イルヴァレーノが口を開く。
「夏休みになれば、カイン様が領主教育という名の仕事の手伝いに入ってくれると信じている補佐官達がまた泣き崩れてしまいますね」
「そもそも、僕一人増えただけで楽になったり、居ないだけで回らなくなってるのが間違ってるんじゃ無いの?」
カインが友人を作るために学業に復帰すると言った時にも、泣き崩れていた補佐官達を思い出す。
ネルグランディ領地はかなり広大で、各地域の統括を任せている貴族達もそれなりの人数がいる。
それらをまとめなければならないとなれば単純な仕事量も膨大になる。なおかつ、領地の情報を取り扱うとなれば、外部に知られるわけにはいかない情報もあるわけで、誰彼構わず仕事を任せられるという物でもない。
そういった事情についてはカインも分かってはいるものの、それにしたってまだ学生であるカインが抜けただけで仕事が回らなくなるというのはいかがな物だろうかと思ってしまう。
「僕が留学から帰ってくる前までは、僕抜きで仕事が回ってたんだから大丈夫でしょ」
「……回っていなかったから泣いているのでは」
「きこえなーい! 僕はこの夏休み、ディアーナと一緒に領地へ逃避行だ!」
「うふふっ! お兄様と逃避行よ!」
おー! っと二人そろって腕を振り上げ、楽しそうに笑うカインとディアーナ。
使用人という立場からすると、泣き崩れていた補佐官達に同情するものの、イルヴァレーノの主人はカインなので、イルヴァレーノとしてはカインの決定に否やは無い。
「夏用のお洋服をご用意いたしませんと。夏の日差しは髪が痛みやすいから保湿クリームも多めに入れないといけないかしら」
イルヴァレーノの隣に立って控えていたサッシャも、すでに気持ちは領地へと向かっている様だった。
◇
四日の馬車の旅が終わり、領地にたどりつくとキールズが待ち構えていた。
「よく来てくれたな、カイン! 待ってたんだ!」
そう言ってカインの背中をバンバンと叩いた。
カインディアーナの兄妹と、キールズコーディリアの兄妹、二組の従兄弟同士の仲は昔から悪くない。
キールズは初対面の時から兄貴風を吹かせつつも面倒見が良かったし、コーディリアは都会っ子のカインに憧れを持っていた。
夏休みなどに領地に遊びに来れば、いつだってそれなりに歓迎してくれていたのだが、今回はいつも以上に喜んでくれているように見える。
「早速で悪いんだけど、離れまで一緒に来てくれないか。荷物は使用人達に部屋まで運ばせておくから」
「え? 離れに何かあるのか?」
いつもなら、まずは疲れただろうから応接室でお茶でも。と言われるところである。
少々強引に腕を引かれながら離れへと連れて行かれたカインと、慌ててそれに続くディアーナとイルヴァレーノたち。
中庭を通り過ぎ、領城の母屋から少し離れて建っている離れに近づくにつれて赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
離れは、ティアニアがこの城へとやってきたときに子守部屋として使われていた建物だった。
今回は、キールズとスティリッツの子育ての家として使われているのだろう。
「そんなに急いで自分の子を自慢したいのかい? キールズ」
「キー君とスティリッツの赤ちゃんは離れにいるのね! 会わせてくれるの?」
ぐいぐいと腕を引っ張りながらカインを連れて行こうとするキールズに、カインがニヤニヤと笑いながら声をかけるが、先を進むキールズの顔は真剣だった。
離れについて階段をあがり、ティアニアの時も使っていた部屋へ連れて行かれる。
キールズがコンコンとノックをすると、だんだんと赤ん坊の泣き声が大きくなっていく。そうしてドアが開くと、ドアによって遮られていた分の音量が足された泣き声は、まるでガード下の飲み屋で通過する電車をやり過ごしているかの様な爆音であった。
しかし、カインとディアーナが驚いたのはその爆音の泣き声ではない。
「も、もしかしてスティリッツ?」
「どうしちゃったの!? その姿は!」
泣き叫ぶ赤ん坊を抱いてドアの前に現れたのは、胸のサイズはふくよかなままに、全身がすっかり細くなって別人の様に痩せてしまったスティリッツの姿だった。
「……カイン様、ディアーナ様。お久しぶりでございます。このような姿でご挨拶することになり、申し訳……」
挨拶をしてくれる声も細々としている。
「いいよ、いいよ。そんな丁寧に挨拶しなくて。とりあえずスティリッツは部屋に戻って座ろう?」
「そうよ! スティリッツ顔色悪いよ?」
カインはスティリッツから赤ん坊を受け取って抱きしめ、キールズがスティリッツを抱えるようにして部屋の中へと入っていく。
部屋の中程に用意されているふわふわの毛布が敷かれたソファーにスティリッツを座らせると、キールズはカインへと向き直ってガバッと頭を下げた。
「頼むカイン! 子守歌を歌ってくれ!!!」
わぁわぁと泣く生後六ヶ月ぐらいの赤ん坊。
げっそりと痩せて疲れ切っている母親のスティリッツ。
頭を下げるキールズ。
これだけで、カインにはこの状況が察せられた。
「あー……是非領地に来てくれって手紙くれたのは…そういうこと?」
ティアニアの子守をしていたとき、カインの子守歌の威力は絶大だった。
キールズは、それを期待していたのだろう。
「魔の六ヶ月かぁ」
おそらく、スティリッツ激やせの原因は、赤ん坊の夜泣きである。